63、オルソー・トラジアの話2
「失礼、オルソー・トラジアという生徒は居るか?」
他所のクラスの生徒だと第一声で分かる。
凛とした声で教室の中を見回す女子生徒の姿に、クラスの生徒達がざわめいた。
「ルドベキアだ」
「なんで、ルドベキア様がトラジアを?」
ひそひそと交わされる声。
驚きのせいか誰も女子生徒に返事をしない。
(ルドベキア)
オルソーは脳裏の知識を探る。入学前の領主の館で、これだけは絶対に忘れるなと念を押された家名の一つだ。
王家を支える五大侯爵家、国の中枢に位置する大貴族だ。
(なんでそんな奴が俺を)
何の接点もない、大貴族のオヒメサマがなぜ自分の名を呼ぶのか。
オルソーが訝しむが、数名の生徒がそのオヒメサマとオルソーの顔を交互に見つめたので、オヒメサマがオルソーに気付いてしまった。
ためらいもなく他所の教室の中に入ってきた女子生徒は、まっすぐにオルソーのもとまで歩いて来る。
恐ろしく姿勢が良く、また歩幅がでかい。背も、他の女生徒よりも大きい。
「失礼、あなたがオルソー・トラジアさん?」
「俺はお前を知らねえが」
喧嘩腰のオルソーの返事に、周囲の生徒が息をのむ。
オルソーは大貴族とやらの敬い方など習わなかったし、急に現れた女に胡散臭いものを感じたのだ。
「おい、トラジア…!」
さすがに無視はできなかったのか、近くにいた男子生徒が「謝れ、やばいぞ」と小さな声で助言してくれる。
初めて授業以外で声を掛けられた。と、場違いなことを考える。
座ったままで、ルドベキアとやらのオヒメサマを見上げれば、そいつは気分を害した風でもなかった。
「そうか、すまない」
と、あっけらかんと謝ってきたのだ。
また周囲がどよめく。
この頃のオルソーは知らなかったが、貴族というのはあまり身分の低い者に謝ってはいけないものらしい。よく分からない暗黙の了解だ。
「失礼した、私はフォルセア・ルドベキアという。あなたと同じ高等部から入学した者だ。あなたに頼みがあって来たんだ、これからお時間をいただいても?」
にっこり。
完璧な笑顔というやつだ。
これはオルソーにも分かる。貴族のお願いは命令と同じだ。
(反吐が出る)
「何で俺に」
不審を隠しもしないオルソーに、フォルセアと名乗ったオヒメサマは動じない。
「あなたが適任だと思った。とりあえず話を聞いてもらえると嬉しい」
「チッ」
オルソーは手荒く教科書を鞄に突っ込み立ち上がる。ここでは他の生徒の目がうるさすぎる。
「来い」
顎だけで指示すると、フォルセアは「ありがとう」と、平然としている。
教室を出る時に「騒がせてすまない」と、教室内に言い置いて扉を閉めていた。何だこいつ、オヒメサマってこんななのか?
オルソーが考える貴族の娘とは全然違う。
トラジア領主の妻や娘たちとも、学園の他の女子生徒とも立ち居振る舞いが全然違うのだ。
どちらかといえば、オウジサマみたいだ。
無言で教室から出て歩き続けるオルソーに、フォルセアは一切声を掛けずに着いてくる。男の歩幅でそれなりに早歩きなのに平然としているのだ。
「…で、なんだよ」
図書館の手前、二階の渡り廊下の辺りでオルソーはようやく立ち止まる。
聞く姿勢を見せたオルソーに、フォルセアはほっとしたようだった。
少しだけ周囲を確認した後に、よく響いた声を意図的に落として言う。
「実は私は身体を鍛えているのだが、家を離れ寮生活になったらすっかり鈍ってしまって。走る場所もままならない学園で、どうしたらトレーニングを続けることができるか、あなたなら相談に乗ってもらえるのではないかと思ったんだ」
「はあ?」
何だそれは。
オルソーの声に苛立ちが混じる。
「お貴族サマのトレーニングに、何で俺が」
「この学園であなたが一番腕が立ちそうだと聞いたんだ。後、私が鍛えている事は出来るだけ知られたくないので、口が固そうな人選もした」
冗談じゃない。
腕が立ちそう?身分の低い傭兵だからか?
