38、カレン・モンステラ2
思いもしないことだった。
その日は五月に行われる行政府のインターンシップについての説明会が行われた日だった。
フォルセアはフリージアと連れ立ち、会議室を出たところだ。
三年生の時とは違い、今回は参加する生徒が多い。本格的に進路を決める時期になったこともあるだろう。
アルブレイ・ヒルタンをはじめ、昨年度の研修生の姿も見える。幸いなことに、三年生の時に参加した七人全員が今回のインターンで面接免除の資格を得ていた。
残念ながら家の都合や自分の意思で、二人は行政府を目指さないことになったが、他五名は内定を得るために再びインターンに申し込む。
父に面会を求め、今度こそフォルセアの願いを明かさなければいけない。
ラングルトと結婚して、家で守られるのではなく外で誰かのために働きたいのだと、その許しを得ないといけない。
フォルセアは渡された説明会の資料を胸に抱きしめ、緊張に息を吐く。
隣ではフリージアも、同じような緊張した表情をしていた。
「お兄さまの許可は得ていますから行政府を目指すのは大丈夫ですけれど、さすがにお母さまにもお伝えしないと…」
フリージアの父は早世し、母親はベルツ伯爵邸で子供たちと離れて暮らしている。母子間の交流はあまりないこともフォルセアは聞いている。
「理解していただけると良いな」
「ええ、…フォルセアも」
フリージアもフォルセアの事情はそれなりに理解している。そのためにフォルセアはラングルトとの契約結婚を持ちかけたのだ。
あともう少しで、叶うのだ。
二人は会議室から廊下を進み、図書館の方へ進む。
渡り廊下のところで、
「あ、」
声が聞こえた。
「良かった、見つけた!」
ほっとしたような女性の声。フォルセアとフリージアは顔を見合わせる。この場には彼女たち二人しかいない。
「すみません、フリージア・ベルツ様ですか?」
走ってきた人物に、二人は少し驚く。
明るい栗色の髪の毛、大きな桃色の瞳。
カレン・モンステラ。
西方女学園から編入してきた魔道庫の生徒。
まさか向こうからやってくるとは思わなかった。しかも、フリージアの名を呼んでいる。
「ええ、私がフリージア・ベルツです。失礼ですが、貴女は?」
警戒を抑えてフリージアが応じる。元々人見知りの彼女は、どうしても声が固くなる。
そうして、カレン・モンステラは告げるのだ。眩しい笑顔。
「はじめまして、私はカレン・モンステラと申します。この度、フリージア様のお兄様のラングルト・ベルツ魔道伯爵と婚約いたしましたので、ご挨拶に参りました」
す、と淑女の礼をしてみせた。さすが女学園の出身だけあってとても綺麗な所作。
「昨日、父からラングルト・ベルツ様との婚約が正式に受理されたと連絡が来たのです。妹君のフリージア様が中央学園にいらっしゃると聞いて、早くご挨拶をしなければと…急にお声がけしてしまい申し訳ありません」
フリージアは驚きに固まってしまっている。
フォルセアも、うまく呼吸ができなかった。笑顔を取り繕うことも難しい。
自分は今、何を聞いているのか。
「…フリージア様?」
カレンが伺うように声をかける。
フリージアはインターンの書類で隠すようにして手のひらを握った。
「…申し訳ありませんが、私は兄と貴女が婚約をしたという話を何ひとつ聞いておりません。何をもって婚約したという証拠になるのでしょう」
フリージアの冷たい声に、カレンは少し怯んだようだった。予想外の返事だったのだろう。
「婚約誓約書の複製は父が持っていると思います。私も実は、今は神殿にしか外出は許されていないので、ベルツ魔道伯爵とは直接お会いしたことがないのです」
カレンは胸の前で手を組んだ。
ゆっくりと、考えながら話している。
「春の休暇の終わり頃に、ベルツ伯爵から領地の父に、婚約の申し込みがありました。私が魔道庫だと知って、それで」
