66、オルソー・トラジアの話5
フォルセアが急に嫁入り先を探し始め、フリージアまでもが行政府勤めを目指した三年生の冬。オルソーの新しい授業が始まった。
騎士になるための授業だ。
本格開始は四年生からだが、それでは間に合わないと三年生の三学期から希望者のみが放課後に参加する訓練がある。
傭兵稼業で体力も戦う腕にも自信があったが、騎士課程ではあまり役に立たなかった。
騎士見習いや新米どころか、ただの志望者である生徒たちに課せられたのは、戦うことではなくひたすら道具を磨き、重い荷物を背負い、必要な時間内に仕事を終わらせる訓練だったのだ。
確かに他の生徒よりは体力面で秀でていたが、オルソーは思いの外細かい作業は苦手だった。手先に傷が増え、疲労と筋肉痛で腕や足が震える。
すでに脱落してしまった生徒も居て、四年生に進級したらもっと減るだろうな、と平然と告げる教官を見上げた。
無事に最終学年に進級し、オルソーは騎士課程へ進む。
授業内容ががらりと変わり、フォルセアと授業を受けることも減った。フリージアに至っては授業を免除されている。とんでもない恋人を持ったものだ。
しかもフリージアは研究の傍ら、魔道士の資格も取ると息巻いている。資格があれば何かと便利らしい。
当初のオルソーが目指していた資格だったが、資格試験の難解さに今は目指さなくて良かったとすら思う。過去問を見せてもらったがひとつも意味が分からない。魔力があればそれで済むわけではなかったのだ。
四年生になって変わったのは、剣を持つ訓練が許されたことだ。
模擬剣だったが、重さは本物と変わらない。オルソーが傭兵として振るっていた剣とは違い、どっしりとした両刃の剣だ。
騎士としての「お作法」が多く、ただ振るえば良いものではないので、オルソーはその部分に苦戦する。
つい癖で、無意識に武器を操ってしまうのだ。三人一組で行動することにも慣れない。
「何で戦う前に剣を晒すんだ」
つい、オルソーは寮の廊下でフォルセアに愚痴を向けてしまった。
騎士課程はどうだ、と質問をしたのはフォルセアだ。オルソーの不機嫌な言葉に瞬きをする。
「さっさと倒した方が手っ取り早いと思っちまう」
がしがしと後頭部を搔くオルソーに、「ふむ」と考える仕草をした。
「おいで」
フォルセアは身を翻してオルソーに手招きをする。二人が向かっていた談話室には行かず、人があまり寄りつかない寮の倉庫側に連れて行かれた。
内緒話でもするのか。
「教えられた通りに剣を構えてみろ」
新学期が始まってすぐの季節、夕方でも外はまだ明るい。灯りのない場所でもフォルセアの顔はよく見える。
「あん?」
オルソーは怪訝そうに、目に見えない想像の剣を構える。両手で柄を持ち、剥き出しの刃を天に向けて掲げた。
フォルセアは「そうだな」と頷く。まるで教官のようだ。そういえばこいつは護衛騎士の訓練に混じっていたのだと思い出す。
「その状態で、後ろを見ろ」
「あ?」
握る真似の手はそのままに、オルソーは首だけ捻る。背後には何もない、窓からの光が少しだけ届く、薄暗い廊下が続いているだけだ。
「今のお前の後ろにはフリージアがいる。お前のご両親も、友人もいる。それはつまり我が国の民がいるということだ」
急に凛としたフォルセアの声が廊下に響いた。
ぞわり。
オルソーの背筋が粟立つ。
「忘れるな、お前達騎士の使命は眼前の敵を討つことではない。お前の背にある民を最後まで守り切ることだ。それが我らがアルストロメリア王国に忠誠を誓う騎士の使命だ」