口が固そう?友達がいないだけだ。
「お前らの好奇心で選ばれるってのは迷惑だ」
きっぱりと言ったのに、それでもフォルセアは怯まなかった。
「好奇心ではない、私には必要な事なんだ。どうしても無理ならば諦めるが、手助けしてくれるととてもありがたい」
どうだろうか。
どう考えても無理だろうに、フォルセアは手まで差し出してくる。叩き落としてやろうか、と一瞬考えて、オルソーはふと閃く。
「鍛えてるんだったら、俺を捕まえてみろよ」
「うん?」
女相手に暴力を振るう気はない。
貴族の命令の断り方も分からない。
単純に諦めさせるならば、実力の違いを見せればいい。
「お前が俺を捕まえたら、手助けしてやる」
「…なるほど、腕試しという感じかな」
「話が早ぇな」
ごちゃごちゃ言わない相手の姿勢は気に入った、と思う。
オルソーは笑って、
「じゃあな」
と、渡り廊下から飛び降りてしまった。ここは二階だ。一階に降りるには図書館内の階段か、教室棟に戻って階段を使うしかない。
最初からオルソーはオヒメサマを撒いてしまうつもりだった。
すたんっ、と着地してオルソーは二階の渡り廊下を見上げる。
オヒメサマは怒るか、困るか、それとも階段へ向かって走り出すか。
見物するつもりだったのだが。
「分かった!」
と。
オヒメサマは鞄を持ったまま渡り廊下の手すりに手をかけて、
ひょい、と。
飛び降りてしまったのだ。
「お前っ!馬鹿野郎!」
オルソーは怒鳴る。
長いスカートが思い切り広がったが、それどころではない。
オルソーの目の前で危なげなく着地したオヒメサマは、けろりとしながらオルソーの肩を叩いた。
「これで捕まえた、で、良かったのかな?」
「お前、お前っ、…バカじゃねえの⁉︎」
さすがのオルソーも二の句が継げない。
「頼みがある」
動転しているオルソーに、オヒメサマは真剣な顔で言った。
「私がスカートで飛び降りた事は誰にも言わないでくれ、絶対に」
鬼気迫る声音だ。
オルソーは何だか脱力してしまって、情けない事だが地面に座り込んでしまった。
後で気付いたのだが、この時までオルソーはずっと緊張していたのだ。
この二ヶ月、家族仲間と離れ田舎から出て、一人で学園で過ごして来た、その無意識の緊張や孤独でオルソーはずっと力んでしまっていたのだ。
それが、この時急に、ぷつりと切れてしまったようだ。
「何だよお前は」
「フォルセア・ルドベキアだ。よろしく頼む」
オルソーに合わせてしゃがみ込んだオヒメサマは、もう一度手を差し出した。
きれいな女の手なのに、所作が王子のようだ。
「オルソーだ、名前で呼んでくれ」
固い握手で応えて、オルソーは笑った。
学園に来てから初めて、笑い声を上げた。
*
オルソーの学園での生活は一変した。
翌日、翌々日と、日を追うごとにオルソーに話しかける生徒が増えていったのだ。
まずは、フォルセアとその後どうなったのかを尋ねられる。そして昼食の時間に「今日は一緒に食べないか?」と、教室まで誘いに来たフォルセアの様子に皆が仰天した。
「急に獰猛そうな野生動物と同じクラスになって怯えてたんだけど、猛獣使いが現れてお前を慣らしてくれたから、ようやく怖くなくなった」
とは、後日仲良くなった男子生徒に言われた言葉だ。
「誰が野生動物だ」
オルソーは悪態を吐いたが、確かにかなり人を寄せ付けないような振る舞いをしていたな、と思い返す。
一人で平気だといきがっていたのだ。今となっては少し気まずい。
身分の底辺に居るオルソーの身元をフォルセアが保証したような形になったおかげか、教師たちの態度も軟化した。
もちろん、教師全てではないが人間同士のことだ。好き嫌いはもう仕方がない。
オルソーが見た目でルドベキア家のご令嬢に取り入った、と悪評を立てられたこともあった。オルソーは学園内においてもかなり目を惹く容姿をしていたためだ。
しかし、オルソーとフォルセアの出会いはクラスメイトのほぼ全員が目撃している。むしろフォルセアの方が嫌がるオルソーを口説き落としたと、謎の修正が入ったため悪い噂もすぐに消えた。
そして、オルソーはフォルセアもまた口差がない陰口に晒されている事に気付く。
魔力が少ない、
婚約破棄されている、
女性らしくない話し方、
果ては背が高いことまで。
