55、ファルセア、腹をくくる1
アルダールが率いた北部大森林への遠征部隊が王都へ帰還した。
行きと同じように、王都の中心にある大通りを騎士達が凱旋する。街の人々が歓声をあげ、旗を振る者も多い。
他国と休戦協定が結ばれている現在、騎士達の主な任務は魔物の討伐だ。大仕事をやり遂げた騎士達の表情も誇らしげだった。
ラングルトはまだ帰ってこない。
順番に帰還していく部隊の、最後の部隊の指揮官としてまだノースポールに残っているのだ。
北部へ調査に向かった行政府の職員達と合流して、色々な引き継ぎも行うらしい。
と、いうことをフォルセアはなんとアルダールに教えてもらった。
討伐任務が終わり疲れているであろうに、アルダールは自ら週末の休暇にルドベキア侯爵家を訪ねてきたのだ。わざわざフォルセアとレイナードを学園から呼び寄せて。
アルダールの侍従が、アニエスの侍女に大きな箱を渡している。祝宴用に用意したラングルトの衣装を返しているのだ。
それを見て、フォルセアは心臓を跳ねさせた。
良いか悪いかも分からないまま、あの箱の中に手紙を忍ばせたのだ。
「ベルツ卿によく似合っていた。さすが夫人のお見立てだ」
「光栄ですわ。アルダール殿下のご衣装も、ソフィア様が手ずからお選びになったのですよ。さぞ素敵でしたでしょうね」
「帰参の後の夕食会で披露させられました。義姉上にも甥っ子たちにも喜んでいただきましたよ」
アルダールの返事にアニエスはくすくすと笑う。
アニエスがアルダールを中庭に用意していた茶席へ案内しようとすると、アルダールは「失礼、少しお待ちを」と言って、フォルセアの方へ歩いて来た。
「フォルセア嬢、貴女にこれを」
懐から一通の封筒を差し出す。
フォルセアは目を大きくした。とっさに言葉が出ずに、アルダールを見上げる。
「あの男は大物だ。私を配達に使うのだから」
愉快そうに笑って、フォルセアの手に手紙を乗せた。
「ゆっくり読んでやってくれ。貴女の贈り物を宝物のように扱っていた」
「…っ、ありがとうございます」
手紙を胸に抱き、フォルセアは深く頭を下げた。
「レイナード殿、行こうか」
「はい」
アルダールはフォルセアの隣に控えていたレイナードにだけ声をかけて、勝手知ったる邸内を歩いて行ってしまった。
「フォルセア様」
シリスが声をかける。
「すまない、部屋に戻る」
「かしこまりました。奥様にお伝えしてまいります」
シリスの返事に何とか頷いて、フォルセアは身を翻した。アルダールの来訪に合わせた華やかなドレスの裾がなびく。トトト、と階段をすばやく駆け上り、自分の部屋に駆け込んだ。
(ラングルト様…!)
がたりと音を立てて椅子を引く。慌ててしまう。ペーパーナイフを引き出しから取り出し、手に取ろうとして、落としそうになる。
(落ち着け、手紙は逃げない)
一旦深呼吸をして、フォルセアは封筒を開けた。
フォルセア様
ラングルトの字だ。
それだけでフォルセアは途方もない安堵を覚えた。鼓動が体内から耳に響く。
(ご無事なのだ)
先にフォルセアが送った手紙の礼から書き出されていた。
やはり戦場に手紙が届くことは滅多にないらしい。今回は辺境伯家に送ったことや王家の使者を介したことで確実に届けることができた、その機転に感心してくださったそうだ。
フォルセアから手紙が届くとは思わず、とても驚いたことや嬉しかったことをまっすぐに伝えてくださる。生き返った気分だったらしい。よほどお疲れなのだろう、フリージアも怪我よりも疲労の心配をしていた。
衣装の用意にも謝意が記されている。また機会を作って母に礼をしに来てくださるそうだ。
フォルセアのインターンの結果に関しては、ラングルト様は一貫して採用されると信じてくださっているようだ。結果は週明けに学園に届くはずだ。今のフォルセアは良い結果を祈る事しかできない。
フリージアの配属の争奪戦に関しては、今年度末に人事を含めた会議があるのでその時までは気にしなくても良いそうだ。ではあの争いはなんだったのか。
