71、西方の客5
フォルセアが出席するこの秋最初の夜会は、ペラルゴニウム侯爵家主催のものだ。
いつの頃からか、侯爵家は毎年持ち回りで秋の夜会を主催している。昨年はルドベキア家が主催だった。今年はペラルゴニウム家の番だ。
よく知った、ある意味では遠い親戚の主催する夜会は参加する人々も親しい者が多い。何かと騒がれるベルツ魔道伯爵が参加しても、気詰まりはしないだろう。
ルドベキア家からも侯爵夫妻とレイナード、そしてフォルセアはラングルトのエスコートで出席する。
新年祝賀会を経て初めてラングルトと出席する夜会だ。母アニエスは嬉々としてドレスを出してくる。いつの間に作ったのか、装飾やレースは控えめになっているが婚約式のドレスの色違いだ。
落ち着いた橙色のレースとシフォンでグラデーションが作られている。秋のドレスということなのだろう。
「デザイナーが張り切ったのよ。もっと流行らせたいのですって」
すでに流行ってはいるらしい。
フォルセアは苦笑いだ。
侯爵家の夜会は年に一度だけ。フォルセアの衣装はきっとニュースになるだろう。
「よくお似合いです」
「ラングルト様も」
ラングルトはグレーのスーツにフォルセアのドレスの色のポケットチーフを入れている。
というか、ルドベキアの男性陣は全員同じ色のポケットチーフを使っているし、アニエスも婦人用の落ち着いたデザインのドレスだがケープがフォルセアのドレスと同じ色である。嬉々として揃えるアニエスの姿が目に浮かぶ。
イクシオもアゲラタム侯爵と共に会場に入る。
知った顔ばかりなので迎える人々の笑顔も温かい。
早々に父と共にフォルセア達のところまで来て、ルドベキア侯爵夫妻から順番に挨拶をした。
ペラルゴニウム侯爵家の夜会であろうと色々な目がある。親しい間柄であると主張はしなくてはいけない。
そして、ペラルゴニウム家は代々正教会の祭祀を担う家系で今の大神官はペラルゴニウム前侯爵だ。
必然的に、貴族出身の神官の出席も増える。
「フォルセア様」
小さく名前を呼ばれ、フォルセアは振り返る。少し離れた所からかすかに手を振る女性に、顔を綻ばせた。
カレン・モンステラだ。
淡い桃色のドレスに身を包み、神官服を着た男性にエスコートされている。
学園外で初めて会う。手を添えたラングルトの腕を引くと、気付いたのだろう、ラングルトも一緒に来てくれた。
「ご機嫌よう、カレン様」
「カレン・モンステラがご挨拶いたします。お会いできて光栄です」
フォルセアとラングルトが来たので神官がわずかに緊張したようだが、カレンはにこにことしている。
「実は初めての夜会なんです。フォルセア様が居てくださって良かった!」
カレンは魔道庫であると分かるまでは、小さな男爵家の人間として過ごしてきた。西方女学園で作法はみっちりと習うがデビュタントを除き学園外での披露は初めてだった。
「大神官様が、経験を積めば良いと招待してくださったんです」
カレンは正教会で保護されている。なるほど、ペラルゴニウム家の夜会はちょうど良い。
「安心して。ここはある意味では親戚のパーティーのようなものなので、意外と作法にも寛容だ」
「私は新参者の部外者ですけど大丈夫ですかねね…」
顔を近付けてひそりと話す二人だ。ラングルトは無言でそばに立っているだけなので、カレンに付いている神官がやや気まずそうにする。
「あの、フォルセア様。ベルツ魔道伯爵様に話し掛けても大丈夫ですか?」
「もちろん」
ひそひそ、緊張を見せるカレンにフォルセアは頷く。
「ラングルト様」
聞こえていたのだろう。フォルセアが名を呼ぶだけで、ラングルトがわずかに屈んでくれる。
「はい」
「こちら私の友人のカレン・モンステラ様です」
淑女の礼をするカレンに、ラングルトも一礼する。
「ラングルト・ベルツです」
「ベルツ魔道伯爵様、お会いできて光栄です。春は重ね重ねお手を煩わせてしまい大変申し訳ございませんでした。改めて謝罪とお礼を申し上げます」
何を、とは言わない。
しかしラングルトもフォルセアももちろん承知している。
「あれから何事もありませんか」
カレンは精霊教団に狙われたのだ。
