65、オルソー・トラジアの話4
生まれて初めて女に惚れたとはいえ、オルソーは別に何かをするつもりはなかった。
恋人が欲しいと思ったこともなかったし、学園を卒業したらエラズの町に帰るのだ。できれば魔道士の資格を持った傭兵として。お貴族サマであるフリージアを連れて行きたいとも思わない。
二年生に進級してオルソーはフォルセアと同じクラスになったが、相変わらずフリージアは特進クラスなので離れたままだ。
それでも、週に一、二度放課後に会うだけだった三人が、昼休みだったり週末だったりに時間を合わせて会うようになり、すっかり打ち解けたフリージアが、フォルセアとオルソーを呼び捨てにしてくれるようになったことは嬉しかった。
粗野な傭兵たちに揉まれて育った自分が、とんでもない貴族のオヒメサマとつるむ事を楽しむとは思わなかった。
帰省した時に話題に出したら傭兵仲間は誰も信じてくれなかったし、領主は逆に腰を抜かして医務室へ運ばれた。主にフォルセアの名前のせいだ。
二年目の夏の休暇中に、東の辺境伯領でスタンピードほどではないが対処の面倒な魔物が大量に出現し、傭兵にも招集がかかった時、オルソーは遠目で王都の魔道士達もいうものを初めて目にした。
夏だというのに長ったるいローブを着て、訳のわからない巨大な魔法を使っていた。
(俺があれを目指すのか?)
授業で魔法は習うが、二年生では簡単な生活魔法や補助的な魔法がほとんどだ。
未だに武器以外で攻撃をする自分を、オルソーは想像できない。
一等偉そうな立場の奴が集まる場所に、まだ若いやけに背の高い男がいた。あれがフリージアの兄だと気付いてオルソーはなぜか後ろめたい気持ちになる。
魔道士を目指すということは、あの兄貴の部下になるという事なのだろうか。オルソーには騎士団の仕組みがよく分からない。
オルソーの気持ちが変わったのは、その年の秋頃だった。
何の話が発端だったのか。
学生会主催の秋の大夜会のエスコートをどうするか、とかそんな話だった気がする。
卒業後は父親の決めた結婚相手に嫁いで、多分式典や社交以外では外に出ることは叶わなくなると、フォルセアが明かしたのだ。
魔力が少ないから今後は屋敷の中で守られるのだという。この学園に通うのも、最後のわがままを聞いてもらった末の事だと、何でもない事のように笑いやがったのだ。
(何だよそれは)
貴族の責任などオルソーには分からない。形にならないおかしな苛立ちを覚える。
フリージアはといえば、閉じ込められることに関してはショックを受けたようだが、結婚することは当然だと、そんな口ぶりだった。
「私もお兄さまかお母さまの選んだ方と結婚するかと思います」
結婚は貴族の義務らしい。
「私、たくさんお茶会を開きますわ!フォルセアを誘って、私の所には自由に来られるように、結婚相手の方を説得しますから!」
「フリージア、ありがとう」
(何だよそれは)
名案だとばかりに笑い合う二人を、オルソーは呆然と眺める。訳の分からない生き物を目にした気分だ。
好きなように好きなことが出来ない?罪を犯すわけじゃない、家の外で友達に会うだけで、何でこんなに言い訳が必要になるのか。
(俺だったら許可なんて)
もし、自分がフリージアの結婚相手なら気にせずに好きに行動しろと言ってやれる。
(俺が守ってやれる)
魔力が少なくて危ないのならば、自分がフォルセアを守ってやれば済むのに。
(俺が、)
オルソーが、重要な決断をしたのはこの時である。
*
「俺が貴族の娘を嫁に貰うためにはどうしたらいい」
人払いをした寮の小談話室で差し向かい問うたオルソーに、フォルセアは面食らう。
「何があった」
「教えろ、俺は貴族と結婚できるのか」
オルソーの声は硬く、目は真剣そのものだ。フォルセアもいつもの笑顔を消した。
「無理だ。よほど爵位が低い者ならば貴族籍を抜けば可能性はあるが、お前の言う貴族というのはそれなりに地位があるのだろう。平民よりも立場の不安定なお前では結婚は無理だ」
フォルセアの返事は無情だ。誤魔化さないことが彼女なりの誠意だと分かる。
「じゃあ、俺はどうすればいい」
貴族のことはオルソーには分からない。しかし、フォルセアはこの国有数の貴族なのだ。
「誰を嫁に欲しいんだ。爵位でもいい、教えてくれ」
「フリージア・ベルツ」
フォルセアの問いに何ひとつ恥じずに、オルソーはその名を告げる。
真剣だったフォルセアの目がどんどん大きくなり、口もぱかりと開かれて、顔が真っ赤になった。耳がめちゃくちゃ赤い。
何だその変化は。
「シリス!シリス!聞いたか!知ってたか」
裏返りそうな声で扉のそばの侍女を見ると、
「存じ上げませんでした!なんてことでしょう!」
シリスの興奮具合の方がすごい。オルソーは少しビビってしまう。あんたそんな性格だったのか。
二人は手を取り合う。
うわーっと声を上げるフォルセアと、きゃあきゃあと甲高い声のシリスだ。うるさい。
「こうしてはいられない、オルソー私に任せろ。遠縁に後継がいない子爵家のご夫婦が居るから、お前を養子にねじ込もう」
「待て待て待て待て」
オルソーは慌てて制する。
「お前は最短ルートを突進する癖を何とかしろ」
これだから高位貴族は。
「俺が!自分の力で出来る方法で!あいつを嫁にしたいんだよ」
騒ぐフォルセアに一言一言強調して告げる。