少しだけ、カレンはためらう。
頬を赤くした。
「魔力が豊富な女性と夫婦になれば、とてもすごい素質を持った子供が生まれるだろうからと」
フォルセアは動けなかった。
それで正解だとも思う。
うかつに動けば、動揺がフリージアにもカレンにも伝わってしまうはずだ。
これは混乱だ。
思考がまとまらない。
なのに、カレンの言葉だけはきちんとフォルセアの耳に届いた。
突き付けるように。
「父が慌てて領地から出てきてくれて、ベルツ伯爵がお屋敷で出迎えてくださって、とても美しくてお優しい方だったと、喜んで」
カレンは続ける。フリージアに分かってもらおうと必死なのだろう。
「正教会にも親しい方が居るので、伯爵が全部手続きもしてくださるからと。新聞で大きく発表だってするとか。元々私も結婚相手を探す為に王都に出てきたので、本当に父も喜んでくれて、あの、だから本当なんです」
「そうでしたか」
フリージアの声はとても冷たい。
感情を乗せない話し方は、まるでラングルトの様だ。
「私自身が兄に確認するまではお返事ができません。せっかく探してくださったのに、そこは申し訳ありません」
「いえ、そんな…」
「ところで、この方はご存知ですか?ルドベキア侯爵家フォルセア様です」
フリージアがフォルセアを振り返る。
話を向けられるとは思わず、フォルセアはなかば力尽くで意識を引き戻した。
カレンはフォルセアを見て、顔色を変える。
「お名前はかねてよりお伺いしておりました、ご挨拶が遅くなり大変申し訳ございません!モンステラ男爵家長女のカレンでございます。お会いできて光栄でございます!」
ばたばたばたっと、先ほどの所作を忘れてしまったかのように慌てて制服の裾を引き、頭を下げる。
フォルセアのことを、ラングルトとのことを一切知らないようだ。
ただただ高位貴族に初めて接した、そんな態度。
「こちらこそ挨拶が遅れて申し訳ない、カレン嬢。中央学園に移ってきてまだ日も経っていない、不便はしていませんか」
「はい!先生もクラスメイトの皆さんも良くしてくださいます、お気遣いいただき本当に光栄です!」
とても声が大きい。
まるで騎士たちの訓練のようだ。
フォルセアはゆるく笑顔を作った。これほど必死になってくれるのだ、無下にできるわけがない。
「そうか。できることは少ないが、何かあれば私にも助けさせてくれ」
「そんな、もったいないお言葉です、お気遣いありがとうございます!」
カレンは平伏する勢いだ。
「それでは、カレン様、失礼いたします。フォルセア様、参りましょう」
表情を崩さずフリージアはカレンに会釈をすると、フォルセアを促した。
「ああ」
先導するフリージアにフォルセアは目を伏せ、カレンに「では」と小さく告げて歩き出す。
頭を下げたままのカレンを振り返ることはない。
渡り廊下を抜けると図書館の大きな扉がある。
カウンターで勉強用の個室を借り、中に入ったところでフリージアは杖を振るった。
防音魔法がかけられたところで、フリージアはばっと、フォルセアに頭を垂れた。
「フォルセア様にお願い申し上げます。この事は必ず我らベルツが解明し、早急にご報告いたします。どうかそれまで、お父上にはご内密にしていただけないでしょうか」
臣下の礼、深く腰を落とし、決して頭を上げない。
初めて向けられる親友の請願に、フォルセアは応じなくてはいけない。侯爵家の人間として。
「…わかりました、フリージア・ベルツ伯爵令嬢。あなたの申し出を許しましょう」
「ありがとうございます、必ず我が兄ラングルトと共に全て片付け、フォルセア様への不敬ならびに我らベルツ家への醜聞を打ち払います」
とても物騒な決意表明だ。
フリージアの怒りがフォルセアにも伝わってくる。
