56、ファルセア、腹をくくる2
「次代の王が決まるまでは私は必ずお役目を第一に考えます。その時の私の立場が何であろうと、王家にこの命を捧げます。ですが、私が愛するのはラングルト様だけです、たとえ万が一、彼の方との関係が無かったことになったとしても、ラングルト様だけしか愛しません。そこだけ、お許し下さい」
フォルセアの凛とした言葉。
許可を得ているようで、実際は宣言だ。
レイナードは呆気に取られている。
ライゼルも少し動きが止まり、思案の表情を浮かべた。
こういう宣言をどこかで聞いたなと、やや場違いな事を思ってしまったのだ。
娘の発言から逃避したいような感覚もあった。
(ああ、そうだ)
幸いというか、すぐに既視感の元を思いつく。
(まるで評議会のラングルト殿だな)
あの御仁も王侯の前で言い放ったではないか。
爵位を返上し、王家に尽くし国を守るから、フォルセアと結婚させてくれと。
「…お前と似たような事を、ラングルト殿も言っていたな。王の御前で宣言していた」
思わぬ返事だったのだろう。
フォルセアが瞬く。
「前に話しただろう。評議会での彼の発言を。今のお前はあの時のラングルト殿とそっくりだ」
「私が、ラングルト様と?」
フォルセアが繰り返す。
レイナードはその事を知らない。ライゼルが経緯を簡単に説明すると、じわじわと顔を赤くした。
弟の様子にフォルセアも気付いたのだろう。つられるように表情が変わり、視線が泳いだ。
「父上、すみません」
手で制すような仕草をしてから顔を押さえた。耳が赤くなっている。
「私も気まずい」
ライゼルが嘆息しながら正直な気持ちを告げると、「すみません…」小さな声でフォルセアが呟いた。
しばらく沈黙が続く。
ライゼルはフォルセアが顔を上げるまで目を閉じていたが、次第に苦みを帯びるように唇を歪めた。
(今になって娘を嫁に出す実感が湧くとは)
自分が選んだ相手に娘を嫁がせる、当初はその予定だった。屋敷も護衛も全てルドベキアで用意して、娘を守る。安全な自分の庇護下に置くつもりだった。
しかし、もう違うのだ。
フォルセアは国で最も強い魔道士に嫁ぐ。ルドベキアの、親の元から去るのだ。
居心地が悪く、ソファに座り直す。父の身じろぎにようやくフォルセアが顔を上げた。
「少し、気がはやりました。失礼しました」
フォルセアは何度か深呼吸をする。
レイナードはまだ顔を赤くしている。
彼の婚約者はまだ決まっていない。マクシミリアン王子の相手が決まってから探すからだ。そのためレイナードも誰かを意識するようなことは止められている、未経験なのだ。
弟に対して、フォルセアは立ち直りつつある。相変わらずの切り替えの早さであった。
「私はラングルト様のお気持ちに報いたいのです」
「有事の際に、傷付くと分かっていてもか」
「はい」
フォルセアは笑みを浮かべた。
すっかり覚悟の決まった、きれいな笑顔だ。ライゼルはため息を吐いた。
「何事もなければ、良いのですよね」
ぽつり。レイナードが呟く。
「その通りだ。何事もなければ私はずっとラングルト様の妻のままだ。離婚されなければな」
「今のところ彼に別れる意思は欠片もなさそうだがな」
ついライゼルは補足する。
「言ってしまえば、ものすごく可能性の低いことに関して私と父上は話し合っている。滑稽だろう?」
でも。
フォルセアは肩をすくめる。
「私はずっとそれを基準にして生きてきたから、この道から外れることに、それなりに覚悟が必要なんだ」
「姉上…」
「お前がそう決めたのならば、私はもう何も言わないよ。言っても無駄だと知っているからね」
ライゼルは苦笑する。
「せいぜいラングルト殿には国を守ってもらい、陛下達には健康に気を付けていただこう。無論、王子殿下もね」
そうすれば今の我々の話し合いは杞憂で終わるのだ。
はあ。
ライゼルは肩を落とす。
