59、婚約式
真夏だ。
学園は夏期の長期休暇に入っており、行政府も休暇期間に入る。
王都から北東へ馬車で二日ほどの距離に、王家所有の領地がある。標高が王都よりも高く、避暑地となっているその場所に、フォルセアとラングルトの婚約式の会場となる離宮がある。
高い山と大きな湖を一望できるその場所は、夏の鮮やかな新緑に彩られていた。
婚約式、というしきたりは正教会には存在しない。
貴族の契約として普及した婚約誓約書を、教会または業務を兼務している聖務局に提出すれば済む話なのであるが、王族や高位貴族はあえて式を取り仕切る。
なぜかといえば、身も蓋もない表現をすると、金を使い経済を回すためである。
会場の準備、装飾品、食材、衣装、宿泊施設、人件費、そういったものに多く金を使うことで末端まで対価が浸透して行くのだ。
そして、新たな話題作りにもなる。高位貴族の婚約式は意図的に大々的に報じられ、話題になればなるほど国民の間で流行が生まれるのだ。
例えば、結婚式を行う人数が増えるし、使用されたドレスと似た色や形の衣装が流行る。今回は結婚式ではなく婚約式なので、純白のドレスではないが、デザイナーや服飾店はすでに白地に刺繍の入った、淡い色のレースをたっぷり重ねた色違いのドレスを多く用意しているし、秋や冬のパーティー用に婚約式でフォルセアが着用する三枚のドレスと似た形のデザイン画もたくさん用意してある。
供された酒や料理、買い求められた土産物など、一時的ではあるにしろ流行が生まれると人の移動も行われる。
この王領の町への観光客も増えることだろう。
「オルソーを呼べないことだけが残念だ」
婚約式を控えて、先に離宮に滞在しているフォルセアが悔やむようにぼやく。
フリージアは肩をすくめる。
「仕方ありませんわ、招待されるのは本当に縁の強い貴族ばかりでしょう?」
結婚式とは違い、形式だけの婚約式だ。
招待される客は少数になる。それでも、ルドベキア家の縁者なので五大侯爵家も辺境伯家も揃ってしまっている。フォルセアの祖父母、先代のルドベキア侯爵夫妻も出席する。フォルセアの祖母は先代の王の妹だ。
王妃殿下も第一王子と第一王女を連れて出席すると決めてしまったので、フリージアからしてみれば参列するのも恐ろしい場所になっている。
ルドベキア家の人達から絶対に離れないようにしようと、アンと固く約束している。
「結婚式には来てもらいましょう?」
来年か、再来年ぐらいの話だろう。その頃にはオルソーも、末端に列席するぐらいの資格は得ているはずだ。いや、得てもらわないと困る。
「そうだな」
フォルセアは何度も頷く。色々な意味で、オルソーには頑張ってもらわなくてはいけない。
長期休暇中なので、現在彼はトラジア地方に帰ってしまっている。傭兵として稼ぐ日々を過ごすのだという。
「稼ぎでお前に祝いを買ってやるよ」
と、勇ましい事を告げて王都を離れた親友を思い出す。
「フリージアは寂しいな」
フォルセアはラングルトが居なかった一ヶ月を思い出す。
オルソーは夏期休暇の間、しばらく王都に居ない。
「まあ」
親友の言葉にフリージアは笑った。
フォルセアがそのような事を言うなんて。これは所謂、恋バナではないのだろうか。あのフォルセアが。
「寂しいですが、案外あっという間ですわ。私、待つのはさほど苦にならないみたいで」
人によって様々なんでしょうね。
「そういうものか」
勉強になる。
と、生真面目に答えるフォルセアにフリージアはまた笑う。そして、少し声音を落とした。
護衛もメイドも外に控えていてこの部屋には二人だけだが、大きな声で言う気にもなれない。
「私のためにオルソーは将来、ご家族の住む土地を離れる決断をして下さいました。あれほど楽しそうにしている傭兵のお仕事も捨てるのです。その事を思えば、今、オルソーと離れて寂しいなど、言えません」
「…そうか」