「あなたを信じます、フリージア嬢。だから、すまない、少し………ひとりにしてくれないか」
「フォルセア…」
フォルセアは両手で顔を覆った。
声がとても小さくなる。
フリージアは立ち上がり、フォルセアを力いっぱい抱きしめた。
「お兄さまに手紙を書いてきます。後で必ずお迎えに参りますから、それまで絶対にここにいて下さいね」
親友の言葉だ。
「うん」
フォルセアは頷く。
「分かった」
フリージアは個室の扉を静かに閉めて、外へ出て行った。
防音魔法はそのままなはずだ。
「う、」
フォルセアは目をきつく押さえた。
(泣く資格なんてない)
涙を堪えようとすると、呼吸がとても荒くなった。肺の辺りが苦しい。
こんなことで、フォルセアは自分を制御できなくなると思わなかった。
今までならばきっと、やり過ごせたはずなのに。
(泣いてはいけない)
懺悔のように呟く。
「悪いのは私なんだから…」
*
魔道局のラングルトのもとへ来客が伝えられたのは、翌日の始業すぐのことだった。
魔道局は行政府の門から離れた場所にある。来客を伝えにきた職員を待つことができずに、追いかけるようにして走ってきたのは、ベルツ伯爵邸の管理を任せている初老の家令ホーエンだ。
「御主人様!」
穏やかな家令の常にない剣幕に、ラングルトは目つきを鋭くした。
魔道局内の職員もざわつき、視線が集中する。
「業務を」
職員たちに指示を出し、補佐官のダナンに
「人払いを」
と告げて、ラングルトはホーエンと共に執務室に消える。防音魔法が張られた。
「ほら、仕事を始めろ。局長のことは気にするな」
まだ騒めきが残る部屋の中で、ダナンの声が響いた。
「お仕事先に押しかける無礼をお許しください、急を要する事態なのです」
きちんと閉じられた扉を確認して、ホーエンはスーツの内ポケットから震える手で手紙を取り出す。
「今朝フリージア様から届いたお手紙でございます」
ベルツ伯爵邸の家令宛の封筒の中に、もうひとつ、ラングルトが宛先になっている封筒が入っている。
ホーエンへ書かれた方の手紙の文面にさっと視線を走らせて、ラングルトは自分宛の封筒を破る勢いで開いた。
ホーエン宛の手紙には、中央学園に転入してきた魔道庫の女子生徒が正教会の許しも得た上でラングルトの婚約者を名乗ったこと。自分は平日は学園の外に出られないため、代わりにラングルトに急いで手紙を届けるようにと書いてある。
そして、ラングルト宛の文面には。
学園の放課後、図書室へ向かう渡り廊下。その場で交わされた言葉がほぼ一言一句違わずに書き記されているようであった。
細かい文字で昨日の日付、時間、場所。誰が何の発言をしたのか…特にカレン・モンステラの発言の全てが書き込まれている。
慌てていたのか、怒りのためか、普段の妹の字とは比べ物にならないぐらい荒れた文字が並ぶ。
ラングルトは視線を巡らし一度、更にもう一度、フリージアが書いた文面を読む。
這うような怒りがラングルトの意識を包む。
「ふざけたことを…」
ぎり、奥歯を噛み締める音が響いた。
「ホーエン、お前は一人でここまで来たのか」
「いえ、息子と御者を待たせてあります」
「すぐに教会に提出された婚約誓約書を改めろ、なぜこんなふざけた事態になっているのか調べろ、全てだ!」
「はい!」
がたんっ
ラングルトが立ち上がり、衝撃で椅子が倒れる。
「御主人様はどこへ…」
「フォルセア様のところへ行く」
ホーエンを振り返りもせずにラングルトは扉を開ける。
手荒い仕草、バンっと扉が激しく開き、魔道局の職員たちがラングルトを見て、声を失った。
禍々しいと思えるほどの気配。
魔道士ならば一目でわかる、ラングルトが魔力を抑えきれていない。
「局長」
「留守にする、あとは任せる」
ダナンに言い置いて、ラングルトは杖を振るいその場から消えた。




