60、魔亀の玉石
「ほらよ、おめでとう」
ことり、とテーブルの上に置かれた小さな箱を丁寧に手に取って、フォルセアは笑みを浮かべた。
「ありがとう。オルソー」
婚約式から十日ほど経過した。
オルソーは帰省を早く切り上げて王都に戻ってきている。明日から騎士課程では、夏期休暇中の特別訓練が行われるのだ。五日間の野外訓練らしい。
青い屋根のひだまり亭の二階の部屋で、いつもの三人とシリスが集まる。
フォルセアは学外でオルソーと会うことがないので、中々新鮮だ。
今は防音魔法を掛けていないので、隣の部屋や一階の賑やかな声が聞こえてくる。これならフォルセア達の声もかき消されるだろう。
フォルセアたちは王都に戻ってすぐのオルソーと、この店で待ち合わせていた。
帰省していたにしては少ない荷物でやって来たオルソーは、少しだけくたびれた様子で「よう」と軽く笑みを浮かべて手を挙げた。
隣のフリージアがほっとした笑みを浮かべ、フォルセアもオルソーを真似するようにぴんと伸ばした手のひらを上に挙げた。
「お帰り」
真昼の市街は賑やかだ。
多くの人が行き交う。王都に住む夏期休暇の学生達も多く出歩いている。
その中でも、例えば宝飾店や書店、雑貨店などには多くの女性客が詰めかけていた。
魔道伯爵と侯爵令嬢の婚約が各新聞の一面を飾り、久しく行われなかった高位貴族の慶事に市民が湧いているのだ。
ある意味では歴史に埋もれた「婚約式」の発案者の目論見通りであろう。婚約式関連の雑貨や宝石がすでに入手困難になっているらしい。
特に式でのラングルトとフォルセアの姿を描いた絵姿が、ーー二人の顔は少しぼかした描き方になっていたとはいえーー紙面を大きく飾ったので若い女性などは釘付けになっている。
まだ幼い少女達はお姫様のようなフォルセアのドレス姿に憧れを抱いた。
そして。
ベルツ魔道伯爵の優秀さや優れた容姿は常々噂されてきたが、一般市民は彼の姿を遠目で見る以外はきちんと知らない。
それが明らかになったものだから中々の騒ぎである。
アニエスが手を回したのだろう、ラスタード商会の系列店ではラングルトとフォルセアの婚約式と披露目の際の衣装の絵姿が大量に陳列され、飛ぶように売れているらしい。
紫のすみれが記された商品の売上の内、アニエスの取り分の全てが寄付に回されるため、フォルセアは一切の苦情が封じられている。
…男装の絵姿が売れるよりはよほどましではあると、フォルセアは密かに思っている。
どれだけ絵姿が売れたとしても、まさかその侯爵令嬢が街のレストランに居るとは思われない。
フォルセアはいつしかの鼈甲の眼鏡こそ掛けているものの、目立つことなくオルソーと待ち合わせることができた。
フォルセアはオルソーがくれた小箱を開く。
薄い包み紙を開けると、ころり、と指の先ほどの小さな丸い石が出て来た。つるりとした手触りで、深い緑にわずかな銀の色が滲むように広がっている。紐を通せそうな小さな穴も開いていた。
フォルセアは瞬いた。初めて見る。
「これは?」
「海の魔亀の甲羅だ。めったに現れないから中々流通しないんだが、この前ちょうど港の近くに二匹現れてな。うちのギルドにも要請が入ったから狩ってきたんだ」
「狩って来た」
にやりと笑うオルソーに、フォルセアとフリージアは顔を見合わせる。傭兵と、漠然と聞いていたがあまり何をしているのかまでは聞いたことがなかったのだ。
魔物の討伐。確かに、そういう仕事もあるのだろうが、…実感がなかった。
「よく無事だった」
遠征に向かったラングルトの事を思い出す。フォルセアが安堵に苦笑すれば、オルソーは肩をすくめる。
「確かに危ないが、こいつ自体はそんなに危険じゃない。めちゃくちゃデカくて重いのと、甲羅が硬すぎて武器や魔法が通らないから人手がいるんだ」