マトリとアマリリスの結婚式でエスコートできなかった事の謝罪と、機会を設けてその時のドレス姿を見せて欲しいと書いてある。
討伐任務については一言も触れられていない。ただ、怪我なく無事であるので安心してくださいとあるのみだ。それが少し寂しい。
まだノースポールでの仕事が残っている為帰ることができない。フリージアにもそのように伝えるように頼まれた。
なるべく早く帰れるように努力すると、重ねて書いてくれている。どうか無理のないようにして欲しい。そして。
はやく貴女にお会いしたい。
最後の一文に目を通して、フォルセアは呼吸がわずかに止まる。
手紙に触れる指がびくりと跳ねた。
フォルセアを思い、言葉を尽くしてくれるラングルトに、罪悪感が募る。
自分は何も返せていない。
(いつまでも待ってくださると、言ってくださったけれど)
フォルセアの役目は、ーー非常時に王家に嫁ぐというものは、マクシミリアン第一王子が立太子されればほぼ終わったと見なされるものだ。
次の世はマクシミリアン殿下とレイナード達が作っていく。
後四、五年もすればきっと終わるものだ。
だが。
それは嫌だと、思うのだ。
もっと、できればもっと早く。
もうずっと、不思議な焦りがフォルセアを急かし続けるのだ。心臓が痛い。
(つまり、私は、)
手紙を机に置く。
フォルセアは表情を歪めて、とうとう机に顔を伏せた。
(あの方のことが好きなのだ)
割り切ってしまえば行動が早いのはフォルセアの特技だ。せっかちだと、フリージアとオルソーならば言うであろう。
どうしようもなく気が急くのだ。
初めての恋心の自覚の余韻などあったものではない。
正直なところ、フォルセアは父の命令を破ってしまったという意識の方が強い。
フォルセアを慮った命令だ。
別れることになって傷付くぐらいならば、愛さなければ良いと。極論のようだがフォルセアは構わないと思っていたし、実際に恋愛対象として今まで誰も好きにはならなかった。
役立たずなりに、侯爵家として、役目を全うするためならばどんなことでもするつもりだった。
(ラングルト様のお気持ちに報いたいと心から思う。けれども、その事が私の役目の放棄に繋がってしまうならば)
「私は、覚悟をしなければいけない」
フォルセアは宣言のように呟き、息を吐いた。
我ながら無茶苦茶だ。また父上に迷惑をかける。
けれど。もう決めた。
ラングルトからの手紙を、箱に納める。文を交わすようになってから用意した、シンプルで丈夫な箱だ。
部屋の扉を開けると、シリスが控えてくれていた。
「エディアンに取り次いでくれ。父上にお話がある」
「かしこまりました」
在宅でも父の都合が付くか分からない。家令ならば把握しているはずだ。
ちょうど今日が家にいる日で良かった。
フォルセアは今はまず、アルダールをもてなしている家族のもとへ向かった。
*
「さて、またどんな難題を言うつもりかな」
夜に時間を空けたライゼルは、フォルセアが部屋に入るなりそう声を掛けた。
「返す言葉もありませんが、まずは謝罪をいたします。ご迷惑をおかけいたします」
堂々と開き直った娘の姿にライゼルは苦笑するしかない。
ここ数ヶ月、フォルセアがこの表情で自分に向き合うのは何度目だろうか。
当たり前のようにフォルセアの後ろに控えているレイナードも、フォルセアの胸の内は知らないようだ。姉と父を、順番に見つめた。
「レイナードも聞くべき話かな?」
「父上にお話があると告げたら、同席したいと言われました。正直なところ気まずいというか、恥ずかしいのですが、まあ、押し切られました」
「フォルセアを押し負かしたのか」
ライゼルは息子の行動に驚く。
「はい。姉上は私たちが相手だと意外と押しに弱いです」
「あやかりたいものだ」
つくづくとライゼルは頷く。フォルセアは気まずそうに少し目を伏せた。そこで完全に視線をそらさないのが、この娘らしい。
「遅くなるといけない。座りなさい、話を聞こう」
