幕間1、魔道士二人
秋の終わりの頃だ。
つい数ヶ月前、カエン・ゾラは呪いを受けていたせいとはいえ友好国アルストロメリアで騒ぎを起こしてしまった。
ソシン女王の命を受け、神の使いとされる魔亀の甲羅をはじめとした素材を買い集める為の来国なのに、カエンの一件のせいで収集すら一時中断してしまった。
カエンを呪っていた一派がアルストロメリアに侵入していたのだ、万が一の事があるし特使全員の身辺調査がなされるのは仕方のない事だ。
カエンに掛けられた呪いを管理していたシイバ・ミスハリは捕らえられ、ラン・スイザンを始めとした他の特使たちは全員潔白であると判断されるまで一ヶ月以上を要した。
その間、特使たちは外務局が用意した公邸としてのこの屋敷に留め置かれた。外出禁止ではないが商人達との商談は禁止され、外出の時はアルストロメリアの騎士を伴わねばならない。
問題を起こし、呪いの使い手を入国させてしまった手前、ソシンの特使達は出来るだけおとなしく過ごすことしかできない。
カエンもその一人だ。
異常をきたしていたというのに高過ぎた自尊心のせいで呪いに気付けず、騒ぎを起こした張本人なのだ。牢に入れられても仕方のないことをしでかしたのに、彼は結果的に許されて静養という名の謹慎で済んでいる。
よりにもよって王国の要である魔道伯爵に喧嘩を売り、婚約者の侯爵令嬢に言い寄ったというのに。
(ああ、本当に、私は何てことを…)
一人部屋の中でこもり続けると、自己嫌悪ばかりが湧いてくる。
事件を起こした後に見舞いに来てくれたベルツとフォルセア嬢を何度も思い出す。ベルツの方は微妙だったがフォルセア嬢は始終カエンを気遣ってくれたのだ。
そして、ベルツは別れ際にカエンと友人になってくれた様な気がする。
たぶん、あれはきっとそういうことだ。
あの日の、わずかな時間を思い出すだけでカエンはまた泣きそうになる。
単身アルストロメリアに留学し、努力と挫折を繰り返して来たあの日々が報われたような気にすらなる。
投げ飛ばした事を気まずげに謝ってくれたフォルセア嬢だけれども、あの方のあの行動が、あの時の言葉がどれほどカエンの救いになったか。
私は私で良いのだと、ようやく思い知れたのだ。
ズ、
と、カエンはまた鼻をすすった。本当に涙腺が弱くなってしまった。
トントン
ふいに扉がノックされ、カエンは慌てて目を擦った。
他のソシンの特使が様子を見に来てくれたのだろうか。
「はい」
どうぞ。
声を掛ければ、ガチャ、と、開かれる。
「失礼します」
扉越しに来客の姿を確認して、カエンは仰け反った。
「な、おま、お前!」
声が上擦る。カエンは無意識に立ち上がって、壁際に後ずさってしまった。
「ベルツ!?」
何で!?
