72、西方の客6
フォルセア達が参加した次の夜会は、母アニエスの幼い頃からの親友リュエッテが嫁いだカトレア伯爵家主催のパーティーだ。
領地が遠い伯爵夫人と忙しい侯爵夫人のアニエスは、この時期にしか会うことができない。
母に付き合う形でフォルセアは毎年この家の会に出席しているので、子息達とも仲が良い。
カトレア家には二十歳十六歳の息子と、十七歳の娘が居るのだが、ラングルトの無言の視線に気圧されてフォルセアは彼らとのダンスを諦めた。
ラングルトが居るため、イクシオは今回は欠席だ。本来アゲラタム家は関係のない夜会なのだ。フォルセアのエスコートはラングルトが務める。
レイナードと共にカトレア伯爵家の子息達と歓談する。フォルセアが着る紺のドレスはご令嬢に大好評だった。
とある夜にラングルトと揃いで着たあの衣装だ。金の刺繍が星空のようだと、彼女に褒めちぎられる。
ラングルトの目が意味ありげに細められ、フォルセアは少し耳が熱くなる。あの夜のことを知るのはラングルトとフォルセア二人だけだ。
夜会用にと何も知らない母アニエスにこのドレスを指定された時、フォルセアは珍しくうろたえてしまった。
「ぜひ、お二人のダンスが見たいわ!」
カトレア家の令嬢に押し出されるようにダンスホールに歩き出す。
前回のペラルゴニウム家のパーティーとは違い、カトレア家の関係者が多い夜会だ。知らない顔も多いし、商人らしき姿も多い。カトレア家は手工芸が盛んな地を治めている。商談も多いのだろう。
「フォルセア様?」
「もちろん、踊りますとも!」
このドレス姿を見てからずっとラングルトの機嫌が良い。
傍目にはさほど分からないのだろうが、フォルセアに向けられる視線が、声音が、楽しそうなのだ。
それがかえってフォルセアにあの夜を思い出させてしまい、照れてしまう。そして自分の事でうろたえるフォルセアの姿はラングルトの大好物だ。
人々のさざめきに包まれる。
ここ何ヶ月も社交界の話題の中心であるベルツ魔道伯爵とルドベキア侯爵令嬢が踊るのだ。否応なく注目が集まる。
ラングルトの手がフォルセアの腰に添えられる。繋ぐ手がすっと伸びる。
「中々夜会も良いものですね」
ラングルトの愉快そうな声にフォルセアは口を引き結ぶ。からかわれている気配がする。
でも。
まあ。
楽しんでくれるならば、良いか。
ふ、と小さく息を吐いてフォルセアは満面の笑顔を浮かべた。
「私もラングルト様とたくさん踊れるので嬉しいですよ」
少し、ラングルトが目を見張る。
音楽が始まり、半ば反射のように二人は大きくステップを踏む。
「貴女には敵いませんね」
口元を緩めるラングルトに、フォルセアは瞬いた。
ベルツだ。
ラングルト・ベルツがそこに居る。
カエンは腹の中が燃えるような感覚を味わう。
カエン・ゾラはレシネ・オーレリーに伴う形でカトレア伯爵家の夜会に忍び込んだ。
本来ならばベルツ魔道伯爵とルドベキア侯爵が参加する会に出る事は禁止されている。
「知らなかったのですよ」
と、許可を出した神官のシイバ・ミツハリは慌てた。
会の当日になって不参加の申し入れをすれば、オーレリー商会の次女に恥をかかせる事になる。そうすればせっかくまとまった甲羅の商談が駄目になってしまう。
悩んだソシン一行は、オーレリー商会の手も借りカエンをアルストロメリア紳士に仕立て上げた。
ゆるく編んだ髪をしっかりと撫で付け、アルストロメリアのスーツを着る。名前や身分も商会の従業員から借りた。
出来るだけベルツ魔道伯爵とは離れて過ごすように。
スイザンから厳命される。
レシネ嬢は事情を詳しく知らないため、カエン達の様子には不満そうだったが、ダンスが始まるとそれも忘れたようだった。
揃いの紺の衣装をまとった二人が会場中の視線を攫う。
「ああ、ラングルトさま…」
レシネはうっとりと呟く。
夜会のドレスに合わせたレースの手袋からは、手のひらの大きな火傷のような痕が透けて見える。
…ラングルトの魔道伯爵邸に張られた結界に焼かれたのだ。このような痕を持つ女性は多い。レシネも、その一人。
「何で、あんな女と…」