「お前が良い相手を見つけて家を出ることを喜ぶべきなのだろうが、中々寂しいものだね」
「物語などでよく目にするあれですか」
「私の番になったようだ。アニエスの父上にもだいぶ渋られたものだが」
「詳しく聞きたいです」
「僕も聞きたいです」
姉弟がえらく前のめりになってしまう。ライゼルは藪蛇だったと視線をさまよわせた。
「まあ、また今度だな」
そう言ってごまかすに留めた。
*
相変わらず。
フォルセアたちがどんな事を決断しようと、学園生活には関係がない。
六月に入り、暑いと感じる日が少しずつ増えてくる。フォルセアたちは日々の授業を受け、フリージアは自分の研究と学園の守りの研究を。オルソーは通常の授業以外に騎士課程の訓練を繰り返している。
月の半ばに入る頃には、学園に様々なインターン先からの採用通知書が届き始めていた。
フォルセアのクラスでは半数ほどが何かしらの研修を受けていたようだ。結果は悲喜交々。
まだ就職活動は始まったばかりなので、不採用だった場合は次の場を探すか、再度の応募に向かう。
たとえば平民出身のミリは、王都のレストランに採用が内定されたらしい。経営なども含めて修行を積み、いずれ実家の店を継ぐのだそうだ。
そして同じ週の後半でようやく行政府からの通知が届いた。
放課後にオルソーとシリスが見守る中、フォルセアとフリージアは膝を突き合わせて封筒を開いた。
フリージアに関しては研修最終日の様子から採用されるだろうと分かってはいたが、緊張するものはする。
封を開けて、紙面を開く。
『内定通知のお知らせ』
最初の一行で結果が分かってしまう。フォルセアとフリージアは顔を見合わせた。
二人の表情にオルソーとシリスも喜色を浮かべる。
「やりましたわ!」
「やった…!」
フリージアは椅子から身を乗り出してフォルセアに抱きついた。それをしっかりと抱きとめて、フォルセアも声をうわずらせる。
「フォルセア様フリージア様!おめでとうございます!」
「お前ら良くやったな」
シリスが立っていられないというように椅子に手を付き、オルソーはフリージアとフォルセアの背中を叩いた。
「オルソーもシリスもありがとう」
フリージアをゆっくりと離してフォルセアはオルソーを見上げる。
フリージアは目元をハンカチで押さえた。
「良かったですわ」
「フリージアも、ここまで付き合ってくれてありがとう」
元々、フォルセアが行政府を目指したからフリージアも進路を決めてくれたのだ。
「まだまだ、これからもずっと一緒ですわ」
部署は違うだろうが、職場は同じになるのだ。本当に嬉しいし心強い。
「お祝いいたしましょうね」
フリージアが笑みを浮かべる。そばに来たシリスに封筒を渡しながら、フォルセアも頷いた。
「そうしよう」
今後の手続きに関しては別途書面が用意されるようだ。準備なども色々あるだろうが、今はまず喜ぶ時間を許して欲しい。
「とりあえず、私はレイナードの所へ行ってくる。心配させてるんだ」
「そうですわね」
「付いて行くか?」
「いや、シリスが居るから大丈夫だ。シリス、行こう」
「かしこまりました」
フォルセアはシリスを伴ってさっさと部屋を出て行ってしまう。浮き足立っているのだろう、行動が早い。
オルソーはそれを見送って、フォルセアが腰掛けていた椅子を動かしてフリージアの隣に座った。
「良かったな」
「ええ、ありがとうございます」
肩を抱くと、フリージアはオルソーの胸に頭を預けた。ふう、と、息を吐く。
「オルソーも頑張って下さいね。待っていますから」
オルソーが目指す騎士も、管轄としては行政府の所属となる。もしかすると三人揃って働くことだって出来るのかもしれない。
「おう」
オルソー達騎士課程の進路は秋の終わりに決定される。卒業後の入隊が認められれば、騎士見習いの身分が始まるのだ。
「気合い入れる」
