76、ラングルトの過去
中央学園には大夜会と名付けられた学生のためのパーティーがある。
学生会が主催し、高等部の生徒全員に参加資格がある。夜間外出が禁止された寮生達が唯一夜に参加できる催しであり、身分に関係なく参加できる唯一の夜会だ。
つい数年前まで、夜会には正装での参加が一般的であった。
それこそヒュッテ・クレアドールの時代ですらも懸念され、対応できなかった問題である。
夜会の正装。
貴族が多い中央学園では、当たり前のように着飾った生徒達が、まるで本物の社交界のように振る舞った。その陰で苦労したのが平民出身または裕福ではない貴族の生徒達だ。
彼らには豪華な衣装を用意する金銭はなく、また貸衣装を頼るにも夜会の衣装を扱う店は少なく敷居が高いし、何をどう用意すれば良いのかも分からない。もちろん、夜会の作法も分からない。
平民の先輩達から少しずつ継承される知識だけで何とかその日を過ごすのだ。
貴族達は全員ではないにしろ、適さない衣装で出席するしかない平民を憐れみ又は下に見る。せっかく学園内で公平に扱われ過ごしてきた生徒間に亀裂が走る原因にもなってしまうのだ。
つい、ある学生会の副会長がそれをぼやいてしまったのだ。彼女は当時四年生、子爵家出身ではあったが、この格差をどうにかしたいと考え続けてとうとう最終学年になってしまった。
ぼやいた相手はこの春入学したてのルドベキア侯爵家のご令嬢。つい先程、学生会に勧誘して断られた相手である。
「では、正装を固定してしまえば良いのでは」
少し考えた後、ご令嬢はさらりと言った。
「と、言うと?」
副会長が続きを促す。
「せっかく我々にはこんなに立派な学生服があるのです、この服で大夜会に出ればいい。みんなこの服ならば持っているのですから」
目から鱗だ。
しかし、入学したてのご令嬢とは違い、副会長にとってもこの学生服は着慣れてしまった衣装だ。特別感がない。それを伝えると、
「ふむ、…ならば、例えばこのリボンやネクタイであったり、後は装飾品を自由に着けて良い事にするとか。普段は学生はアクセサリーの着用は禁止されていますし、お金を掛けたい貴族にはそこで頑張ってもらいましょう」
学生服の指定のリボンタイを指で引っ張りながらご令嬢は言う。
副会長は彼女の背後に後光が見えた。
そうだ、そうしよう。
「フォルセア様!すぐにその案を議会に提出してみます!」
これで少なくとも平民が衣装で困ることは無くなるのではないか。貴族達から不満は出るだろうが、格差は減らせる。
「やっぱり学生会に入りませんか」
副会長が再度勧誘する、熱量がすごい。しかし、ご令嬢は困った顔で首を振った。
「お断りします」
ルドベキア侯爵令嬢の案はすぐに通り、全学生にアンケートという形で是非が問われた。
反対する貴族はとても多かったが、提案したのはルドベキア侯爵令嬢、そしてアゲラタム侯爵家の令息までもが公然と賛成したものだから、陰口は叩けども大きな声で反対できた者は少なかった。
この年から大夜会の衣装は学生服を節度のある範囲で飾った物に指定され、初年度はドレスに力を入れ損なった貴族の令嬢達が大きすぎるイヤリングやネックレスを用意して、それが学生服に似合わないものだからとても苦労していた。
翌年、更に次の年と、少しずつ学生服に合う装飾品の基準が生まれ、宝飾店などもそれに合わせたアクセサリーをデザインし始めたので、貴族達の不満は減り、平民達も手が届く範囲のアクセサリーやタイでおしゃれをすることが出来るようになってきた。
そして今年は四年目。
改革の手助けをしたフォルセアにとって、最後の大夜会の年である。
「フリージアから大夜会の趣向が変わり、制服で行われていると聞きました」
わざわざ寮まで訪問してくれたラングルトは、前回オルソーと対面した時の面談室でフォルセアを待ってくれていた。
「その通りです」
ラングルトの時代とは形が変わってしまった。人によってはフォルセアのせいだと不快そうに口にする変革だった。
「そのとき、婚約者や恋人がいる者は装飾品を贈り合うとか」
「そうなのですか?」
