37、カレン・モンステラ1
「レイナード、時間はあるか?」
「はい、姉上。どうしましたか」
フォルセアが弟の部屋の扉をノックすると、レイナード自ら開けてくれた。部屋には彼ひとりだったようだ。
「トレノは?」
「エディアンに呼ばれています」
「そうか」
トレノはルドベキア家の家令、エディアンの甥でレイナードの侍従である。
年齢はレイナードよりも一つ年上だが、この春からレイナードに従う形で同じ生徒として中央学園に通うことになっている。
ふむ、と少し考えてフォルセアはメイドの一人に伝言を頼み、レイナードに手招きをした。
「父上の所に行く。お前もおいで」
「僕もご一緒しても良いのですか」
「もちろんだ。これからはお前の方が父上のお側で学ばねば」
公的な披露の済んだレイナードは、ルドベキアの次期侯爵なのだ。実際に跡を継ぐのはまだ十年近く先だろうが、学べることはすべて経験しておいた方が良い。
春の休暇。多忙な父と時間が合うのは今日が最後だ。
明後日にはフォルセアもレイナードも寮に向かうことになっている。
「失礼します」
父ライゼルは執務室に居た。
休日ながらも仕事があるようだ。手短に済ませたほうが良いな、フォルセアはレイナードと囁き合った。
「フォルセアか、レイナードも来たのか」
「はい」
レイナードが頷き、フォルセアが軽く頭を下げた。
「お忙しい中、申し訳ありません」
「構わないよ、どうかしたのかい」
ライゼルは机の上で手を組んで、娘と息子を順番に見つめる。
「先日の茶会で、魔道庫の女性が中央学園に転入してくるという噂を耳にしました。事実でしょうか」
フォルセアの言葉にレイナードは目を大きくして、姉を見上げる。ライゼルはあからさまな渋面を作った。
「…全く、情報統制を解除した途端にこれか」
「やはり事実でしたか」
「姉上」
レイナードは初耳であろうに、落ち着いた声を出している。そのことにフォルセアは少し口元を緩めて頷いた。
「西方女学園から私の学年に編入されるらしい」
「そうだ」
ライゼルが娘を肯定した。
「女学園で秋の終わりに行った魔力測定器の実験で素質が発覚したのだ。すぐに教会の保護下に置こうとしたのだが、当人が拒否してね。学園を中退することになるから嫌だと」
まあ、分からなくもない。
せっかく入学をしたのだ、学歴に傷が付くのは好ましくないだろう。女性ならば縁談にも関わってくる。
「仕方がないので調整して、無試験で中央学園に移すことにした。そちらの方が何かあった時の対処がしやすいからね」
ふと、フォルセアが思い出す。
「父上が年末からお忙しかったのは、この件ですか?」
「そうだ。我々の代での魔道庫の発見は初めてだったものでね、教会と共に引き継ぎ資料を探すのに難儀した。レイナードも留意するように」
「はい、分かりました」
父の助言に、レイナードは頭を下げる。
真面目な姿に、ライゼルとフォルセア苦笑した。最後は軽口のつもりだったのだが。
「フォルセアも気を付けなさい。普通のご令嬢だが、魔道庫となればそれなりに注意も引く。お前はお節介なところがあるからね」
「…関わるなとのご指示ならば、そのようにしますが」
フォルセアは父侯爵の対外的な命令に忠実すぎるきらいがある。ライゼルはゆるく首を振った。
「そこまでではない。何せ同学年となるのだ、あまりお前があからさまだと魔道庫の方に悪評が立つ」
「分かりました」
「父上、僕はどうすれば良いでしょう」
「お前も特段対応をする必要はない。魔道庫の利用は有事に限られ、決定は評議会が行う。今のお前と魔道庫が直接関わることはそうないだろう」
それより。
ライゼルはレイナードに笑顔を向けた。
「学園での生活を頑張りなさい。再来年にはマクシミリアン殿下も入学される」
「はい」
「フォルセアもレイナードに気を付けてあげなさい」
「承知しました」
姉弟は一礼して、そのまま父の執務室を辞した。
部屋を離れ、廊下を歩むレイナードはフォルセアを見上げる。
「このことはトレノに共有して大丈夫ですか?」
「ああ、その方が良い」
