43、カレン、土下座する
五月に入りすぐに、ルドベキア侯爵令嬢とベルツ魔道伯爵の婚約が発表された。
根回しは主に有力貴族と王家の息が掛かった新聞社や外国の要人たちに対して行われた。
若く有能な魔道伯爵と力のある侯爵家の令嬢を結婚相手に求める勢力は多い。それぞれを手に入れれば政治的力関係が変わることもある。
少しでも反動が少なくなるようにルドベキア侯爵家やその一族は各家とそれとなく連絡を取り合ってきた。
しかし、魔道伯爵の母、フレデリカ・ベルツ前伯爵夫人の凶行で予想より早く公表することになってしまった。
事件の捜査に当たった行政府の職員の多くがベルツ魔道伯爵の本来の婚約相手を知ってしまったことも大きいし、前伯爵夫人の犯した事件はそれなりに貴族間に知られてしまったからでもある。
何せ、彼女は伯爵家から除籍された。これが貴族達に大きな衝撃を与えたのだ。
貴族が罪を犯すと裁判が難航するため、軽微なものは大体罰金や謹慎、家に留まると問題がある場合は修道院送りなどで済まされる。
数十年前の汚職事件で多くの貴族が粛清されて以降、貴族が減ったこともあり除籍などの重い処分は中々下されなかったのだ。しかも裁判はまだこれからだ。
裁判は非公開で行われるし、高位貴族や魔道庫の絡んだ事件でもあるので貴族達はこれについて多くの者が口を閉ざしているが、罰は更に重くなるだろうと言われている。
貴族の醜聞を打ち消すため、本来の婚約を急いで公表せねばならないのだ。
中央学園では貴族の犯した事件よりもフォルセアの婚約の方を大事件として取り扱う者が多かった。
「やっと話せる!我慢するのが大変だったんですよ!」
とは、年末にラングルトと行った青い屋根のひだまり亭の看板娘のミリだ。
「秘密を守ってくれてありがとう」
フォルセアは彼女に感謝しかない。契約結婚を決めた本当の初期に、彼女の店で計画を相談し合ったのだ。
フォルセアと仲の良いクラスメイトたちは口々に祝いの言葉を述べてくれるし、相手があの魔道伯爵というので更に興味津々な様子だった。
(そういえばラングルト様はとても恐ろしい方だとか、近付き難い方だと思われていたんだった)
久しぶりに聞く周囲のラングルトへの印象に、フォルセアは数ヶ月前を懐かしく思う。
「大丈夫、とても優しい方だよ」
怖い方と結婚して大丈夫ですか?
と、わざわざ教室まで来て心配してくれる後輩たちに安心させるように笑顔を浮かべる。
「あんなこと言ってるけど」
魔道士の資格を目指している男子生徒がそばに居たフリージアに確認する。彼はラングルトの事を知っているようだ。
「個人の感想であり、お兄さまへの印象を保証するものではありませんわ」
「だよねぇ!」
絶対優しくないって!超やばい人だよ!
