73、西方の客7
カエン・ゾラは幼い頃から優秀な魔法使いだった。真面目で理想が高く完璧主義。
両親は頼もしい息子をそれはもう可愛がり、果ては王宮魔法使いだと期待を寄せた。
アルストロメリア王国の魔法はソシン王国とは違う。分析され研究され体系化された、技術の塊のようなかの国の魔法を会得するために、カエンは単身で隣国に留学した。
まだ若いカエンはソシンの期待を一身に受けて、ただ己の才能を信じて中央学園に入学した。
彼は誰よりも優秀だった。
異国のアルストロメリア語も堪能で、友人もできたし、アルストロメリアの魔法もすぐに理解して習得し始めた。
しかし、彼と同じ学年にはラングルト・ベルツが在籍していたのだ。
これを不幸と言わずして何と言おう。
どれほど優秀でも、どれほど努力しても、誰もラングルト・ベルツには勝てない。
勝てなかったのだ。
「私は女王陛下のおかげで今があるのですよ。ならば私は誰よりも陛下に報いねばなりません。分かりますか、フォルセア様、美しく凛々しいあなた。ラングルト・ベルツに愛される方」
カエン・ゾラは陶酔するように話す。
杖を持つ手は変わらない。
構えるハールをデュークが押し留める。きっと魔法の行使の方が速い。そうすればフォルセアが危険に晒される。
「私は陛下のために誰よりも優秀でなくてはなりません、誰よりも強くならねばなりません。分かりますか麗しい方、それはラングルト・ベルツです。奴こそが誰よりも優秀で誰よりも強い、私は奴にならなければいけません。偉大なる女王陛下のために」
ゆるり、カエンの手がフォルセアに触れる。
「ラングルト・ベルツの唯一の方よ。あなたが私の婚約者となれば、それはつまり、私がラングルト・ベルツになるという事でしょう」
にこり。
確信めいた、予言のような言葉だ。
気持ち悪い、カレンが口を手で覆う。
カエンの手がフォルセアの顎に掛かる。くい、と上に傾けて、カエンは顔を近付けた。
さすがに見過ごせない。ハールが足を踏み出す、その時。
「ふむ」
フォルセアは真顔で呟いてカエンの杖を持つ腕を掴んだ。足を払い、
「あ、」
デュークとカレンが口を揃える。
ひゅっ、カエンが息をのんだ。
フォルセアはそれはもう綺麗に、お手本のように見事に、カエンを背負い、投げ飛ばした。
受け身も取れず低木の植え込みに背中から落とされたカエンは、ばきばきばき、と折れる枝と顔にまとわりつく葉に、口を開けて呻くことすらできない。
低木特有の細かい枝が服や皮膚に刺さる。
「…護身の授業で習ったな」
「とてもお上手でしたね」
デュークとハールが呟く。
この騒ぎだ、さすがに他の生徒がぽつぽつと集まって来る。
植え込みにひっくり返っている部外者と仁王立ちする侯爵令嬢に、皆、状況が把握できない。
「立つがいい、そうしてもう一度お前の名を名乗れ」
フォルセアの声が低い。
カレンがびくりと背筋を伸ばした。フォルセア様が、怒っている。
カエンはようやく身じろぎし、顔にまとわりつく枝葉を払う。
「う、…痛い…」
「立て!」
鋭い声に、カエンが弾かれるように顔を上げた。フォルセアがカエンを見下ろしている。
「うう、」
地面に手を付き、よろよろと身体を起こす。フォルセアの視線はカエンを見据えたままだ。その鋭さに、威圧感に、汗が浮かぶ。
「名乗れ、お前は誰だ」
「私は、ベルツ、違う、カエン、ゾラ…」
そうだ、私は、カエン・ゾラ。
ひやりとした恐怖のようなものがカエンの背中を伝い、腹に入る。湧き上がる腹の熱さが凍るような感覚。
「お前の忠誠はどこにある」
「女王陛下に、偉大なる女王陛下のもとに、私は…」
汗が流れる、手が震える。
「女王陛下に、報いなければ…」
「ソシン女王フウヤ・リン・ソシン陛下が任命した王宮魔法使いはラングルト・ベルツか」
「違う!私だ!私が王宮魔法使いだ!」
「ならばお前の名を名乗れ」
「カエン・ゾラだ!私こそが、カエン・ゾラだ!」
「…ならばお前はラングルト・ベルツになる必要はないだろう。ゾラ殿、他でもない貴方でなければ女王陛下にはお仕えできない」
