42、フォルセア、約束する
「私、何もお手伝いできませんでしたわ…」
フリージアが無念そうにぼやいた。
ラングルトは妹に視線を向ける。
「何がですか」
「もう!」
フリージアは頬を膨らませてその後ぐい、と紅茶を飲んだ。淑女とは言えない仕草だ。
だが、もうここにそれを咎める人物はいない。
ラングルトとフリージアは、ベルツ伯爵家の本邸に居た。
談話室のソファに腰掛ける兄妹のそばにはメイド長のアンがいて、執事のロイドが控えている。
飲み物も軽食も屋敷の使用人たちが用意した物だ。
ラングルトが評議会の場に立ってから、十日近く経った。学園に外泊届を出したフリージアは、ラングルトとともに久しぶりの実家に帰って来たのだ。
もう、ここに母フレデリカはいない。
彼女は貴族牢におり、裁判は再来週開かれる。フレデリカはすでにベルツ伯爵家から籍を除かれ、実家ヤージュ男爵家の人間になっているので、もうこの伯爵邸に足を踏み入れることは許されない。
ラングルトは評議会の後も裁判の準備や根回しに奔走し、フリージアとは手紙のやり取りで状況を伝えるだけだった。
結果的に、ラングルトはフリージアから母親を無断で奪ったことになるのだが。
「別に構いません」
と、フリージアの返事は淡々としていた。
「もうあの方の顔色をうかがってビクビクしなくて良いのでしょう。戸籍上の母というだけで従わなくてはいけない、とても苦痛でしたわ」
せいせいしました。
そうのたまった妹に、ラングルトも心から同意する。
「それに私にはアンたちがいましたから」
ラングルトの乳母夫婦は、フリージアも変わらず育ててくれた。乳兄弟のロイドも子供なりに気を配ってくれた。
「あと、私は何よりもフォルセアの方が大事なのです。フォルセアを苦しめたあの方を私は許しませんわ」
「同感です」
ラングルトも深く頷く。兄妹の認識が見事に噛み合って、この話はこれで終わりになってしまった。
そして今。
フリージアは別のことで拗ねている。
「フォルセアに、私とお兄さまで事態を解決すると約束しましたのに、お兄さまが全部済ましてしまうのですもの」
不完全燃焼ですわ…!
「私一人では無いですが」
魔道伯爵として、魔道局局長として、できる限りの人材の伝手をたどり事態の糾明に当たったのだ。
あの二日間で各部署のかなりの人数を動かしてしまっている。市街は任せてしまったが手荒な捜査もあったようだ。
「それに、お前の知らせがなければ事態はもっと悪化していました。あのゴシップ紙は週末には刊行される予定でしたからね」
「ああ、それは…それは良かったですわ」
男爵家姉妹に唆され、大金を出した新聞記者達。嘘や誇張の多い三流紙とはいえ、魔道伯爵の偽の婚約が発表されれば大惨事になっていたはずだ。
想像してフリージアは冷や汗をかく。
「こうなると、カレン様にも感謝しなくては…あの方のおかげで事態が分かったのですもの。……そういえばお兄さま」
フリージアは紅茶のカップを置いた。
「なんです」
「よく、モンステラ親子を許しましたわね」
そう。
フリージアは顛末を聞いて驚いたのだ。
母と叔母は裁判を待つ身、おそらく重い罪が科されるだろう。
しかし、モンステラ男爵はフレデリカに騙されたと証言し、ラングルトの采配で事前に婚約誓約書の撤回をしていたため厳重注意のみで済んでいる。
カレン嬢もラングルトに会った事すらなかったため、被害者として扱われている。
騙されたとはいえフォルセアを苦しめた一端を担っているはずの親子だ。今回のラングルトの対応に、ここ数ヶ月の兄の様子を知る妹として本当に驚いたのだ。
「お前が書いてよこしたのでしょう」
何を言っているのか。
ラングルトは妹に視線を向ける。
「私が?」
「あの時のお前の手紙に、詳細に書いてありましたよ。フォルセア様が言ったのでしょう、『できることは少ないが、何かあれば私にも助けさせてくれ』と。フォルセア様が助けると決めた人間を、私が損なうわけがない」
一言一句違わずに書き記したのはフリージアだ。
そしてそれを、二週間近く経っているのにラングルトは諳んじる。
フリージアは自分の書いた手紙を思い出し、「ああ、」と嘆息した。
そうか、そういうことなのか。
フォルセアの言葉がなかったらモンステラ男爵たちも早々に切り捨てたに違いない。
「お兄さま、怖いですわー」
「遺憾ですね」
兄妹のそばでロイドとアンが頷いている。多分これは、フリージアに同意しているのだろう。
ーー
「ラングルト様に愛していると言っていただけたんだ」
評議会の結果を聞いた後。フリージアはフォルセアの言葉に驚いたものだ。
あの兄が!石どころか氷のようなあの兄が!
