第180話 初回試験!
陸が戻ってくると、研究担当者は端末の画面を見たまま手招きした。画面には、陸の手足の動きと重なるように、何本もの線が上下している。
「動き自体はちゃんと取れてますね。佐藤さん、今度は少し速く動いてもらえますか。いつも戦う時くらい、とは言わないですけど、ちょっと踏み込むくらいで」
「了解です」
陸は部屋の奥へ向き直った。
いつもの感覚で、右足を強く踏み込む。
その瞬間、脚が後ろへ引っ張られた。
正確には、引っ張られたわけではなかった。陸の脚はもう前へ出ているのに、骨組みがまだ動き出していない。装甲の重さだけが、陸の踏み込みにぶら下がっている。
一拍遅れて、脚の補助が一気に押してきた。
「うおっ!?」
前へつんのめりそうになり、陸は左足でどうにか踏ん張った。柔らかい床が大きく沈む。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫です、大丈夫! ……今の、なんか、後から来ました」
自分の脚が先に出て、スーツが後から追いかけてくる。追いついた時には、陸の身体はもう次の動きへ移ろうとしていた。
研究担当者が画面の線を巻き戻した。陸の動きを示す線が先に跳ね上がり、少し遅れて、補助の線が同じ形で跳ねている。
「ああ……佐藤さんの方が先に動いてますね。これ」
「スーツが遅いってことですか?」
「スーツが遅いというより、佐藤さんが速いんです」
研究担当者は苦笑した。
「さっきの装具と同じで、筋肉が動き始めるところを拾って補助してるんですけど、拾ってから力を出すまでの間を、まだ人の速さで作ってるんですよ。普通の人なら間に合う。でも佐藤さんだと、拾った時にはもう動き終わってる」
さっきの装具は、遅れを詰めるのに半年かかったと言っていた。陸が着ても、引っかかるところは一つもなかった。
あれは、八十キロの箱をゆっくり持ち上げただけだったからだ。
「……俺が戦う時の速さに合わせないと、ってことですね」
「そうなります。佐藤さんの動きを、もっとたくさん取らないとですね。これは調整でいけると思います」
研究担当者の声は、思ったほど困っていなかった。むしろ、画面の線をもう一度巻き戻して、楽しそうに眺めている。
陸は踏み込んだ右足を見下ろした。装甲の溝には、まだ淡い光が残っている。ゆっくり動く分には、本当に軽い。これが戦う速さについてきたら、と思うと、それだけで足がうずうずした。
そこで、ふと左手首へ目が行った。
装甲の手首の部分から、万象の腕輪の銀色が少しだけ覗いている。
「あの、これ着たまま、腕輪も使っていいですか」
研究担当者が顔を上げた。
「腕輪、ですか」
「戦う時、身体強化とか、風とかずっと使ってるんで。スーツだけで戦うってことはたぶんないと思うんですよ。一緒に使えるか、今のうちに見ときたくて」
研究担当者は少し考え、高瀬の方を見た。高瀬は端末から顔を上げ、短く言った。
「佐藤さんの判断で、無理のない範囲であれば。危ないと思ったら、すぐ止めてください」
「……分かりました。じゃあ出力はこのまま一番弱いところで、佐藤さんは動かないでください。腕輪も、できるだけ小さく。何かあったらすぐ切ります」
「了解です」
研究担当者が奥の壁際に、薄い布を何枚も吊るした細い台を置いた。
「あれに風、当てるだけでいいですか」
「はい、それくらいで」
エリナはいつの間にか、高瀬の横まで下がっていた。高瀬が自分の前へ手を出すと、エリナもその後ろで足を止める。
陸は左手を、布の方へ向けた。
風属性。いつも使っている時よりずっと弱く、布が少し揺れるくらいに。
布の端が、ふわりと持ち上がった。
同時に、左腕が勝手に跳ね上がった。
「っ!?」
陸は腕を上げようとしていない。それなのに、前腕の骨組みが陸の腕ごと上へ持ち上がり、肘が引っ張られる。背中の窓が強く光ったのが、装甲越しにも分かった。左腕の溝を走る光が、明るくなったり暗くなったりを細かく繰り返している。