いつの間にそのような風潮が生まれていたのか。フォルセアは瞬く。
そういえばオルソーもこの前の夏季休暇の時にフリージアに髪飾りを贈ったと言っていた。
あれがつまり、その流れに則ったものなのだろうか。
「私からも貴女に用意するべきと」
フリージアが気を回して兄に言ってくれたのだろう。
そしてラングルトは大真面目だ。わざわざその為に寮まで来てくださったのか。ようやくラングルトの意図が分かり、フォルセアは申し訳なくなる。
「いえ、気にして頂かなくても大丈夫です。妹達が刺繍をしたリボンタイをくれることになっていますし」
「では、イヤリングなどは?」
珍しい、ちょっと会話がずれている。
これはきっと、ラングルトが事前に用意してきた言葉なのだ。フォルセアは思案する。
「フリージアの提案ですか?」
「はい、ここまでは妹の言う通りです」
さすがフリージアだ。読まれている。
フォルセアが彼女の提案だと気づく所も予想通りなのだろう。断ると違う案の堂々巡りを想定してあるはずだ。
(うん、さすがだ)
フォルセアは感心してしまう。しかも、今日のラングルトの訪問のことを一言もフォルセアに教えてくれなかった。
「では、ご負担にならなければイヤリングをお願いします。制服での着用なので小さな物をいただけますか」
金銭的には負担ではないだろう。
しかし、多忙なラングルトの時間を取らせてしまうことが申し訳ない。
「フリージアの提案通りですね。私の目の色の石をつけたイヤリングを贈れと言われています。よろしいですか」
ラングルトは早々にフォルセアが折れたことが意外だったようだ。
「ありがとうございます、さすがフリージアです」
フォルセアは苦笑する。つい、興味が湧いてしまった。
「フリージアは他にどんな案を立てていたのですか?」
「イヤリングが駄目ならば次に髪飾り、次に腕輪、ネックレスはリボンの邪魔になるからと忠告を受けています。この辺りまで来ればフォルセア様も諦めて受け取るだろうと」
「フリージアは凄いですね」
「私は全て贈っても構いませんが」
「イヤリングだけで十分ですよ」
フォルセアは慌てて首を振った。ラングルトの声が本気だからだ。
フォルセアは以前身を守るための宝石を貰っている。本音を言えば、これだけで十分なのだが。
「実は、前回の訪問の時に学園長から大夜会へ、来賓として参加しないかと提案されまして」
「ラングルト様が?」
確かに、大夜会はその様な枠がある。
「学生のための会なのでじっと座って見るだけでも良ければと。…私は学生時代一度も大夜会に参加しなかったので、良い機会だからどんな物だったのか体感しなさいと」
「そうなのですか?」
ラングルトの言葉にフォルセアはわずかに驚く。ラングルトはやや気まずく思う。当時の自分ならば大したことはないのだと返答しただろう。
カエンに告げた時にも、そうだった。
しかし、…本当はそうではなかったのだろう。
心の内を、葛藤を、明かしてくれるフォルセアに、ラングルトは自分の過去を告げる。
「高等部に進学した夏に父が亡くなり、葬儀や爵位の継承などで慌ただしかったのです。勉強ばかりの私は伯爵家の務めも役割も碌に分からず、今思えば中々混乱していたのでしょう。学業以外の時間は当主としての勉強と仕事に忙殺されていました」
だから、大夜会にも出なかった。
他の行事もほとんど知らない。
もとより興味もわかず、必要ないとすら思っていた。
ラングルトの言葉にフォルセアは言葉なく椅子から立ち上がると、座ったままのラングルトをそっと抱きしめた。
ラングルトは自分が告げた言葉を振り返るよりも、フォルセアの行動に気を取られてしまう。
「よく、おつとめになられました」
憐れむのではなく、気遣うのではなく。
フォルセアはラングルトをねぎらった。
貴族の務めをフォルセアは誰よりも理解している。子供だからと、避けられるわけではないのだと、その身を以て知っている。
「…まさか、あの当時の自分が報われる日が来るとは」
ラングルトは目を細めた。
荒れる母と、萎縮する妹。
