54、ラングルトへの恋文
北部大森林からノースポール辺境伯の領都までは馬車で半日かかる。傭兵含め徒歩の部隊がほとんどなので、全員が領都に集まるには丸一日必要だ。
辺境伯家の大広間に全ての騎士や傭兵が招かれるわけではない。市街にも会場が広く用意され、商家の屋敷や旅館などが宿泊施設として開放される。
アルダールをはじめとした遠征部隊が領都に入ったところで街中の人々の歓声が彼らを包んだ。
十数年に一度はスタンピードが起こる地だ。領民の生活は領軍と遠征軍に守られている。
凱旋した騎士への感謝と、守られた生活への安堵で街は包まれる。
ノースポール辺境伯の城の門をくぐる。
領主一家と先に到着していたカリファがアルダール達を迎えた。
…ノースポール辺境伯キルストラは侯爵家ブバルディア家の当主でもある。数十年前の粛清の際にノースポール伯爵家が途絶え、やむおえず当時のブバルディア家がこの地を守ることになった。
「ノースポールを代表して心からの感謝を」
まだ若い辺境伯の一礼に、夫人と二人の息子、侍女に抱かれた小さな娘、護衛騎士や使用人達が一斉に頭を下げる。
沈黙を手で制し、アルダールはキルストラへと進み出る。
「全ては陛下のご指示によるもの。更には貴殿をはじめノースポールの人々の協力と努力によってこの度のスタンピードを収めることができた。陛下の名代として、またアルストロメリア王国将軍としてノースポール領の人々に感謝する」
「ありがたきお言葉でございます」
馬車の中で出来るだけ身綺麗にしてきた甲斐あって、アルダールの立つ姿は見事だ。
ラングルトは胸に手を当て一礼した姿勢のまま、ちらりと前方を伺う。カリファの姿に回復を見て取れて安堵する。
「さあ、今夜はささやかですが宴を用意しております。それまでどうぞ、お身体を休ませてください」
キルストラの言葉と共に使用人達が動き出す。
城内に案内される者と、街へ案内される者とで分かれていく。ラングルトはアルダールに続く形で城内に入った。
まだ幼い二人のキルストラの息子達がキラキラとした視線でラングルトを見上げているので、軽く会釈をした。最初に会った時のレイナードを思い出す。
大階段の下ではアルダールに辺境伯夫人が何やら話しかけている。彼の侍従も頷いているので、滞在に関する話なのだろう。すると。
「ベルツ卿」
アルダールが声だけでラングルトを呼ぶ。
「はい」
「義姉上が今夜の衣装を用意して届けてくださったらしい。貴殿の衣装も一緒に送られてきていた、ルドベキア侯爵夫人の計らいだそうだ」
「……」
思わぬ事にラングルトは驚く。
「ベルツ魔道伯爵へご用意したお部屋に置かせていただいております。お召替えの際は使用人をお使い下さい」
「ありがとうございます」
辺境伯夫人の言葉にラングルトは一礼する。
ラングルトは今まで通り適当に辺境伯家の衣装の予備を借りるつもりだったのだが、侯爵家の庇護下に入るということはこういう事なのか。
たくさんの衣装をさばくアニエス夫人の笑顔を思い出し、圧倒される気持ちになる。
案内された客室では、使用人達がラングルトを待っていた。
「お湯の準備も出来ております」
「一人で行います。呼ぶまでは部屋の外にいてもらって構いません」
「かしこまりました」
す、と頭を下げた使用人達は音も立てず客室から出ていく。ラングルトは魔法で鍵を掛けて、衣装台の前に置かれた箱を開けた。
濃紺に金の刺繍の見事な衣装が入っている。インナーも小物も靴も、全て揃っている。
見覚えがあった。婚約式用の衣装の候補にとデザイナーが持参していた衣装だ。晩餐用にかあの時より装飾はかなり控えめになっている。さすが、アニエス夫人だ。
軽く衣装を持ち上げると、胸の辺りに硬い感触が。
ラングルトが不審げに内ポケットを探ると、一通の手紙が入っていた。
「…まさか」
ラングルトは息をのむ。
