39、告解
ろくに眠れないまま一夜が明けた。
あの日の夕方、迎えに来たフリージアと共に図書館を出ると当たり前のことだがもうカレンの姿はなかった。
西寮まで付き添ってくれたフリージアに礼を言い部屋に戻ると、フォルセアの姿を見たシリスが顔色を変えた。
「フォルセア様!」
表情が抜け落ちてしまったような、彼女の主人の顔。
「なんでもない、大丈夫だ」
フォルセアの声だけは平坦で、余計にシリスはうろたえた。急いでフォルセアを席に座らせ、側に跪いた。
「フォルセア様、どうなされたのです」
「私もよく分からないんだ。…フリージアと、父上にはまだ秘密にするようにと、約束したから…」
「私の主人はフォルセア様です!」
シリスの真剣な声に、少し、フォルセアの表情が動く。
「私の忠誠はルドベキア侯爵家ではなくフォルセア様に捧げております。フォルセア様がご命令くだされば、たとえ王命であろうとも秘密はお守ります」
「シリス…」
子供の頃から仕えてくれている、姉のようにも思える信頼できる従者。それでもその立場を任命したのはルドベキア侯爵であり、シリスは立場上は侯爵の部下だ。
けれども。
そうではないと、シリスは告げる。
「教えて下さいませ、フォルセア様。何があったのです」
「シリス、ありがとう。…巻き込んですまない」
「何も知らない立場の方が、私は苦しゅうございます」
フォルセアの手をシリスは握りしめて、そうして主人の言葉を待った。
フォルセアはシリスにあらましを説明する。憤慨する乳姉妹を宥めている内に夜になってしまった。
シリスは慌てて食堂へ夕食を取りに行き、普段はしないのに二人で一緒に食べた。
フォルセアはその後は努めていつも通りに振舞った。何度も鏡を確認し、自分の表情を確認する。
少しでも、いつもの顔に戻したかった。
動揺を消し去りたかったのだ。
それでも夜はろくに眠ることができず、フォルセアは誤魔化すように冷たい水で顔を洗った。
当たり前のように朝が始まる。
ほぼ毎日オルソーに付き合ってもらっている早朝のランニングは、シリスに休むと伝えてもらった。
寮の食堂での朝食。
いつもより口数の少ないフォルセアにオルソーが心配してくれたが、理由は言えないと謝ると肩を軽く叩いてくれた。
ようやく少し、フォルセアは笑みを浮かべることができる。
(大丈夫、私は問題ない)
繰り返し、心身に刻み込む。
けれどもカレンの言葉が何度も何度も脳裏によみがえり、フォルセアの罪悪感を煽った。
「ルドベキアさん」
授業が終わったタイミングで、教室の扉の向こうから声が掛けられた。
教師と共に学園の職員が立っている。
「はい」
教科書などをまとめてから向かうと、職員が真っ青な顔でフォルセアに頭を下げた。
「お客様がいらっしゃっています。学園長のお部屋に来ていただけますか」
「学園長?」
「はい、すぐに、来て下さい」
「分かりました」
職員の挙動がおかしい。教師を見ると、事情を知らないのか彼も不思議そうな顔をしている。
「欠席か遅刻の連絡をしましょう。次に専攻の授業は何限目ですか?」
「午後からなので大丈夫です」
「分かりました」
気を遣ってくれた教師に一礼し、フォルセアは職員に伴われ階段を上る。学園長室は最上階だ。
「詳しいことは学園長にお聞きください」
階段を速足で上っている職員が、息を切らしながらフォルセアに伝える。
「はい」
それに合わせながらフォルセアは頷く。
重要文化財でもある学園は広く、入り組んでいる。目的の部屋の前に着く頃には、職員は疲れ切っていた。顔色も悪いまま。
ノックをして、「ルドベキアさんをお連れしました」と伝えると、中から返事があった。
「どうぞ」
荒く息をしながら、職員はフォルセアのために扉を開けてくれる。
「ありがとうございます」
軽く一礼して、フォルセアは部屋に入った。
「よく来てくれました。授業があるのにごめんなさいね」
迎えてくれた老齢の女性が中央学園の学園長、スターシア・ロンドベルだ。
しわを刻んだ目尻が優しく笑みを伝える。
「いえ、午前の授業はもうありませんのでお気になさらないで下さい。それで、お客様というのは」
フォルセアは学園長を見ると、彼女は困った顔で、学園長室の更に奥、来客室に視線を送った。
「ちょっと生徒たちには会わせられない方が来ていましてね。私も席を外しますし人払いはしますから、部屋をゆっくり使って下さいね」
「…はい」
この場では名前を伝えられない人物ということか。
父上なのだろうか。
フォルセアは鼓動を早くする。息がしにくい。
フォルセアの両肩にぽん、と一度手を置いてから、スターシアは学園長室を出て行ってしまった。
フォルセアは緊張しながら、奥の扉を開く。
と。
「フォルセア様!」
名を呼ばれる。
よく知った、低い静かな声。なのに今日はどこか焦っているような声音、表情。
「ラングルト様…!」
席を立ちフォルセアのところに来てくれるラングルトに、フォルセアは唇を噛んだ。
「フリージアから手紙を受け取りました。すぐに何が起こっているのかを調べ、解決します。フォルセア様、私の婚約者は貴女です、貴女だけです」
いつものように席にエスコートすることもしない。
ラングルトは扉の前で立つフォルセアの両手を握り締めて、一息で告げた。
大きな手がフォルセアの手をきつくきつく掴む。
ラングルトの怒りすら含ませた必死な声を、フォルセアは初めて聞いた。
昨日の放課後の出来事なのに、もう自分のところに来てくれた。
ラングルトの献身に、フォルセアは心臓が潰されそうになる。