フォルセアは立ち止まった。
掃除の行き届いた長い廊下、幸い近くに使用人は居ない。
「私もシリスに伝えるつもりだ。もし件の女性と関わることになった場合、従者を挟んだ方が良いこともあるかもしれない」
「分かりました」
レイナードも立ち止まって、神妙に頷いた。
侯爵家の後継として、自分だけが知っておけば良いこと、というものがこれからどんどん増えていく。腹心であろうと侍従にも話せないことも。
「あまり気負いすぎないでくれ。私もイクシオも居る」
緊張している様子の弟に、フォルセアは柔らかい笑顔を向ける。
「来年にはライナスも入学する。お前は一人になることはない、協力し合いなさい」
レイナードたちはフォルセアとイクシオとは違う、王太子を補佐する役目を持っている。そのため、歳の近い侯爵家の子供が多い世代だ。
「ありがとうございます、姉上」
それでも生真面目なレイナードはまだ声が固い。父の前では見せなかった姿だ。なんだかかわいらしく思えて、フォルセアはつい軽く笑ってしまった。
「お前と一緒に学園に通えて嬉しいよ。父上に頼み込んで受験して良かった」
「姉上!」
綺麗に束ねられた金の髪をぐしゃぐしゃに撫でると、レイナードは悲鳴を上げた。
*
新しい学期が始まる。
フォルセアにとっては最後、レイナードにとってはこれから始まる学園生活だ。
中等部から持ち上がりの生徒が多い中、レイナードのような高等部からの受験組もそれなりに居たようだ。
従者のトレノもそばにいるので、レイナードが困ることもあまりないだろう。
残念なのは弟たちの寮と分かれてしまったことだった。再来年に入学する第一王子を迎えるため、早々に王族やその関係者専用の北寮に部屋を用意されたのだ。
今はレイナードとトレノ専用になってしまっていて、少し寂しそうだ。
ちなみにフォルセアは一般貴族や途中編入者が多い西寮、フリージアは中級貴族以上が多い東寮である。
高等部入学式の後には各寮で新入生歓迎会が開かれるのだが、レイナードは東寮でもてなされたようだ。イクシオから伝えられて、フォルセアは安堵する。
西寮でも歓迎会が行われた。持ち上がりの生徒や受験組の中には件の魔道庫の女子生徒の姿はなかった。東寮なのだろう。
魔道庫の女性が編入してきたことはすでに大きな話題となっていた。
魔道庫の資質は、本人が無自覚であることが多いため発見されることが少ない。今回は学園に通っていたため発見された、貴重な人材なのだ。
カレン・モンステラ男爵令嬢。
小さな地方領主の娘で、行儀見習いと社交界で結婚相手を探すために単身で王都に来たのだという。
フォルセアが調べるまでもなく経歴が耳に届く。
魔道庫であることが分かったので、彼女は正教会が保護することになるだろう。仕事も、おそらく結婚相手も教会が用意するはずだ。
(もしかすると、領地には帰れなくなるかもしれないな…)
カレン嬢のこれからを思い、フォルセアは少し同情した。
学園生活も一週間もすれば落ち着き始める。
最終学年の四年生は授業が選択制になり、個人別に割り振られた単位さえ取得して、卒業研究を完成させれば卒業となる。
フリージアをはじめ特に優秀だと認められた三名の生徒は個別に研究室が与えられて授業に出る必要もなくなるし、オルソーのような騎士を志す者たちは専用のクラスが用意されてそこで授業と訓練を繰り返すのだそうだ。
戦術理論や魔物研究史の授業などはとても面白そうだと思うのだが、騎士課程ではない生徒は受講できないらしい。
オルソーにはあとでノートを見せてもらう約束をしている。
魔道士の資格を目指す者は魔法理論に特化した教授に付いて学んだりもする。フォルセアにはとても関われないが、魔道局の局員は全て魔道士だったらしい。思えばとんでもない場所で研修を受けたものだ。
フォルセアは政治や地理、近世史などを中心に授業を選択する。クラス分けはほぼ形式的なものになっているため、イクシオと顔を合わせることが増えた。
高位貴族として必要な授業はお互いに同じだ。
「今日はレイナードたちと昼食を約束しているんだ」