「どうやって倒すんだ?」
「陸地に引っ張ってひっくり返すんだよ、すげえ重い、でかい男が二十人がかりだ。で、後はむき出しの首を切れば終わりだ。甲羅を腹側から剥ぎ取って、専用の職人が加工する」
身振り手振りを加えながら、オルソーは自分の首の前で手を横に滑らせる。
「なるほど」
フォルセアもフリージアも感心しきりだ。二人はこういった話題で悲鳴を上げる令嬢ではない。
「で、甲羅は魔除けのご利益があるとかなんとかで、お守りにもなるらしい」
何しろめちゃくちゃ硬いからな。
オルソーは笑う。魔物の甲羅を魔除けとした大昔の商売人の発想が愉快だ。
「お守りとして流通しますの?」
フリージアがフォルセアの手の上を覗き込む。
「いや、宝石とか飾りの皿とか工芸品とか、そんな感じじゃねえかな。フォルセアにやったそれは欠片とかを加工して作るんだ。それでも結構貴重だぞ、モノ自体が滅多に出現しないからな」
オルソーの説明にフリージアが頷く。
「きれいだ。本当にありがとう」
フォルセアは陽の光にかざすように石を摘み上げ、顔を綻ばせる。
これはオルソーが約束してくれた、フォルセアの婚約祝いだ。
「紐を通して杖に付けようかな」
「良いと思いますわ」
フリージアが賛同する。
学園に入学する際に拵えた杖は、人によっては宝石が付いていたりリボンが付いていたりと様々に飾られている。フォルセアの杖に飾りは何もないので、ちょうど良い気がした。
「気休めだが、まあお守りにしとけ」
オルソーも満足気だ。
「お返しにオルソーの何かの祝いには私も贈り物をしよう。楽しみにしていてくれ」
「高すぎるのは止めろよ」
「ふふ」
意味あり気に口の両端を上げたフォルセアの笑顔に、オルソーは嫌そうな顔をする。そんな二人のやり取りにフリージアは可笑しそうに笑った。
「フォルセア、また週末に」
「じゃあな」
「ああ。オルソー、明日から頑張ってくれ」
「おう」
店の前でフリージアとオルソーと別れる。
二人はこれからデートだ。
オルソーは今夜は市内の宿で一泊して、明日からは騎士課程の訓練だ。
なんでも、王都の西の平原で行われる騎士団の訓練のすみを借りての野外訓練らしい。今日を逃すと次に会えるのは新学期になる。
フォルセアはシリスと共に帰路に着く。
途中、手芸屋で魔亀の甲羅の玉を結ぶための紐を探したり、馴染みとなった本屋に寄ってシリスと二人であれこれと本を開く。
シリスはフォルセアよりも本を、特に恋愛小説を好んで多く読むのだ。
フォルセアは入り口にたくさん積まれた婚約式を特集した雑誌などを出来るだけ見ないように歩いた。
それなりに気まずい。
しかしシリスはフォルセアの様子に気付いているのに「買います」と言い切って、何故か二冊も購入していた。とても気まずい。
フォルセアは視線を店の外にそらした。
(ラングルト様はどう思っていらっしゃるのだろう)
それまで表舞台にはあまり出ず、人を寄せない性格と圧倒的な魔力と地位ばかりが伝わっていたが、フォルセアと婚約した事で新年からどんどん別の注目を浴びるようになってしまっている。
(ご迷惑になっていなければ良いが)
休暇が終わり、行政府の仕事に戻っているラングルトを思う。
長期間の遠征から帰り、すぐに婚約式があった。
ラングルトは口にしないが、きっととても忙しいのだろうと思う。
なのに今週末の休日も会う約束をしてくださった。フォルセアの学校が始まると、会う頻度が減ってしまうからだ。
婚約式が終わったのでフォルセアは週末に学外を出る理由がもうないのだ。
実は中央学園は大事な用事などがないと、外出はできない。フォルセアはあれこれと結構無理を通して実家に帰っていたので、さすがに学園から注意されそうだ。