フォルセアはオルソーの眼前に手を伸ばした。まるでそこに騎士の剣があるように、宙に手を添える。
「その剣は誓いだ。その剣をかざした時、お前は決して倒れてはいけない、諦めてはいけない。死んではいけない。誠実に努め、正しい心を欺くことなく、お前という盾の後ろにある民を全てから守りきるんだ」
静かなのに苛烈な響きを持つフォルセアの声がオルソーに降り注ぐ。
王が騎士に命じるようだ、と、見たこともない任命式を思う。
「…出来そうか?」
オルソーの顔が強張ってしまっている。
フォルセアは語気を弱めて、気遣う。こんなに怖がらせてしまうとは思わなかった。
「…お前はどこにいるんだ」
「うん?」
「お前もフリージアと同じ俺の後ろにいるのか」
オルソーが剣を下ろす仕草をした。見下ろされて、フォルセアは頷く。
「居る」
はー。
オルソーは息を吐く。
「分かった。マジで分かった、はずだ」
ありがとな。
どっと疲れたような顔をして、オルソーはフォルセアの肩を叩いた。騎士って面倒臭え。そして、めちゃくちゃ重ぇ。
そりゃあ爵位相当になるはずだ。
オルソーはおかしな納得の仕方をしてしまう。
「まだまだ始まったばかりだろう。これから出会う騎士達をしっかり見ておけばいい、素晴らしい方もたくさんいる」
「素晴らしくない方も居るのか」
「まあ、そこは集団の仕方のないところだ」
個人の感想だからな。
フォルセアは少し控えめな表現をする。
「まあ、好き嫌いはどうしようもねぇか」
はぁー。オルソーは頭を掻きむしった。
*
「まるで任命式ですわね」
翌日。
フリージアの研究室でフォルセアとのやり取りを話せば、彼女は少し考えるようにしてそう表現した。
「俺も少し思った」
まあ、任命式など見たこともないが。
生徒用の小さい研究室はフリージアが持ち込んだ資料や道具でぐちゃぐちゃだ。
まだ四月の半ばなのにすごい量だ。
(何で宝石まであるんだ)
無造作に置かれた高そうな石にオルソーは少し冷や汗をかく。無くしたらどうする気だ。
フリージア用の椅子と、二つの小ぶりな椅子をなんとかねじ込んだ研究室で、オルソーは足を持て余すように腰掛ける。狭い。
「お兄さまの魔道伯爵位の叙勲式では、国王陛下が少し似たことをお話になりましたわ。忠誠を誓う言葉も含まれていましたが」
「そうか、お前は参列したのか」
「ええ。でも、騎士の任命式は知りません」
フリージアは首を振る。
「フォルセアは任命式や叙勲式にも関わっていますから、詳しいのでしょうね」
「何だそれ」
「魔道伯爵位などはさすがに国王陛下が与えますけど、騎士の任命や戦功の表彰などは王子や姫君が行うことも多いんです。でも、今は王子殿下たちも幼くて式典に出られないから、代わりに…」
「フォルセアとイクシオがやってんのか」
働きすぎだろう。オルソーは唸る。
フリージアは苦笑した。
「特に騎士の方は姫君相手の方が士気が高くなるらしくて、だいたいフォルセアの仕事です。文化勲章などは逆にイクシオ様が多いそうですわ」
特に騎士の方、の辺りからオルソーの顔が呆れに歪む。女の方がやり甲斐があるって、騎士道ってやつはどうなってんだ。
真っ当に女の尻を追いかける傭兵の男どもの方がむしろ健全に思える。
フォルセアが説明の時に少し変な顔をした意味が分かった気がする。
「マクシミリアン殿下がまもなく十四歳になられますし、そろそろフォルセア達もお役御免になるとは思います、でも、」
フリージアか少し表情を曇らせる。
オルソーが眉を寄せた。
「どうした」
「オルソーが騎士になった時はフォルセアに任命して欲しかったですわ…!」
くうっ!
