47、後始末
放課後から更に時間の過ぎた校内に生徒はほとんどいない。
閑散とした長い廊下に転移したフォルセアは、膝をついてしまったカレンに慌てた。
「きもちわるい…」
「酔ったようですね」
ラングルトがカレンに視線を向ける。
フォルセアに運ばれた際にも気分を悪くしていた上に、ラングルトの転移魔法だ。限界が来たらしい。
「すぐに保健医を呼んでくる、少しだけ耐えてくれ」
保健室はすぐそこだ。
向かおうとするフォルセアをラングルトが止める。
「私が参ります、お待ちを」
身を翻し、すたすたと行ってしまう。その言い方に少し冷たいものを感じ、フォルセアは息を詰めた。どうかしたのだろうか。
保険医と助手が二人のもとへ走って来たのはそのすぐ後で、カレンは保健医に支えられながら保健室の寝台に横になった。
「ルドベキアさんも、こちらへ」
カーテンで厳重に仕切られた小部屋に呼ばれる。助手の女性が丁寧にフォルセアの身体を調べてくれた。
背中や足、ラングルトの結界のおかげで痛みひとつ感じなかったが、万が一のことがある。
「大丈夫です、打ち身一つありませんよ。今タオルを渡しますね」
すっかり泥が固まってしまった靴や制服に、フォルセアは苦笑する。そして、
「西寮に侍女がいます、申し訳ありませんが呼んでいただけますか」
ずっと寮に戻らないからきっと心配しているはずだ。それに、制服の着替えも欲しい。
「分かりました、お待ちくださいね」
フォルセアは先程の騎士を待たなくてはいけない。助手はにっこりと頷いて、保健室を出て行った。
カーテンを開けると、少し離れた場所に座っていたラングルトが立ち上がる。
その表情に心配の色を見留めて、フォルセアは安心してもらえるように微笑んだ。
「大丈夫でした、ラングルト様のおかげですね」
「…安心いたしました」
「モンステラさんはしばらくここで休ませますね、ルドベキアさんは寮に戻りますか?」
「騎士課程の教官がここに来るはずです、待たせていただけますか」
ラングルトから事情を聞いたのだろう、保健医は成程、と頷く。
「隣の休憩室を使って下さい、ここに居るのも気詰まりでしょう。モンステラさんも今は眠らせていますし、またお呼びします」
保健室の奥にある扉を指し示し、しー、と口元に指を当てた。フォルセアはラングルトを見上げると、彼が頷いたのでありがたく移動させてもらう。
休憩室にはカーテンで仕切られた寝台が二つとベンチが二つ。発熱の生徒を隔離する目的の小部屋だ。
フォルセアがベンチに腰掛けると、ラングルトがフォルセアの前に膝を付いた。
「ご無事でなによりでした」
「私もさすがに、どうなるかと思いました」
フォルセアは息を吐く。
怖かったか、と言われれば怖くはなかったと答えるだろう。
しかし、あの時は必死で、おそらく混乱していたのだ。今になりようやく、よく無事であれたと思う。
「私もカレン嬢も、よく、…本当に、」
急に、少し息が詰まる。
ぞわり、背筋が震えた。
フォルセアは自分の顔が強張っていることに気付いていない。
「フォルセア様」
ラングルトが立ち上がる。
長い腕が、フォルセアを包んだ。
隣に腰掛けたラングルトの胸に頭を預け、フォルセアは何とか息を吐く。声も震えてしまいそうで、ラングルトの名が呼べない。
「そのままで。無理はしないで下さい」
肩の震えにラングルトが抱きしめる力を少し強くする。フォルセアはぎゅ、と目を固く閉じた。
一歩間違えばカレンは奪われて自分は死んでいたのだろう。
偶々(たまたま)、フォルセアに逃げる力があった、ラングルトの宝石を持っていた。
オルソー達が来てくれた事だって、フォルセアの叫びを聞いてくれた人が居たからだ。
冷静になりたくて、フォルセアは何とか自分の思考をまとめようとした。
何度も音が作れない口を動かし、ようやくひとつ、これを口にする。