なので、夏期休暇最後の週末のうちにラングルトに会えるのはフォルセアも嬉しい。
(できるだけ、お疲れにならないように気をつけよう)
何となく、己に言い聞かせるように考えた。
そうして、少し思考が移る。ベルツ家に嫁ぐ前にやらなければいけないことが、いくつかあるのだ。
「そういえばシリス」
「はい」
フォルセアは隣を歩く侍女に声を掛ける。
他の目がない二人だけの時ならば、シリスは気安くおしゃべりにも付き合ってくれる。
「私が嫁ぐ時に、シリスにも一緒に来て欲しいんだが」
「もちろんそのつもりです。何としてもお供します」
力強く断言するシリスにフォルセアは笑う。その気持ちがとても嬉しい。
「母上とも話したんだが、婚家に独身の侍女を連れて行くのは良くないらしい。私よりも先にシリスに結婚して欲しいんだが、我が家の護衛騎士の誰かか、ベルツ家のロイドさんかを選んでもらえるかな?シリスの意思を最優先にして下さるそうだ」
世間話にしては唐突だ。
フォルセアはこういうところがある。
シリスは少し、歩みが止まってしまった。
「は…?」
*
ベルツ伯爵邸。
妹と家令一家を前に、ラングルトがロイドに告げた。
「結婚して欲しい」
「私と主人がですか」
「何を言ってるんだ」
心底おかしなものを見る目で見下ろされて、ロイドはつい、声を荒げた。
「これ、私は悪くないですよね⁉︎」
「お兄さま…」
ラングルトの隣に座るフリージアが説明の足りない兄に呆れた顔をした。
「ルドベキア家の侍女のシリスさんとですわ」
フリージアの補足にもロイドは理解が追いつかない。
ラングルトの隣に立つ父のホーエンが驚く様子はない。反対にロイドの隣に座る母のアンは驚いた顔をしているので、どうやら知らないのはロイドとアンの二人だけらしい。
非常に珍しく、主人兄妹の座る席の向かいに腰掛けさせられたと思ったらこの提案だ。ラングルトと付き合いの長いロイドだが、何が起こっているのか分からない。
ふー。ラングルトがため息を吐く。
「フォルセア様が我が家に入られる際に、侍女のシリス殿も伴われるが、シリス殿が未婚であると外聞が悪くなるので先にお前と結婚してパティスト家に入ることになった」
パティストはロイドたちの家名だ。末端とはいえ男爵家でもある。
「まあ!」
アンは喜色を浮かべた。
貴族の結婚は義務である、とはいえ身分的にも中々相手が決まらなかった息子に縁談が来たという事だ。しかも信頼のおけるルドベキア家の侍女である、これ以上の相手はいない。
「決定事項ですか」
「ルドベキア侯爵家から正式に提案されています。実質決定事項です」
格上からの提案や頼み事は実質命令だ。ルドベキア家にそのつもりはなくても、パティスト男爵家からは断れない。
淡々と事務連絡のように伝えるラングルトに少しばかり恨みがましい視線を向けて、その後ロイドは父を見上げる。
「良かったな」
ベルツ家の家令としてなのか、パティスト家の主人としてか、ホーエンも満足そうだ。
確かに、何も知らない相手と結婚するよりはよほど条件が良い。それなりに知った女性だ。しかも主人の妻になる方の侍女なのだ。
とても、「都合が良い」。
「…謹んでお受けします」
ロイドは頷くしかない。自分にとっても結婚相手が見つかったのは、非常にありがたい事なのだ。
というか、今日は。
「これからフォルセアが我が家に来てくださいますから、ロイドはシリスとお話しをしていて下さいね」
ごゆっくりどうぞ。
にこにことフリージアが告げる。
「…かしこまりました」
気まずいなぁ。
主人達に隠しもせずに、ロイドはぼやいたのだった。




