68、西方の客2
ソシン王国からの特使は事前の通知もなく現れた。
西方、サントリナ辺境伯領を通過する際に改めて手続きをしたようで、サントリナ辺境伯から王都に連絡が来たのは特使が王都に到着する前日のことだった。
アルストロメリア王国に駐在している外交官すらも知らなかったらしい。
ラングルトが王都に戻り、先に外務局に報告してあったため大きな混乱は無かったものの、友好国の特使をもてなす準備などは到底間に合わない。
とりあえずの宿泊先と護衛の準備だけで手一杯だ。
しかしソシン王国の外交官たちはそれどころではないようで、ソシン女王の親書を手にしたまま、急な訪問を驚くほど低姿勢で謝罪するばかりだ。そして、
「魔亀が出たのでしょう⁉︎」
と、門まで迎えたアルストロメリアの役人達に詰め寄る始末だ。
「ソシン王国では海の魔亀は神の使いらしいぞ」
行政府魔道局を訪ねてきた王弟アルダールがラングルトに世間話のように告げる。
執務室に入ることもなく職員用の空いている椅子に座って話し始めるものだから、フォルセアのおかげで高位貴族に少し慣れたとはいえ、周りの職員たちも身体を硬くする。
「なんでも、一千年以上昔に大河を上ってきた巨大な魔亀が大山の崩落を予言して、災害から民を守ることが出来たんだそうだ」
海のないソシン王国は大河と大山の恩恵で暮らしている。其々を神格化し祀っているのだ。
「ソシンの女王陛下が我が国で魔亀が現れたと伝え聞いて、祭祀に使うために何としても大きな状態の甲羅や素材をかき集めて来るようにと急遽王命を下したそうだ」
何せ魔亀の出現自体十年振りだし、海からアルストロメリアを経て遥か西のソシンに魔亀の素材が届く可能性も低い。届いたとしてもアルストロメリアで買われた残りで、しかも加工加工で小さくなり更に値段も跳ね上がる。
「尋ねていない事をわざわざ話しに来ないでください」
ラングルトは冷ややかだ。
どしりと座るアルダールを見下ろして、「忙しいのですが」と苦情を告げる。
補佐官のダナン・ノルマンが上司の不敬の言葉に冷や汗を流すがアルダールは慣れた様子で聞き流している。
「お前が報告するより先に先方が知っていた可能性がある」
「お互い様でしょう」
間者の一人や二人や数十人、それぞれの国に配置されて当然だ。
単純に魔亀の情報を求めて、海沿いの街に常に配置されていた可能性だってある。
「ごほん」
ダナンが咳払いをした。大勢の職員の前でする話でもない。アルダールが笑った。
「頼もしい副官だな」
「恐れ入ります」
「私の軍の訓練の邪魔をした男、お前の同窓なんだって?」
「知らない人ですね」
「嘘だよな、すごい剣幕だったらしいじゃないか。後で訓練の邪魔をしたと正式に謝罪しに来たが、少し自意識過剰な面もあったが理性的な男だったぞ。何があったんだ」
アルダールの言葉に、魔道局内の職員の意識が一斉に集まる。皆、寡黙で愛想の無い自分たちの上司の逸話に興味津々なのだ。
フォルセアの研修を経て、上司への畏怖と恐怖がすっかり薄らいでしまった。
「…はあ」
ラングルトはため息を吐く。
「勝手に張り合われて勝手に負けて逆恨みをされているだけです」
心底迷惑そうな声に、アルダールが笑った。
「想像がつくな」
そうしてすっと立ち上がった。ようやく出て行く気になったらしい。
「明後日の夜に晩餐会を開く。お前も出席しろ」
「お断りします」
「そう言うな。先方のカエン・ゾラ氏は王宮魔法使いだそうだ。第十席と末席とはいえ、こちらも高位の魔道士を出席させない訳にはいかない。同窓の縁もあるしお前しかいないだろう」
「何名か私と同窓の魔道士が居ますのでご紹介しますが」
エメリ・クリオロが部屋の隅でびくりと肩を跳ねさせる。アルダールが苦笑した。
「そいつらが急に他国の特使との晩餐に呼ばれて平静に過ごせる訳ないだろう。フロックス侯爵も予定を変更して参加して下さることになっている、お前も出ろ」