客用のソファに娘と息子を座らせ、ライゼルも珍しく向かいに腰を下ろした。
フォルセアは息を吸う。
「…もうすぐ七年前になりますか、イクシオとの婚約が破棄された折、父上は私に誰も愛さぬようにと告げられましたね」
静かに話し始めたフォルセアに、レイナードは驚きの表情をする。これを知るのは、両親と限られた侍従だけだ。
「私がまた婚約を破棄されても傷付かないように。そして、お役目のために私の結婚を無かったことにしても傷付く事がないように」
「そうだな」
ライゼルは肯定する。
そのままちらりとレイナードを見ると、やはり表情が強張ってしまっている。息子にはまだ教えていない役目なのだ。
「レイナード、これを機にお前に教えよう。妹達にも、腹心であろうとトレノにも話してはいけない。ここだけの話だ」
「…はい」
「王位に空白を作ってはいけない。これは我々侯爵家の大切な役目なのだ。万が一現王ご夫妻に何かあれば、すぐに後継が立てられる。国民のために。第一王子殿下がまだ立太子されていない現在、繋ぎとなる王はアルダール殿下だ。今は臣籍となっておられるが、その場合は再び王族に戻られる。そして、殿下を支える王妃の役目を担うのがフォルセアだ。たとえフォルセアが他の家に嫁いでいたとしても、その経歴は無かったことになる」
「でも、ラングルト義兄上は、」
「たとえラングルト殿と結婚していたとしても、フォルセアはアルダール殿下の元へ行く。これはラングルト殿も知っていることだ」
ライゼルの低くなる声に、レイナードは言葉を失う。フォルセアを見れば、気遣うように笑みを浮かべられた。
本当のことなのだ。
「お前も私の後を継げば、この責務も継ぐことになる。お前の場合はマクシミリアン殿下が王位を継いだ後の、空白を埋める役割の人間を探して守ることだな」
「守る…姉上が過剰に守られるのは、魔力が少ないからだけではないのですか」
「それこそ、アルダール殿下のように魔力も多く将軍になられるほど強ければあまり必要はなかったのだろうが、まあ、結局は私の魔力の少なさのせいだ。不甲斐ないがな」
フォルセアが肩をすくめる。
姉が身体を鍛えるのは他にも理由があったのだ。
「姉上は平気なのですか、そんなお役目を子供の頃から、」
「イクシオも同じだった。イクシオはアルダール殿下すら王位を継げなかった場合の臨時の王だ。私一人のお役目ではなかったからな、心細いということもなかった」
「知りませんでした…」
「今からだ。レイナード。お前はこれから侯爵としての役目を学んで行き、次代の王家と国を守るのだ。今日この日にお前がフォルセアに同席したのも、良いきっかけだったのだろう」
「今度王家の系譜を見直してみるといい。早世した王の次代に短期間だけの王が居るはずだ」
「姉上」
あっけらかんと教えてくれるフォルセアに、レイナードはつい責めるような声を出してしまう。
この場ではレイナードだけが驚いて、動じている。父と姉は平然としているので、まだ上手く噛み砕けない少年はとても悔しい。
「もちろん、過去の歴史においても代理の王が立ったことはごくわずかだ。今の王の御代も我々がお支えし盤石、アルダール殿下が王になることはほぼ無いだろう。だがな、レイナード、可能性が零ではないかぎり、保険は無くしてはいけないのだ。使われない非常手段こそ大事なのだよ」
「…はい」
全ては王家のため、国民のために。
「では、それを踏まえて、父上」
フォルセアは居住まいを正す。
真剣な声、ライゼルもレイナードもさすがに分かる。これはフォルセアが何かしらの宣言をする時の姿だ。
つまり、聞く方は心の準備をしなくてはいけない。
「次代の王が決まるまでは私は必ずお役目を第一に考えます。その時の私の立場が何であろうと、王家にこの命を捧げます。ですが、私が愛するのはラングルト様だけです、たとえ万が一、彼の方との関係が無かったことになったとしても、ラングルト様だけしか愛しません。そこだけ、お許し下さい」