右脚の骨組みまで、小さく震え始めた。
「切ります!」
研究担当者の声と同時に、全身の光が消えた。
骨組みからふっと力が抜け、装甲の重さがそのまま肩と腰に乗る。持ち上がっていた左腕が、ゆっくり下りてきた。
陸は動かなかった。動くなと言われていたし、正直、どこから動かせばいいのか一瞬分からなかった。
部屋が静かになる。奥の布だけが、まだ少し揺れていた。
「佐藤さん、どこか痛いところは」
「ないです。……びっくりしただけで」
陸は左腕を握ったり開いたりしてみた。どこもおかしくない。腕輪にも変わった様子はなかった。中央の紫色の石が、いつもどおり角度によって淡く揺れているだけだ。
「リク!」
高瀬の後ろから、エリナが駆け寄ってきた。陸の周りをぐるりと回り、止まった左腕を下から覗き込む。
「いたくない?」
「痛くない。ちょっと勝手に動いただけ」
「かってに……」
エリナは、さっき跳ね上がった左腕の装甲を、前脚でちょんとつついた。
研究担当者は、もう端末に張り付いていた。
さっきまで陸の動きと一緒に上下していた線の中に、一本だけ、急に跳ね上がっているものがあった。陸が腕輪を使った瞬間と、ちょうど同じ場所だ。その線に引きずられるように、補助の線がばらばらに乱れている。
「……ここですね。腕輪を使った瞬間に、補助の方が一気に崩れてます」
「腕輪のせいなんですか?」
「腕輪のせい、とまではまだ言えないです」
研究担当者は、同じところを何度も巻き戻した。
「スーツだけの時は、遅れはあってもちゃんと動いてました。腕輪を使った時だけ、こうなる。ただ、何を拾ってこうなってるのかは、この一回だけだと分からないです。今まで、腕輪を使う人に着てもらったことなんてないので」
「まあ、そうですよね」
腕輪を持っているのは、陸だけだ。
「なので、分けて取らせてください。腕輪を使ってない時の佐藤さんの動きと、使ってる時の動き。それぞれ、少しずつ強さを変えて。あと、さっきの遅れの方も、佐藤さんの速さに合わせて反応を詰めます。全部一緒に試すと、どれが原因か分からなくなるので」
「了解です。何回でも着ます」
答えてから、陸はもう一度左腕を見た。
さっき勝手に跳ね上がった時は、正直少し焦った。それでも、歩いた時のあの軽さは、まだ脚に残っている。
「……でも俺、腕輪なしで戦うのは、ちょっと考えられないんですよね。せっかくこれ着るなら、両方ちゃんと使いたいです」
「こっちもそのつもりです」
研究担当者は端末を閉じて、陸の方へ向き直った。
「腕輪と一緒に動かなかったら、佐藤さん専用にした意味がないですから」
高瀬が端末を手に近づいてきた。
「調整には、どのくらい見ておけばよろしいですか」
「データの整理と、反応の作り直しで……何日かください。次は最初から、腕輪ありとなしで分けて組みます」
「では、日程はこちらで調整します。佐藤さん、ご都合はまたご連絡しますね」
「お願いします!」
陸は台座へ戻って背中を合わせ、胸のボタンを長押しした。肩と腕の固定が外れ、胸の装甲が前へ開く。腰の帯が緩み、脚の装甲も上から順に開いていった。留め具が一つ外れるたびに、身体が元の重さへ戻っていく。研究担当者は横で見ているだけだった。最後に陸が脚を抜くと、スーツは中身のない形のまま、台座の上に立っていた。
陸は台座の後ろへ回った。
背中の窓の奥では、光の消えたスーツの中で、蒼星鉱だけがまだ小さく瞬いていた。
「ほし、まだおきてる」
エリナが窓へ顔を近づける。陸もその横にしゃがみ、窓の縁を指先で軽く叩いた。
青白い光が、さっきと変わらない速さで瞬いていた。
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