77、大夜会
十一月の終盤にある秋の定期考査が終わればこの学園で最も大きなイベント、大夜会が開催される。
着飾ったドレス、スーツなどの生徒は見られなくなったが、女生徒達は思い思いに制服をアレンジし化粧を念入りに施し、普段は禁止されている装飾品を身に付けて自身を飾り立てる。
男子生徒も糊を効かせたシャツに特別に用意したネクタイを締め、制服のジャケットにポケットチーフを入れラペルピンやカフスボタンを付ける。整髪料で髪を撫で付け、イヤーカフを付ける者もいる。
そういった装いをすると見慣れた学生服でも全く違う印象になるので、見知ったクラスメイト同士でも少しどぎまぎしながら顔を合わせたりするのだ。
フリージアはオルソーに贈られた髪留めを、耳には銀に水色の石が嵌められたイヤリングを付ける。アッシュグレーの髪で空色の瞳のオルソーの色だ。
フォルセアは妹二人が刺繍してくれたリボンタイに、レイナードと揃いの腕輪。ラングルトから贈られたイヤリングを付ける。ぶら下がる濃紺の雫石が揺れて、一粒だけ添えられた小さなダイヤモンドが輝く。
二人とも、シリスが張り切って化粧を施してくれたので中々艶やかだ。
「よう、お前ら更に美人になったじゃねぇか」
「姉上もフリージアさんもお綺麗です」
オルソーとレイナードが談話室で二人を待っていた。
各寮の談話室や入口を待ち合わせにしている生徒も多い。
がやがやと賑わう談話室だが、オルソーとレイナードの二人が待つ席は目立つのですぐに分かる。フォルセアはフリージアと共に進み、軽く手を上げた。
レイナードの後ろに控える従者のトレノが一礼する。彼も学生なので、大夜会に参加する。レイナードと共に、エリシアとリディアが用意した揃いのネクタイを着用している。
「ありがとう。お前達も素敵だ」
「ええ、やっぱり制服でも印象が変わりますわ」
フォルセアは満足そうに、フリージアは少し頬を染めて感想を告げる。今日はこの五人で大夜会に参加するのだ。
学生同士の催しなので、別にパートナーは必要ないし参加も退席も自由だ。気軽に楽しめる会なのだ。
しかしそれでもどうせだったら恋人と出席したいと、これを機に恋人同士になる生徒も多いし、もちろん恋破れて単身や友人同士で参加する生徒だっている。悲喜交々だ。
フリージアは早々にオルソーとの交際が学園中に知れ渡ったので、今更彼女を誘う男子は居ない。身分だけではオルソーに勝てないからだ。物理的な意味で。
フォルセアは身分目当ての貴族の次男三男に誘われる事はあったが、今年は見事にゼロだった。婚約者、しかも魔道伯爵、の存在は本当に大きいらしい。
レイナードとトレノには女生徒から中々の量の声が掛けられたが、「姉上と出席するので」と全て断った。
再来年入学予定の第一王子の婚約者が内定するまではレイナードも婚約者が決まらない。安易に女生徒と接することができない、微妙な時期だ。
レイナードはこれ幸いとばかりに姉を盾に使っている。さすがフォルセアの弟である。使える手は遠慮なく使うのだ。
「さあ、行こうか」
フォルセアの声にレイナードが手を差し出す。もう役目を終えてしまったような揃いの腕輪は、それでも姉弟の腕にある。
「レイナード、講堂の入り口からでいいよ」
「そういうものですか」
レイナードにとっては初めての大夜会だ。通例を知らない。
「気軽に行こう」
フォルセアは弟に笑いかけ、しかし、ふと真顔になってオルソーに視線を向ける。
「お前は今夜はレイナードをしっかり観察して、学ぶんだぞ」
「おう」
オルソーはやや気圧される。
春から騎士見習いになる予定のオルソーだ、貴族の作法はとても大事なのだ。その点、レイナードは完璧な貴族令息である。歩く教本だ。
「レイナード、よろしくな」
学内でだけ、レイナードはオルソーに呼び捨てにされる。親友の弟という気安い扱いはレイナードには新鮮で、とても楽しい。
「ええ、存分にどうぞ」
フォルセアと同じで、レイナードも見られて恥ずかしいといった意識はない。正式な場では常に堂々と振る舞う、そう育てられている。
「楽しんでいらっしゃい。お二人をよろしくね」
「はい、行って参ります」
フォルセアの後ろに控えたシリスがトレノに笑顔を向ける。二人は歳の離れたいとこ同士だ。
従者ではあるが学生として過ごすトレノにとっても初めての場だ。少し声が興奮していた。