侯爵家の貴族相手に大っぴらに悪口は言わないが、のうのうと学園生活を謳歌している(ように見える)フォルセアを妬む声はそれなりにあった。
特に貴族社会は魔力量も重要視されるらしい。
オルソーから見ても、フォルセアは魔力が少なかった。魔法の授業でも、教師の指示通りに魔法を使うと序盤ですぐに魔力が尽き、指定の結果が残せないのだそうだ。
オルソーの魔力測定の結果に顔色を変えた領主達を思い出す。
「言い返さないのか」
魔力が少ないことに皮肉を言う教師を睨み、オルソーはフォルセアに問うたことがあった。
「こればかりは、私が至らないせいだからな」
肩をすくめるフォルセアにむかむかする。
貴族の生き方や常識はオルソーには分からないが、フォルセアが他よりも劣っているわけでは無いと分かるのだ。
なのに何故か、あれほど堂々としているのに、フォルセアはとても、貶され慣れてしまっていた。
オルソーがフォルセアと親しくなりすぐに紹介された侍女の存在に、「まじか」とオルソーは驚いた。
侍女がいる貴族とか、本当に居たんだな。
メイドならばトラジア領主のところにも居たし、町の女達も見目が良かったり賢かったりすれば偉いさんのメイドになれると話したりもしていたが、侍女。
「お前ってエライんだな」
「私じゃない、家がすごいんだ」
オルソーのフォルセアへの話し方にシリスと紹介された年上の女性は最初こそ眉を顰めていたが、慣れたのか認められたのか、数日で穏やかな表情を向けられるようになった。
フォルセアがオルソーを訪ねた最初の約束通り、フォルセアのトレーニングにオルソーが付き合うようになったせいもあるのかもしれない。
オルソーの提案で、フォルセアが信頼できると太鼓判を押した教師達に許可をとり、二人は共に早朝に学園の運動場で走ることにしたのだ。
護衛が必要な身分のフォルセアだが、学内に生徒ではないシリスを伴う事はそうそうできない。
オルソーが代わりにフォルセアの護衛をする、という形で警護の人員が少ない時間外にトレーニングが出来るようになったのだ。
「貴族のオヒメサマの体力じゃねえ」
早朝、延々と走るフォルセアにオルソーは舌を巻く。現役の傭兵であるオルソーにも引けを取らない体力だ。
「褒め言葉だな、嬉しい」
汗を拭うフォルセアは破顔する。
何でも侯爵家の護衛騎士に混じって訓練させてもらっているらしい。戦うわけではなく、有事の際に逃げきるための体力作りだとあっけらかんと言われる。
物騒すぎる。
どんな貴族だ。
他の生徒と親しくなるにつれて、オルソーはフォルセアの異質さに気付いていく。
「お前は何かに狙われてんのか」
少し声を落として尋ねると、フォルセアはわずかに視線を揺らした。が、それもすぐのこと。いつもの笑顔になってしまう。
「念のため、だ。ほら、私は魔力が心許ないだろう?」
「お前…」
何週間も付き合えばフォルセアの性格も分かる。誤魔化された苛立ちに、オルソーは眉を寄せる。
が、フォルセアの頑固さも分かっている。
汗で前髪が張り付いているフォルセアの額を、指先で弾いた。
「痛い!」
フォルセアが悲鳴を上げる。
「何かあったらすぐに俺の所に走って来い、守ってやるから」
額を押さえるフォルセアをオルソーは見下ろす。真剣に案じてくれる声音に、フォルセアは目を大きくして、そうして、ほんの少し泣きそうな顔をした。
「ありがとう、だが、くれぐれも自分を優先してくれ」
フォルセアが何を思ってオルソーを気遣ったのか、オルソーはついぞ分からなかった。
夏の休暇の前に定期試験がある。
学園に来てから初めての大きな試験だ。
試験の結果をフォルセアと突き合わせて、オルソーは「やべぇな」と呟く。
それなりに勉強したつもりだったのだが、受験勉強として父に教わっていた頃よりは、確かに勉強量が足りなかった。
赤点ギリギリの数字に汗が伝う。
フォルセアはいつ勉強していたのか、腹が立つほど良い数字だ。しかし、彼女は魔法の実技試験は最低点なのだ。どうしても平均点は下がってしまう。
「対策を、考えよう」
フォルセアは渋い顔をしている。
少し待っていてくれ。
告げるフォルセアに、オルソーは「頼む」と頭を下げた。
これが後にオルソーの人生を変える二人目の女子生徒に出会う、きっかけになるのである。




