58、告白2
侯爵家の階段のそばで跪いてしまったラングルトはフォルセアの指に口付ける。
恭しく接するその姿に、ロイドはひたすら声を上げないように口に力を入れ続けた。
(何だこれ。知らない人ですね!)
この場にはフォルセアとラングルトだけではないのだ。ロイドもシリスも、侯爵家の使用人達もいるのに、ラングルトは気にも留めない。
つい、ロイドはフォルセアの後ろに控えるシリスに助けを求めるような視線を送ってしまった。
先日フリージアが招いた茶会で、彼女とは色々と話をしたのだ。フォルセアがベルツ家に嫁ぐ時にシリスも連れて来るはずで、そうなるとロイドとシリスは同僚になる。
ロイドの視線に気付いたのだろう、シリスは小さく首を振る。全く動じていない、慣れた表情だ。
(いつものことって事かな…)
ロイドは引き気味に自分の主人の背中を見つめる。
(はい、知らない人ですね)
フォルセアも周囲の反応にはあまり頓着しない様子で、
「参りましょうか」
と、ラングルトの手を引く。
ラングルトの曲げられた腕に手を添えて、「こちらです」と案内してくれるようだ。
メイド達が廊下を通る二人に一礼して行く。その背をシリスと共に追いながら、ロイドは感慨深く頷いた。
(恋ってすごいな)
夕食の場に一緒に入ってきた二人の姿にエリシアとリディアは大興奮だ。フリージアも先に着いていたので、そばに控えるアンと共に拍手でもしそうな勢いだ。
「やっぱり、よく似合っているわ」
アニエスは満足気だ。
少し前に帰宅していたライゼルも目を細めて頷いている。娘の嬉しそうな姿を見て、少しばかり苦笑した。
「アニエス夫人、この度は素晴らしい衣装を用意していただきありがとうございました。改めまして、ラングルト・ベルツ、ノースポールより無事に帰参できましたことを閣下にご報告いたします」
「うん、良くぞ務められた。貴殿の活躍は私にも報告が上がっているよ。無事で何よりだ」
フォルセアからそっと離れ、ラングルトはルドベキア侯爵夫妻に頭を垂れた。
ライゼルもアニエスも笑顔で頷く。
「さあ、座りなさい」
ライゼルが促し、フォルセアとラングルトはそれぞれの席につく。ラングルトはライゼルのそばでレイナードの隣、フォルセアは向かい側だ。隣にフリージアと双子が並ぶ。
「さあ、ラングルト殿の帰還を祝おう」
ライゼルの言葉に杯が上げられた。
新たな家族となった客人を交えた夕食会は、珍しくレイナードが多く話す賑やかなものとなった。
春から通い出した学園の生活も二ヶ月が過ぎ、まもなく定期試験も始まる。
フリージアやフォルセアが一年生の時の試験の概要を思い出したり、双子たちが早く通いたいと羨ましがったりと明るい声が途切れない。
レイナードの侍従を務めるトレノも同じく学生なので、食堂の壁側に並びながら一生懸命話を聞いている。この屋敷では食事の際に使用人の発言を特に禁止していない。
レイナードとトレノがそれぞれの得意不得意の科目を打ち明けたりする。フォルセアたちの最終学年はほとんどレポートの提出なのでそれはそれで大変だ。
フリージアに至っては個人の研修室を当てがわれるほどなので試験もレポートもない。ただ、卒業までに何かしらの研究成果を上げないといけないが、急遽決まった学園の警備魔法の構築でもかなり加点されるらしい。
原因の一端に関わってしまったフォルセアは少し気まずいが、事情を知らないエリシアとリディアはすごいすごいと手を叩いて喜んでいる。
フォルセアが双子の様子に苦笑して、ふと視線を上げると、向かいに座るラングルトと目が合う。
ずっと見られていたのだろうか、それとも、たまたまなのだろうか。笑顔を向けるとラングルトも目を細める。
ラングルトがよく食べることはルドベキア家でも知られている。彼に配膳される食事は不恰好ではない程度に量が多く用意されていて、けれどラングルトはそれを誰よりも早く食べてしまう。それがとても楽しい。
「お兄さまはフォルセアを隙あらば見つめていますわ」
こそり、隣に座るフリージアが囁く。
「そうか」
…そうだったか。
呟いて、フォルセアは黙り込んでしまう。
フリージアが不思議そうに顔を覗き込むと、どうにも頼りない表情をしていたので、面食らってしまう。
「フォルセア?」
「大丈夫、ちょっと驚いただけだ」
フォルセアは小さく咳払いをして、耳を押さえた。最近では癖のようになってきてしまっている。耳が熱い。