レシネはフォルセアの姿に忌々しそうに呟く。
カエンはレシネの様子に、自分がこの会に招かれた真意を知った。
ベルツの同窓である自分をダシにして、あいつに近付こうとしたのだ。
ふつふつと、怒りが湧き上がる。
しかし、カエンはそれよりも驚きが勝ってしまった。
ラングルト・ベルツが笑っている。
他の者には分からないかもしれない、けれどカエンには分かるのだ。
学生時代、ずっと見ていたのだ。忌々しくも凄まじい実力を持ったラングルト・ベルツを。
どうしても越えられぬと、追い続けてきたあの男が。
(笑っている)
奴があれほど上手く踊れる事も知らなかった。
ベルツは大夜会にも一度も参加しなかったからだ。学園の自由参加の催しは全て欠席した、あの社交性をゴミ箱に捨てたような男が。
(ベルツが笑っている)
夜空の星のようなドレスをまとい金の髪を編み上げた女性が婚約者なのだろう。
学園でカエンを案内した、ルドベキアの令嬢。
制服姿との印象の差が凄い。
凛とした見事なダンスだ。ベルツへの確執を抱えるカエンすら見惚れてしまう。
ラングルト・ベルツの事を忘れてしまいそうになるぐらい美しく見える。
華やかな笑顔を浮かべ、ベルツと何やら会話し、また弾けるように笑う。
何と軽やかな。
少し耳が赤くなっている。すると、ベルツが満足そうに口の端を上げる。
あのラングルト・ベルツが!
カエンは目が離せない。
「ゾラ様、ねえ、ゾラ様。ベルツ様とお話になります?おそばに行きます?」
レシネの誘いにゾラは首を振った。
(私はカエン・ゾラだ。女王陛下の王宮魔法使い)
湧き上がる怒りと焦燥。
二曲目を続けて踊り始めた二人の姿を、カエンは食い入るように眺めた。
(私はラングルト・ベルツを越えなければ、私こそが、ラングルト・ベルツにならなければ)
*
夜会が終わる。
傍目には何も問題を起こさず宿に戻ったカエンを、特使たちは安堵した表情で迎えてくれた。
アルストロメリアとの間に確執を作ってはいけない。
着替えを手伝ってくれたミスハリが部屋まで付き添ってくれた。
「夜会は楽しめましたか」
「多分…」
スイザンと話して冷静になったカエンは、頼りなく返事をする。
ミスハリはカエンの背を撫でた。
「ベルツ卿には会えましたか」
「会えた」
カエンの腹がまた熱くなる。あの男の笑顔が脳裏に浮かぶ。ついぞカエンには向けられなかった、誰も目にしたことのなかったラングルト・ベルツの笑顔だ。
ただひとり、あの令嬢にだけ向けられた笑顔。
見れば分かる。
アレは彼女を愛している。
あの笑顔を、愛を受けるのは、
(ルドベキア…)
美しい女性だ。
「私はラングルト・ベルツに、今度こそ勝たなければ」
ぶつぶつと呟くカエンにミスハリは肩をすくめ、もう一度彼の背中を撫でた。
*
カエン・ゾラが消えた。
真っ青な顔で特使の代表スイザンの部屋を訪ねたのは神官のミツハリだ。
「お昼の食事を届けに行った時には部屋に居たのです」
と、ミツハリは震えるように説明する。
かなりの時間をおいてから食器の回収がてら様子を見に行けば、カエンの姿はなかったというのだ。
スイザンは一瞬呼吸すら忘れる。
がたり、と椅子から立ち上がった。
「どこへ…!」
「分かりません、ゾラ殿とは違いただでさえ我々はアルストロメリアに詳しくないのに…」
ミツハリは首を振る。
「他の者にはまだ知らせておりません。アルストロメリアの方々に知られる前に探さなければ…」
「しかし、どう探せば…」
スイザンは頭を抱える。
彼は昨夜の夜会から帰ってきた時、どこか浮ついた表情をしていた。
今まで多くあった感情の荒ぶりが少なかったので、良い気晴らしになったのかと安心していたのだが。
「昨夜、貴殿はゾラ殿に付き添っていたな。何か気付いた事は、変わった事はなかったか」
「いいえ、いつものゾラ殿でした。夜会を楽しめたと、それだけで」
「ふむ…」
スイザンは眉を寄せる。
「アルストロメリアの騎士の所に行こう。極秘裏に、将軍閣下にお知らせする」
「良いのですか?」
