9、青い屋根のひだまり亭
翌日の午後、なんとなく浮ついてしまう心持ちの中、フォルセアは約束の時間より少し前に青い屋根のひだまり亭に着いた。
侍女のシリスの他に護衛騎士一人も随伴していたが、彼もこの店には何度か来ているためそれなりに警護の勝手も分かっている。
「フォルセア様」
店の前にすでにフリージアとラングルトが佇んでいるのを見て、シリスが知らせてくれた。
高位貴族としては相手を少し待たせる方が折り合いがつけやすいとはいえ、彼らは自分の親友と、無理を言って契約結婚に付き合わせてしまっている相手だ。
「もう少し早く来るべきだった」
シリスにだけ聞こえる声量で呟いて、フォルセアは店へ向かう足を早めた。
「お二人とも、お待たせして申し訳ありません」
「フォルセア、ごきげんよう」
「お会いできて光栄です、フォルセア様」
平民が多く行き交う街中だ。あまり目立たぬようにと定型文で控えめな礼をする三人だったが、やはり周囲の視線は彼女らに注がれる。
さわさわと、平民らしい気やすさで貴族が店の前にいることや、彼らは誰なのかなどを囁き合っている。
「中に入りましょう」
ベルツ兄妹を促し、自ら店の扉を開けようとするフォルセアに、慌てて護衛騎士が手を出す。
護衛騎士が代わりに扉を開くと、ちょうど店主と娘が中から出てくるところだった。
「フォルセア様!いらっしゃい」
「これ、ミリ!失礼なことを…」
フォルセアと同じクラスの友人、ミリと店主である父親だ。
気さくに迎える娘の態度に慌てながら、店主はフォルセアたちに向かって帽子を取って頭を下げた。
「ようこそおいで下さいました、どうぞ中へお入りください」
「トルス殿、急な予約をお願いして申し訳ありません。ミリ、今日はよろしく頼む」
「そんな、滅相もございません」
何度も頭を下げる父親の後ろで、ミリは屈託なく笑う。
「もう、お父さんったらいい加減にフォルセア様に慣れてもいいのにね」
軽やかな声にミリのツインテールが跳ねる。
フォルセアはトルスに眉を下げた。
「気楽にしてもらって構わないのですが」
「とんでもございません、フォルセア様のおかげで貴族のお客様も増えてうちの店が有名になってるんですから」
「もー、お父さんったら…」
もごもごと、フォルセアたちにとってはお決まりのような台詞を繰り返しながら、店主トルスとミリがフォルセアたちを中へ案内する。
フォルセアは半ば常連、フリージアも一度だけこの店に来ている。
初来店であるラングルトは、無表情ながら店内を見渡しているので、それなりに興味を惹かれたのかもしれない。
ランチタイムがひと段落してカフェタイムが始まる少し前、店内にはさほど客は居なかったがそれなりに好奇の視線が注がれる。
二階の階段を登るところで、貴族である、またはそれに準じる立場であることは明白なので、客たちの視線はそこで途切れた。
案内された部屋に、フォルセアとラングルトが入室する。
「お嬢様、私どもは隣におりますので」
「そうなのか?」
「はい、二部屋用意していただきました」
「そうなのか」
ラングルトを見上げると、分かりましたとばかりに頷いている。恋人(仮契約)のようなものとはいえ、部屋に二人だけというのはよくない気がするのだが。
「防音魔法は二部屋まとめてかけさせていただきますので、お嬢様のお部屋の声はこちらにも届きます。何かございましたらお呼びください」
「私もすぐにそちらに行きますわ」
シリスの説明にフリージアも頷く。
己の侍女がこう言うのだ、フォルセアは従った方が良いのだろう。
ちなみに護衛騎士は廊下で待機する。さすがに彼には表向きの事情を話し、協力を仰いだ。つまり、恋人(仮契約)との逢瀬、という建前だ。
ちなみに廊下は防音魔法の外になる。仲間外れのようで申し訳ないが、そうせざるを得ない。
フリージアとシリスがさっさと隣室に移ってしまったので、フォルセアはラングルトに席をすすめた。
この店が個室となった折に、フォルセアが改装祝いに送った調度品がきれいに設置されている。大切に使ってもらっているようだ。
部屋の外を少しばかり確認したラングルトは、椅子に座るなりフォルセアに告げる。
「今朝ルドベキア侯爵閣下に面会を申し込みましたら、明後日に侯爵家に招かれました」
「は」
「聞いていませんか」
「私が家を出る頃は、父はまだ帰っていませんでしたので…」
昨日に負けず劣らずの急展開である。
フォルセアは向かいに座ったラングルトへ、身を乗り出す。
「ラングルト様から父に面会を申し込んでいただけるとは思いませんでした」
フォルセアの都合で行われている事なのだ、婚約の根回しなども全て己で行うつもりだったのだが。
ラングルトの性急とも呼べる行動に、フォルセアはただ驚くばかりだ。
「あの後フリージアとも話し合った結果です。もし侯爵閣下が貴女の婚約者候補を探していたならば、新年祝賀会で引き合わせるかもしれないと」
「なるほど、」
あり得なくはない、とりあえず何人かと会わせて、相性を見るぐらいはされそうだ。
「それを阻止するために、年内に私を貴女の婚約者と認めていただくつもりです」
淡々と告げるラングルトだが、中々すごいことを言ってのけている。新年祝賀会まではあと一週間ぐらいしかないのだが。