力説している。
「失礼な」
フォルセアは言い返したいが、他の友人達がフォルセアを離さない。授業の合間の休憩時間でこれなのだ。昼休みや放課後にはもっと騒ぎになってしまうかもしれない。
(レイナードの方は大丈夫だろうか)
フォルセアは一年生になったばかりの弟を心配する。成り行きとはいえラングルトはレイナードの後見人も務めているのだ。
(昼に会えるかな…)
すまない、レイナード。
フォルセアは好奇心旺盛な女子生徒たちに肩を何度もゆすられながら心の中で謝った。
*
「本っ当ーーに、申し訳ありませんでした!」
放課後、手紙で呼び出されたフォルセアはフリージアと、念のためオルソーと共に図書館のそばのベンチへ向かった。
先に待っていたのだろう、手紙の主、カレン・モンステラはフォルセアの姿を見るなり滑り落ちるように地面に頭を擦り付けた。
「え、何ですの⁉︎」
「すげぇ土下座」
フリージアがうろたえ、オルソーが口笛を吹いた。
「カレン嬢!」
うら若き女性がする行動ではない。
フォルセアは慌ててカレンに駆け寄り膝をつく。早く起こさねば。
「フォルセア、制服が汚れます!」
「いやそれより、カレン嬢、立ってくれ」
「フォルセア様におかれましては本当に申し訳ありませんー!」
「それは構わないから、カレン嬢!」
「フォルセア、いけません!」
大騒ぎだ。
「あーあー分かった分かった」
オルソーが後頭部を掻きむしり、呆れたように息を吐く。
「触るぞ」
一言で告げて、まずフォルセアの腹部に腕を回して持ち上げた。
「うわっ」
そして、もう片方の手でカレンの制服の腰の辺りをむんずと掴み上げた。
「きゃあ!」
カレンが問答無用で地面から浮かされる。
そのまま、ぽい、とベンチに投げるように置かれた。
オルソーはフォルセアの方はそれなりに丁寧に地面に下ろすと、屈んで無骨な手のひらでスカートの膝の辺りをババっと払ってやった。
「すまない、オルソー」
「フリージアを困らせんな」
「ごめん」
「カレン様、先程の謝罪の理由を教えて下さいませ」
す、フリージアが前にでる。
カレンはベンチの上で呆然としていたが、はっと我に返って立ち上がった。
「この度は私の父が本当に申し訳ありませんでした!しかも、私ったらよりにもよってフォルセア様の前であんな、あんな、婚約者とか宣言してしまって…」
カレンは真っ青な顔をしている。
フリージアはフォルセアを振り返り、フォルセアは肩をすくめた。
本当にあの時のカレンは騙されていたらしい。
フォルセアは安堵の息を吐く。
「正教会の祭祀の役目を持つペラルゴニウム侯爵と共に、モンステラ男爵からも正式に謝罪を受けている。カレン嬢の謝罪も今きちんと受け取らせてもらった。どうかもう気にしないで欲しい」
評議会の翌日、ルドベキア侯爵ライゼルは二人の訪問を受け謝罪を受けた。フォルセアは学園のため不在であったが、父から謝罪の言葉を正しく知らされている。
「フォルセア様…」
自分の前に立ちほほ笑むフォルセアに、カレンは胸の前で手のひらを組んでしまった。それは神に祈る仕草なのだが。
「まったく、フォルセアったら」
優しいんですから。
フリージアの苦笑にカレンはまた慌てて顔を向ける。
「フリージア様も本当に申し訳ありませんでした!あの時のフリージア様が、私の言葉を肯定も否定もしなかったおかげで事態が拗れなかったと教えてもらって…!」
また膝を折りだしたので、オルソーはとっさにカレンの制服の首の辺りを後ろから引っ張った。
「それを止めろって」
「私もあの時はきつい言い方をしてしまい申し訳ありませんでした。元はと言えば母が行った事なのです、カレン様、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
フリージアも頭を下げる。
伯爵令嬢の謝罪に、カレンは何度も首を振った。
「滅相もありません!」
「さあ、これで謝罪は終わりだ。カレン嬢、私たちはただ同じ学園で学ぶ生徒同士、そうだろう?」
フォルセアはハンカチでカレンの顔についた土を払う。
侯爵令嬢自らハンカチを、とフリージアが肩を落とした。
「ありがとうございます…!」
カレンはまた祈り出す。
「大丈夫かこれ」
オルソーがカレンの制服の襟から迷いながら手を離した。周囲を確認するが、この騒ぎでも誰も集まってこない。ひとまず安心する。
「私ったらあの時はやっと婚約者ができたと喜んじゃって浮かれてて、しかもあのフォルセア様と会えるなんて思ってなかったからパニックになって、あー、恥ずかしいです…」
カレンは思い出しながら顔を覆った。
「あのフォルセア?」
フリージアが聞きとがめて首を傾げる。
「私が何かしてしまっただろうか?」
フォルセアも少し緊張する。何か悪評でも立ててしまっただろうか。
声が沈んでしまったフォルセアに、カレンは慌てる。
「女学園の時の友達が、春のガーデンパーティーで王子様みたいに素敵な人がいたって手紙をくれて、調べたらルドベキア侯爵のご令嬢だったって、中央学園に通ってらっしゃるらしいから、お姿を見かけたら教えてねって書いてあって!」
「はい?」
「うん?」
カレンの言葉にフリージアとオルソーが怪訝そうな顔をする。
フォルセアは目を大きくして、固まってしまう。
まさか。
あの時のご令嬢の集団か?
