50、スタンピード1
ノースポール辺境伯領の最北端に位置する大森林は広大で、北の大国ツワンベルとの国境にもなっている。
ここは通常は領兵や騎士たちが森林の奥に立ち入る事は推奨されない。境界線を越えるわけではないのだが、近付くというだけでツワンベル王国は神経質に反応するのだ。
そのため、大森林の深くに入るのは主に地元の猟師や傭兵たちだ。今回はそれに扮した騎士も、配置されている。
十数年に一度スタンピードを起こす次元の穴はちょうど国境線の上に存在している。むしろ、次元の穴があるから国境線がここに引かれた。
大森林には他にも次元の穴があり、定期的に魔物が出現するが数は少ないため、傭兵が報酬目当てに狩るだけで事足りる。
しかし、この国境線の穴は違う。溜めに溜めたような、爆発的な量の魔物が長期間に渡って出現するのだ。
出現した魔物はどういう理由かほぼ全頭同じ方向にひたすら進む。北に進めばツワンベルに大量の魔物が侵入し、南に進めばアルストロメリアを襲うのだ。
今回のスタンピードは、南下する可能性が強いと報告されている。
アルストロメリア王国の西方を守る貴族、カリファ・サントリナ辺境伯夫人は魔道伯爵でもある。
ラングルトたち王都の部隊が到着するよりも一ヶ月も早くノースポール辺境伯領に待機して、次元の穴を見張り続けている。
「お待たせしました」
「間に合わないかとヒヤヒヤしたわ」
大森林の近くに簡易的な宿泊施設と陣を張り、ラングルトはようやくカリファと面会する。
サントリナ魔道伯爵カリファは三十八歳。ラングルトが叙勲を受けた時から、正教会のイザ魔道伯爵と共にあれこれと気に掛けてくれる先達である。
「状況は」
ラングルトと共にカリファのもとに進んだのはアルダールだ。王弟にしてドラセナ公爵、そして王都の騎士を指揮する将軍でもある。
「穴の深度がどんどん深くなっていたのですが、おとといから動きが鈍くなっています。まもなく止まります。穴周辺の魔力も減り始めています。おそらく五日以内には大量出現します」
「本当にギリギリだったな。遅くなってすまない」
「本当に気が気じゃありませんでした。ノースポール辺境伯には?」
「昨日の夜、到着してすぐに話した。領都の守備と後方支援の指揮を任せている、ここは私が指揮官だ」
「かしこまりました」
カリファは軽く一礼する。
彼女の手元には大森林の地図がある。すでに配置された偵察部隊の位置と、魔導士たちの探索魔法の範囲が記されていた。
「ツワンベルは」
「森林の中も含めて陣を張っていますね。でも、規模は通常より少ないです。アルストロメリアに流れると踏んでいるんでしょうね」
「私も確認しても?」
「お願い」
ラングルトは杖を振る。
探索魔法を発動した。ラングルトの空間把握能力は王国随一だろう。大森林ほぼ全てを把握できるが、広大過ぎてすべてを一度に確認できるわけではない。
範囲が広ければ広いほど、詳細な確認に時間がかかる。
目を閉じて沈黙してしまったラングルトに構わずに、アルダールは広げられた地図を確認する。
「罠の配置と堀の具合を確認してこよう。ベルツは置いていくが構わないか」
「どうぞ」
カリファが一礼すると、アルダールは部下に任せていた馬の手綱を取り、すぐに駆けて行った。
「そうそう、婚約おめでとう」
「…ありがとうございます」
探査魔法発動中のラングルトだが、周囲の声が聞こえないわけではない。やや鈍い反応だが会話に支障はない。
叙勲される前からラングルトを知るカリファは話しかける事を遠慮しない。
「フォルセア様、夫と一緒に何度かお会いしたことあるわ。ものすごくしっかりした方よね、どうやって知り合ったの?」
「妹のご友人でしたので」
先方から訪ねてきたとはラングルトは言えない。当初話し合った設定だ。久しぶりに口にする。
「あなたがルドベキア侯爵家に乗り込んで結婚を直談判したんでしょう?あの後結構大騒ぎになったのよ、侯爵家と辺境伯家の中で、あなたは不可侵の対象だったから」
「…不可侵とは」
「お婿さん候補として他の貴族や有力者たちから大人気だったから、私たち高位貴族はあえて手を出さないでおこうねって密かに約束してたの」
ラングルトは目を閉じたまま、眉間に皺を寄せた。探査魔法にカリファの言葉、情報の温度差に思考がぶれる。
「なのにあなたったらうちの夫たちの気遣いを全部駄目にして侯爵令嬢に結婚を申し込むものだから、ルドベキア侯爵、慌ててたわよ」
「…そうでしたか」
ラングルトは当時のルドベキア侯爵の渋面を思い出す。大事な娘を嫁に出す事を渋っていたのかと思ったが、それだけでは無かったのか。
「認めてもらって良かったわよね」
「心からそう思います」
それはラングルトも同意するしかない。
「まあ、反対してあなたが暴れたりした方が怖いもんね」
「何ですかそれは」
「フォルセア様と結婚できなきゃ王都破壊するぞーって」
「しませんよ。どんな発想ですか」
さすがに聞き流せない。ラングルトは探索の手を止めカリファを見下ろした。
心底意外そうなラングルトの表情に、カリファは苦笑する。周囲が恐れて口にできないことを、彼女は敢えて口にしてみたのだが。
「やらないなら良いのよ。あなたが強すぎるから、周りが勝手に心配してるだけ」