本当に、私は彼に申し訳ないことをしている。
「私はラングルト様に謝らなければいけません、ずっと、あなたには告げなかったことが、」
フォルセアはラングルトの手から離れようとして、しかしそれは叶わなかった。
まるで逃さぬようにと、ラングルトの手が更に強くフォルセアの手を握り込んだのだ。
「フォルセア様」
「私は父から、嫁いでも子を産まぬようにと指示されています。もし魔力の低い子が生まれてしまったら、私が婚家から責められるからと」
「…っ」
ラングルトは目を見張る。
フォルセアを掴む腕が震えた。
「申し訳ありません。契約結婚ならば、子は望まれないだろうと、私は慢心していたのです。そうではなかったのに、私は、」
カレン・モンステラの言葉が脳裏に繰り返される。
『魔力が豊富な女性と夫婦になれば、とてもすごい素質を持った子供が生まれるだろうからと』
「私はラングルト様から子供を持つという未来を奪っていたことに気付くことができなかったのです!昨日、カレン嬢が…カレン嬢ならばきっとあなたに相応しい子供を成せるだろうと話していました、私は、貴方にどれほどの迷惑をお掛けしたら気が済むのか…本当に、本当に申し訳ありません…!」
「子などいらない!貴女さえいれば!」
ラングルトは声を張り上げた。
フォルセアは弾かれたように顔を上げる。
ラングルトは表情を歪めた。
「…たとえ貴女が私を愛することができなくても、私は貴女を愛しています」
まるで告解するかのような声。
「ラングルト様…」
フォルセアの声が震える。
「…ご存知、だったのですか?」
「魔道伯爵位を拝命した時に、決して口外無用として知らされました」
そう。
かつてベルツ魔道伯爵邸を極秘に訪ねたシリスすら口にしなかった、つまり、知らなかった事実。ごく限られた、王家のそばにいる者しか知らない暗黙の非常手段。
フォルセアは王妃の予備なのだ。
長い歴史の中で稀にある、国王夫妻の死。
流行病や事故、暗殺などで国王も王妃も居なくなった時、直系の王子か王女、次の世代が後を継げる年齢になるまでの臨時の存在。
王の予備は現王の弟であり臣籍降下して独身の公爵となっているアルダールと、濃い王家の血を守るアゲラタム侯爵家のイクシオ。
そして、王妃の予備は同じく王家の血を守るフォルセアだ。
たとえ他の人物と結婚していても、その経歴を無かったことにして国のために尽くすのだ。
王が健在ならば歴史に埋もれ、使われることのない非常手段。
ルドベキア侯爵は万が一の有事に備えて、フォルセアに誰も愛することがないようにと指示したのだ。国のために、民のために。
「ずっと、おそらく初めてお会いした時から、貴女だけを愛しています。貴女さえ私のそばにいてくだされば、それ以外何もいらない」
ラングルトはフォルセアから視線を逸らさない。掴まれた両手が痛い。
それがつまり、ラングルトの想いの強さなのだ。
「ラングルトさま、」
「はい」
ぼたり。
溢れる涙が床に落ちた。
もう駄目だった、制御できない。
大粒の涙がフォルセアから溢れ出る。
「ラングルトさま…」
「はい」
ぼたぼたとフォルセアは涙を流す。くしゃり、顏がゆがんだ。
「フォルセア様、ご無礼をお許しください」
ラングルトはフォルセアから手を離した。手から離れてしまった熱さに、無くなってしまった痛みに、フォルセアが瞬く。
と。
熱が。身体を包む。
ラングルトはフォルセアを抱きしめた。ダンスの夜以降、手に触れる事しか自身に許さなかった、それを、破る。
肩に、背中に、腕を回す。くすみのあるさらりとした金の髪が触れる。ぎゅうと力を込めると、フォルセアがラングルトの肩口に顔を埋めた。
じわり。ラングルトの首元にフォルセアの熱が伝わる。涙だ。
フォルセアはためらいがちにラングルトの外套を握りしめた。涙が止められず、肩が何度も上下している。
「ラングルトさま」
「はい」
ラングルトはフォルセアの役目を知っていた。だから、己の気持ちを伝える気はなかったし、自覚しない様にしていた。
なのに告げてしまった。
触れてしまった。
フォルセアはラングルトの行為を拒否せず、受け入れてくれる。
それだけでラングルトは満たされる。
なのに、フォルセアが。
「…なぜ私はあなたを好きになってはいけないのでしょう…!」
本当に辛そうに、苦しそうに、涙ながらに伝えてくれるものだから。
「そのお言葉だけで、私は万の敵を討ち滅ぼせる」
フォルセアの髪に顔を埋め、ラングルトは万感の想いを込めて告げた。
*
フォルセアをシリスの元に丁重に送り届け、ラングルトは再び行政府に戻った。
すでにホーエンも執務室に控えている。ベルツ家の家令とはいえ部外者を一人待たせるわけにはいかず、ダナンも待機していた。
ラングルトはダナンを下がらせずに、ホーエンに視線を向ける。
「報告を」
「聖務局に行って婚約誓約書を確認してまいりました、勝手ながらベルツ魔道伯爵のお名前を使用させていただきました」
「構わない」
ラングルトの怒りが朝よりも幾分落ち着いているのを見てとって、ダナンはわずかに胸を撫で下ろした。
「誓約書にはラングルト・ベルツ伯爵と、カレン・モンステラ男爵令嬢の署名が記されておりました」
複製させたのだろう、ホーエンは書類を手渡す。
「魔道伯爵ではなく、伯爵と書かれております」
ホーエンは指摘する。
そして。
「署名の字は、大奥様の文字でございました」
「やはり、母上か…」
家令の苦みを含んだ言葉に、ラングルトは忌々しそうに呟いた。