と、フリージアは心底悔しそうな声を上げる。オルソーはがくり、と頭を下げた。なんだそれは。
「そん時はフォルセアにやらそうぜ。別にその辺で適当に隠れてやれば良いじゃねえか」
「ごっこ遊びみたいですわね」
想像したのだろう。
フリージアが少し声を弾ませた。
「良い考えですわ、私も絶対に立ち会いますからね」
「そりゃあ当然だろ」
オルソーは笑う。
「お前のために騎士になるんだからよ」
頬を軽くつねってやれば、フリージアは真っ赤になった。
*
怒涛の一学期が終わる。
フリージアの母親がやらかしたおかげでフォルセアとフリージアが大変なことになったし、魔道庫を狙った侵入者の件でこれまたフォルセアが大変な目に遭った。
フリージアとフォルセアのインターンが始まり、スタンピードが報告され、何だかよく分からないうちに学期末の定期試験があり。
オルソーはひたすら騎士課程の授業をこなす日々だった。
気がつけばもう夏季休暇だ。
オルソーは両親のいる町に帰るし、フリージアはフォルセアと兄貴の婚約式に出発する。
祝いの品をどうするか、と悩みはしたが運良く魔亀が出現してくれて助かった。約十年ぶりに港に現れたらしい。
たとえフォルセアが喜ぼうとも、ド級の金持ち相手に一般的な贈り物などオルソーは思い付けない。魔物の爪をピカピカに磨いたやつか、鱗か羽がきれいな魔物を狩るか、そんな事を考えていたのだ。
フォルセアは手にした魔亀の甲羅の玉をそれはもう喜んでくれたし、フリージアには傭兵仕事の報酬で髪飾りを一緒に選んで贈った。秋の大夜会用だ。
オルソーは翌日から始まる騎士課程の訓練に向けて、気持ちを切り変える。
卒業後に騎士団に入るかどうかはこの秋に判断することになる。
入団試験は冬の初めだ。もう時間は残り少ない、この夏季休暇の野営訓練も、オルソー達生徒を振り落とすための物だと言われている。
「よし」
一泊した宿屋に金を払って荷物を預かってもらう。
一度学園に戻り、訓練場の倉庫から道具を運び王都の西門に集合だ。
まだ街も静かな早朝、オルソーは歩き出した。
五日間の野外訓練は、東方学園の生徒も合同だ。
王都の騎士団の訓練の間借りという立場だが、容赦なく仕事を割り振られた。
テントの設営や荷物運び、道具の整備、今まで習ってきた事を出来て当然とばかりにやらされる。
西方の平原には魔物の出現も多いらしく、訓練といいつつ騎士団は当たり前のように討伐隊を組んでいる。
オルソー達生徒は戦うことは禁じられたが、離れた場所からの見学は許された。卒業したらあの場に立つ事になるのだ。
騎士団には魔道士も所属している。
この国のほとんどの者が多かれ少なかれ魔法が使えるのだが、魔道士部隊の面々はその実力が桁違いだ。
(あれを見たら騎士団が剣しか振らないのも分かるな)
オルソーはそんな事を考える。比べる事すらアホらしい実力差だ。むしろ騎士はいざという時の治療や補助魔法用に魔力を温存しているようだった。
三日目になり、生徒達の気力と体力が尽きかけているが訓練は変わらない。
真夏の日差しにダラダラと汗を流しながら、オルソー達は行軍を続ける。
西へ西へ。
考えたくはないのだが、明日までずっと西へ移動しながら訓練をしていくのだ。騎士課程の生徒達は五日間で実習が終わる、つまり、五日目に四日分の距離を一気に引き帰すことになる。さすがのオルソーも明後日が怖い。
街道の近くに作られた井戸に立ち寄り、一時休憩となる。生徒たちも荷物を下ろし、地面にへたり込んでしまった。
貴族出身の生徒が多いが、風呂もない汗まみれ土まみれの行軍をもうすっかり諦めて受け入れてしまっている。もはや涙すら出ない。
「オルソー・トラジア!」
教官役の騎士が遠くから呼ぶ。
「はい!」
オルソーが声を張り上げて立ち上がった。他の生徒達が憐れみの目を向けてくる。雑用を指示されると思っているのだ。
呼ばれたらすぐ返事、駆けて向かう。そう教えられている。
「何かあ、りました、か…」
教官の元に駆けつけて、その場に居たもう一人の人物にオルソーはどんどん声が小さくなっていってしまった。
教官が隣の背の高い人物をオルソーに紹介する。やめてくれ。
「この方はベルツ魔道伯爵だ。お前にご用があるそうだ、失礼のないように」
では。
と、教官はラングルトに一礼して去って行ってしまう。
では、じゃねぇよ置いて行くな!!
オルソーは心の中で絶叫する。
「オルソー・トラジアですね。フォルセア様に贈った魔亀の玉石について確認があります」
冷たい目でオルソーを見下ろすラングルト・ベルツ魔道伯爵に、
(俺はここで死ぬかもしれねぇ)
オルソーは冷や汗を流した。
オルソー・トラジアの話 終わり。