「マナーの練習、そろそろはじめましょうね」
「…おう」
くすくす笑うフリージアに、オルソーは肩を落とした。
*
ラングルトが王都に戻ってこれたのはフォルセア達が内定の通知を受け取った日よりも更に一週間後のことであった。
「お帰りなさいませ」
さすがに北部大森林の討伐が終わってから日が経ち過ぎているし、最終部隊の人数も少ない。
凱旋も何もなく、部隊は王都の関所をくぐるなりラングルトの指示で各自解散された。
ようやく馬車を離れて、ラングルトは転移魔法を使ってベルツ伯爵邸に帰ってくる。
帰還の知らせなど何もなかったが、古参の使用人達はあまり驚きもせずに主人の無事の帰宅を喜んだ。
疲れた顔でいつもよりも更に冷たい表情のラングルトにも家令一家は動じない。
執事のロイドは歩みを止めないラングルトの荷物をさっさと受け取り、メイド長のアンはメイド達に湯を沸かす事や軽食を用意する指示を出している。
家令のホーエンは留守の間の申し送りなどを行うが、元々不在が普通のラングルトなので伝えることはさほどない。
「分かりました」
と、億劫そうな言葉ひとつだけ返したラングルトに一礼してすっと離れて行ってしまった。行政府や王宮へ、ベルツ魔道伯爵が帰還した事を知らせなければいけない。
乳兄弟でもあるロイドはラングルトが自室に入るなり衣服を剥ぎ取って風呂場に押し込んでしまう。魔道具を使えば湯などあっという間に準備できるのだ。
湯気が浴室を包む。
烏の行水のように、さっと身綺麗にして出てきたラングルトは、先程よりは少しだけ顔色が良くなっている。
「今回は長い遠征でしたね」
結局一ヶ月以上かかったのだ。
「ツワンベルが完全に撤収するまで待機した」
「お疲れさまでした」
ロイドはアンから渡された軽食をテーブルに並べる。ラングルトは片端からそれらを口に入れていった。水の入ったコップを一気に煽る。
テーブルに置かれたコーヒーを手に取り、息を吐いた。
「後で行政府へ顔を出します」
「さすがに今日は休んでは?」
「溜まった仕事の量を確認します」
「ご苦労さまです…過労で倒れないで下さいね。来月末には婚約式でしょう」
「それがあるから仕事を減らしておきたい」
「あー…」
ロイドはもう一度、ご苦労さまです、と肩をすくめた。
「そういえば」
ふ、と口の端を上げる。ロイドの細い目が糸のようになる。
「フォルセア様とお会いしましたよ。凛々しい方で驚きました」
とぷん
ラングルトの手にしたコーヒーがはねる。
「なぜ」
「先週末にフリージア様がお招きになりました。就職先の内定がもらえたとのことで、庭に席を設けてお祝いをなさっていました」
「聞いていないが」
この家に招くなど、そして、内定が決まったことも。
「ご不在でしたからね、ラングルト様」
執事としてよりは乳兄弟としての口調で話すロイドをラングルトはつい睨む。
「我々だけではなくメイド達にもとても気さくに声をかけていただきましたよ。所作が時々騎士のようで、若いメイドが後で興奮していました」
「…それで?」
「我々の主人が素晴らしい方を迎えて下さるので、使用人一同、心から喜んでおります」
我々の女主人になられる方ですからね。
恭しく一礼するロイドを一瞥して、ラングルトはため息を吐く。
前の女主人である母と比べるのもおこがましい。
「分かりました。報告ご苦労」
「はい」
ロイドはこれで終わりとばかりに口を閉じた。ラングルトはまた食事を再開している。
(本当はオルソーという方も招かれたけれど)
これは絶対に秘密にするようにフリージアから厳命されている。主人であるラングルトがもっと詳細を尋ねるならば答えなくてはいけなかったであろうが、幸いにも話はここで終わった。
真っ赤な顔で、けれど嬉しそうに「大事な友人です」と青年を紹介したフリージアの姿を思い出して、ロイドは内心でにっこりと笑んだ。




