53、アルダールへの恋文
翌朝、出勤したフォルセアたちは慌ただしくする職員たちに迎えられた。
指導員のナラシア夫妻が「スタンピードが鎮圧できたんだよ」と教えてくれる。
想定より数日早く終わったらしく、今から急いで北部大森林に派遣する職員の調整をするらしい。
安堵の表情を浮かべつつ、誰が調査に向かうかでそれぞれの部署の職員がじゃんけんをしている。長期の出張になるため、負けた人が行くそうだ。
フォルセアは肺のあたりを押さえて、周囲から隠れるように小さく長い息を吐いた。
良かった。
少しだけ手が震えた。
職員達はこれからの方が忙しいらしい。ざわめく室内で、討伐の様子など聞けるわけもない。
騎士達の被害はどの程度だったのだろう。死傷者は。
ラングルトだけではない、アルダール殿下も総指揮官として出征しているし、もしかするとフォルセアの顔見知りの騎士も選抜されているかもしれない。
今まで漠然と戦果と無事を願い送り出していた騎士団だが、今回の心境は全く違う。
情けないことだ。大切な人たちが戦いに行くその意味を、フォルセアは理解できていなかった。
「フォルセアさん、行程表を騎士団へ提出しに行きましょ」
「はい」
指導員のベリエラ・ナラシアの声がかかる。
「私も行っても良いですか、国防局の方は説明会でしか行ってないんです」
セーラが手を挙げる。
「いいわよ、行きましょうか」
はい!
明るい返事にフォルセアもつられて頷いた。
これが今のフォルセアの仕事だ。
未熟な身だが、少しでも騎士達の、ラングルトの遠征に関われるだけありがたいではないか。
(慌てるな)
フォルセアは心の内で繰り返す。
誰かのために、役に立ちたい。
けれどそれは魔法のようにあっという間にはできない。フォルセアには尚のこと。
少し、少し、本当に少しずつ。
*
「魔物は後でいい、まずは怪我人を連れて行け!軽い怪我ならば近くの魔道士や神官達に治してもらえ!いいか、まずは治療だ!部隊長は自分の治療が終わり次第自隊の被害の報告をしに来い!傭兵部隊もだ、ギルド長を呼べ」
アルダールが何度も声を上げる。
「こちらの部隊は」
「治癒が済んでいない中軽傷三十五名、重症五名。あと魔力切れで動けなくなってる者が三名。魔道庫の補給が間に合わなったみたいですね。包魔石も使い切ってます。他はすぐに片付けに回しますか」
「はい。治療して人数が増えたら交代して休ませます」
ラングルトとペストリが救護所へ向かう。
討伐が終わったが、まだ座って休むこともできない。
荒れ果てた草原だった場所を背に、建てられた仮設の救護室とその周りのテントへと足早に進む。
テントの外にまで溢れた治療待ちの傭兵や騎士達が座り込んだり仰向けになっている。裂傷、打撲が多い。とりあえずと当てられた布が赤黒く染まっている。
毒や呪いを持つ魔物が居なかったのは幸いだった。
「包魔石の魔力は足りていますか」
グリムが治癒師の代表者に声をかける。
「もう八割以上消費しました。魔道庫の方々もかなり疲弊しています」
「すぐに充填します」
「助かります」
ラングルトが厳重に包まれた空の包魔石を受け取る。ラングルトとグリムに治療魔法の適性はない。ここで出来るのは魔力の確保だけだ。
「ペストリ、魔力切れは一度休ませて下さい。回復してから働かせます」
「手配します」
ラングルトに軽く頭を下げてグリムは救護所を出て行った。
手元の包魔石一つ一つにラングルトは自分の魔力を込めていく。周囲にはうめく声、そして無事に終わった戦いに興奮する声も混じっている。
「今のところ死者は居ません。さすが、魔道伯爵様ですね」
「いえ」
感嘆する治癒師にラングルトは軽く頭を下げる。
