64、オルソー・トラジアの話3
「少し前に友人になった、フリージア・ベルツ嬢だ。彼女に勉強を教えてもらおう」
「お前には加減てモノが無ぇのか」
夏季休暇明けの二学期。
にこにこと一人の女子生徒を紹介したフォルセアに、オルソーは腹の底から吐き捨てた。
フリージア・ベルツは中等部から持ち上がりの生徒で、一学期の試験で学年一位となった人物だ。
オルソーは張り出された順位表を見ていた時に、近くにいたクラスメイトから教えてもらった。
彼女は中等部の時からずっと筆記試験では総合一位なのだと。
フォルセアは最短で最適解を選ぼうとする。
自分の鍛錬の為におそらく学園の生徒で一番腕が立つだろうオルソーを見出したし、運動場の使用に関しても発言権の強い教師を真っ先に尋ねた。
学校行事に関しても、どこから探し出すのか、それぞれ「向いている」だの「得意らしい」だのと各生徒を推薦して役職に就けたりしている。
そして今回も。
勉強をするならば一番賢い奴に聞けばいいとでも思ったのか、フリージア・ベルツに声をかけたというわけだ。
「極端なんだよお前は。もう少し人選に手を抜いても俺らは勉強できるんだよ」
オルソーは苦言を呈するが、フォルセアはけろりとしている。
「でも、フリージア嬢の説明はとても分かりやすいんだ」
「しかもすでに教わってんのかよ」
はあー。
これ見よがしにオルソーはため息を吐く。
「前々から思ってたがフォルセア、お前はせっかちだ。周りが驚くからもう少し加減しろ」
「ごめん」
しかし彼はまだ、数年後にフォルセアがこの国で一番ヤバい魔道士を独断で結婚相手に定めてしまうことを知らない。
フォルセアが紹介したフリージア・ベルツは沈黙したままだ。睨むようにオルソーを見上げている。
フォルセアと並ぶとだいぶ小柄な女子生徒だった。さほど女に興味のないオルソーが見ても可愛いと思う風貌をしているが、大きなつり目で固い表情をしているので取っ付きにくいきつい性格のように見える。
「フリージア嬢、彼がオルソーだ。すごく頼りになる男だよ」
「…お名前は存じ上げていますわ」
フォルセアよりもよほどオヒメサマみたいな話し方だ。オルソーは傭兵出身として悪目立ちもしているので、まあ、特進クラスの彼女に知られていてもおかしくはない。
「運動実技で一位を取っていらっしゃいましたもの」
うん?オルソーは意外に思う。そういう知られ方だったのか。
「私では絶対に一位が取れない科目です」
ちなみに女生徒で一位はフォルセアだ。身体を動かすことだけならばフォルセアに勝てる男子生徒も少ない。
「二人が仲良くしてくれると私は嬉しい」
またそれだ。私は嬉しい。フォルセアの常套句だ。
フォルセアはオルソーとフリージアの表情に構うことなくにこにことしている。また額を弾いてやろうか。オルソーは考える。
「フォルセア様が信頼している方ですもの、…分かりましたわ」
渋々と、と言った様子だが、フリージアはオルソーに向かってスカートの裾を引いた。前にフォルセアに教わった、淑女の礼とかいうやつだ。
「フリージア・ベルツと申します。よろしくお願いします」
「オルソー・トラジアだ。オルソーでいい」
基本的に男女は苗字で呼び合うが、フォルセアに名前呼びをさせているオルソーだ。フリージアもその方が良い気がしたのだ。
オルソーの学園での生活が変わっていく。
早朝のトレーニングがあるため毎日会うのはフォルセアだ。
しかしフォルセアは友人知人が多く、日中はそれなりに忙しそうだ。オルソーもまた気安く話せる友人が増えて来たので、クラスの違うフォルセアと常に一緒にいるわけではない。
フリージアはどうかといえば、週に一、二度放課後に三人で落ち合って勉強をする以外は一人でいるようだ。
オルソーは休み時間などに、小柄なフリージアの背中を見ることがある。教室を移動する時も彼女は一人のようだった。
入学した時の自分のようだな、とオルソーは思う。オルソーと違いフリージアは中等部から学園に居るのだ、一人が好きな奴なのだろうか。
だが、それにしてはつまらなさそうな、暗い表情だ。
フォルセアに対する時は嬉しそうに笑っているのに。
「おい、あいつを知ってるか?」
中等部から持ち上がりの友人に、フリージアの背中を指差してみると、
「ベルツだろ?兄貴が魔道伯爵になったんだ」
すげぇよな。
と教えてくれた。
「は?魔道伯爵?」
何だそれ、と言うオルソーに友人は信じられない者を見る目を向ける。
曰く、とんでもない魔道士中の魔道士が国に認められて爵位を得るんだそうだ。現在は国に三人しか居ないらしい。
「兄貴がソレだからか、ベルツも凄い賢いよな。性格があんなだから、あまり話したことは無いけど」
「ふぅん」
友人はオルソーがフリージアと会っていることを知らないらしい。
フリージアはそのまま廊下の向こうへ歩いて行ってしまう。オルソーは友人に呼ばれ、教室に入った。
「オルソーさん、この参考書にありましたわ」
「助かる」
放課後。
課題のレポートに手間取るオルソーを、フリージアとフォルセアの二人がかりで手伝う。
図書館の自習室を借りて机に向かう。時々、扉のそばには寮からフォルセアを迎えに来たシリスが立つ。この形で定着してしまった。
「フリージアはもう済ませたのか?」
「ええ、昨夜の内に」
「すごいな」
いつの間にか、フォルセアがフリージアを敬称なしで呼ぶようになっていた。