何度も何度も目にした美しい文字。
フォルセアの署名がなされたそれ。
ラングルト様へ、と、穏やかな曲線の文字で書かれた封筒が、隠れるように入っていた。
ラングルトの腕が震えた。
(フォルセア様)
はやる気持ちを抑え、殊更丁寧に封を開ける。
きれいにたたまれた三枚の便箋は、以前にもいただいたことがある模様だ。
ふーー、
と、ラングルトは息を吐く。近くの椅子に腰掛けて、便箋を開いた。
ラングルト様へ
と書き出された文面。
まずはラングルト達の討伐任務が無事に終わったことへの感謝と労りの言葉が書かれていた。
戦況を数時間遅れで行政府で伝え聞いていたこと。内心でとても不安に思ってしまったこと。フリージアはラングルトの無事を信じており、体調を心配していたこと。
ラングルトが無事だと王妃殿下から聞いて心から安堵したこと。
研修先が国土管理局だったこと。毎日地図を眺めていたので夢の中にまで地図が溢れたこと。魔道局とは職員の様子が全然違うので驚いたこと。
無事に研修が終わって、今は採用かどうかの結果待ちだということ。
研修最終日に、採用結果も出ていないのにフリージアの配属先を取り合って、法務局と外務局と財務局で一悶着あったことが書かれている。研修を受けていない局も名乗りをあげていたのでとても面白かったそうだ。
五月の末がマトリ・カートンとアマリリス・スウェンの結婚式だったこと。
天気にも恵まれた素晴らしい式で、アマリリス夫人がとても幸せそうで嬉しかったこと。
レイナードはルドベキア侯爵の名代としてきちんと役目をこなせたこと。そしてフォルセアも、アマリリス夫人が王妃殿下の近衛兵である関係から王妃殿下の名代としてお言葉を預かったことも書かれている。カートン子爵家の家族が緊張からか真っ青な顔をしていたそうだ。
スウェン家の結婚式で着たドレスが、今回ラングルトに送られたスーツと対のデザインの、紺色に金のレースや刺繍で控えめに彩られた物だったらしい。
その部分を読んで、ラングルトは奥歯を噛んだ。どうにかして拝見できないものか。
王妃殿下にスウェン家の結婚式の様子を伝えに城に上がった際に、ラングルト達の様子を教えていただけたこと。祝宴用にアルダール殿下の衣装を用意するから、ベルツ卿の衣装も一緒に送ればいいとお言葉をくださり、同席していた母が張り切ったこと。
そして、ご迷惑かもと思いつつもこの手紙を急いで書いて無断で服に忍ばせたことが、謝罪と共に記されている。
フォルセアが、自身の意思で手紙を用意したのだ。しかも、母であるアニエスにも内緒で。
そこでラングルトは、ぎゅう、と目を閉じた。
肺から全てを吐き出すように長い息を吐く。
抑えきれないような、どうしようもない気持ちになる。左腕が痺れる、あの感覚。
フォルセアの手紙には、遠征先に手紙を送ってしまったことへの再度の謝罪と、身体に気をつけて無事に帰ってくることを願う言葉で終わっている。
「帰りたい」
腹の底からの言葉を絞り出してしばらく俯いていたラングルトは、長い沈黙の後ようやく立ち上がった。
折り目通りに丁寧に便箋をたたみ直して、封筒に収める。しばし逡巡して、結局元のスーツの裏側に手紙をしまった。ここが一番安全な気がした。
客室の扉を開けると使用人が控えている。まだ到着した時のままの姿のラングルトに、少し驚いた表情を見せたがすぐに治めた。
「祝宴が終わり次第手紙を書きます。何種類か準備をしておいてください」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる使用人の返事を聞いて、ラングルトは再び扉を閉める。
宴の準備を始めなくてはいけない。
無造作にローブを脱いで、浴室の扉を開けた。
祝宴はつつがなく進行した。
久しぶりに湯を浴びた面々は清々しい笑顔で料理を食べ歓談している。