家令一家は信頼できたが父伯爵の仕事には関れなかったらしく引き継ぎもできない。
親戚との縁も切れていて、母の生家の男爵家では立場が違いすぎて助言を求められない。
まだ十五歳のラングルトは家令と共に行政府に何度も通い、自分がどうすれば良いのかを調べて対処していかなければいけなかった。
領地が小さかった事は幸いだった。使用人だけではなく、たくさんの領民も守らねばいけないとなると大変な事になる。
ベルツ家の事業やどこに投資していたのかなども全て洗い出し、杜撰な運営にため息し、ラングルトは学業以外の時間は全て淡々と、粛々と、伯爵としての業務に費やしていた。
当時の魔道局局長が行政府に通うラングルトの存在を偶然知り、有する魔力の多さと才能に気付いて様々な援助を申し出てくれるまで、ラングルトは単身で未熟なベルツ伯爵として足掻いていた。
ラングルトの過去。
様々な記憶が蘇る。
フォルセアの背に手を回し、ラングルトは顔を埋めた。
「ラングルト様の努力を心から賞賛いたします。よくぞ立派に務め上げられました。貴方のおかげでベルツは守られたのでしょう、本当にすごい事です。それに、」
フォルセアはラングルトを見下ろす。
「貴方の大変な時のことを、私に教えてくださってありがとうございます」
前にラングルトがフォルセアに告げた言葉と似ている。
「大切な方の、大変な時の事を教えてもらえる。ラングルト様が光栄だと仰っていた意味がようやく分かりました」
フォルセアの笑顔にラングルトもつられる。
「貴女にお会いできて良かった」
ラングルトは心底から思う。
「どんな勲章よりも貴女のお言葉が誇らしい」
「大袈裟です、」
と、フォルセアは小さく呟いた。
耳が赤い。ラングルトは彼女の背に回した手に力を込めた。次は自分の目の色の宝石が彼女の耳を飾るのだ。
…それを目にできないのは残念でしかない。
「……大夜会の参加は辞退しました。あの時期はどうにも忙しく、時間を捻出できない可能性がありましたので」
フォルセアはすぐに理由に気付いてくれたようだった。眉が下がる。ラングルトの多忙を気遣ってくれるのだ。
「デビュタントがありますね」
「ご明察です」
十四の年になる貴族の子息子女が、国王夫妻の主催する会で正式に社会に披露される。年齢的には子供だが、子息は爵位の継承権を得て、子女は書類上の正式な婚約を結ぶことが出来る。
毎年、大夜会と日程が近いのだ。そして騎士団は国王が主催する会の警備を担当する。
「今年は私が魔道士側の警備の責任者です」
はあ、とラングルトはため息を吐く。
フォルセアはつい、ラングルトの頭を撫でた。背の高いラングルトの頭頂部などそうそう目にできない。
六歳も年上なのに、自分の手を享受するラングルトは少し幼く見えてしまい、フォルセアは可笑しくなる。
「大夜会の事、たくさん報告します。イヤリングも楽しみにします。ラングルト様も、またお話を聞かせて下さい。今年はイクシオの弟のライナスがデビューするんですよ」
フォルセアを、ラングルトが見上げる。
もぞり、頭が動いてフォルセアのお腹の辺りがくすぐったい。
「…まさか、アゲラタム家の弟君までエスコートなさるのですか」
「しません、縁戚のご令嬢が同い年なので、二人で並ぶそうですよ」
実はアゲラタム家に頼まれていた。
デビューするライナスと国王夫妻の御前まで挨拶に行く異性、アゲラタム家は母親がいないから。しかし断ったのだ。
ラングルトの声音に、フォルセアは断って良かったと心から安堵する。
フォルセアは何度もびっくりする。ラングルトは本当にやきもち焼きなのだ。契約結婚を提案した時にはかけらも思わなかった。
「次の新年祝賀会は一緒に行って下さいね」
「勿論です」
即答だ。
ラングルトはフォルセアの背に手を添えたまま器用に立ち上がり、耳のそばに顔を寄せた。
「イヤリングはその時の楽しみにしておきます」
さすがにやり過ぎたのか。
「寮ですよ!」
フォルセアが身じろぎした。ぱっと自分の耳を隠している。
諌めているつもりなのだろうが…。
ラングルトは結構真剣に考える。
(屋敷なら良いのだろうか)