ずっと一人で思い続けてきたのだろうか。フリージアの後ろめたさ、罪悪感のような気持ちがフォルセアに伝わる。
フォルセアはフリージアの隣に座り直す。
背中に手を添えると、フリージアもフォルセアの肩に頭を乗せた。
「気付かなくてごめん」
「いいえ、言わなかったのは私ですもの」
「できることは少ないが、なんでも言ってくれ。親友なんだ」
フォルセアに、フリージアは少し笑った。
「親友兼お義姉さまですものね」
頼りにしていますわ。
「…うん、そうだな」
フォルセアは反対の手で顔を押さえる。不意打ちに弱いと最近気付いた。じわりと耳に熱が溜まる。
フォルセアは先月の夜の事を誰にも明かしていなかった。
ラングルトと別れ部屋に戻った後、フリージアと遅くまで話して過ごしたが、どうしても口にできなかったのだ。
何かのきっかけで簡単に思い出してしまう。いたたまれないような、面映いような感覚が溢れる。
普段は割り切って行動できるのに、今は随分と気を緩めてしまっていた。
フリージアはフォルセアの葛藤は知らないはずだ。
ただ、フォルセアのうろたえる様子にいたずらっぽい笑みを浮かべて、わざと体重をかけてもたれ掛かったのだった。
*
レイナードは姉の婚約式に向けて集まってきた貴族の、子供達の付き添いをしている。
幼い子供達は領地で留守番をしているらしいが、十歳以上の子供達は全員離宮に集まったのだ。
フォルセアとイクシオを除くと、この中ではレイナードが一番年長だ。
一つ年下のイクシオの弟ライナスの後に、二つ下のマクシミリアン殿下や侯爵家辺境伯家の子供達が続いていく。
両親達もそれを見越して子供を産んだのだろうな、と言うぐらい、この世代の子供が多い。
賑やかな輪の中心はマクシミリアンでも、第一王女クラリスでもなく妹のリディアだ。人見知りを一切しないリディアは、双子のエリシアを巻き込んでやれ庭の散策だ、湖で船遊びだと子供達を誘い出している。
婚約式の主催の家の子供であるから、彼女なりにもてなすために気を張っているのだろう。
各家の護衛が大変そうではあるが、子供達が楽しそうなのでレイナードも見ていて面白い。
この中で暫定的に婚約者が決まっているのは辺境伯ナスタチウム家のメラニア嬢だけだ。彼女はマクシミリアンと同じ年齢で、中央学園に入学することが決まっている。
アゲラタム侯爵家に嫁ぎ、レイナードとライナスと共に王太子になるであろうマクシミリアンを支える役目を持っているのだ。
彼女はなぜかフォルセアに憧れているらしく、婚約式をとても楽しみにしているそうだ。
「メラニア嬢」
今日は花畑を迷路に見立てて探検中だ。
子供達の目線では遠くを見渡せず、中々出口に辿り着けない。
一緒に遊ぶと言うよりは、少し離れた場所から着いてくるメラニアに、レイナードは声を掛ける。
見守っている様子だったのだ。
「暑くないですか」
「お気遣いありがとうございます」
まだあどけないが、双子の妹達よりはよほど落ち着いた声で返事をする。彼女はイクシオに嫁ぐ約束をしているので、年齢は違うが、ライナスの義姉になる予定だ。
「一度みんなを集めて休憩するか」
ライナスが辺りを見回す。彼はレイナードよりも背が高い。
「そうだね」
レイナードが護衛達に合図をすると、近くの四阿へ導かれた。
「殿下達を呼んでくる」
「お願いします」
ライナスがぱっと走り出し、メラニアがそれを見送った。その様子を見て、レイナードは密かに胸を撫で下ろす。ほとんど会ったことのない少女だったが、何とか上手に付き合っていけるのではないかと思えたのだ。
フォルセアの役目は終わりかけている。次の役目は、彼ら三人に託される。
*
「お綺麗です」
青空へ太陽が昇り切る前の午前十時。
フォルセアとラングルトの婚約式が始まる。
「ラングルト様も、本当に、とても素敵です」
落ち着いた青のドレスはルドベキア邸ですでに目にしていたが、美しいと思う感想は変わらないらしい。