*
時間だ。
大きな扉が開かれる。
歴史ある中央学園の講堂は、学生会が張り切り、教師達も協力してここぞとばかりに輝いている。
光の魔法を閉じ込めた細い硝子の魔道具が天井からいくつも吊り下げられ、淡い光の雨のようである。
王都に本拠地を置く楽団が招かれ、賑やかな音楽を奏でる。
ダンスの時間だけではなく、歌劇の舞台でしか見られない高名な歌姫が生徒のために惜しみなく歌声を披露するプログラムもある。
立食形式のテーブルでは食堂のコックたちがこの日だけの特別メニューを用意し、王都の有名店の菓子もずらりと並べられる。
四年目のフォルセア達ですら壮観なのだ。レイナードとトレノも興味深そうに会場内を見回す。
次々に会場に足を踏み入れる他の生徒達も歓声を上げる。
貴族達の夜会と違うのは、魔法に関連する教師達がここぞとばかりに魔道具を使う事だろう。ささやかだったり中には奇抜な物も、たくさん会場内を彩っている。趣向は毎年変わるので、フォルセア達も見ていて飽きない。
「最後だと思うと中々残念なものだな」
「本当ですわね。四年なんてあっという間ですわ」
「でけえ行事はこれで終わりで、後は卒業式だけだもんな」
三人並んで天井を見上げる。
次にこの場所に入るのは卒業の時だ。
「皆さん、お静かに!」
学生会副会長の声が会場に響く。
楽団が音楽を止め、じわじわと生徒達が口を噤み静かになっていく。
学生会会長が舞台の上に立つ。そばに立つ学園長スターシア・ロンドベルも笑みを浮かべている。
「今年も無事にこの夜を迎えられた事を嬉しく思います。協力して下さった生徒諸君、先生方、関係者の皆様に御礼を申し上げます」
一礼、
「これより、学生会主催大夜会を開催いたします、皆様どうぞ、学生らしく、しかし節度を忘れずに楽しい夜を過ごしましょう!」
わあ‼︎
大歓声と拍手。
楽団が一斉に楽器を持ち、指揮者が指揮棒を振る。
だん、と奏でられるのは上品なワルツではない。テンポを早めた音楽。踊れなくても、リズムに合わせて手拍子をするだけでも楽しめる曲ばかりだ。
「凄いですね!」
レイナードとトレノが笑う。
すでに会場の中心に作られたダンスフロアでは生徒達が踊っている。
男女のペアだけでなく、友人同士でも、ぴょんぴょん飛び跳ねるだけの生徒だっている。
フォルセアはレイナードに笑いかけた。いつの間にか、目線がフォルセアより少し高い。
「もう何曲かしたら、私たちが踊れる曲も演奏してもらえる、そうしたら行こうか」
「はい」
「後でトレノも踊ろう、お前も練習したのだろう?」
レイナードの従者はびくりとする。
「よろしいのですか」
「もちろん。たくさん経験を積んでおくと良い」
レイナードの腹心として、トレノはこれから多くの貴族の世界に入っていかなければいけない。フォルセアは彼も弟のように思っている。
「ありがとうございます」
神妙に、真剣に頷くトレノにレイナードは笑う。
「真面目だなぁ」
「良い事だ」
フォルセアも笑う。耳の石が揺れ、フォルセアは舞台上の来賓席を見た。もちろん、ラングルトの姿はない。
(大夜会には、一度も参加なさっていない)
ラングルトの告白をフォルセアは思い出す。
フォルセアは、この四年間しか自由はないと、しがみつく思いで日々を楽しもうと、少しでも誰かの役に立てればと足掻いてきた。
対してラングルトは、この四年を自身のためではなく義務の為に、役目の為に費やしたのだ。もちろん学生時代の全てではなかっただろうが。それでも。
(私に、もっと出来ることはないだろうか)
ラングルトのために。
おこがましいだろうか。
フォルセアは少し不安になる。
急に会場の明かりがチカチカと点滅し、目を細める。生徒達が歓声を上げる。
「姉上」
考え込んでしまったフォルセアにレイナードが声を掛けてくれた。は、とフォルセアの思考が戻る。
(いけない、皆と居たのに)
「すまない、考え事をしていた。レイナード、気になるところがあれば付き合うが」
にこりと笑うと、レイナードは少し安心したようだった。
「ダンスの前に何か食べませんか?オルソーさん達ももうあちらに」
視線を向ければ、オルソーとフリージアは立食のエリアに進んでいた。フリージアをエスコートするオルソーの肩が力んでいて、フォルセアは笑ってしまう。
「行こうか、オルソーを助けてやろう」