ようやく声音を和らげて、フォルセアは呆れたように腕を組んだ。
「貴方自身の否定は女王陛下からの信頼の否定と心得なさい」
「う、あ、あ…」
カエンは呻く。
茂みからのろのろと出てきて、また地面に膝を付き倒れ込んだ。
「私は…うぅ、」
カエンの目から涙が溢れ、魔力が膨らむ。
デュークから離れ、ハールがフォルセアの前に立った。
カエンの杖は投げ飛ばされた時にどこかに行ってしまった。それでも、護衛の青年は未だ危険であると判断する。
「それでも私は強くならねば、強く、ベルツのように、違う、私はベルツでは、何故だ、なぜ私にこんな、こんな魔法が、掛けられている!」
「フォルセア様!離れて!」
カレンが悲鳴のような声を上げた。
ハールがフォルセアを下がらせる。カレンもフォルセアの前に飛び出した。
「カレン嬢⁉︎」
カレンの自分を守るような行動にフォルセアは驚く。
「瘴気です、これ、この人、瘴気、呪われてます!」
「呪い?」
フォルセアもデューク達もカエンを見るが、何も分からない。
呪いは純粋な魔法とは分類が異なる。素養のある者しか使えず、知覚できない。
「教会、教会案件です!神官様案件です!教会に連れて行ってください、あ、でも触っちゃダメです!」
「そんな無茶な」
デュークがつい口にする。
「教会を呼んでくださいー!」
カレンの声が響いた。
*
カエン・ゾラは呪いを受けていた。
解呪は前大神官、魔道伯爵クリストル・イザが手ずから行なわねばならぬ程、深くカエンの中に巣喰っていたそうだ。
フォルセアはそれを王宮で聞いた。
カエンが失踪したと連絡を受けたアルダールはすぐにラングルトに知らせた。
ラングルトがまず案じたのはフォルセアの事だ。すぐに居場所を調べると、学園内に反応がある。
アルダールと数名の騎士と共に中央学園の正門に転移し、学園の敷地に駆け込む。それはちょうどカレンが「教会!」と大きく叫んでいるところだったのだ。
ボロボロの姿のカエンが瘴気にまみれて苦しんでいる。
瘴気が見える者は少なく、生徒たちが遠巻きに集まり始めていた。「離れなさい!」教師たちの声が響く。
「隔離します」
ラングルトはすぐに杖を振るった。
カエンの周囲に結界が張られる。
デュークたちが第三者の魔法の行使に驚く中、フォルセアがつられて後ろを振り返った。
「ラングルト様!」
(ご無事だった)
ラングルトはほっとして手を伸ばす。フォルセアが歩み寄るとすぐに腕の中に包み込んだ。
「お怪我はありませんか」
「私は大丈夫です。ゾラ殿の方が怪我をしているかと、…その、投げ飛ばしたので」
フォルセアの気まずそうな言葉にラングルトは少し身体を離し、まじまじとフォルセアを見下ろした。
「投げ飛ばしましたか」
「オルソーに習いまして、その、思い切り投げました」
さすがに苛立ってしまい、更に身の危険を感じたとはいえ、友好国の特使を、オルソーの表現を借りるならば「ぶん投げた」。
ちょっと不味い事をしてしまったかもしれない。しかも、ソシン女王の本名を使って怒ってしまった。
フォルセアは今更ながらに「やってしまった」と冷や汗が浮かぶ。
ラングルトはそんなフォルセアの背を撫でた。
「大丈夫です、アルダール殿下が揉み消してくださいます」
「無茶を言うな!」
聞こえているぞ!アルダールが声を上げる。
騎士たちを使い生徒を戻らせ、教員を集める。まさかツワンベルの公子が目撃者になるとは。
デュークがざっと経緯を説明すると、アルダールは物凄く苦い虫を噛み潰した様な顔をした。
教職員達も引き気味にカエンの方を見つめる。
ほんの数年前、彼はこの学園の生徒だったのだ。どうしてこんな事に。
呪われている、と訴えるカレンの言葉が重みを増す。現に瘴気が見える教師は脂汗を浮かべていた。
「ベルツ、私を正教会の本部に送れ。浄化の要請をして来る。お前はここの指揮を取、」
アルダールの言葉が終わる前にラングルトは杖を振ってしまった。
光の円陣がアルダールを消してしまう。
名残惜しそうにフォルセアを離して、ラングルトは教師の方へ向かった。