扉のそばで佇むラングルト・ベルツに、カエンは悲鳴のような声を上げた。
*
「何でお前が!あれ、お前だけか?」
ひとしきり驚いて、カエンはきょろきょろとラングルトの周りを見回す。
ラングルトは視線をすうっと冷たくした。
「フォルセア様をお連れするわけがないでしょう」
「いや、まあ、それもそうだけど、来客の時はアルストロメリアの騎士が居ないと」
カエン達はまだ謹慎中に近い扱いなのだ。騎士の立ち合いがないと外部の者と話せない。
ラングルトは成程、とカエンの疑問に理解を示したようだった。
「私は騎士団にも籍があるので、監視役も兼ねられます」
「お前、便利だなぁ」
「時と場合によります」
つくづく言うカエンに、ラングルトはさして表情も変えず頷いた。
「つくづく、アルストロメリアはソシンと違うな。四年間住んできたがその辺りは理解しないままだった。どうせ帰国するからと放っていたな」
「その割に魔道士の資格を得たようですが」
「それはそうだろう、私が祖国に帰る時の分かりやすい成果だからな」
中央学園に通っただけでは魔道士にはなれない。希望者は更に特別な講義を受けたり修練を繰り返し、それでも試験に合格するのは一握りだ。もちろん、卒業しても何度でも受験はできるがカエンは祖国へ帰るので在学中しか機会がなかった。
幸い、三年生の頃に彼は独学で資格を取得している。つまり、彼はそれだけの実力を持っていると言うことだ。
…それが、祖国の一部の魔法使いから脅威と見做されてしまったのは皮肉な話だが。
少し自身の身に起こったことに思考を馳せ、カエンは苦い顔をする。ラングルトは息を吐いた。
「…手短に行きましょう、私の用事に付き合ってもらいます」
「は、」
す、と杖を一振り。
ラングルトとカエンはその場から消えた。
「転移するにしても、先に言え!」
「外出の許可は取っています」
「そうじゃなくて!」
カエンの苦情は尤もなのだが、ラングルトは受け流す。さっさと転移した先はラングルトの魔道伯爵邸だ。時間が惜しい。
「…ここはどこだ」
きょろり。
「私の屋敷です」
玄関の内側に転移されたカエンは、屋敷の中をぐるりと見回す。そうして眉を顰めた。
「どれだけ結界を張ってるんだ、しかも物騒なヤツ」
さすがにカエンほどの実力を持てば看過するのだ。現在の魔道伯爵邸には侵入者対策として多くの結界が巧妙に隠されつつ張り巡らされている。
「…興味本位の侵入者が後を絶たないので、対策をしています」
「魔道伯爵の研究目当てとかではなく?」
「どちらかと言えば、私の立場目当ての素人です」
「…分かった、モテ自慢だろう、これは」
カエンの記憶に思い当たった女性が居る。
秋の始まりの頃にとある商会の女性と夜会に忍び込んだ。
彼女、レシネ・オーレリーはラングルトのファンであり、陶酔するようにダンスフロアのラングルトを見つめていた。
その手のひらには大きな火傷の痕があった。火で焼かれたのではない、魔術による焼け跡だ。
彼女のようなラングルト目当ての侵入者が他にも居るという事だ。
「非常に煩わしい」
言い捨てるラングルトの声は冷たい。無作法な侵入者のせいで、この屋敷にフォルセアを招待できなくなっているのだ。
「私もソシンではモテているんだぞ」
つい、カエンは張り合ってしまう。
「王宮魔法使いですしね」
「見た目でも言い寄られているぞ」
「この国で相手を探さずにさっさとソシンの方と結婚してください」
「ぐうっ」
不可抗力だ…、とカエンは項垂れながら呟く。
ラングルトはカエンを放置してさっさと歩き出した。
「おい、ベルツ」
置いていくな、と、カエンは追い掛ける。
「時間は限られていますので、さっさと始めましょう」
「何を!」
階段を上がり、ラングルトは屋敷の奥へ進む。北側の奥の部屋を開けると、窓は分厚いカーテンと幾つもの大きな本棚に遮られた広い部屋。
ラングルトはカエンを促した。
「ソシン魔法を教えてください、呪いも含めて」
「…お前……」
先に言って。
カエンは思い切り眉を乗せて唸った。
「この魔道書はどうしたんだ」
「集めました。…と言っても王都の古魔術店にある程度ですが」
山と積まれた本の山にカエンは冷や汗をかく。しかもほぼ目を通してあるようで、至る所に栞や付箋が貼ってあるのだ。
「いつからやってるんだ?」
「貴方がフォルセア様に無礼を働いた辺りからです」
「ぐぅっ」
的確にカエンの罪悪感を抉ってくる。
「生憎と私はソシンの魔法は学んでおらず、特に呪いなどという分野は素人も同然。しかしあの時の顕在化したゾラへの呪いが感知できたので、修得する分には問題がないと思いますがどうでしょう」
