67、西方の客1
王都の西部、街道沿いにいくつかの町を越えると騎士達が訓練に使用する平原が広がる。
ここを更に西へ進むと西方のサントリナ辺境伯領、そして大河を越えると隣国ソシンへ続く。
「オルソー・トラジアですね。フォルセア様に贈った魔亀の玉石について確認があります」
名前は何度か、姿は一度、それなりに縁があるのだろう騎士課程の生徒をラングルトは見下ろした。
土埃と汗まみれのオルソーは、紹介だけして去って行った教官に恨みがましい視線を向けた後、それまでとは違う汗を流した。
(なんで、フリージアの兄貴がここに)
この騎士団の訓練には居なかったはずだ。
(しかも、フォルセアって言ったか。魔亀…祝いにやったアレだよな、何か駄目だったのか?違法とか?)
そこでオルソーは気付く。
フリージアが言っていたではないか。ベルツ魔道伯爵がフォルセアにめちゃくちゃ優しいと。フォルセアだけに、心を砕くのだと。
(他の男が婚約者にプレゼントなんてしたからか?)
ざあ、っと血の気が引く。
(俺はここで死ぬかもしれねぇ)
ラングルトはそんなオルソーの思考に気付かぬように、ぺらり、と数枚の紙を取り出した。
「魔亀の出現は約十年ぶりです、あれの素材は貴重で高く流通するので確認に来ました。数点質問に答えて下さい」
「あ、はい」
淡々と告げられる。
オルソーはやや間抜けな返事をしてしまった。
「魔亀の数と大きさは」
「二匹です、雄と雌、つがいかもしれません。大きさは…頭入れて五メートルぐらいあったかな…」
「血の処理は見ましたか」
「はい、下にでかい桶を置いて何回も入れ替えて血抜きしました。血も何かの材料になるとかで、いくつかのギルドの解体屋が集まってやってました」
「他の素材は」
「甲羅はギルドから一回領主の管轄になって、そこから商人ギルドとかに回されたと思います。骨とかは傭兵ギルドから直で商人ギルドに行って、武器職人とかが競り落としてました」
ついこの前の記憶だ。気の荒い海の人間が多いので、競り合いの時は金だけじゃなく拳も飛び交っていたなぁと思い出す。
「ふむ、分かりました。報告された書類と齟齬もありません、適正に取り扱われたようですね」
「俺なんかの証言で良いんですか」
「そこまで厳密でなくても公平な目撃者の証言ならばまあ、構いません。東に向かうよりここに来た方が早く済むので」
ラングルトが何度か転移すればこの平原の方が早くに来られる。
書類をファイルに収めれば、オルソーは安心したのか肩の力を抜いた。
「貴方がフォルセア様にあれを贈ったので、魔亀の出現に気付けました。まだ東方から報告が上がっていない時期でしたので」
「そうですか…」
フォルセアの名前に、オルソーは少し警戒する。
オルソーから見てもラングルトは無表情だ。なのに目がとても冷たいのだ。
(優しいって何だ)
フォルセアの感想にクレームを入れたくなる。
ラングルトがオルソーを一瞥した。
「貴方はフォルセア様にとっては大事な親友だそうですね。では、貴方にとってフォルセア様はどういった存在ですか」
ひやり。
なぜか周囲の気温が下がった気がする。オルソーの汗だくの身体が急に冷える。
(ヤベェ)
最初の心配は当たりだったようだ。どう考えてもこれは、嫉妬だ。牽制しに来てやがる。
なんでこの男がこんな状態なのに騎士達は反応しないのか。オルソーが周囲を伺うと、本当に誰一人としてこちらに気付かない。たとえば魔法による結界は外部からの視界すら遮断できる。
何かしらの魔法で隔離されている。なのに周りの騎士達は一つも違和感を感じていない。