「たすかって、よかった」
「はい」
ラングルトがフォルセアの首元に顔を埋める。
ためらいながら、フォルセアもラングルトの背に腕を回した。
「貴女がご無事で良かった」
きつくきつく抱き締められて、息がし辛い。だが、ラングルトの声に、体温に、この苦しさにようやくフォルセアは安堵した。
私はもう大丈夫なのだ。
「…ラングルト様」
背中をとんとんと叩くと、ラングルトが顔を上げた。端正なラングルトの顔がフォルセアの目の前に。
「おかげで落ち着きました、ありがとうございます」
思考を整理する。
感情の切り替えが早いのはフォルセアの特技だ。
すっかり震えが消えて、いつものフォルセアの笑顔に戻っている。
つい、ラングルトは確認するようにフォルセアの頬に手を添えた。
表情の強張りが消えている。
大きな手のひらに委ねるようにフォルセアは安心して目を閉じたので、ぐ、とラングルトは息を詰めた。
頬を滑り髪を撫で、無理矢理自分の手を引き剥がすと、ラングルトはフォルセアの肩を包むもう片方の腕も下ろした。
思い切り寄せた眉を手背の関節でグリグリと押す。
(危ない)
安易に触れていいお方ではない。
婚約者とはいえ敬意を通り越して崇拝すらしてしまいそうなお方なのだ。
とっさのこととはいえ良くもまあ。
先程までのフォルセアの震えとは違う理由で、ラングルトは自分の手のひらが痙攣するような感覚を覚える。そして心臓から左腕にかけて、神経と血管が握りしめられるあの感覚も。
先日のルドベキア邸の庭の一件以来、タガが外れて来ている自認がある。
特にフォルセアが無事であった安堵から、思考がおかしくなっている。
背中に回された腕こそ無くなってしまったが、フォルセアは今もラングルトのすぐそばに。
フォルセアはラングルトの一挙一動に嫌悪をひとつも示さない。増長しそうな己を、ラングルトは新鮮にすら思う。
自分にこのような感覚があったのか。
そしてふいに思い出す、あの花畑でのあの光景。
ラングルトは目を細く鋭くする。
「…ところで、フォルセア様」
「はい」
「先程貴女を呼び捨てにしていたオルソーという生徒とはどういったご関係ですか」
*
保健室に駆け込んできたのはシリスだけではなかった。
どのような経緯で話が伝わったのか、トレノを伴ったレイナードも駆け付けたのだ。
「お嬢様!」
「姉上!」
シリスに抱き付かれた後、次はレイナードに抱きしめられ、フォルセアは困ったような笑みを浮かべる。
「心配をかけてすまない、ラングルト様のおかげで何とか無事だったよ」
「いえ、フォルセア様の対処が的確でしたので」
後ろに控えてくれているラングルトが応じる。
フォルセアは椅子に座った状態でレイナードに抱き締められているので、前が全く見えない。
「前言撤回したくなるから危ないことはしないで下さい」
「待ってくれ、レイナード、それは困る」
つい先日、自由を願ってくれた弟の言葉にフォルセアは慌てる。
「すごく大変だったから、必ず気を付ける。というより、私ではなくカレン嬢が狙われていて、私は本当に偶然居合わせただけで、」
「姉上」
「ものすごく気を付けます」
降参だ。
フォルセアは両手を上げた。
保健室の一角では、警備員と教官役の騎士がカレンから話を聞いているところだ。
さすがにカレンも少し寝て、気分も持ち直したらしい。起き上がって何事かを説明している。意外と冷静だ。
くしゃくしゃになってしまった呼び出しの手紙も渡していた。あれも何かの証拠となるのだろう。
フォルセアも話せることは少なく、ただ悪い予感がしたからカレン嬢を担いで逃げたとしか言えなかった。
フォルセアを狙った侵入者たちが何人かも、どこに潜んでいたのかも分からない。ラングルトがどうやって彼らを見つけ出し、ヒューロックの花畑に転移させたのかももちろん分からない。