「ずいぶんと、お骨折りいただいてしまいますね」
申し訳ありません、と頭を下げるフォルセアを、ラングルトは制する。
「いいえ、私にも利があると判断したからこそお受けした婚約ですので、できうる限り迅速に進めたいだけです」
「…利、をお伺いしても?」
「取り急ぎ、新年祝賀会で他の女性と踊らなくて良くなります」
冗談を言っているわけではないのだろう、平坦な口調。だが、フォルセアは可笑しかった。気が抜けたように、少し笑ってしまう。
まだ若く独身で優秀、容姿も整ったベルツ魔道伯爵が、夜会で綺麗に着飾った女性に多く囲まれる様子など簡単に想像できてしまう。
「なるほど、すぐにでもお役に立てそうで安心しました」
「よろしくお願いします」
と、二人の会話の途中、控えめに扉を叩く音。
「どうぞ」
フォルセアの許可に、廊下に控える護衛騎士が扉を開ける。防音魔法の調節は誰がしてくれているのか、フォルセアには分からない。
入室したのはミリだ。
「失礼いたします、ご注文をうかがいに参りました」
二階席用の挨拶だ。礼の仕方を指導したのはシリスなので、所作も完璧だ。
「ありがとう、ミリ」
とはいえ、受ける客側があまりにも気さくなのでミリの緊張も続かない。
はい、メニュー。とフォルセアにメニュー表を渡してしまえば、肩の力も抜けるというものだ。
「どうぞ、ラングルト様」
フォルセアはラングルトにメニュー表を渡している。生真面目に「ありがとうございます」と受け取る男性に、ミリは興味を示さずにはいられない、が。
「フォルセア様、私は今日の事を内緒にしておいた方がいいんですよね?」
「助かる」
シー、と、唇に人差し指を当てる友人にこの店の看板娘は笑った。
「任せて!お客さまのプライバシーはしっかり守りますよ!」
親指をグッと立てる。
(傭兵だけの合図ではないのか)
ミリの頼もしい仕草にフォルセアは感心する。平民の合図なのかもしれない。意味を理解できた自分に、フォルセアは満足を覚える。
「冬休みに入ったら新年の夜会の準備があるんでしょう?貴族の方たちも忙しそうで、二階席は結構空いてるんだ」
メニューを見ているラングルトをチラリとだけ見て、ミリはフォルセアに話を続ける。
「フォルセア様は準備しなくていいんですか?」
「弟が初めて出席するからと、母と妹がすごく張り切っていてな、私は今回は着せ替え人形になるだけでいいんだ」
「へー、そういうパターンもあるんですね」
「注文をお願いします」
貴族ってすごいなぁ、と感心するミリに、ラングルトが声をかける。
とたん、ミリはエプロンから伝票を出して背筋を伸ばした。意識が仕事に切り替わっている。
「はい、お伺いします」
「フォルセア様は何を」
ラングルトがフォルセアに先をゆずってくれる。
「私は紅茶とフルーツのパンケーキを」
フォルセアが注文するのは、この店のカフェタイムの定番メニューだ。
「かしこまりました」
次はラングルトの番だ、
「ハムサンドと野菜のサンドをコーヒーのセットで」
「かしこまりました」
「それと、このフィッシュサンドというのはどの様なものですか」
「はい、大きめの丸いパンを切って、間に味付けした白身魚のフライと野菜を挟んだものです」
「ではそれと、このハンバーグサンドというものも一つお願いします」
「はい、かしこまりました」
さすがこの店で働くだけのことはある。一切の感情を乗せずにミリは一礼して、部屋を出て行ってしまった。
残されたフォルセアは呆然とラングルトを見つめたので、ラングルトは一つ、息を吐いた。
「昼食を食べ損ねていましたので」
「たくさん召し上がれるのですね」
(そういえば、あまり人と食事をしたことがないな)
ラングルトはふと気付く。
「仕事の関係で食事を抜くことも多いので、食べられる時にできるだけ食べておく癖が付いてしまっているようです」
「それにしても…」
ふ、ふ、とフォルセアが肩を揺らし、すぐに弾けた。
「たくさん食べるのですね、すごいな」
あはは、と何とも豪快に笑う。
嘲るのではない、ただただおかしそうに、笑っている。
『全く自分に興味のない豪放磊落で清々しい性格のフォルセアに出会い、次第に惹かれていくのですわ!』
(成程)
ラングルトは自分の妹の慧眼に感心する。
確かに。とラングルトは昨日の今日ですでにフォルセアへ好意を覚えはじめている自分を自覚する。
なんとも清々しい女性だ。
妹もまた、同じような部分に好感を抱いているのだろう。兄と妹、それなりに似通った性格をラングルト達は持っている。
「お目汚しでなければ良いですが」
「とんでもない」
形式ばかりのラングルトの遠慮に、フォルセアは満面の笑顔。
「他にもおいしい店を知っています。次に誘わせて下さい。ああそうだ、チョコレートの美味しい店も」
何ひとつ、ラングルトの所作を不快に思っていないらしい。つられるように、ラングルトもわずかに口元を緩めた。
「行政府の食堂も中々です。入局されたらぜひ、案内させて下さい」
それはフォルセアにとって、この先への希望の言葉だ。
ラングルトの提案にフォルセアは瞬きをして、そして、
「楽しみにしています」
破顔して、しっかりと頷いた。