生みの親の仕打ちにすっかり感情を投げ捨てて、他人に興味を示さなくなってしまったあの兄が。
ラングルトがフォルセアに契約結婚を提示され、その場で受け入れた時からまだ数ヶ月しか経っていない。
兄の変化は劇的で、フリージアは驚くとともに喜びと不安を感じていたのだが。
ついに、まさか、とうとう、
様々な副詞がフリージアの脳内を巡る。
しかしフォルセアが、
「私もなんとかしてラングルト様に報いたい」
と、
そうフリージアに伝えたので思考が中断される。
報いる、の真意が分からなかったのだ。
契約結婚の義務としてなのか、様々な助力の恩を返すためなのか、それとも。
でも、フォルセアの目元のあたりが少し赤かったので、きっと悪い事にはならないだろうとも思う。
ーー
(お兄さまには内緒ですわ)
どちらかといえば凛々しいフォルセアの、かわいらしい貴重な姿だ。フリージアの記憶の中で独り占めするつもりである。
あの時のフォルセアを思い出しながら、フリージアは最後にもう一口紅茶を飲んだ。
もうそろそろ、出発の時間だ。
「お兄さま。参りましょう」
妹の声にラングルトは立ち上がる。ロイドが談話室の扉を開けた。
今日はルドベキア侯爵家に招かれている。
婚約式に向けて、フリージアの衣装を用意していただくのだ。
*
大歓迎だ。
「お招きいただきありがとうございます」
「さあどうぞ、いらっしゃい!」
ルドベキア侯爵邸に着いて早々、挨拶もろくにしないまま、フリージアは侯爵夫人アニエスに手を取られて階段を上がって行ってしまった。
エリシアとリディア、ルドベキア侯爵家の末妹二人がそれに着いて行ってしまう。
「お兄さま…!」
助けを求めるように何度もラングルトを振り返る妹に、ラングルトは言葉を返さずに見送った。彼にはどうする事もできないからだ。
そして。
「ラングルト様、お待ちしていました」
「フォルセア様」
フォルセアに会うのはあの日以来だ。
「お招きありがとうございます」
ラングルトは笑みを浮かべる婚約者に頭を下げた。
ルドベキア侯爵邸の庭園は広い。
大きな練兵場の脇を通り過ぎると果樹園に繋がる。春の果物だけではなく、温室には季節を調整する魔道具が設置されていて別の時期の果物も手に入る。
フォルセアはラングルトを果樹園の四阿に案内した。
「以前お話しした、私が誘拐された場所がこの庭なのです」
庭を見渡すように作られた四阿の石造りのベンチに座りながら、フォルセアはラングルトに告げる。
ぴくり、フォルセアの手を取っていたラングルトの眉が跳ねた。
「もうすぐ十四年になりますか。今はあの時の庭師の息子と孫が跡を継いで、ここを守ってくれています」
「…さようでしたか」
ラングルトは視線を周囲に走らせる。
庭のはじに侯爵家の使用人と護衛騎士たちが目立たぬように立つ以外、人の気配も魔力もない。
「あの時から警備の人数も増えましたが、幸い何事も起こっていません」
「貴女はこの場所がお辛くないのですか」
「はい。二人を死なせてしまったことは心底悔やまれますが、だからこそ、私はこの場を大切に思います。私が私の務めを果たすために、決意を新たにするためにこの場に来るのです」
フォルセアの表情は揺らがない。
堂々たる声音、侯爵令嬢としての笑顔。
自然とラングルトは胸に手をあて一礼する。この方の御心に敬意を。
「父から聞きました。ラングルト様が評議会で、伯爵位を返上するとまで言ってくださったと」
フォルセアの声は真剣だ。
ラングルトは逡巡した後、フォルセアの隣に座った。この四阿には向かい合わせに座るための椅子はない。
「我が家の者の不始末でしたので」
「…爵位を返上してまでも、私との結婚を望んでくださったと聞いています」
「はい」