フリージアがフォルセアへ向ける表情も柔らかい。信頼しているようだ。
「オルソー、ここ、字を間違えてるぞ」
「後でな」
「だめだ、今直せ。後回しにすると忘れるぞ」
「お前はお前の分をやってろよ」
ぐう、とオルソーは呻く。
育ちのせいか、オルソーは字が汚いし文法も苦手だ。対してフォルセアはもの凄く字がきれいだ。幼い頃からそうあるように指導されて来たらしい。
「オルソーさん、フォルセア様に失礼ですわ」
フリージアは常にフォルセアの味方だ。きつい言葉、オルソーは頻繁に咎めるような視線を向けられている。
「オルソー、字の正確さは相手からの信頼にも繋がる。どれだけお前のレポートがいまいちでも、丁寧に書かれていると言うだけで評価が少しは上がるんだ」
「ベルツ、こいつは俺に失礼でもいいのか」
オルソーはフォルセアの額に人差し指を向けて訴える。
と、フリージアが面食らって、そうしてくすくすと笑ったのだ。
「確かに、フォルセア様も失礼ですわ。オルソーさんは頑張っていらっしゃいます」
フリージアがオルソーを評価したのは初めてだったし、笑いかけられたことも初めてだった。
オルソーは心底驚く。
まっすぐにオルソーが見下ろすものだから、フリージアがハッとして、バツが悪そうに下を向いた。また表情が固くなる。
「差し出がましいことを…すみません」
「いや、そうじゃない」
悪い。
オルソーはくしゃり、と頭を掻いた。
「あんたに庇われたから驚いただけだ。助かる」
「…、そう、ですか」
オルソーの声音に悪いものがないと分かったのだろう。フリージアがゆっくりと顔を上げる。
「あの、良かったですわ。わたくし、昔からずっと人付き合いが苦手で、なにか失礼をしてしまったかと」
いつもの彼女のきつい顔が、今は頼りないものになっていた。
(なんだ、お前もか)
オルソーはすとんと腑に落ちる。
(こいつも、気を張ってただけか)
入学当初の自分を思い出す。フォルセアに無理矢理引っ張り出されたあの時を。
たぶん、フリージアも同じような目にあったのだ。だからフォルセアを特別に大事にしているんだろう。
フォルセアに視線を送れば、にこりとオルソーを見ていた。お前が何とかしろと言われている気になる。くそ、腹が立つ。
「今のところフォルセアが一番失礼だから、あんたは何も気にしなくていい」
「私のせいにするのはどうかと思う」
「うるせぇ、ずかずかとアレコレ巻き込みやがって。それで上手くいくのがまた腹が立つんだよ」
「レポートの話じゃないのか」
何の話だ。
笑顔を消して憮然としたフォルセアと、腹が立つと言いつつも怒ってはいないオルソー。フリージアは二人を交互に見て、また笑った。
安心したように笑い声を上げたのだ。
オルソーは目を奪われる。
(やべぇ)
がくん、と膝の力が抜けるような感覚だ。
座っていて良かったと思う。
ペンを持つ手が震えたので、咄嗟に拳を作って机の下に隠した。
「オルソー?」
(気付くんじゃねぇぞ)
フォルセアが不思議そうに見上げて来たので、オルソーは冷や汗をかくような気持ちだ。
「…気にすんな、ほら、続けるぞ」
「言い合いをか?レポートをか?」
「レポートだよ」
からかうようなフォルセアの言葉にぴしゃりと返事をすれば、少し落ち着く。
ごまかすように息を吐いて、オルソーはこわごわと右手を出した。よし、大丈夫だ。机の上に放ったペンを持つ、よしいける。
こほん。
オルソーの意識がレポートに戻ったのを確認して、フリージアが小さく咳払いをする。
「さあ、オルソーさん。先程の誤字から直してしまいましょう」
小さな手、細い指がレポートの上を滑る。視線が釣られる。爪が小せぇ。
がんっ
オルソーは左手で自分の額を殴った。
「オルソー!?」
フォルセアが驚いて、フリージアを庇うように手を伸ばした。扉のそばのシリスも杖を構えている。
「悪い」
真っ赤になった額をそのままに、オルソーは三人に頭を下げた。
「気にすんな」
「気にしますわ…!大丈夫ですの?」
フォルセアに庇われながら、フリージアが声を荒げる。
「喝を入れただけだ、びっくりさせたのは悪い」
「喝を入れる動作が私の知っているものではないな」
フォルセアも呆然とした声を出す。いつも泰然とした彼女にしては珍しい姿だ。その様子が愉快で、オルソーは何でか、やってやったような気になる。
「すまねぇ。本当に何でもない」
「…そうか」
オルソーの態度に深追いは不要と感じ取ってくれたようだ。フォルセアはこういう所は本当に察しが良い。
「シリス、大丈夫だ」
「はい」
侍女が杖を下ろす。すん、とまた静かに扉のそばに佇んだ。
「フリージア、平気か?」
「ええ、フォルセア様がそう言うなら」
フォルセアがフリージアを庇う手を下ろす。ぽんぽん、と肩を叩いて安心させている。
「オルソーの額を治せるか?」
「ええ、お待ちくださいね」
フリージアには治癒魔法の適性もあるのか。オルソーが驚く。だが、フリージアがフォルセアから離れオルソーに近付いたので内心ではパニックだ。
杖をかざしたフリージアが、オルソーの顔を覗き込んだのだ。近い近い。
「失礼します」
「良かったなオルソー」
額の痛みが引いていく。
オルソーの怪我が治る様子にフォルセアは満足気だ。
(フォルセアお前覚えてろよ)
オルソー、十五歳の年の出来事である。