使われた魔法は各所に魔力の痕跡が残っていたため、全て記録されるようだ。
門扉を蹴破ったのは私です、と申告した時の警備員たちの顔は中々形容し難いものだったが。
詳細な調査はまだこれからだ。
法務局から捜査員も派遣されるし、捕らえた侵入者の尋問もされるだろう。
スタンピードが近く、今最も名前の知られている魔力の強いカレンが狙われたのだ。口にはしないが精霊教団の可能性が高いと、ほとんどの者が考えている。
つまり、他にも狙われている又は捕捉されたアルストロメリアの国民が居るはずだ。
結局、カレンはスタンピードが落ち着くまでの間は正教会で守られることとなった。
せっかく中央学園に馴染みはじめていた所だったので本人は不満そうだが、再び狙わせる訳にはいかない。
フォルセアは通常の生活をして構わないそうだ。あの場にいた侵入者が全て捕まっている以上、フォルセアが邪魔をしたと知られることはない。報復はないであろうとの判断だ。
もうすっかり外が暗くなっている。
フォルセアとシリスは西寮の前までラングルトに送られた。
もうこの時間、寮には部外者は立ち入ることはできない。
「ラングルト様、今日はありがとうございました。お仕事も中断しましたよね、すみません」
「いえ。気になさらないで下さい。貴女のご無事の方が大切です」
ラングルトは一礼する。
多くの視線を感じる。フォルセアと同じ寮の生徒達が窓に張り付いて玄関を見下ろしているのだ。
(学生の好奇心か)
表情を変えず、ラングルトはため息を堪えた。フォルセアも気付いているようだが、気にも留めていない。
「近いうちにまた、お礼をさせて下さい」
「光栄です」
「あと、こちらを」
フォルセアが着替えた制服の内ポケットから出した物。
少し皺がついてしまっている手紙。
宛先はラングルト。
「今日、本当はこれを配達してもらう予定だったんです」
今日の内に渡せて良かった。
はにかむフォルセアに、ラングルトも目元をゆるめた。
「謹んで、拝読いたします」
ことさら丁寧に受け取り、ジャケットの内ポケットに収める。
「では、失礼いたします。フォルセア様、ゆっくりお休み下さい」
「ラングルト様も」
ラングルトの一礼に、シリスも頭を深く下げる。
杖を振る、その少しの動きでラングルトは円陣の中に消えてしまった。
「さあ、フォルセア様」
「ああ」
シリスに促され、フォルセアは寮の玄関をくぐる。集まっていた寮生達の騒がしい声が彼女を迎えたので、肩をすくめた。
「お疲れ様でした。フォルセアさんは」
「ご無事です」
転移を終え、ラングルトは執務室の扉を開ける。気付いていたのだろう、ダナンが迎えた。
執務途中で放置した書類の束が山になって机の上に積まれている。ラングルトは息を吐いた。
「法務局より捜査の協力要請が来ています」
さすがに仕事が早い。
第一王子が入学予定の学園での騒ぎでもあるのだ。魔道庫が狙われ、侯爵令嬢が巻き込まれた、この件は秘匿される分、早急な解決が求められる。
「ペストリとワーゲンを出します。根絶やしにするように伝えて下さい」
「局長、捜査協力です。掃討ではありません」
「…ニクスとプリオレを」
「分かりました」
ダナンは書類に二人の名前を記入する。
「あと、北部大森林のスタンピードについて正式な討伐要請と行程表が届きました」
一枚の書類がラングルトの机に乗せられる。
王の署名と押印がなされている。
文面にさっと視線を走らせて、ラングルトは嘆息した。要請ではない、命令書だ。
「…行きたくありません」
ダナンは少し驚く。淡々と任務をこなす上司の、初めての言葉だ。
だが、まあ、しかし。
「行って来て下さい、スタンピードが南下でもしたら王都だって危険なんですから」
部下の言葉に、ラングルトはまたひとつ、長い息を吐いた。




