第176話 一年後の街!
個人ダンジョンから戻ると、麻布台のリビングにはもう昼前の光が差し込んでいた。
陸は窓際で大きく伸びをしてから、所持アイテムを開いた。一晩分の魔石と素材が、一覧のずっと下まで続いている。Dランクの素材はまとめて売却へ回し、魔石とCランク以上の素材だけを別に分けていく。研究室へ持っていく分だ。
大阪城で対策庁の班がコボルトヴァンガードを倒すのを見てから、もうすぐ一年になる。あれから陸は、狩りのたびにこうして素材を分け、研究室へ届け続けてきた。最初は弓の部品のためだったはずが、届けるたびに使い道の話が増え、今では何にどれだけ使われているのか、陸にも全部は分からない。
整理を終えてスマホを見ると、高瀬からメッセージが来ていた。
『研究室の方で、佐藤さんに見ていただきたいものが揃いつつあります。近いうちにお時間をいただけますか』
「お、なんだろ」
すぐに『いつでも大丈夫です!』と返す。
「おなかすいた」
ソファの背に前脚を乗せたエリナが、こちらを見ていた。
「俺も。……昼、外で食うか」
「そと!」
マンションを出ると、通りは人と車でにぎわっていた。歩道を急ぐ人、店先で荷物を下ろす配送トラック、信号待ちの列。街灯の根元には「魔石式非常電源」と書かれた小さなプレートが付き、コンビニの横には魔石の回収ボックスが置かれている。どれもこの一年で少しずつ増えてきたものだ。陸ももう、いちいち足を止めたりはしない。
足を止めたのはエリナの方だった。
頭の上を、白い機体が音もなく横切っていく。エリナはそれを首ごと追いかけ、少し先の小さな広場で目を止めた。広場の角には腰ほどの高さの白い箱が並んでいて、機体はそのうちの一つへまっすぐ降りていく。蓋が開き、待っていた女の人が中から紙袋を取り出した。
「あれ、なに? ごはん?」
「配達のやつ。この辺でも始まったんだよな、店から直接飛んでくるの」
「たのみたい!」
「ショップで出せばすぐだぞ?」
「とんでくるのがいい」
エリナは広場の箱から目を離さない。
「……まあ、俺もちょっと気になってたし」
陸はスマホで配達のアプリを開いた。近くの店がずらりと並び、その中にからあげの店を見つける。大きめのからあげを二人分と、飲み物を二本。受け取り場所にさっきの広場を選んでポイントで払うと、画面に「到着予定 7分」と表示された。
「七分だって」
「ななふん」
広場の箱の前で待つ間、エリナはずっと空を見ていた。ビルの間を別の機体が何度か横切っていくたび、「あれ?」「ちがう?」と陸の袖を引く。
五分を過ぎた頃、スマホが短く震えた。
「来た。あれだ」
白い機体がビルの角を回り込み、こちらへ向かって高度を下げてくる。近くで見ると、四つの羽根が回っているのに、音は扇風機ほどもしない。機体は陸たちの前の箱へぴたりと降り、陸がスマホの画面をかざすと蓋が開いた。
中には紙袋が一つ。持ち上げると、底がまだ温かい。
「きた!」
「ほんとに飛んできたな……」
袋を開けた途端、揚げたての匂いが広がった。エリナがすぐに顔を突っ込みそうになり、陸は一つだけ取り出して渡してやる。
「あつい!」
「だから言ったろ」
エリナは熱そうに口を離し、それでもすぐにまたかじりついた。
陸は袋を抱えたまま、まだ箱の上にいる機体を覗き込んだ。胴体の横に小さな窓があり、その奥で何かが淡く光っている。窓の上には「魔石動力」の文字。差し込み口の形が、研究室で何度も見た交換式の部品とどこか似ていた。
「これ、魔石で飛んでんのか!」
光っているのは親指くらいの大きさの魔石だった。Dランクのモンスターから落ちる、見慣れた大きさだ。一年前なら、ああいうのはまとめて売って、そのポイントを祭壇へ入れていた。
「あれで昼飯が飛んでくるのかよ……」
機体はふわりと浮き上がり、来た方向へ戻っていった。エリナはからあげをくわえたまま、それがビルの向こうへ消えるまで見送っていた。
広場のベンチで少し食べてから、二人は大通りの方へ歩いた。
通りを一本渡った先で、陸は顔を上げた。
白い仮囲いが、道路沿いにずっと続いている。その向こうに、組みかけの鉄骨が何十階分も積み上がっていた。前にこの辺りを通った時は、まだ囲いの中に重機が並んでいるだけだった。
ちょうど、灰色の巨大な梁が一本、クレーンで吊り上げられているところだった。