フォルセアは彼女の方へ駆けて来たカレンに「ありがとう」と微笑むと、結界の中のカエンに視線を向ける。
フォルセアには結界がどんな物なのか視認出来ないし瘴気も分からない。ただ苦しそうにカエンが蹲っているだけに見える。
いつから、誰に呪われていたのだろう。
魔法の解析が進み、魔術式の構築や魔道具の開発が盛んに行なわれるアルストロメリアでは、呪いという力はほぼ廃れてしまった。
もはや一般人にとっては魔法史の中にしか見られない知識だ。
一体、いかほどの苦しみなのか。
「フォルセア様、シリス殿を呼びます。一度御身を王宮で保護させていただきます」
しばらくしてラングルトが戻って来る。
「はい」
「目撃者の方々も、改めて事情を聞きますのでフォルセア様とともに王宮でお待ちください」
デュークが肩をすくめた。
こんな形で招かれるとは。
準備ができたのだろう、アルダールがまた転移魔法で現れる。
「ベルツ、地下二階の祈りの間だ。送れるか。イザ殿が待機して下さっている」
「承知しました」
ラングルトが杖を振る。
結界の中のカエンが、消えた。
カエンの解呪が終わったのは、日をまたいだ明け方のことだったらしい。
フォルセア達は保護と事情聴取のために王宮に滞在し、翌朝の朝食の後に結果だけを伝えられた。
デューク公子主従とカレンは授業に間に合う様に学園まで送り届けられ、フォルセアは念の為とシリスと共に王宮に留まっている。
自ら王宮に出向き、呪いの様子を報告した魔道伯爵クリストル・イザは神妙に頭を下げるソシン王国の特使の面々を一瞥して、
「貴方ですか」
と、怒りを滲ませた声を掛けた。
「あれほど酷い呪いで未来ある若者を苦しめるとは」
特使達が驚愕の視線を向ける。
大河の神殿の神官。シイバ・ミスハリが口元を歪めた。
ソシン王国の王都は遠い。
しかし事は急を要する。
エイリーク王の命の下、東の辺境伯領に滞在していたソシンの特使達はすぐに王都に戻され、他の特使と共に一時的に外出禁止の措置を取らされた。
シイバ・ミツハリは拘束され、魔力を封印する魔道具を付けた上で牢に入っている。
その手続きの最中に、最初に送った外交官スイザンの報告書への返信がようやく届いたのだ。
スイザンの立ち合いで書簡が開かれる。
内容にざっと目を通し、スイザンは項垂れた。彼は女王の真意を知っていたのだろう。
「カエン・ゾラ殿はソシン王国にとっては優秀過ぎたのです」
女王の許可の下、スイザンは話し始めた。
カエン・ゾラは子供の頃から優秀な魔法の才能を持っていた。大人達は彼に多くの期待を寄せ、彼はその期待に応えたのだ。
完璧主義の彼は更に知識を深めるためにアルストロメリアへと留学する。
ラングルト・ベルツと出会い初めての挫折を経験し、彼は立ち直れないまま帰国した。
しかし、彼は本当に、十分過ぎるほどに優れていたのだ。
培って来た高い自己肯定感を打ち砕かれたカエンは、自分を誇りつつも貶める、不安定な日々を過ごす。
それを気遣ったのがソシン女王だ。
類稀なる実力を持つカエンを自身の側近として王宮魔法使いに抜擢した。肩書きを立派なものにする事で、彼の実力を保証して、立ち直らせようとしたのだ。
しかし、それをよく思わない勢力が現れる。
ソシンとは違うアルストロメリアの魔法の理論をも使いこなす優秀で若い魔法使いに、自分達の地位が脅かされると考えたのだ。
ソシン王国にはまだ呪いという魔法が残っている。
カエンの精神が呪われた事は女王も気付いた。
彼の言動がどんどん不安定なものになっていくのだ。
しかし犯人が分からない。おそらく複数の勢力が互いの地位を守るために協力し合い、巧妙に隠れながら呪い続けたのだ。カエンに呪われた自覚はなく、どれほど気遣われても平気だと言い張る。
犯人が分からないまま、呪いが重なり月日だけが過ぎていく。
カエンは狂っていく。しかし彼は忠誠を誓う女王の目を見ると一時的に理性を取り戻す様だった。
二年が過ぎる頃、アルストロメリア王国で魔亀が発見されたと報告があった。
そして女王は、ラン・スイザンに命じてカエンを一時的に国外に出す事を計画したのだ。