フロックス家は五大侯爵家第一位の地位を持つ家だ。ラングルトが出席を断ればルドベキア侯爵にも話が伝わるかもしれない。
あからさまに渋面を作ったラングルトは、「分かりました」と頷いた。
*
学園の二学期の最大のイベントは学生会主催の夜のパーティー、大夜会だ。
他にも寮の違う学生同士の交流会などが各寮主催で行われたりするが、大夜会は規模が違う。
高等部に所属する四学年が全員入る大きな講堂でのパーティーだ。それはさながら貴族の夜会のようであり、平民や下位貴族にとっては貴重な経験が積める場でもある。
学生会の面々や大夜会の準備委員会などは本当に忙しい時期になるが、フォルセア達はあまり関わりのない世界だ。
一年生の時に、当時の学生会の先輩から勧誘はされたがフォルセアとイクシオは断った。身分が高すぎる生徒が主導しない方がいいと思ったのだ。
レイナードも入学した際に同じように断ったらしい。おかげで二人とも、気楽に招待客の体で大夜会を楽しむことができる。
大人の貴族達の社交も、夏の暑い時期が過ぎたのでまた本格化している。
学業を優先するために休暇中以外の出席はかなり抑えているが、やはり出ないわけにはいかないものもいくつかある。
普段ならばエスコート役のイクシオと予定表を突き合わせて相談するのだが、はて、とフォルセアは迷う。
今のフォルセアには婚約者がいるのだ。
ラングルトが居るのにイクシオに伴われて大丈夫だろうか?
しかし、ラングルトが招待されていない(夜会嫌いのベルツ魔道伯爵を誘える貴族はそうそう居ない)夜会に、ラングルトを伴っても良いものか。
ラングルトは煩わしいと、きっと嫌がるのではないだろうか。
もし母に相談したら「とりあえず誘えば良いじゃない」と言われそうだ。そして、ラングルトはフォルセアが誘えば無理をして付き合ってくれそうな気がする。それはフォルセアの本意ではない。
うんうんと唸りながらフリージアの居る研究室棟へと歩くフォルセアを、教師が呼び止めた。
「ルドベキアさん」
「はい」
振り返ると、魔術理論の教師が見慣れぬ青年を伴って廊下を歩いて来る所だった。
その青年の姿にフォルセアはわずかに驚く。
明らかなソシン様式の衣装、さらりとした長い黒髪に自信溢れた薄い黄色の目。
先日オルソーから聞いたカエン・ゾラだろう。
まさか話を聞いて数日の内に会うことになるとは。フォルセアは驚きを表面に出さずに、軽く礼をした。
「ベルツさんの研究室に行くのかな」
イグノック教師は気さくに聞いて来る。
実践魔法の科目は常に最下位のフォルセアだが、理論ならばそれなりに点数を取ることができる。フォルセア個人として、話しかけられてもさほど気まずくはない相手だ。
「はい、約束をしていましたので」
「そうですか。こちらの方をベルツさんの研究室に案内しているのです、少しお邪魔しますね」
「はい」
フォルセアは頷く。彼らにとって、自分は相手を知らない状態なのだ。驚く方が不自然だろう。
フォルセアの後を二人が続く。なし崩しにフリージアの研究室へ案内する様な形になってしまった。
カエン・ゾラはフォルセアを全く気にしていない様だ。すっかり存在を無視してひたすら教師に学生時代の思い出話や今の自分の仕事を伝えている。どうもイグノックが恩師であるらしい。
そしてルドベキアの名も知らないのかもしれない。
時折「ベルツ」と名前を呼び捨てにする声が聞こえて、ラングルトの事だとフォルセアはどきりとする。
しかし、オルソーから聞いた様な苛烈な態度ではない。いささか自身を誇り過ぎている様子だが、理性的な話し方である。
…なのにラングルトの名を出す時だけ口調が不自然に荒ぶるのだ。
何か、不気味だ。
とうとうフリージアの研究室の前へ着いてしまう。
「こちらです」
と、イグノックとカエンに扉の前を譲ると、イグノックが控えめに扉をノックした。
「ベルツさん、魔術理論のイグノックです。あなたにお客様です」
「はい」
中からフリージアの声がする。