「はい、神殿でしばらく匿っていただいて、夏の前には出られました」
スタンピードが始まれば生贄を狙う必要もなくなるからだ。ラングルトは「そうですか」と、目を伏せる。
「どうなるかと思ったが、また学園に戻って来れて本当に良かった」
「はい、せっかく中央学園に慣れ始めた所だったから…」
カレンは遠い目をする。このまま卒業まで外に出られなかったらどうしようとすら思ったのだ。
すると、会場に音楽が響き始める。
招待客が増えてきたのだ、楽団が演奏を始める。
フォルセアとカレンは顔を上げた。
「カレン様、ダンスは?」
「一応、踊っておいでってイザ様にも言われています」
思わぬ名前にフォルセアとラングルトは顔を見合わせる。魔道伯爵最年長、クリストル・イザはカレンとも接点があるようだ。
「フォルセア様」
「はい」
ラングルトがフォルセアに一礼すると、フォルセアは笑顔でその手を取った。新年からの約束がようやく果たせる。
「ではカレン様、先に行きますね」
「はい!」
す、とダンスホールに向かったラングルトとフォルセアの姿にカレンは頬を染める。
まだパーティーは始まったばかりだ。しばらくは見学したって大丈夫なはずだ。美しい世界を目に焼き付けるつもりで、カレンはフォルセア達を目で追った。
*
「お加減はいかがですか」
扉を開けたソシン王国の神官、シイバ・ミスハリが中を伺う。
明かりもつけない暗い部屋の中、寝台に腰掛けたカエン・ゾラが身じろぎをした。食事を届けにきた時と同じ姿勢だ。机の上の夕飯は冷め切っている。
「お食べになったほうがいい。身が持ちません」
「ミスハリ殿」
カエンの声は頼りない。
「スイザン殿や他の皆さんは」
「今夜はアルストロメリアの伯爵家の夜会に招待されて、出席しておりますよ。私は明日に備えて留守番です」
「護衛を、他でもない女王陛下から皆さんの護衛を申しつかったというのに、私は…」
カエンはため息を吐く。
ミスハリは気遣わしげに肩をすくめた。
「アルストロメリアから護衛の騎士が派遣されております。今はどうぞ、しっかり休んでください。女王陛下もそれをお望みです」
「陛下が…」
カエンは顔を上げる。
あれほど自信に満ち溢れていた表現が見る影もない。なのに。
「陛下の為にも、あなたはお強くならねば」
「強く、そう、私は、」
「…ベルツ卿のように?」
「そうだ、ラングルト・ベルツ!あいつが、あいつこそが」
カエンは急に声を荒げ、寝台から立ち上がる。
「私はカエン・ゾラ!女王陛下に選ばれし王宮魔法使いである!ベルツなど恐るるに足らぬ、私こそが最も優れた魔道士であるのだ、あらねばならんのだ!」
暗い部屋の中、開けっぱなしの窓の外の灯りしか届かないというのにカエンの目は爛々と光っているかのようだ。
カエンから魔力が溢れ出てしまっている。
「私こそが…!」
数日前の晩餐会で、冷めた視線を向けて佇んでいたラングルト・ベルツの姿がカエンの脳裏によぎる。
泰然とした、何にも左右されない不動の力を持つ魔道士。学生時代にカエンが決して越えられなかった忌まわしき男。
「私こそがラングルト・ベルツであらねばならん!」
「女王陛下の為に?」
「そうだ!女王陛下のために、私こそが、ラングルト・ベルツなのだ!」
絶叫。
カエンの姿に驚く事なく、ミスハリは彼の背を撫でた。
「ならば、まずは食事を摂りましょう。陛下の為にも、貴方は健康でなければ。万全の状態で臨みましょう」
「すみません、ミスハリ殿」
急にカエンの声が小さくなる。
狂気を帯びたカエンの目に、理性の光が戻る。
「明日、王都の商人から招かれているのです。比較的大きな魔亀の甲羅が手に入ったそうで。私と共に商談に向かいましょう、カエン様、私の護衛をお願いします」
「…外に出ても良いのですか」
「勿論です。スイザン殿の許しは私が取りましょう」
ミスハリの声は優しい。
彼はソシン王国の大河の神殿の神官だ。神の使いの甲羅が手に入る、その事をとても楽しみにしているのだろう。
「分かりました。お供します」
「さあ、冷めてしまいましたが食べましょう。温める魔法を使いましょうか?」
「自分でできる…」
今度は頼りない声になる。