その事に気付く。
ぞわり、オルソーの皮膚が粟立つ。
(誤解されたまま殺されるなんて勘弁だ)
「先に言っておくと、俺は結婚したい女…恋人がいてそのために騎士を目指してます。フォルセアは大事なダチで、俺に騎士の道を教えてくれた恩人で、」
挑むようにオルソーは声を張り上げた。フォルセアは大切な友達で、恩人で、そして。
春の初めの頃の、フリージアの言葉がふと浮かぶ。
(騎士の、任命式の…)
「…どっちかっていうと、あいつには忠誠を誓ってます」
ラングルトの眉が動いた。
「忠誠」
「騎士を目指してる身で言っちゃ駄目なことかもしれませんが、俺は騎士になるなら王家とかじゃなくフォルセアに忠誠を誓う。だから、俺にとってフォルセアは、そういう奴です」
(言ってやった)
達成感のような、けれど言ってしまったという後悔のようなものが、オルソーを少し震わせた。
こんな騎士まみれの場所での発言だ。
不敬だと、騎士を目指す者の言葉ではないと、叱責されるかもしれない。
しかし、二人の周りの騎士達は見向きもしない。やはり結界か何かが張られているのだ。
「…成程」
少しの時間をおいて、ラングルトは一言漏らす。
精霊教団が学園に侵入した折に、この青年は真っ先にフォルセアを助けに駆けつけた。
ラングルトはその光景を思い出す。
魔道伯爵の地位を持つラングルトを直視できる人間も少ない。挑むように見上げられ、さすがフォルセア様が認めた人物だ、と、そのような感想を抱く。
「失礼、不要な質問でした」
ラングルトは軽く頭を下げ、視線を周囲に巡らした。
それだけで、急に周りの喧騒がオルソーに届き、愕然とする。そうだ、こんなにたくさん騎士達や生徒が居るのだから静かなわけがなかった。
本当にいつの間に遮断されていたのか、しかも、杖を振った様子も無かった。
熱い日差しが再び降り注ぎ、冷えていた肌がまた熱くなる。それとは別に、脂汗が浮かんだ。
(こいつは本気でやべぇ奴だ)
今までは自分の母が一番やばい人間だと思っていたオルソーだが、更に上を見付けてしまった。
(フォルセア、お前大丈夫か)
こんな奴と結婚するのか、嬉しそうに笑ってたが、本気か。
「あなたは、」
抑えきれなくて、オルソーは口を開いた。周りの音の中、声はどうしても小さくなる。
「あなたはフォルセアをどう思ってる」
契約結婚なのだ。
この男にフォルセアを任せて大丈夫なのか。
オルソーの問いかけにラングルトがわずかに目を大きくした。意外だったのだろう。
しかし。
「愛していますよ、何があろうとも」
さも当然とばかりに断言される。抑揚のない言葉は恥じらいひとつない。
オルソーの方がわずかに怯んでしまった。
「分かりました、変なこと聞いて、すみません」
「いえ」
ばっと頭を下げたオルソーに一言告げて、ラングルトは踵を返す。
用は終わったのだろう。
しかし。
「ラングルト・ベルツ!久しぶりだな!」
その場に大声が響き渡った。
ラングルトは足を止め、オルソーや周りの人間達もぎょっとして声の主を見る。
仁王立ちの青年がいつの間にかそこに居た。
明らかにアルストロメリアの人間ではない出で立ちだ。話し方にも他国の訛りがわずかに混じっている。
すわ侵入者かと、騎士達が最小の動きで身構える。
武器を持たないオルソーも、軽く指先を曲げた。いざとなれば殴り飛ばすつもりである。
「誰っすか」
つい、立ち去り損ねているラングルトに質問すれば、
「知りません」
簡潔な答え。
(そんな事あるのか?)