料理人たちが配膳する立食形式のテーブルを行き来し、城での祝宴に招かれた一部の騎士や魔道士たちもここぞとばかりに食べている。国防局の魔道士は魔道伯爵としてのラングルトの部下だ。まあ、元気そうでなによりである。
グリムも離れたところでそれなりに飲食に勤しんでいるようだ。話しかける部下の魔道士たちに引き気味に応じている。部署が変わっても貴族嫌いは変わらないらしい。
「素敵な衣装じゃない。アニエス様が用意してくださったんだって?つい何日か前まで草臥れた顔の辛気臭い青年だったのに、すっかり今をときめく魔道伯爵様になっちゃって!」
数日ぶりに会うカリファが、ワイン片手に歩いて来る。
「褒められていますか、貶されていますか」
「褒めてるわよー!」
「酔ってますか」
「ないない」
明るく笑うカリファにラングルトはため息を吐く。酔っているようだ。
「広間の隅に居ると聞いたが、ちゃんと真ん中にいるじゃないか。感心感心」
アルダールまで来てしまった。
堂々とした将軍としての衣装だ。白の立襟に勲章が光る。
「さすがに食べる時はテーブルに寄ります」
ラングルトは立食はあまり好きではない。少量ずつ皿に盛られるのが億劫なのだ。しかし、久しぶりのまともな食事には抗えない。きちんと食べて、体調管理もしなければいけなくなった。フォルセアに心配をかけたくない。
「ベルツ魔道伯爵」
アルダールの後ろからキルストラが声をかける。アルダールの影で気付かなかった。
「少しお時間をいただいてもよろしいですか」
「はい」
大広間のバルコニーに出ると眼下に庭園が広がる。明かりを多く配置した庭園にも、祝宴に招待された騎士たちが何やら賑やかに集まっている。
キルストラと、なぜかアルダールまで来て男三人でバルコニーで向かい合うのも中々異様な光景だ。
「遠征の最中でしたからお伝えしそびれていましてね」
キルストラは声を落とす。
「貴方の母君、現在はヤージュ男爵家フレデリカ殿の裁判が終わりました」
「…左様でしたか」
キルストラはブバルディア侯爵家当主。先月ラングルトの母が起こした事件の始末の為に開かれた評議会で、侯爵として列席した。
自領のスタンピードで忙しいであろうに、裁判にも関わってくださったのか。
「ヤージュ男爵夫人マリオンは夫から離縁された。ヤージュ男爵は婿養子だからね、息子が男爵位を継ぎ彼は引退するそうだ。賠償金の支払いでしばらく苦労するだろう。君の母フレデリカと姉のマリオンはそれぞれ別の修道院に送られることになった。過酷な修行で知られる場所だが、教えようか」
「いえ、もはや他人です。行き先に興味はありません」
ラングルトの平坦な声音に、キルストラは肩をすくめる。アルダールも「まあ、そうだろうなぁ」と呟く。二人とも、評議会でのラングルトの決断を見ているのだ。
「お忙しい中、お伝えくださりありがとうございます」
ラングルトは深く頭を垂れた。自分の母のせいで、多方に多くの迷惑をかけたことに変わりはない。
「貴方も被害者だ、あまり気に病まないように」
気遣いに、しかしラングルトは何の感慨も覚えない自分を理解していた。
幼少の頃から止むことのなかった教育という名の暴力だ。母本人が授業を理解できないせいで、際限なく苛烈になっていく家庭教師達の指導。
妹は下ばかり見て、ラングルトは会話することを辞めた。
身についた知識や技術は確かにラングルト達の助けになったこともあった。
けれど、あのような教え方でなくても十分足りたはずなのだ。
先月のラングルトへの暴挙で母は身分も財産も自由も全て失ったが、そうでなければ次はフリージアが母の独断で無茶な縁談を強制されていたかもしれない。
これで良かったとしか思えない。
「お気遣いありがとうございます」
ラングルトのこの返事で終わりだ。
フレデリカ達の名前はもう決して、彼らの話題に上ることはない。




