70、西方の客4
「何とまた…」
晩餐会の翌日、早々にフォルセアはアルダールから事の顛末が書かれた手紙を受け取り、昼休みに集まったイクシオとレイナードと顔を見合わせた。
三人でまとめて読んでくれと前書きがしてあったのだ。
「これが、義兄上と同窓の方なのですか」
信じられない者を見る目でレイナードは言う。
「私たちの先輩でもあるようだ」
イクシオも苦笑いだ。
「昨日フリージアを訪ねてプロポーズを失敗したその夜にこれか、なんとまあ」
「プロポーズ!?」
フォルセアの言葉にレイナードが声をひっくり返した。
「自分に相応しい優秀で可憐な女性と結婚したいらしい」
「じぶんにふさわしいゆうしゅうでかれんなじょせい」
「レイナード…」
拒否反応を示すレイナードにイクシオは眉を下げて肩を撫でた。まだ若い次期侯爵は貴族世界に溢れる色々な気質の人間に慣れていない。
アルダールからの手紙には、フォルセアが夜会の出席をする際はソシンの客人が招かれていないものに限るようにと書かれて終わっている。
まあ、仕方のない事である。
「ラングルト様をお誘いしにくくなった…」
フォルセアはため息を吐く。毎年参加必須の夜会がいくつかある。
「やっぱりイクシオに一緒に行ってもらった方が良いかな」
「ダメに決まっているだろう?婚約式をして最初の夜会で婚約者以外にエスコートされてごらん。不仲と浮気と破談の悪評しか立たないよ」
「う、」
イクシオの言う通りだ。
「ソシンの方はこの際無視して、君とベルツ卿の仲を見せつけて行かないと」
「そうですね、義兄上には多少無理をしてでも姉上と一緒に参加していただきましょう」
レイナードも何度も頷いている。
「大丈夫、義兄上は姉上のお願いはそうそう断りません」
断言されてしまう。
「それが申し訳ないんだ…」
さすがのフォルセアもラングルトの事が分かってきた。だからこそ、迂闊な事は出来ないのだと頭を抱えるのだ。
*
何となく来て下さるのかもしれないと、そんな予感があった。実は会えるかもしれないと期待もしていた。
「フォルセア様」
アルダールから注意の手紙を貰ったその日の放課後。ラングルトはフォルセアを訪ねてわざわざ学園に来てくれた。
「ラングルト様」
正式な手続きを経た面会も久しぶりだ。面談室で待っていたラングルトにフォルセアはほっと息を吐く。
わざわざ立ち上がって迎えてくれたラングルトは、そのままフォルセアを抱き締めた。
「またこちらの揉め事に巻き込んでしまうかもしれません」
腕の中のフォルセアに心底申し訳なさそうに告げる。
「アルダール様からお手紙をいただきました。レイナードとイクシオとも共有して、こちらでも気をつけるつもりです」
フォルセアは少しだけ離れて、ラングルトを見上げる。
「フリージアには」
むしろ実害を受けたのはフリージアだ。
「この後会いに行きます。しかしあの男の口ぶりだとフリージアへの興味はもう薄れた様子でした」
「そうですか」
フリージアにあれ以上の干渉がないならば御の字だ。ラングルトの婚約者としてフォルセアの名が知られたとはいえこちらは侯爵家なのだ。立場が分かればそうそう接点も作れないだろう。
「私はラングルト様の方が心配です。お疲れでしょう」
ただでさえ忙しい役職なのに余計な心労まで増えてしまった。
そしてフォルセアはラングルトに夜会のエスコートも頼まなくてはいけない。
(頼めない…)
カエン・ゾラの事よりもそちらの方にフォルセアは気を取られてしまう。
しかし、頼まないと不仲不倫破談…、イクシオの言葉が脳裏をよぎる。
「煩わしい事は否定できませんが、昨夜の叱責を受けてカエン・ゾラは今日からしばらく外出禁止措置を取られています。特使の代表が昨夜の内にソシン女王に報告書を送った事もだいぶ堪えたようです」
はぁ。
フォルセアをそっと離してラングルトはため息を吐く。そのまま椅子を引いてフォルセアを誘った。
「その、学生時代からあのような方だったのですか?」
例の方は。
遠慮がちに尋ねるフォルセアに、ラングルトは難しい顔をする。