「では、また後で食器を回収に来ます。しっかり食べて、明日に備えて下さい」
ミスハリはもう一度カエンの背を撫でて、そっと部屋を後にした。
暗い部屋、カエンは今気付いたとでもいうように明かりを灯す。
外務局の用意した客室は広い。なのに自分は寝台に座り込んだままろくに動きもしなかった。
(これではいけない。私には、女王陛下に賜った栄えある務めがあるのだ)
カエンは杖をかざす。冷めた夕食から湯気が上る。そういえば、あれほどの失態を犯したのに杖を没収されなかった。カエンは少しだけ不思議に思う。
しかし、(私はカエン・ゾラだからな)と、自信ありげに考えて、やっと食べ物を口にした。
翌日の午後、カエンはミスハリと共に数年振りの王都を歩く。
夜会シーズンが始まり、平民が暮らす街も賑やかだ。各所で開催される夜会の様子が新聞に載る。
流行が生まれていくのだ。
懐かしい。留学していた時のカエンはただの学生であったので、アルストロメリア貴族の夜会には呼ばれたことがない。学生会主催の大夜会で張り切ってソシンの衣装を誂えて踊った事を思い出す。ラングルト・ベルツは不在だった。四年間、ついぞ大夜会で奴の姿は見なかった。
「こちらですよ」
アルストロメリアの案内人がカエンとミスハリに笑顔を向ける。
大通りに面した大きな店は、オーレリー商会。アルストロメリアでも有数の商会だ。
店の戸をくぐると、異国の衣装ですぐに分かったのだろう。店員が笑顔を浮かべ二人を奥に案内する。アルストロメリアの案内人は店の表で待つようだ。
「お待ちしておりました」
オーレリー商会長が明るい声を出す。満面の笑顔、大仰に手を広げ迎える。商人らしい仕草だ。
いくつかのお決まりの挨拶を繰り返し、ミスハリと商会長は早速ソファに座る。
カエンは地位のある王宮魔法使いだが、今は護衛役でもある。ミスハリの後ろに立つことにした。
昨夜と今日と、しっかりと食事を摂り休んだのでカエンの体調も戻っている。堂々たる容姿のソシンの紳士だ。オーレリー商会長が目を細め、扉側の使用人に合図をする。
少しすると、シンプルだが上質なワンピースを着た女性が紅茶を運んできた。
「次女のレシネです。西方女学園を卒業して、今は私の秘書をしております」
二十歳を過ぎたぐらいだろうか。
「レシネ・オーレリーでございます」
にこりと笑顔でミスハリとカエンに挨拶する。不思議なのはまだ暑さの残るこの時期に、薄いとはいえ手袋をしていることだ。
「レシネ、こちらの方はカエン・ゾラ様。ソシン王国の栄えある王宮魔法使いでいらっしゃるそうだ」
「まあ!まだお若い方ですのに、素晴らしい魔道士なのですね」
レシネが瞳をきらきらさせる。
親子の意図が分かったのだろう、ミスハリが少しおかしそうに笑う。
「ゾラ殿は学生時代はアルストロメリア中央学園に留学しておりましてね、かのベルツ卿と肩を並べる実力だったのですよ」
「まあ…!」
レシネが息をのむ。頬がうっすら染まり、カエンはにこりと笑った。
「彼とは良きライバルでした」
「まあ、本当に素敵」
手袋の手を染めた頬に当てて、カエンを見上げる。
「ぜひお話をお聞きしたいですわ」
父親のオーレリーが笑う。
「ゾラ様さえよろしければ、店を案内して差し上げなさい。私はミスハリ様とここに居るから」
「よろしいのですか?」
レシネがカエンではなく、ミスハリに首を傾げると、ミスハリも笑顔で頷いた。
「ゾラ殿、今のアルストロメリアの流行を調べてきて下さい。陛下や姫君方もお喜びになるでしょう」
「分かりました」
陛下の名に、カエンは視線を強くする。
「さあ、ゾラ様」
レシネがカエンを導く。期待を込めた視線を向けられ、カエンは口の端を上げた。
(私はカエン・ゾラだからな)
「ゾラ様、ベルツ様とは親しかったのですか?」
二人きりになり、レシネがゾラに触れる。
「ライバルでしたよ。あやつは無愛想で、話すのにも難儀しました」
「ねぇ、ゾラ様。来週の夜会、私と共に参加しませんか?ゾラ様のような素敵な方と参加できればとても嬉しいです」
それに。
レシネはにっこりと笑みを浮かべる。
「ベルツ様も参加なさるそうですよ」