「心外ですね、一応、叙勲の際に王国に忠誠を誓った身なのですが」
ラングルトの言動にカリファは一応の安堵を隠して、快活に笑った。
「まあ、びっくりしたのよ。あなたがフォルセア様をお嫁さんに欲しいなんて言い出すとは誰も考えてなかったから」
「まあ、それは私もです」
偶然だ。すべて偶然の結果だ。
フォルセアが行政府で働きたいと思ったから、それに適した結婚相手を探したから、フリージアが親友だったから、自分が魔道伯爵だったから。
そう思うとクレアドール女伯が全てのきっかけであったように感じる。
それは少し、面白くない。自信満々なあの女傑の笑い声が聞こえそうだ。
「夫が私に結婚を申し込んだ時も、根回しが大変だったらしいわよ。聞きたい?」
「遠慮します」
ラングルトは探索魔法を再開する。
「それより早く弟子を取ってください。いつまで前線に出続けるおつもりですか」
次元の穴に関する研究は、彼女の独壇場になりつつある。各研究者と連携していたとしても、国内には次元の穴が百ヶ所以上あるのだ。各地を回るだけでも大変な事だ。
それに彼女は魔道伯爵であるし、辺境伯夫人としての立場もあるのだ。
「魔力が多くて精密作業が得意で、発想も柔軟で根気強くて私と仲良くなれる若い魔道士がなかなか居なくて…ラングルト君が引き継いでくれるとすごく助かるんだけど」
「お断りします。過労死します」
ラングルトはラングルトで汎用性の高い魔法の適性と強大な攻撃魔法を使える事で、あちこちから任務や面倒が降ってくるのだ。これ以上やれることを増やしたくない。
ふと、ラングルトの声音が冷たくなる。
「…ツワンベル側でも探索を出してますね」
「うちと被ってる?」
「境界ギリギリに居ます。狩人の格好をしていますが魔導士ですね。貴女の計測魔法が気になっているようです。後は、…奥にも居ます、何をしているのか」
「邪魔されたくないなぁ」
「撹乱しておきます」
「あ、偽情報が来た」
カリファの計測にブレが生じ始める。ラングルトが違うデータを被せ始めたのだ。明らかに違う数字なので、カリファはそれを剥がして正しいデータを保存し直す。
「…ラングルト君が弟子になれば楽なんだけどなぁ」
「嫌です」
ラングルトはにべもない。
カリファは眉を寄せる。
「…周囲の魔力の減りが速い。予想より早く始まるかも」
「…分かりました」
カリファが部下に合図を送る。伝令役として通信魔法が使える人材が配置されており、各部隊の魔道士に連絡が行く仕組みだ。
程なくして、作戦会議が始まる。
*
アルダール達が前線に合流して二日が経過した。
大森林と草原地帯の長い長い境目に沿って大きな堀が用意されている。大型の魔物も落とせる幅と深さのそれは工作部隊が準備したものだ。
森林内の各地点に傭兵が配置される。主に進路がずれた魔物を討伐する部隊だ。
魔物の出現に時間は関係ないとされている。夕方が近くなり篝火が焚かれ、草原地帯には各所に騎士たちが並んでいる。
王都からの騎士と、ノースポール辺境伯領の騎士、近隣の領地から派遣された騎士と傭兵の混成部隊は数百人の規模になる。バリスタなどの大型兵器も設置された。
魔物の討伐が目的とはいえ国境沿いに集結するには物騒な人数だ。ツワンベルも似た規模の部隊を編成している為、偵察にも緊迫感が漂う。
大昔には討伐を装った侵略もあったのだ。
後方に作られた作戦本部ではアルダールを始め、カリファやノースポール辺境伯領の騎士団長たちが集まっている。
カリファの率いる魔道士部隊が常に次元の穴の周辺を計測し続けている。
どういう理由なのか、魔物が大量に現れるその前に周囲の魔力が忽然と消え、魔道士による魔法の行使も無効化されることがここ数年の調査で確定していた。
ラングルトもアルダールのそばに控えている。
彼の認可のもと、複数の包魔石も用意され、騎士団に所属する魔道庫も各部署に控えている。主に救護所と大魔法を行使する魔道士部隊用だ。
「ツワンベルの偵察隊がこちらを伺っていました。国境は越えていないので警戒のみで対処はしていません」
次元の穴周辺に居る傭兵部隊からの連絡にアルダールは頷く。
「それでいい、向こうに武力行使の下手な理由を与えるな」
「傭兵部隊を穴からもう少し離した方が良いでしょう。魔物が出現したら押しつぶされる可能性があります」
「分かった」
ラングルトの言葉にアルダールが頷く。
視線を送るだけで伝令が走る。
どんどん周囲が暗くなっていく。スタンピードの開始は夜になるだろう。
ここ数日、上空に鳥の影はほとんどいない。森林を巣にする多くの鳥も何か感じ取るものがあるのだろう、他の林や領都の方に大量に移動している。
鳥を使い魔として空から偵察する魔道士も居るが、暗くなればそれも使えない。今の時間はひたすら探査魔法を駆使するしかない。
北部は王都に比べると気温が低い。日が暮れると途端に周囲が寒くなる。
アルダールの侍従が厚手のマントを準備する、ラングルト達にも配られた。
じわり、
出現を待つ前線からの緊張が伝播する。
と。
次元の穴周辺の魔力が急に途絶え、ラングルト達の探査魔法が届かなくなる。
ラングルトの眉が跳ねた。
カリファが顔を上げる。
「始まります!」
「総員迎撃準備!第一波が来るぞ!」
夜の闇の中、アルダールの声が響いた。