「正直に言うとあまり記憶に残さないようにしていました…が、あそこまで幼稚ではなかった気もします。過剰な程自信満々でしたが、今のあの男は何か、おかしい。…今更私と張り合う事で、何を得ると言うのか…」
分かりませんね。
ラングルトは少しだけ眉を下げた。
もうお互いに学生ではないのだ。教師からの評価に一喜一憂するあの時のあの男ではないはずなのだが。
沈黙したラングルトに、ついフォルセアは手を伸ばす。そっと頭を撫でると、ラングルトは驚いたようだった。
「すみません、つい」
どうにも労りたいような慰めたいような、そんな気持ちになってしまったのだ。手を離そうとして、ラングルトに掴まる。
「中々新鮮な感覚ですね」
ありがとうございます。と、ラングルトは少し笑ってフォルセアの手のひらに口付けた。
ここは学園だ。フォルセアは少し気まずい気持ちになる。
「あの、ラングルト様、話は外れてしまうのですが、」
「はい」
「そろそろ社交が始まるので、お忙しいとは思うのですがいくつかの夜会に一緒に行っていただけませんか」
「勿論です」
即答だ。
「フォルセア様の出席される会を教えて下さい。出来うる限り予定を合わせます」
フォルセアもさすがに面食らう。「良いのですか」とつい確認してしまうと、ラングルトは頷く。
「私の方にも招待状が届き始めています。ルドベキア侯のご意向を確認した上で必要なもののみ参加するつもりでしたが、フォルセア様を優先いたします」
「それは、ありがとうございます。一応私も両親に確認しますが、毎年必ず出席するものが三件あるのでとりあえずそちらを…」
そうしてハッとする。
「アルダール様から、ソシンの特使が出席しないものに限定するようにと言われていますので、その確認も行ってからまたご連絡しますね」
結局そこに話が戻ってしまう。何とも厄介なことになってしまった。
フォルセアもラングルトもふう、とため息を吐く。夜会、フォルセアは呟く。
「…あらかじめ言っておきますと、」
「はい」
ラングルトは返事をする。
「夜会ではレイナードとイクシオも参加します」
「…はい」
フォルセアの言わんとしていることが分かったのだろう。声のトーンが少し下がる。
「イクシオとは定期的に仲良しな所を見せないと家同士の不仲説が再燃してしまうので、その辺りはご理解下さい」
何せオルソー相手に嫉妬してくださる方なのだ。元婚約者のイクシオの方が誤解されやすいのではと、さすがのフォルセアだって気付く。
「…オルソー・トラジアは親友ということでしたね。では、イクシオ・アゲラタム様はどういった立場なのでしょう。参考までに」
「参考までに?」
つい復唱してしまうフォルセアの手を、ラングルトはまだ離さない。掴む力が強い。
フォルセアはしばし思案する。イクシオは幼馴染だ。そして。
「…相棒のような感じでしょうか。小さな頃からずっと王家を手伝うお役目を一緒にして来たので」
「正直な所、最初に嫉妬したのがイクシオ様です」
「え」
「新年のダンスの時です」
それはフォルセアとの婚約が成立した直後の事だ。あの時はお互いに契約結婚のつもりだった。
なのにラングルトは、意識せずにイクシオからフォルセアを奪いに行ったのだ。
ラングルトは当時の自分の無謀さを思い出す。思考を放棄した行動だった。
だが、本来ならば。
アゲラタム侯爵夫人が亡くならなければ。
フォルセアはイクシオとそのまま結婚していたのだ。
警戒しない方がおかしい。
「そうでしたか…」
だからなのか。
あの夜のラングルトの突飛な行動をフォルセアも思い出す。今思えば中々、照れる事をされたなぁ。
口付けられた手の甲をつい見てしまう。ラングルトはフォルセアのそこに再び唇を当てた。
「善処します」
前回オルソーの件で、ラングルトは初めて怒るフォルセアを目にしたのだ。あまり繰り返したくはない。
ラングルトなりの譲歩を感じ取ったのか、フォルセアが苦笑した。
「私にはラングルト様だけですよ」
「私もです」
ラングルトは少し目元をゆるめる。
それに、とフォルセアは考える。
自分は身分以外ではもてないのだ。ラングルトの心配は杞憂であると、どうすれば理解してもらえるのだろう。