シリスはまだ目をキラキラさせているが、突き付けられるオルソーの言葉にフォルセアは「…そうか」と、ゆっくりと声を落ち着かせていく。
小さく深呼吸をして、フォルセアは考え込むように少し沈黙するが、まもなくオルソーを見据え、口を開いた。
こういう姿のフォルセアは、どこか威圧感すら放つ。
「オルソー、ならばお前は魔道士を諦めて騎士を目指せ。平民ならば従騎士が到達点だがお前は違う、この学園には騎士課程がある。騎士課程を間違いなく終了させて貴族の推薦があれば、お前は騎士見習いになり、戦功が認められれば騎士になる。騎士爵は一代貴族だが、地位を高めれば伯爵家の娘を妻にすることもできるだろう」
「騎士、俺がか」
「推薦状は私が用意する、後はお前の覚悟次第だ。それが無理ならば私の親戚の養子になれ」
「無理じゃねえ」
オルソーは断言する。
「騎士になってやる」
宣言だ。
フォルセアは口の両端を大きく上げて、にっと笑った。
その翌日に、オルソーはフリージアに気持ちを告げていた。
フォルセアのせっかちが移ったのかもしれない。
心構えだけでまだ何の準備もしていないが。
「俺が騎士になって、爵位を得たら結婚してくれないか」
園庭の一角、フリージアだけをベンチに座らせてオルソーは告げた。女性に対し片膝を付くような発想はない、大きな体躯で見下ろしながら、それでも出来るだけ丁寧に、告げる。
フリージアはオルソーを見上げたまま、固まってしまった。
やはり急だったか。
「お前に惚れてるんだ」
補足するように言う。
「…わたくし?」
「お前」
呆然としているフリージアの顔が遠い。仕方なく、オルソーはしゃがみ込んでベンチに片肘を付いた。こちらの方が近い。
「恋人っつーか、それだけじゃなくてこの先もずっとフリージアと居たい。フォルセアに相談したら騎士を目指せと言われたんだよ、それならお前を嫁にできるってな」
「私、こんな女ですのに?」
フリージアの劣等感はオルソーも気付いている。人見知りで完璧主義でついキツイ話し方をしてしまう、それを恥じている。
「お前のソレは慣れれば可愛いから大丈夫だ」
直接的な言葉にフリージアがとうとう顔を赤くした。
「…悪趣味ですわ」
「フォルセアなら俺に同意してくれるだろうな」
「…否定できませんわ」
フリージアが少し遠い目をする。フォルセアがフリージアとオルソーに特別「懐いて」いる事を二人は身をもって知っている。
「で、お前の返事は」
失礼な話だが、オルソーは勝率が高いと分かっている。住んでいた町では散々女性達に言い寄られてきたのだ、自分に好意を抱いている女の目を、気配を、オルソーは知っている。
だが、そうは言っても緊張する。
じとり。
ベンチに付いた方の腕が震えて、手に汗が浮かんだ。
「…嬉しい」
顔を真っ赤にして、小さくフリージアが告げる。
「絶対に無理だから、諦めるつもりでしたのよ」
「…よしっ!」
オルソーは大声で叫んで、思い切りパァン!と手を打った。
フリージアがびくりとする。
そうして、歓声が上がった。
そう、ここは学園の園庭、他の生徒だって普通に過ごす場所なのだ。急に始まった二人のやり取りは、固唾を飲む生徒達に見守られていた。
「な、な、な、」
フリージアは周囲の盛り上がりに、先程とは違った意味で顔を真っ赤にしてわなないた。
「オルソー!」
「いいじゃねえか、別に」
にやり、とオルソーは笑う。見せつけてやればいい、これでフリージアを狙う野郎も減るだろう。
「全く!ちっとも!良くありませんわ!」
フリージアはばっと立ち上がると、オルソーの腕を引っ張りその場から走り去ってしまった。
ピューィ!と、口笛や拍手が二人の背中へ贈られて、後で顛末を知ったフォルセアが「私もその場に居たかった…!」と悔しがったので、オルソーとフォルセアはきっちり三日間、怒ったフリージアから無視された。
*
「オルソー・トラジア、一緒に組まないかい?」
三年生に進級して、オルソーは別のお貴族サマに声を掛けられることが増えた。
イクシオ・アゲラタムだ。
名前だけならばフォルセアからよく聞いていた。フォルセアとの婚約を破棄した、いわばフォルセアを無駄に苦労させている元凶のように思うのだが、当人はけろりとして恨む様子もなく、幼馴染だと仲良くしているらしい。
ならばオルソーがイクシオに悪感情を抱く理由もない。高位貴族がなぜ自分に声を掛けるのかと構えはしたが、理由を聞いて納得してしまう。
「私に気を遣って皆が手加減するのでね」
納得である。
運動実技の授業では護身術も習う。
授業とはいえ侯爵家の跡取りを投げ飛ばせる生徒は居ないのだ。これは男子生徒専用の授業なので他のクラスのイクシオもオルソーと合同で受けている。
オルソーは「遠慮はいらないよ」と告げるイクシオにニヤリと笑って、本気で投げ飛ばしてやった。意外と受け身が上手い。
「ははは!」
キラキラした絵本の王子サマみたいな見た目の癖に意外と豪快に笑っている。
「すごいな、これからも君と組もうかな」
「別に構わないけどよ」
そんなことがあって、オルソーはイクシオとも関わるようになっていく。
何度か授業で組み、休み時間なども話すようになり、ある時イクシオから改まって、
「良かったら私と友人になってくれないかい?」
と、優雅に手を差し出された時は、
「いちいち言うな!」
と、さすがに照れて、侯爵家相手に手を叩き落としてしまった。お前さすがフォルセアの幼馴染だな。