それすらもラングルトに見られているのかもしれない、フォルセアは何となく、顔が上げにくくなってしまったのだった。
*
夕食が終わると、今までならばラングルトとフリージアは侯爵邸を辞していた。しかし今夜は違う。
明日も朝からするべきことが多いので、この屋敷に泊まるのだ。
同じ学園生活だが、フォルセアとフリージアは寮が違うため夕方で別れ翌朝は授業まで会えないが、今夜はずっと一緒に話しながら過ごせる。
フォルセアの部屋で夜更かしをする約束をしているので、とても楽しみだ。
だが、その前に。
フォルセアは隣に立つラングルトを見上げる。
「ラングルト様、これからお時間を頂いてもよろしいですか」
「勿論です」
食堂を出たところでフォルセアはシリスに、
「ラングルト様もいらっしゃるから大丈夫だ。休んで来てくれ」
と告げる。
使用人達の食事はこれからなのだ。
「かしこまりました」
「お前達も」
シリスの一礼に合わせて、ラングルトはロイドとアンに告げる。
「かしこまりました」
ベルツ家の使用人母子も頭を下げて、シリスに案内される形で使用人棟へ歩いて行った。
全ての使用人がいなくなるわけではない、順番に食事をとって行くので、フォルセアとラングルトが歩き出した廊下では他の従僕やメイドの姿もあるし護衛騎士だって居る。
「こちらへ」
足を止めて頭を垂れる使用人達に軽く労いの言葉を掛けながら、フォルセアはラングルトの手を引いて侯爵邸の階段を上がって行く。
三階にある無人の客室を開けると、豪奢な作りの広い部屋。大きな窓の外には庭と夜空を一望できるバルコニーが作られていた。
「王家の方用の客室なのです」
どうぞ。
と、フォルセアは誰もいないバルコニーへ続くガラスの窓を開く。花の模様のベンチとテーブルが庭に向かって置かれていた。
夏の夜空だ。星が光っている。眼下の庭には、防犯の意味もあるのだろう、灯りがぽつぽつと点っている。
「失礼します」
フォルセアの隣へラングルトは腰掛ける。
ベランダにも、広い部屋の中にも使用人は控えていない。二人きりだ。
「まずは、改めて。ラングルト様がご無事に帰って来て下さって、本当に嬉しいです」
「ありがとうございます」
ラングルトは軽く一礼する。
「フォルセア様も、行政府の内定取得おめでとうございます」
「はい」
「部署は違うでしょうが、同じ職場で過ごせることを嬉しく思います」
「私もです」
フォルセアは笑顔で頷く。
不思議な感覚だ。
来年の春からは、同じ場所に居られるのだ。もちろん魔道局は離れているが、会おうと思えば会える距離。
「国土管理局はいかがでしたか」
「魔道局と全然違って驚きました。むしろ、魔道局の方が変わっていると教えてもらいましたが…昼の休憩も慣れれば自由に過ごしていいと言われて、フリージアと待ち合わせて昼食を食べたんです」
ふ、と楽しい休憩時間を思い出し笑う。すぐ隣のラングルトが肩をすくめた。
「…魔道局も自由です。むしろ他局よりも好き勝手に過ごしているはずです」
それにしては、やけにきっちりと過ごしていたが。
「私が貴女と過ごすために、部下にはだいぶ苦労をかけたと思います」
しれっと、ラングルトはそんな事を言うのでフォルセアは瞠目した。ラングルトを見上げると、全く悪びれた顔ではない。
フォルセアの中に、また、あの急くような感情が生まれる。
(ああ、まただ)
ラングルトはそんな頃から、フォルセアの事を想ってくれている。きっと、フォルセアが契約結婚だとそう思っていた間も。
ラングルトの真摯な努力にフォルセアは気付けていなかった。それがとても情けない。
(言いたい)
溢れてくる。
(報いたい)
自分の気持ちが、ラングルトの献身の報いになるのかは分からない。それでも。
(私も、同じ気持ちなのだと)
急げ急げ、フォルセアの中の焦りが彼女を突き動かす。思えば、フォルセアはこんな行動ばかりだ。
いつも焦っている。
自分に何が出来るのか分からないから、少しでも動かなければ、言わなければ、何かを、成さなくては。
そして、フォルセアはラングルトへと身体を向ける。ドレス越しに膝が触れたが構わない。
「インターンの間に気付きました。ラングルト様がいらっしゃらない間、私は寂しいと思いました。自分でも本当に驚きました、私も貴方に会いたかったのです」
ラングルトが瞬く。
夏の夜空、それでもこの距離ならばお互いの表情はよく分かる。