ラングルトは前々から前線の探査の際に、戦闘続行不能と見做した負傷者を強制的に救護所へ転移させていた。
そのおかげで救護所は序盤からとにかく忙しくなるのだが、戦闘後の死者が激減したのだ。
それ以来、転移魔法を使える前線の魔道士もラングルトをまねて負傷者を転移させることが増えた。
騎士達が負傷者を庇いながら戦闘する危険が減る代わりに、魔道士が戦闘中に魔力枯渇に陥いる危険が増えている。また、急に前線の戦力が減る弊害もある。改善しなければいけない。
「終わりました。何かあれば呼んでください」
すっかり魔力を取り戻した包魔石を渡して、ラングルトはすぐに救護所を出て行ってしまった。
「あの方の魔力量はどうなっているんだ…」
やや恐れを抱く声音で、治癒師が呟いた。
「ベルツ卿!確認してくれ」
待っていたぞ、と本陣に戻るなりアルダールが手招きをする。
「どうしました」
「よりにもよってこの忙しい時に手紙が届いた。この忙しい時に」
「さっさと読めばどうですか」
「ツワンベル軍からだ。変な魔法がかかってないか、確認してくれ」
アルダールの言葉にラングルトの目が据わる。
渡された手紙を怪訝そうに見つめ、べりっ、と何の遠慮もなく封を開けた。
「おい、お前…」
装丁は豪華だが簡素な文面の紙面を指でつまんで、裏表眺めてからアルダールに返す。
「問題ありません」
「親書を私より先に読む奴がいるか」
「忙しいのでしょう。さっさと終わらせましょう」
ラングルトはにべもない。
「お前、私への当たりが強いの王都では止めておけよ」
「そのような事実はありません」
「ある、もの凄くある」
まったく。
アルダールは肩をすくめる。討伐がひと段落した仮眠するばかりの戦場。しかも今は徹夜明けと、彼も少し興奮状態にある。口調が少し乱雑になる。
「新年祝賀会でフォルセアと私が踊ってから、お前からの風当たりがすごく強くなった」
す、
ラングルトの視線が動く。
「臣下とはいえ侯爵令嬢を呼び捨てですか」
「怒るところがそこなのか」
アルダールはひらひら動かしたツワンベルからの手紙にさっと目を通しながら、呆れたようにラングルトを見上げる。
「確かに彼女は侯爵家のご令嬢だが、私にとっては親戚の女の子なんだよ。また従姉妹だぞ?生まれた時から知ってるし可愛がってるんだ」
フォルセアの祖母はアルダールと兄王にとって大叔母だ。先々代の王の妹君なのだ。
「それに、今しか機会が無いから言っておくがな」
アルダールは周囲を確認して、少し声を落とした。
「私がフォルセアと結婚する未来を望むわけがないだろう」
「フォルセア様の何が不満ですか」
「そうじゃない。考えてもみろ、私が彼女を妻にするってことは、兄上と義姉上が王位に居られない状態ってことだぞ、私がそんなことを望むと思うか」
「……成程」
アルダールと現王エイリークはとても仲の良い兄弟だ。兄夫婦の不幸を、アルダールは歓迎しない。
「…ご無礼をお許し下さい」
「そこで謝るのが業腹なんだよなぁ」
まあ、誤解が解けたから良いが。アルダールはラングルトの背を叩く。
「私としてはお前が王家に尽くして兄上とマクシミリアンの治世を守ってくれればそれで良い。フォルセアは譲るから末長くよろしく頼むぞ」
「フォルセア様は物ではありません。貴方方は時々あの方を私への褒美の様に扱いますね、業腹です」
「仕方ないだろう、王家の血を引く高位貴族の長女だぞ。そういう役割なんだよ」
「非常に腹立たしい」
「繰り返すな。物騒だ」
話を変えよう。
アルダールはひらりと手紙を振った。
「これはどう思う?」
「恋文でしょう、良かったですね」
何とツワンベルの第一王女、ミューゼの署名がなされていたのだ。
王女自ら国境近くに来ていたらしい。