あれでは肩が凝るだろう。
「ふふ、ではどうぞ」
「ありがとう」
改めてレイナードの腕に手を添えて姉弟は歩き出した。
「フォルセア」
音楽が変わりゆったりとしたワルツが流れる。レイナード、トレノ、そして訓練の様相でオルソーと踊ったフォルセアは掛けられた声に笑顔を浮かべる。
「イクシオ」
「待たせたかな、次は私と踊ろうか」
「うん、是非」
す、と一礼するイクシオにフォルセアもスカートの裾を引く振りをして、片足を後ろに下げる。ドレス姿とは違う淑女の礼だ。
侯爵家二人の礼にそばにいた生徒達が注目する。
貴族も平民も混ぜこぜで楽しむこの会だが、やはり高位貴族の仕草は目を引くのだ。彼らの周囲だけ、空気が引き締まる。
「オルソー、見ておけよ」
「分かってるよ、センセイ」
「それは光栄だな」
フォルセアがオルソーに視線を送る。茶化す様な返事に、イクシオが笑う。
背筋がぐん、と伸びる。音楽の途中から急に入るのに躊躇う事なくイクシオがリードする。フォルセアは迷いなく応じる。
心なしか生徒達の声が小さくなる。二人に注目しているのだ。この学園のほとんどの生徒にとって、この二人のダンスが見られるのは今日が最後だ。
楽団の演奏が良く聞こえる、のびやかに、優雅に。
「イクシオの色が変わったな」
「だろう?」
少しも速度を変える事なく二人は会話する。
イクシオのジャケットに付けられたラペルピンの宝石もポケットチーフも、深緑の色になっている。
今までは紫だったのに。
「メラニア嬢の目の色だな。とてもきれいだと思う」
まだ正式なものではないが、イクシオの婚約者の少女の色だ。少し自慢げな幼なじみにフォルセアは嬉しくなる。
「君がベルツ卿とあまりに幸せそうだから」
「うん?」
周りに聞かれない様に、小さく告げるイクシオにフォルセアは瞬く。
「もう、私はお役御免だろうと思ったんだ。いざとなれば私がもう一度君と婚約するつもりだった。ルドベキア侯に頭を下げてね」
「イクシオ…」
思いもしない言葉だ。少しフォルセアの手が震える。
「君が閉じ込められるぐらいなら、改めてアゲラタム侯爵夫人として迎えた方がいいと思ったんだよ。あの時と違って、もう君は自分でも身を守れるし、私たちも母を失った悲しみを乗り越えられたからね」
イクシオはフォルセアに、申し訳なさそうに告げる。
「改めて、あの時はごめん。母を失った悲しみで父が酷く気を病んでしまって、とても君を迎えられる状況ではなかったんだ。引退したばかりの祖父母まで呼び出して対応したぐらいでね…今ならもう大丈夫だと、自信を持って君を迎えられるとは思ったんだけど、」
少し、イクシオは愉快そうに口の端を上げる。
「君はもう自分で最上の相手を見付けていた」
「…そうだったのか」
イクシオの気遣いを、フォルセアは全く知らないまま過ごしていた。
婚約破棄した罪悪感から新たな婚約者を中々迎えないとばかり。そういう意味でも、フォルセアはイクシオを待たせていたのだ。
「私は自分のことばかりで、イクシオの気遣いに気付けなかったよ。…ありがとう」
「最初に酷いことをしたのはこちらなんだ。気にしないで。私たちの仲じゃないか」
「仲?」
「相棒なんだろう?いい表現だと思ったよ」
イクシオが可笑しそうに笑う。
フォルセアはすぐに思い当たった、この表現を知っている相手。
「ラングルト様⁉︎」
「はは、彼は君のことになると本当に働き者になるよ、以前の夜会で牽制された」
「オルソーにもなさったんだ、なんだか、何と言うか、ごめん…」
「なに、私は魔道伯爵殿だろうと怖くはないさ。君が本当に大切にされていて安心したよ。それに私たちはまだ相棒だからね、そこはしっかり理解していただいたよ」
王家の予備。
そう、フォルセアとイクシオの役目はまだ数年続く。イクシオの次の婚約者が五歳も年下なのも、そのせいだ。
音楽が終盤に近い。
ふわり、イクシオの導きでフォルセアが回る。
ぴたりと足を止めて、二人で向かい合い礼をした。
「これからもよろしく」
イクシオは殊更堂々とした仕草でフォルセアに手を差し伸べる。
その意味をフォルセアは正しく理解する。流れるように手を取り、悠然と笑みを浮かべた。侯爵家の娘としての表情。
「ああ、よろしく」
二人の覚悟に気付く者は居ない。
大夜会は夜更けまで続いた。