「我々の知らぬ所でゾラ殿に何かあれば…何かしてしまえば、その方が問題になる。我々の目的は魔亀を集める事なのだから」
「…承知しました」
ミツハリは一礼した。
東へ向かった特使たちはまだ戻らない。王都での収集も始まったばかりなのだ。
まだソシンには帰れない。
何としても、無事にカエン・ゾラを保護しなければ。
スイザンは、ぎりり、と奥歯を噛むと、彼らの護衛を務めるアルストロメリアの騎士達のもとへと向かった。
「フォルセア様!」
「カレン嬢」
中々の速度で走って来るカレン・モンステラにフォルセアは笑う。そんなに急がなくても待つのだが。
「紹介していただいても?」
「結婚相手としでなければ」
ツワンベルのデューク公子の言葉に、冗談めかして返すと、「当たり前でーす」と棒読みで詰られる。
フリージアもオルソーも忙しい放課後、フォルセアは時々デュークと護衛のハールと話す日がある。
新年祝賀会に招かれたデュークは、貴族達からアルストロメリアで一定の信用を得たと認識されたのだ。
ちらほらと夜会の招待状が届くようで、その度にフォルセアに助言を求めに来る。
権力が強すぎず当たり障りなくて、なおかつ独身の、ツワンベルに連れて行っても大丈夫そうなご令嬢が居る家はどこだ。
注文が多すぎてフォルセアは笑うしかない。
「フォルセア様!夜会振りです!」
面白い挨拶だ。
「カレン嬢、確かに夜会以来だな。先に紹介しておこう、ツワンベルからの留学生のデューク公子と護衛のハール殿だ」
「あ!初めまして。カレン・モンステラです」
学園内だからか、貴人を相手にしているのにカレンは動じていない。さっとスカートの裾を引く仕草に、デュークも面白そうに笑った。
「デューク・ラスライルです」
こちらは胸に手を当てて慇懃に礼をする。
このメンバーが揃うのは不思議だ。かつて、カレンが狙われた日にデュークとハールが二人を助けるために行動してくれた。
「皆さんはどこかへ行くんですか?」
ここは教室棟から食堂へ繋がる中庭側の道だ。
「食堂で飲み物でも買ってこようかと思っていてね。園庭の机で夜会の作戦会議を少し」
「え、夜会ですか!私も参加したいです、なんか招待状がいっぱい届いてて…」
困り顔のカレンを見て、フォルセアとデュークは視線を交わす。貴重な魔道庫。しかも独身の貴族の女性だ。それはもう、引く手数多だろう。
「どうです?」
「構いませんよ?」
言葉尻を上げながらのやり取りに、「仲良しですね」とカレンが呟く。
「公子は良いそうだ。カレン嬢も一緒に行こうか」
「はい!」
フォルセアが手を差し出すと、カレンが少し頬を染める。彼女は実家のために裕福な結婚相手を探しているが、本音を言えば男装のフォルセアの絵姿に夢中なのだ(フォルセアには秘密である)。
その時だ。
「ルドベキアのご令嬢」
少し離れた場所から急に声がした。
ハールとフォルセアが身構える。
今までそこに人は居なかったのだ。
現れた人物に、フォルセアは息をのむ。
カエン・ゾラ。
なぜここに。しかも、急に現れた。
(転移魔法…?)
ラングルトには劣るが優秀な魔道士であるはずなのだ。ソシン女王直属の、選ばれし王宮魔法使い。
カエンはじっとフォルセアを見つめている。熱すら感じる視線に、じわりと不快感が浮かぶ。
「フォルセア嬢」
「悟られず警戒を。優秀な魔道士です」
小声で伺うデュークに囁く。
なのに、カエンはにこりと笑顔を浮かべた。会話を聞かれている、魔法を使っているのだ。
「そう、私は優秀なのですよ!フォルセア様と仰るか!素敵なお名前にさすがの慧眼!そう、私はカエン・ゾラ、女王陛下に見出された選ばれし魔法使いなのです!」
恐れるようにカレンが一歩後ろに下がり、逆に護衛騎士ハールが前に出る。
カエンが杖を振った。
パッと光が現れて消え、フォルセアの目の前に現れる。
何の魔法が加えられたのか、カエンの出現にフォルセア以外の三人が弾かれたように後ろへよろめいた。
「フォルセア・ルドベキア侯爵令嬢!あなたこそ私に相応しい!」
フォルセアを見下ろす自信に満ち溢れた笑顔。
なのにうすい黄色の目が爛々と狂気を湛えていた。