「個人的にはこれ以上お前に負ける分野を増やしたくないんだけど」
「競う気も当てもないので、勝ちも負けもないでしょう」
「勝つ前提の台詞なんだよなぁ…」
まあ、もう良いけど。
カエンはぶつぶつと呟いて積まれた本を分けていく。
アルストロメリア王国には独自の魔法が根付いているのでソシン王国の魔法はあまり伝わっていない。ラングルトが集めた書籍も古い物が多い。しかし、
「ソシンは魔法は古ければ古いほど難しく貴重だ、改良されると価値が下がると考えられている。まあ、それ以外にも確かに効果とか威力が下がるんだ。だからベルツが読んだこの魔道書はまあまあ原典に近い物が多い、くれぐれも安易に発動させるなよ」
これは王宮魔法使いとしての警告だ。
長年に渡り分析され再構築されているアルストロメリアの魔法は、一つの効果に対して何段階も魔力や技術によるレベル分けがされているが、ソシンの魔法はひとつだけだ。効果の程度は魔道士の匙加減だ。
ラングルトレベルの魔道士が調整なしに使えば大変な事になる。
「分かりました」
カエンの真剣さが伝わったのだろう、ラングルトの返事にも真摯さが含まれている。
ソシンの魔道書を開き、カエンは結界を張る。ラングルトもその外側に重ねる。
「…呪いは修得しても使うなよ」
「どちらかと言えば対抗策を講じる目的です、アルストロメリアはソシンの魔法に対しての危機感が薄い」
長らく友好関係を結んできたせいだろう。
お互いに、戦争になるかもしれないという意識が低い。両国の北側にツワンベル王国が、南側には国交のない諸島国が在している事も大きい。敵国となる可能性としては、こちらの方が高いのだ。
「私はフォルセア様のお側にいる為に、この国を末長く守らなくてはいけないのですよ」
「お前、それは……果てしないな」
カエンは絶句する。
「それは、命じられたのか?」
「色々ありまして、婚約を無効にされない為に自分から評議会で宣言しました…しかし結局必要なかったかもしれません。その辺りが曖昧なまま終わりまして」
「何だそれ」
「色々あったんです…」
ラングルトはやや煩わしいような、不快そうな目をする。さすがにそれは自分に向けた物ではないとカエンは分かった。
思い出しているのだろう、その、「色々」というものを。
話しながらも二人の手は止まらない。
魔道書を広げ、紙に要点を付け足してから重ねた結界の中で杖を振るう。カエンの見本に従いラングルトが同じ魔法を使っていく。指で頁を示すだけで進んでいく作業、意思疎通がとても楽だ。
「どちらにせよフォルセア様の王国への忠誠心は変わりませんので、ならば私がフォルセア様ごとアルストロメリアを守ろうと、改めてお約束したわけです」
「壮大過ぎるな」
カエンの呆れたような声音にラングルトは頷く。
「飛躍している自覚はあります」
(多分、浮かれているのと、それと焦っているのだろう)
ラングルトは考える。
自分の行動の規範がフォルセアに関する事ばかりになってしまっている。さすがにこれは良くないと分かってはいるのだが、中々どうして、その方が諸々上手く回ってしまうので止め時が難しい。
そして国の有事はフォルセアの有事でもある。まだ彼女には王妃になってしまう道が残されているのだ。ラングルトはそれを、阻止したい。
「お前をそんな風に変えるなんてフォルセア様は凄いな」
「全くです」
ひたすら驚くカエンに、ラングルトはつくづく同意する。カエンは肩をすくめた。
伯爵家での夜会でそれはもう見事な踊りを披露していたフォルセアと、カエンが学園まで行ってしまった日の畏怖すら覚えた彼女の凛とした姿はカエンの目に焼き付いて離れない。
(私を救ってくれた方だ)
とすら考えている。
じくり、と心臓の辺りが痛むような感覚、しかしカエンは理性でそれを止めた。それは持ってはならない感情だ。
「ゾラ」
手が止まったカエンに、ラングルトが呼びかける。ハッとしたカエンは、慌てて書籍の頁をめくった。
「これは一日じゃ終わらないからな」
カエンが咳払いをして告げると、ラングルトは当たり前だというように頷く。
「貴方の帰国までには何とかします」
「何だ、この一回だけじゃないのか」
予想外の言葉だ。
カエンは呟く。
「そっか…」
また、誘ってもらえるのだ。魔法を教えるという目的ではあるが。
(友達みたいじゃないか)
魔道書を片手にあれこれと試して。
それは、学生時代にカエンがラングルトとやってみたかった事なのだろう。
「まあ、その、付き合ってやろう」
「次回は呪いに関して教わりますよ」
「…本当に他に使うなよ」
淡々と告げるラングルトに、カエンは冷や汗を浮かべた。