大型トラックの荷台より長い。それなのに、吊っているワイヤーはほとんど張っていなかった。梁の両端には箱のような装置が取り付けられていて、側面の帯が青白く光っている。上で待っていた作業員が梁の端に手を添えると、それだけで梁がゆっくり向きを変えた。
「うかんでる?」
「浮いては……ないよな? でもあれ、絶対重いやつだろ」
作業員が二人がかりで梁を押し、柱の間へ収めていく。ボルトを締める音が上から響いてきた。
「なにあれ、どうなってんだ」
仮囲いの途中に、ガラス張りの展示スペースがあった。中には説明パネルと大きなモニターが並び、何人かが足を止めて工事の映像を見ている。
入口の横に、手で触れる見本が置かれていた。さっきの梁と同じ灰色の板だ。「魔導複合材」と札が付いている。
陸は板の端を指で叩いた。コン、と硬い音がする。持ち上げてみると、見た目よりずっと軽かった。表面には細かな粒が混ざっていて、角度を変えると淡く光る。
「軽っ。……これ、魔石の粉か?」
パネルを読むと、ダンジョン産の魔石や鉱石系の素材を加えて作った建材らしい。軽いのに強く、さっき梁に付いていた装置と組み合わせれば、これまでのクレーンでは吊れなかった大きさの部材も扱えるという。
エリナはパネルではなく、モニターの方を見上げていた。
「リク、これ、たかい」
画面には、雲を突き抜けるように細く伸びた塔が映っていた。その下に「高さ1,000メートル級 超高層タワー実証計画」と大きな文字が並んでいる。
「千メートル!?」
思わず声が大きくなった。近くにいた人が振り返り、陸は慌てて口を押さえる。
説明によると、今目の前で組み上がっているのはその計画のための実証棟で、ここで使った建材や装置の結果を見て、本当に千メートル級を建てられるか確かめるらしい。
「千メートルって……東京タワー三本分くらいあるだろ」
「リクのいえより、たかい?」
「比べもんにならない」
エリナは画面の塔と、仮囲いの向こうの鉄骨を何度も見比べていた。
陸はもう一度パネルへ目を戻した。一番下に、小さな字で協力機関が並んでいる。いくつかの大学と、聞いたことのある建設会社、素材メーカー。
その中に、特異事象対策庁の名前があった。
「……あ」
毎週のように研究室へ届けている魔石と素材。あれがどこへ回っているのか、陸は詳しく知らない。この板に入っているのが自分の持っていった物なのかも分からない。
それでも、研究室の向こうがここまでつながっていた。
「リクの、はいってる?」
「どうだろ。分かんない」
陸は見本の板をもう一度叩いた。コン、とさっきと同じ音がする。
「でも、入ってたらちょっとすごくないか?」
「すごい!」
仮囲いの上では、さっきの梁がもう柱の間へしっかり固定されていた。クレーンのフックが外れ、次の部材の方へゆっくり戻っていく。
ポケットの中でスマホが鳴った。画面には高瀬の名前が出ている。
「はい、佐藤です」
『高瀬です。今、少しよろしいですか』
「大丈夫です」
『朝のメッセージの件です。研究室の準備が整いましたので、明日の午前中にお越しいただけないかと思いまして』
「行きます!」
返事をしてから、陸は目の前の展示スペースを見た。
「あの、今ちょうど工事現場の前にいて。魔導複合材ってやつの展示があるんですけど、これも対策庁が関わってるんですか?」
『ああ、あの実証棟ですね。研究の一部はこちらも協力しています。ただ、実際に作っているのは企業の方々です』
「そうなんですね。さっき梁が吊られてるの見たんですけど、めちゃくちゃ軽そうで」
電話の向こうで、高瀬が小さく笑った気配がした。
『明日お見せするのも、ああいう現場で使われているものだけではありません。研究担当者が、どうしても佐藤さんに直接見ていただきたいそうです』
「え、なんですか?」
『それは、明日実物を見ていただいた方が早いと思います。十時に、いつもの研究室でお待ちしています』
「分かりました。十時ですね」
通話を切ると、エリナが袋の中を覗き込んでいた。からあげはもう二つしか残っていない。
「それ、俺の分も入ってるからな」
「……ひとつ、あげる」
「一個ずつだろ」
残りを一つずつ分けて、二人は家の方へ歩き出した。
ビルの間を、また白い機体が一つ横切っていく。エリナはからあげを持ったまま、それが見えなくなるまで目で追っていた。
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