王侯貴族たちの目の前で、ラングルトは宣言した。それ以外にこの方のお側にいる方法はないと考えたのだ。
「心から嬉しく思います。そして、ラングルト様が爵位を失わなくて本当に良かった」
フォルセアはラングルトを見上げる。
「ルドベキア侯爵のお力のおかげです。感謝しております」
あの光景を思い出し、ラングルトはわずかに目を閉じた。
ルドベキア侯爵をはじめ、多くの助けの手があった。
「私も貴方のそのお心に報いねばと、あれからずっと考えておりました」
ラングルト様。と。
フォルセアは膝をラングルトの方へ向け、彼の手を握りしめた。
いつもの逆だ。今まではラングルトが一方的にフォルセアの手を取っていた。
美しく長い指が、ラングルトの手を包む。
「私はあの日のラングルト様のお言葉を心から嬉しく思います。必ず、貴方のお心に報いることをお約束します、どうかその日まで、お待ちいただけますか?」
すっと伸びた背筋、凛とした言葉。
堂々とした宣言のようですらある。
だが、フォルセアの耳が、頬が、少し赤くなっている。
そのギャップにラングルトは笑みを浮かべた。
こんな自分が、どうしようもなく笑んでしまう事があるなど、思いもしなかった。
「お待ちします。いつまででも」
ラングルトはフォルセアの手を掬い上げ、左の指に唇を落とした。
薬指。
フォルセアがほほ笑んだ。
とても美しい姿だった。
「そういえば、父が少し怒っていましたよ」
四阿の椅子で隣り合うまま、フォルセアはラングルトに話しかける。
「何かしてしまったでしょうか」
ラングルトは眉を寄せる。
「婚約した日、父がルドベキアの保護下に入るから何かあれば助けると言ったのに、父に相談なくラングルト様が一人で頑張ってしまったので」
「ああ…」
ラングルトは嘆息する。
あの時から、有事には助けて下さるおつもりだったのか。
「評議会の後にお言葉をいただきました。私の義父であると」
恐れ多い事です。
ラングルトは神妙に答えると、フォルセアは笑う。少し悪巧みを隠すような、そんな笑顔。
「それで父と母が相談し合ったのです。ラングルト様が他人を頼らないのは、それが許されない子供時代だったからではないかと。なので、これからは物凄くルドベキアの子供扱いをするそうです」
「は、?」
ラングルトは咄嗟に理解が及ばない。
「私達にも周知が済んでいますので、ラングルト様たちはもうルドベキア家の子供です」
「…フォルセア様?」
フォルセアは何を言っているのか。
そして気付く。
「…たち、と仰いましたか」
「ええ」
フォルセアはにこにことしながら、屋敷を見上げた。ラングルトもつられて上を見るが。
「とりあえず今はフリージアが大変なことになっていると思います」
ラングルトは訪問早々侯爵夫人に連れて行かれた妹の姿を思い出す。
「…もう少しここに居てもよろしいでしょうか」
魔道伯爵とはいえ、その場に乗り込む勇気はない。
「はい」
フォルセアはふふ、と肩を震わせた。振動がラングルトの腕に伝わる。今までになかった距離だ。あたたかい、そして、堪らなくなる。
「失礼いたします」
隣り合うフォルセアの左手を取ると、ラングルトは指を絡めた。所謂、恋人同士の手繋ぎだ。
フォルセアの様子を見る。
少しでも不快感を表していたら、すぐに手を解くつもりで。
だが。
「……なるほど、そうか、うん」
フォルセアは小さく呟く。
繋がれた自分とラングルトの手を見つめて、ぽつり。
「これは、心構えが足りていませんでした」
真っ赤な耳を空いた右手で押さえながら、ラングルトを見上げる。
『フォルセアの情緒がまだ育っていないということなのでしょう?これからですわ、きっと大丈夫』
いつしかの妹の言葉を思い出し、
(成程、)
ラングルトは感心する。
あながち間違ってはいなかったらしい。