フォルセアはしっかりとラングルトを見上げている。
「貴方に報いたいと思っていました。でも、何年も後になるのは嫌でした、どうしても今がいいと思ってしまったのです。私は皆の言う通りせっかちみたいです」
ラングルトは言葉を返せない。
フォルセアは急かされるように、どんどんと話し続ける。
「どうしてもすぐに、貴方に言いたくて、私は覚悟をしました」
ラングルト様。と。
フォルセアはラングルトの手を握る。
「私も貴方を愛しています。たとえ王家に命を捧げる事になっても、貴方だけを愛しながら、必ず役目を全うします」
それは誓いの言葉だ。
フォルセアは笑顔。
何ひとつ後ろめたいことなどないかのように、堂々と、告げる。凛とした姿。
「フォルセア様、」
ラングルトの声が上擦る。
普段の冷静な、淡々とした話し方が遠い。
「申し訳ありません、言葉が、出ない」
「はい」
フォルセアの姿は変わらない。あれだけ急いで告げてくれたのに、ラングルトの返事をちゃんと待ってくれている。
「これほど幸せなことがあって良いのか」
絞り出すように、ラングルトは呟いた。
フォルセアの手を固く掴み直すと、長い息を吐き出した。
「貴女のお気持ちが嬉しい、貴女の覚悟ごと、私はこの国を守ります。何があっても全てから守る」
これもまた、宣言だ。
ラングルトはフォルセアを見つめた。
「神よりも前に貴女自身に誓います。私は貴女を何よりも愛しています。これからもずっと」
「はい」
フォルセアも頷く。
「では私もここで誓います。ラングルト様だけをずっと愛し続けます」
にこりと、ほほ笑む。そのなんと美しいことか。
ラングルトは己の左腕の絞られるような痺れを感じる。
そうか。
ようやく正体を理解する。
(愛しいのだ)
この方が、愛しすぎて、耐えようと心臓から繋がる神経が、血管が、おかしな事になるのだ。
「…貴女に触れても?」
フォルセア様。
目の前の女性に囁くように尋ねる。
「ええ、どうぞ」
ラングルトの声音にも気付かずに、フォルセアは頷く。
と、
ラングルトの腕がフォルセアの背中に回され、抱き寄せられた。
もう片方の手が、フォルセアの髪を撫で、熱い耳を滑り、頬に添えられる。
「ラ、」
ラングルトの名を呼ぶ前に、フォルセアの言葉は覆われてしまった。
重ねられた唇が熱い。
背の高いラングルトに身体ごと包み込まれる。
フォルセアはびっくりして目をぎゅっと閉じてしまう。防衛本能のように肩に力を入れて手を胸元で握りしめた。
ラングルトはつぶさにそれを見つめて、目を細める。突き飛ばされない、拒否の言葉がない。それだけで途方もなく満たされる。
「フォルセア様」
まぶたに口付けるとそろりと開かれる。ラングルトは紫の瞳を、覗き込む。
「ご不快でしたら、すぐに止めます」
フォルセアの唇が震え、「大、丈夫です」と呟かれる。ラングルトの口の端が上がる。息継ぎをする仕草すら愛おしい。
握りしめられた手にも唇を落とし、そうしてもう一度、フォルセアの唇に己を重ねた。
翌朝。
朝食に呼ばれ、すでに部屋に控えていたロイドと共にラングルトは部屋を出る。
「お兄さま!おはようございます」
廊下の奥からフリージアが声を掛けてきた。
振り返ると、フリージアとフォルセアが並んで歩いて来る。後ろに控えたシリスが一礼し、ロイドもフォルセア達に頭を下げた。
フリージアの挨拶にラングルトも頷く。そして、
「ラングルト様、おはようございます。ゆっくりおやすみいただけましたか」
尋ねるフォルセアに一礼する。
手元に視線を向ければ、気付いたのかフォルセアが反射のように手を差し出してくれた。
「おはようございます」
指先に口付けをすると、フォルセアの指が震えた。見れば、顔を赤くしている。視線もどこか覚束ない。
今までの泰然とした姿はどこにもない。
きっと、昨夜のことを思い出していらっしゃる。
「ははっ」
ラングルトは耐えきれずに笑った。
フリージアとロイドは初めて聞くラングルトの笑い声に恐怖し、フォルセアは顔を更に赤くして憤った。
「ラングルト様!」
「貴女に意識していただけるのです、喜ぶなという方が難しい」
珍しいほどの笑みを浮かべ、満足そうにのたまったラングルトにフォルセアは絶句して、そうして、たっぷり時間をかけた後、
「…なるほど?」
と、難しい顔をしながら首を傾げたので、ラングルトはまた吹き出しそうになった。