「え、良いなぁ!」
同じ授業の後、イクシオが隣に座るフォルセアに話しかけると心底羨ましがられた。
二人とも次の授業は選択していないので、今は自由時間だ。
「私は構いすぎてトレノに怒られたんだ…」
「聞いたよ。一週間ずっと一緒に昼食を食べたんだろう」
「レイナードが他に友人を見つけられなくなると言われたんだ…」
「トレノは良い従者だね」
イクシオも侍従を連れてきているが、年長の青年は学生ではない。フォルセアの侍女のように基本は寮で待機しているのだ。
レイナードのように一緒に学園生活を送る腹心がいるのは少し羨ましい。
「私はしばらく接触禁止だ。姉弟喧嘩をしたのかとクラスメイトに心配される始末だよ…」
「手紙でも預かろうか?」
あまりにフォルセアがうなだれるのでイクシオは冗談混じりに提案すると、幼馴染は目を輝かせた。
「ありがとう、すぐに準備するからそこに居てくれ」
フォルセアは早速ノートを丁寧に切り離し始めた。学生同士の手紙のやり取りは大体ノートの切れ端だ。
「そうそう、まだ仮約束だけど私にも婚約者が決まったよ」
「え?」
ペンを走らせる手が止まる。フォルセアは周囲を確認した、空き教室になったここには誰も居ない。イクシオはそれを見越したのだろう。
「おめでとう、どなただ?」
小さな声でフォルセアはイクシオを見上げる。
「ナスタチウム辺境伯のメラニア嬢だ」
「メラニア嬢!そうか、一度だけお会いしたことがあるな…ええと」
何年も前の話だ。
フォルセアは記憶を探る。確かエリシアとリディアが喜んでまとわり付いていた…、小さな少女。
「まだ十三歳だから、正式な婚約はまだ先だけどね」
「ああ、思い出した」
そうだ、柔らかな栗色の髪の愛らしい顔立ちの少女だ。真面目な気質だったように思う。
「そうか、あのご令嬢か。私たちと同じような年齢差なんだな」
フォルセアとラングルトは六歳差だ。
同じだなと笑顔を向けると、イクシオは少し考え込んだ。
「そうか、そんな感じの年齢差か、私は結構待たなくちゃいけないね」
「まあ、五歳差だから…エリシアたちのひとつ上か、王都にいらしたら教えてくれ。二人も喜ぶと思う」
「…そうだね、その方がメラニア嬢も安心するだろう。春の休暇中に一度会いに行ったけれど、華やかな王都に憧れているようだ」
「何回だって会いにいけば良いし、招待すれば良い。再来年に学園に入学されるかな、きっとすぐだろう?」
「さすが、今まさに経験している君が言うと含蓄があるね」
イクシオのからかう声音にフォルセアは言葉をなくす。
そういうつもりではなかったのだが、確かに、経験談のような言葉だった…。
ラングルトはフォルセアに何回だって会いにきてくれるし招待もしてくれる。忙しいはずなのに。
「すまない、…でも、ちょっと不意打ちだったな」
うまく返事ができず、フォルセアは両手で顔を押さえた。耳が熱い。
イクシオが声を落とす。
視線はとても優しい。
「…私たちは立場上、自由意志を制限されているけれど、幸せに過ごしてはいけないわけではないんだ。今の君を見られて、私は嬉しいよ」
「私だってイクシオが幸せになってくれたら嬉しい。婚約者を探すのも、私を待っていてくれたんだろう?気を遣わせてごめん」
「最初に君を傷付けたのは我が家だからね。そこは気にしないで」
少し際どい話題になってしまう。
感情的な言葉だからこそ、冷静になる。フォルセアもイクシオも、そこで言葉を止めた。
「…夏の君たちの式に、メラニア嬢も参列しても良いかな?」
「もちろんだ、そうしてくれると嬉しい」
フォルセアは笑顔で頷いた。
きっとそうなると、無事にその日が迎えられると思い込んでいたのだ。
だからその数日後、こんなことが起こるなど、分かるはずがなかったのだ。
「フリージア・ベルツ様!」
フォルセアと共に居たフリージアを呼び止める明るい声。
「はじめまして、私はカレン・モンステラと申します。この度、フリージア様のお兄様のラングルト・ベルツ魔道伯爵と婚約いたしましたので、ご挨拶に参りました」




