第9話
「だから、もっと優しくしなきゃダメって言ってるの」
「違う、そうじゃなくて……!」
「鬱い男の子って言ったこと? 別に褒めたわけじゃないんだからね。鬱は最強だけれど!」
そう言って、蒼は悪びれもせずぎゅっと抱きついてきた。
「ひんやりー!」
嬉しそうな声。
けれど、私には温かさなんて何一つ伝わってこない。
あるのは悪寒だけだった。
頭の中からは、熱を奪うだの力を奪うだの、そんな考えさえ吹き飛んでいく。
「この世で一番の罪が……本当に、バレて……」
それしか考えられなかった。
「幽体離脱社会では、絶対に他者の肉体に取り憑いてはいけませーん! 倫理的にブッブー!」
蒼は私の胸に顔を埋めたまま、背中に腕を回してくる。
見えないけれど、たぶん得意げな顔をしている。
なんて幼稚な死神だ、と私は思った。
もちろん、罪とされているのには理由がある。
他人の肉体を乗り換え続ければ、不老不死は現実になる。
けれど、永遠の命を巡る争いほど醜いものはない。
仮に争いを避けたとしても、人口は減らない。資源は尽きる。その前に、結局また奪い合いが始まる。
だから否定された。
倫理の問題として。
社会を守るために。
ついでに言えば、霊体のまま生き延びるのも重罪だ。
肉体を失った魂は、やがて弱って消える。
だから皆、一番重い罪に手を伸ばす。他人の器を奪おうとする。
……でも。
おかしい。
「証拠……ないはずなのに」
本来、幽体離脱した霊体と奪った肉体は見た目が違う。
なのに、今の私は同じだ。
恩人の玲音の見た目そのままだ。
家で眠っている肉体と、まったく同じ姿。
「普通は幽体離脱した時点でブッブーってバレるし、睡眠やストレスから解放される幽体離脱を拒否ったら、それこそ怪しすぎてブッブーだしね!」
言い方は腹立たしい。
でも、中身は正しい。
私の霊体と肉体の見た目が同じなのは、例外だった。
絶望の果てに生まれた、ありえない例外。
あの時。
メギドレイに襲われたあの日。
私は身代わりになった恩人の器の中に閉じこもった。
一年以上閉じこもった。
その間、幽体離脱しなかったが疑われなかっ。
最強最悪に襲われたからか、はたまた世界唯一の鬱人認定されたからか。
いずれにせよ、長い時間をかけて、魂の形が器に引きずられてしまったのだ。
「蒼は……知っているの?」
「何を?」
「魂の形が、その……」
「そうね!」
希望を込めて言いかけた言葉を、蒼はあっさり遮った。
胸元を見ると、ちょうど谷間のあたりからひょこっと花でも咲いたみたいに、にかっとした笑顔が覗く。
やっぱり幼稚な死神だ。
私は復讐者だ。
罪がバレたところで、返り討ちにするつもりだった。
でも、その理由の半分は贖罪でもある。
本当は。
恩人に、謝りたかった。
それがもう叶わないとしても。
蒼が今の私を“男の子”だと知っているなら、昔の私が“女の子”だったことも知っているはずだ。
だったら蒼は、私が閉じこもっていた間に失った昔の友人かもしれない。
あるいは、恩人だった玲音の霊滅士仲間かもしれない。
私は殻に閉じこもっていた間、見舞いを何度拒んだか覚えていない。
ただ、いつしか誰も来なくなったことだけは覚えている。
「蒼は、その……」
友人だったのか。
仲間だったのか。
聞いたところで救われるはずがない。
むしろ、余計に苦しくなるだけだ。
そう思っていたのに。
次の瞬間、私は予想外の方向から口を開けたまま固まることになった。
ぱっ、ぱっ、ぱっ、と。
街の明かりが次々に戻っていく。
それと同時に、どどどどっ、と地面が揺れる勢いで人があふれ出してきた。
建物の奥から。
店の中から。
駅から。
隠れていた全員が、一斉に。
そして、息を揃えて叫ぶ。
「「「玲音ちゃん、十七歳のお誕生日おめでとうー!!」」」
……は?
訳が分からない。
拍手。
歓声。
花びら。
嬉しいわけがない。
「メギドレイ急襲の直後にどうして祝えるの!?」
たぶん、私がメギドレイを倒すって公言してるせいもあるんだろう。
でもそれにしたっておかしい。
ストレスフリーな人間って、ここまで狂えるものなの?
道を埋める青い傘が順番に投げられていく。
地に落ちてずしんと重そうに揺れる赤い靴下。
あれの中身が婚姻届の束だって分かってるぶん、なおさら地獄だ。
もういっそ今この場で断罪される方がマシなんじゃないか。
本気でそう思った。
だから私は、視線を落とす。
胸元に埋まっているはずの死神を見ようとして――
だが。
ふっと。
熱が逃げた。
その直後だった。
「玲音ちゃん、おめでとう」
凛とした声が、騒ぎの中で妙にはっきり届く。
すぐそこにいる。
青い瞳も、白い睫毛も見える距離だ。
なのに。
どうしてか、胸のあたりがぎゅっと締めつけられた。
そこにあるはずの熱が、消えたからかもしれない。
見れば蒼は、暗い顔をしていた。
伏し目がちで。
俯いて。
顔を背けて。
世界で、もう私にしかできないはずの“鬱々とした顔”で。
そしてそのまま、一人でプレゼントの波の方へ歩いていく。
その前に、小さく手まで振っていた。
気付いた時には、私は走っていた。
手を伸ばす。
強く、蒼の腕を掴む。
振り向いた蒼の、大嫌いな青い瞳を、今度は逸らさず見つめる。
「あたし幽霊だから、離して」
「幽霊……っ」
思わず目を見開く。
幽霊。
肉体を失った幽体離脱者。
この世で二番目に重い罪。
霊獣と同じように、長くても三ヶ月で消える存在。
……でも、それなら。
私だって同じだ。
取り憑く肉体があるだけで。
五年前から、ずっと罪人だ。
「離して」
「熱の訳と、熱を得る方法を教えるまで離さない」
我ながら、ひどく格好悪い台詞だった。
引き止める理由としては最低だ。
でも。
似た境遇の存在だと分かった瞬間に、別の感情を口にする方がもっと格好悪い。
何より、熱を得ることは当初からの目的だ。
「熱の訳なんて、知らないわよ」
蒼はそう言って、少しだけ困ったように眉を下げていた。