この度のスタンピードの対応お疲れ様でした、被害が少ないことを願います。今度機会を作ってあなたにお会いしてみたい。
と言ったことが丁寧な文面で簡潔に書かれている。
ミューゼ王女は確か二十一歳。
王位を強く望みつつも、現王が健在なことと、弟の第一王子がまだ幼いこともあって、継承者の決定を先送りされている現状に焦りを見せている、そう報告されている。
「婿候補に認定されてますね、おめでとうございます」
「ご、業腹ー」
ラングルトの冷淡な声に、アルダールは天を仰いだ。他国の王族からの手紙だ。読んでしまえば、なかったことにはできない。
「ああ、読まなければ良かった」
主に勝手に封を開けたラングルトのせいである。
片付けは時間がかかる。
まずは魔物の死体を全て処理しなくてはいけない。血まみれになった大森林の植物と大地を洗い流さなければいけない。
その後、長くて深い堀を全て埋め戻さなければいけない。
怪我人の治療や、身体に障害が残ってしまった者の対応もしなくてはいけないし、魔物は食い止めたはずだが、万が一突破されていた個体がいるかもしれないので、大森林の南側にある村や町、街道などの調査もしなければいけない。
ある程度の片付けが済めば、近隣の地域から派遣された騎士達は帰還させなければいけない。
王都の遠征部隊は、辺境伯の騎士達と協力してまだまだ残って仕事がある。
しかしそれも、全員で行う必要はない。王都の守りは侯爵家の領兵達が出向いて代わりに守ってくれているが、ずっと不在のままは外聞が悪いし万が一の危険もある。
王都の騎士達も何度かに分かれて、順番に王都へ帰還する。
しかしそれもまだ先の話だ。
ある程度の魔物が片付けられれば、ノースポール領都で祝宴に招かれる。
騎士達も傭兵も一度手を止めて久しぶりの風呂に入り、洗ってある服に着替えて温かい食事にありつけるのだ。
今の時点で五日後に招待されている。…まだ五日も先である。
「さすがに疲れるわ…」
カリファ・サントリナがげっそりした顔で書類を束ねる。
ラングルトたちよりも一ヶ月早くこの場所にきて、近隣の村に滞在しながらずっと次元の穴を調べてきたのだ。他の研究者や魔道士達の協力があるとはいえ、疲労は溜まる一方だ。
ラングルトも使用した包魔石や魔法道具の使用許可証を、後付けで作成している最中だ。
その間にも片付けをしている部下達から報告が入ってくる。
ラングルトは自分の手元を見ながらカリファに声をかける。
「先に領都に向かって休んでは」
「みんなを置いて?私一人で?」
「計測結果をまとめる作業ならばここでない方が効率的でしょう。四日後に我々も出発します、先に行って準備をしていてください。貴女は曲がり形にも辺境伯夫人でしょう」
「ちゃんと辺境伯夫人ですー、失礼な」
当時のサントリナ辺境伯子息に出会った頃にはすでに、カリファは叩き上げの魔道士だった。身分の低い男爵家出身の彼女はそれはもう苦労して今の立場を維持している。
「だったらそのお疲れの顔を祝宴までにどうにかしてください。立場的に貴女と殿下が主賓ですよ」
「ベルツ魔道伯爵も主賓でしょうが」
「私は隅の方で立ってます」
「新年祝賀会の勢いはどこに行ったの…」
カリファは苦笑する。
しかし確かに、ラングルトの指摘も一理ある。
魔道伯爵ではあるが、彼女は辺境伯夫人なのだ。くたびれた姿で祝宴に出ては、ノースポール辺境伯にも失礼だし夫の評判にも関わる。
「…分かった。とりあえず私は先に行くわ。殿下と部下に言ってくる」
「そうしてください」
「ラングルトくんも無理しちゃだめよ」
「そうありたいものです」
「分かるー」
これが王国中の人々の尊敬を集める、魔道伯爵同士の会話である。
くるくると丸めた資料をしっかりと抱きしめて、カリファは歩いて行った。