「手紙に絵姿を同封してくれてて、それがもう本当に素敵だったから私も舞い上がっちゃって…」
「絵姿⁉︎」
フォルセアの声がひっくり返る。
「何のことですのフォルセア?」
「王子ってお前が?」
「ええ、役者さんの絵姿みたいに売られてたんですって、名前は『男装の麗人』って書いてあって」
「男装の麗人⁉︎フォルセア?」
「売っているのか、あの格好が?」
ここまでうろたえるフォルセアなど見たことがない。カレンはそれに気付かないが、フリージアとオルソーは初めて見る親友の姿に心底驚く。
「ええ、ラスタ雑貨店で買ったって書いてありました」
「ラスタ…ラスタード商会か…!」
フォルセアは額を押さえた。
春の休暇中に母の気まぐれで男装で出席したガーデンパーティーの主催者だ。商会長ヴァン・ベルデッド、あの老獪な男が発案したに違いない。
あのパーティーは支援を受けている芸術家も多く参加していた。いつの間にか画家に描かせていたのだろう。
「…フリージア、私は生まれて初めて自分のわがままで権力を使うかもしれない」
商会に圧力を掛けて販売を差し止めなければ。
「フォルセア、落ち着いてくださいませ」
「どんな格好したんだ?」
オルソーがにやりと笑う。フォルセアは眉を寄せた。
「あんな格好、見せられたものではないぞ」
「え、すごく素敵ですよ、ほら!」
あろうことか、カレンは制服の内ポケットから丁寧に畳まれた絵を出したのだ。
「まあ!」
「へぇ」
「うわー!」
フォルセアは顔を隠した。本当に恥ずかしい。
金の長い髪を束ねた、華やかな姿の若い紳士が描かれている。衣装には細かいレースがあしらわれ、化粧を施された顔はきちんと見れば凛々しい女性だと分かる。
ドレス姿の絵姿ならば平気なのに、これは本当に恥ずかしい。
「素敵ですわ!フォルセア、この衣装はまだ残っていますの?」
「いっぱしじゃねえか。王子サマ」
興奮するフリージアに、からかってくるオルソー。フォルセアは羞恥でおかしくなりそうだ。
「止めてくれ…」
そしてハッとする。
こんな絵が回り回ってラングルトの目に触れたら大変だ。
「いや、本当に差し止めをさせる。ラングルト様に見られたら私は倒れる」
「お兄さまならきっと喜ぶと思います」
「私が恥ずかしい」
誰が男の姿をした自分を婚約者に見てもらいたいと思うのだ。
「え、でもこの絵って侯爵家の許可出てますよね」
恐る恐るカレンは絵の隅を示す。
「……母上…!」
そこには、ルドベキア侯爵夫人アニエスを示す紫のスミレが小さく描かれていた。
こうして、モデル本人の意思とは無関係に正体不明の『男装の麗人』の絵姿は女性達の心を射とめ大流行することになる。
正体を知っているパーティー出席者の女性達は身分差もあるため口を閉じ、自分たちだけが麗人の正体を知っていると優越感に浸った。
翌年には絵姿の麗人を主人公にしたラスタード商会後援の舞台劇まで発表されるのだが、その事を今のフォルセアは知らない。