フリージアは今日も変わらず自身の研究室に居た。
オルソーが訓練の日で良かったと思う。ラングルトをフリージアの所まで案内して、フォルセアは心の中で安堵する。
数年ぶりの研究室棟をわずかに懐かしそうにラングルトは見回す。ここで彼は包魔石という成果を産み出したのだ。
同じ扉が並ぶ廊下。
名札のない扉の一つに、「フリージア」とフォルセアが声を掛けながらノックするとすぐに応えがあって中から開かれる。
「フォルセア、…まあ、お兄さま!」
フォルセアの隣に立つ兄に、フリージアは声を大きくしてしまう。慌てて口を押さえた。
どうぞ、とフリージアは二人を部屋の中に案内する。かろうじて置かれた椅子にフォルセアは慣れた様子で腰掛け、ラングルトは積まれた本にぶつからないように、ゆっくりと座る。
ひときわ背が高い彼は、オルソーよりも更に座りにくそうだ。
「大事ないですか」
昨日の事だとフリージアはすぐに理解する。
「とても驚きましたし正直不愉快でしたが、フォルセア達も居てくださいましたし大丈夫ですわ。今朝一番にイグノック先生が謝罪に来てくれました、あんな事になるとは思わなかったと」
「突発的な発言だったと」
「ええ。私に挨拶がしたいと、それだけを頼まれたそうですの」
フリージアはため息を吐く。
「あんなに短慮な事をする子ではなかったのに、と不思議そうでしたわ。四年生の時は研究生のあの方を指導していたそうで」
まただ。
フォルセアは気付く。
ラングルトも言っていたではないか。昔はあんな風ではなかったと。
ラングルトも眉を寄せている。
「ゾラの意識はお前からは離れただろうが、念のため気を付けなさい。何かあれば私に連絡を忘れずに」
「はい」
「それと、今度はフォルセア様へ興味が移ったかもしれない。すまないがフォルセア様にも気を配ってくれ」
「は?」
ラングルトが軽く昨夜の出来事を説明すると、フリージアは眉を釣り上げた。「何なんですのあの方!」とばんばんと机を叩くものだから、積まれたプリントが何枚も滑り落ちる。
「分かりましたわ!何があろうと、フォルセアには近付けさせません!」
ばっと椅子から立ち上がるフリージアはとても頼もしい。バサバサバサと資料が舞い落ち、無造作に置かれていた宝石がいくつも転がり落ちた。
*
ソシン王国の特使をもてなした晩餐会の顛末は、貴族達の噂にさほど上らなかった。
参加者は限定された職員と貴族だけだったし、下手に噂を広げてソシンとの外交に亀裂が入るのを良しとしなかったのだ。
ソシンは長らくアルストロメリアと友好を築く大切な隣国である。
交易も盛んであるし、旅行者や商人の行き来も活発だ。
「どう考えても庇っているだろう」
兄王の感想に、アルダールは頷く。昨夜の夜会、不躾な行動をしたカエン・ゾラを叱責し退出させたのはラン・スイザンだ。
年配の経験豊富な外交官は、ソシン女王の腹心でもある。ゾラを退出させる事でアルストロメリアから彼を庇ったのだ。
若き国王エイリークはその場には居なかったが、報告はすぐになされる。弟アルダールが訪ねる前にすでに全容を把握していた。
「我々も同意見です。…ソシン女王からの親書には何と?」
意外な事に王の応接室はさほど広くない。
無言で壁に立つ使用人と護衛騎士に囲まれ、エイリークと妻のソフィア、そしてアルダールの三人が集えば少し狭いと感じてしまうほどだ。
「亀のことばかりだ。だがあの方は大ベテランだからな。何か意図があってあの未熟な王宮魔法使いをこちらに寄越したんだろうね」
「外交官が女王に報告書を送ったのよね」
ソフィア妃だ。
「特別配送ですから、数日中にはソシンに届くかと」
アルダールが応える。
「返信は早くても十日後くらいかな」
さて。
エイリークが肩をすくめる。ソフィアが夫と義弟を少し睨んだ。
「フォルセアちゃんが困らないようにしてあげて下さいね!」
ソフィア王妃はフォルセアの母アニエスと仲が良い。自然、フォルセアの事を可愛がってしまう。彼女達の婚約式に突撃するぐらいには。
「分かっているよ。…アルダール」
「はい、心して守りますよ」
兄と義姉、アルダールは二人に一礼した。