名指しだったぞ。
オルソーが声の主を見れば、あちらもラングルトの言葉が聞こえたのだろう。
「ふざけたことを言うな!学園でのライバルだっただろう!」
怒鳴りながら近付いて来る。
「マジっすか」
「知らない人ですね」
「良い度胸だ!思い出させてやろう!このカエン・ゾラを!」
アルストロメリアの騎士の訓練の最中に、激昂した他国の魔道士らしき男が杖を振りかざす。
無茶苦茶だ。
戦争でも起こすつもりか。
騎士達が動く。
しかしカエン・ゾラと名乗った男は慌てもしない。ラングルトだけに杖を向け、何かを呟き始めた。
が。
「煩わしい」
ラングルトが自らの杖に触れる。それだけで、カエン・ゾラの杖が地面に落ちた。叩き落とされたように見えた。
途端に騎士達が彼を取り囲んだ。地面の杖を押さえられ、剣が男の首の近くに突き付けられる。
「この私に剣を向けるとは、お前達は無謀であるな。私の名はカエン・ゾラ。ソシン女王の命を受けた特使である!」
悠々と笑って声を張り上げた男に、騎士達がざわめき、ラングルトが長いため息を吐いた。
アルストロメリア王国の西方に位置するソシン王国。長大な大河が延びるその国は代々女王が統治しており、長らくアルストロメリアと友好を結ぶ国である。
ぜぇぜぇと走りながら、「お待ちください!」と叫び続けたソシン王国の外交官達は、先に勝手をしたカエン・ゾラの無礼に対し平謝りした。
真実ソシン王国からの特使である、と明かされてしまえば拘束し続けるわけにもいかない。
騎士達は形式上無礼を詫び、ソシン王国の外交官もとても申し訳なさそうにそれを受け入れた。
カエンはけろりとしながら杖を受け取り、再びラングルトに眉を吊り上げた。
「お前が私を覚えていればこんなことはしなかった」
「知りません」
「知ってるだろ!クラスも同じだったぞ!」
がなりたてるカエンは、学生時代アルストロメリアの中央学園に留学していたらしい。
「用は済みました。私は戻ります」
騎士団長に一言告げてラングルトは今度こそ立ち去ろうとする。
「おい、待て!」
追いかけようとするカエンを外交官達が止めていた。
オルソーはすっかり立ち去りそびれて、一部始終を少し離れた所から眺めていた。
デューク公子も中々癖が強かったが、この男の方がうるせぇな。などと無礼な感想を抱く。
ちらりとラングルトを見れば、「外務局に報告しておきます」と再び騎士団長に告げて、杖を一振り。
光の輪が閉じてその場から消えてしまった。
(え、マジで放って行ったぞ)
残されたカエンがまた騒いでいる。
何人かの騎士がため息を吐き、オルソーはようやく他の生徒達のところに戻ったのだった。
*
王都にソシン王国からの特使が到着したのはその三日後のことだった。
オルソーの野外訓練が終わった翌日で、夏季休暇が終わる日だ。学生達がぞくぞくと寮に戻って来ていてとても騒がしい。
別に話しても大丈夫だろうと、野外訓練であった事をフォルセアとフリージアにざっと話せば、フリージアは自分の兄の奇行をまず詫びた。
「お兄さまがごめんなさい…」
まさか、直接オルソーの所に行くとは。
フォルセアは少しだけ困った顔をしている。
「すまない。オルソーから婚約の祝いを貰った事が嬉しくて、ラングルト様に魔亀の玉を披露したんだ。その、嫉妬すると言われてな。けど私にとってオルソーは大事な友達だから不本意でな、つい、少しラングルト様に怒ってしまったんだ」
「お前アレに怒ったのか!」
よく無事だったな。
心底驚けば、フリージアも知らなかったようだ。
「そうだったんですの?」
ベルツ伯爵邸での出来事なのに、フリージアも気付かなかった。
「すぐに謝って下さったから、それで終わったと思っていた」
「そんな事が…」
「まあ、亀のついでの確認なのか、確認ついでの亀なのか分からねぇが、とりあえず分かってもらえたみたいで良かったけどよ」
その後の方が厄介そうだったぜ。
「ソシンの方ですものね。私、お兄さまから学生の時の話はほとんど聞いていませんの」
何せ子供の時からずっとあの様子だったのだ。友人がいたのかすら分からない。
「フォルセアは?」
「外交関係は私は全くだ。私は後継でもなんでもないただの娘だからな」
「お前は世の中のただの娘に謝った方がいい」
「なんでだ」
フォルセアの憮然とした言葉をすっかり無視して、オルソーはフリージアを向く。
「兄貴にだいぶ絡んでたからな。フリージア、お前も念の為に気を付けておけ」
「分かりましたわ」
頷くフリージアだが、数日もしない内に巻き込まれてしまう事になる。フォルセアと共に。