静かに戸を開け、立っている三人に分かりやすく驚いた顔をした。
「どうした」
フォルセアよりも先に来ていたのだろう、中からオルソーの声がして、フリージアの隣に並ぶ。
フォルセアと教師、そしてカエンの姿を見て目を大きくした。
「うん?君は以前見た顔だな、ベルツに伴われていたな」
カエンはオルソーを一瞥してすぐにそれを指摘する。あの騒ぎの中でも薄汚れた訓練生を認識していたのだ、その事に驚く。
フリージアはオルソーと共に研究室の外に出て、扉を閉めた。中には彼女の研究資料がたくさんある。外部の者に見られるのは避けたいのだろう。
フリージアを庇う様なオルソーの立ち位置に、カエンは得心がいったように頷く。
「なるほど、ベルツ家の護衛か」
(何も合ってない)
違いすぎて訂正する気も起きない。教師であるイグノックすら、フリージアとオルソーの関係を知っているのだ。
周囲の人間のやや戸惑う感情に彼は気付かなかったようだ。
「ベルツのご令嬢、突然の訪問失礼する。私はソシン王国王宮魔法使いのカエン・ゾラと申します。実は私はこの学園に留学していて、あなたの兄君とは互いに切磋琢磨する間柄でね、懐かしの学園訪問のついでにあなたに挨拶をしたかったのですよ」
にこりと笑って軽く礼をする。
女性への挨拶をついでと称するのはいただけないが、物腰は丁寧だ。
ラングルト相手に大騒ぎをしていたとは思えない態度なので、フリージアに悪意を伝えに来たわけではなさそうだ。
「左様でしたか、わざわざありがとうございます。ベルツ伯爵家フリージアでございます」
淑女の礼をするフリージアを、カエンはつくづくと眺めている。
フォルセアは、す、とオルソーの隣に並んだ。
悪い予感がする。
「あのベルツの妹とは思えない可憐な方ですね。イグノック先生からも、あなたの優秀さをたくさん聞きましたよ」
「恐れ入ります」
「婚約者はおられますか?よければ私と共にソシンに参りませんか」
「は?」
その場の空気が凍る。
フォルセアは咄嗟にオルソーの腕を掴んだ。
ギリ、と出来る限りの力を込める。そうでなければオルソーはカエンに掴み掛かっていただろう。
「あなたのような優秀で可憐な方ならば、私の妻に相応しいと思いますよ」
カエンは自信あふれる笑みを浮かべ、フリージアをまるで勧誘するかのようにプロポーズをした。
驚愕の表情を浮かべたフリージアは、かっと顔を赤くする。恥じらったのではない、怒ったのだ。
しかし、何度か呼吸をして、そうして毅然とカエンを見上げた。
「身に余るお言葉ですが、私には結婚を約束した方がおりますの。ですので、お断りいたしますわ」
そうして優雅に一礼してみせる。
「ゾラくん、…良くない冗談です」
さすがにイグノックが苦言を呈する。恩師の声音に、カエンは肩をすくめた。
「申し訳ありません、両親からはやく結婚しろと急かされていたのでつい。中々私に見合う女性が居ないのですよ」
そうしてカエンはフリージアに「残念です」と一礼する。
「ベルツの妹君にお会いできて良かった。まだしばらくはアルストロメリアに滞在します、もし私が恋しいと思われたらいつでもお声がけください」
では。
と、未練も何もないようにさっさと来た道を戻って行く。
イグノックがフリージア達に心底申し訳ない顔をした。
「すまないね、あんな事を言う子ではないはずなんだが、中々難儀な性格なんだ。君たちにも、邪魔して申し訳なかったね」
フォルセアとオルソーへ謝罪する。
「いえ、お気になさらないでください」
何というか、フォルセアよりも先生の方が大変そうだ。カエンを追いかけるイグノックの後ろ姿を見送って、ようやくフォルセアはオルソーから手を離した。
オルソーはその瞬間、フリージアを連れて研究室の中へ入る。
バン、と扉が閉められる。
フォルセアは締め出されてしまった。
(…さて、)
壁に背を預け、フォルセアは腕を組む。
(ちょっと面倒な事になったな?)