膝が汚れるから跪くなと、ラングルトはロイドから懇願されているので、フォルセアの指に口付けるだけで何とか妥協する。
それでもいつもより長い時間そうしていたので、フォルセアが気まずそうに身じろぎした。
「ラングルト様」
「足りません」
「ふふ」
フォルセアはラングルトの本心からの言葉に小さく笑う。二人の様子に、控えていた使用人達の方が赤面した。
あの夜以降、ラングルトはフォルセアへ捧げる感情や言葉をあまり隠さなくなった。「隠せてなかったですよ」と、周りに言われるだろうが、ラングルト本人は配慮をしていたつもりだったのだ。
フォルセアの負担になりたくなかったのだ。
だがあの夜、フォルセアの言葉を聞き、本心を知り、少しタガが外れた。遠慮をしなくても良いのかもしれないと。
対してフォルセアは、あの夜ですっかり己の感情やラングルトの心を痛感し、しばらくは挙動不審になる日々が続いた。
追い討ちをかけるようにラングルトがフォルセアに甘く接するので、嬉しさよりも恥ずかしさが勝つのだ。ラングルトがそれを喜ぶものだから更にうろたえてしまう。
……のも短い期間だった。
決断も覚悟も羞恥だって一緒くたにして、腹が座るのが早いのがフォルセアだ。
ある意味で大雑把なのである。
これはそういうものである。
慣れはしないが受け入れてしまおう。
いつまでもうろたえていては他の者たちに示しが付かないではないか。
更に言うならば、想いを伝えてくださるラングルト様に失礼である。
と、すっかり割り切って対応を覚えてしまった。
ラングルトはいささか残念であったが、凛としたフォルセアもまた美しいのだ。敬意や崇拝の気持ちは揺らがない。
それにそんなフォルセアが、許容範囲を超えたのかうろたえる時がある。
その瞬間を目にするとラングルトは何とも言えない気持ちになるのだ。
振り出しに戻ったようで、実はきちんと進展している二人は、今日、式に向かう。
「おめでとうございます」
頭を垂れる使用人達が二人を見送る。
ラングルトのエスコートのもと、フォルセアは離宮の教会へ進む。
レンガが敷き詰められ整えられた道の両側には礼をした使用人達が並んでいる。
大きな扉が開かれる。
整列した招待客が主役の二人を迎えた。
フォルセアはラングルトを見上げる。ラングルトも、目元を緩めてかすかに頷いた。
まだ婚約、この場は教会ではあるが神に誓うわけではない。
教会の奥で待つのはソフィア王妃だ。
畏れ多くも王妃殿下が見届け人となる。
前日に練習した速度で、ゆっくりと道を進む。
進む二人に合わせて、招待客も扉から教会の正面へと視線を動かして行く。
最前列の席にはルドベキア家の面々と一緒にフリージアも立っている。すでに泣きそうな表情だ。
招待客に、そして王妃に深く礼をして、フォルセアとラングルトは用意されていた書面に、それぞれの名前を記入した。
聖務局に提出した届けとは違う、美しく装丁された台紙に固定された紙だ。これも結局、飾りでしかない、けれども。
この場にいるすべての人間に誓うのだ。
ラングルトは台紙ごと中央の王妃に手渡す。従者を介さず、王妃は自らそれを受け取った。
「ラングルト・ベルツ魔道伯爵、フォルセア・ルドベキア侯爵令嬢の婚約をソフィア・アルストロメリアが見届けます。二人の更なる幸せを願います、おめでとう」
たおやかな声が教会に響く。
「ありがとうございます」
ラングルトとフォルセア、二人揃って王妃に頭を垂れると、招待客の拍手に包まれた。
この式では誓いのキスも指輪の交換もない。
ラングルトとフォルセアは、この飾りのような式で、それでも見つめ合って笑みを浮かべた。
ようやく、二人の立場が明確に保証された気がした。
読んでくださりありがとうございます。
お盆期間中が忙しいため、次の更新はお盆明けにさせていただきます。




