35、番外、マトリ・カートンの話
マトリ・カートンは行政府魔道局で魔道管理部部長補佐官を勤めている。
爵位は子爵家だが三男であり継承権はない。一番上の兄がすでに爵位を継いでいて、子供もいるのでとりあえず次世代も安心だ。
二番目の兄は早々に家を出て、王都にある商人ギルドで経理部長として働いている。
子爵とはいえ家格は低い。
数十年前に公爵家を中心に起こった大規模な汚職事件に当時のカートン家当主が軽くだが関わってしまった為に、領地は没収され家の収入もカツカツになってしまった。
屋敷も王都にある小さいものが一つ残っただけだ。こんな状態で祖父母や両親、兄はよく結婚できたなぁと尊敬している。
二番目の兄はもちろん独身だし、マトリも同じく独身だ。
なぜこんなことを考えたのかというと。
「カートンさんはおいくつなんですか?」
この冬に急に受け持つことになったインターンシップの研修生が、何の含みもなく尋ねてきたからだ。
「二十七です」
「そうなんですね、私と十歳違いですね」
侯爵令嬢がインターンに参加するなど聞いたことがない。
指導員に指名された時に、あまりの身分の違いに戦々恐々としていたが、紹介されたフォルセア・ルドベキア様は侯爵令嬢とは思えないぐらい地味な見た目の、穏やかな気質の女性だった。
確か、新年祝賀会の翌朝の新聞に顔のない絵姿が描かれていたはずだが、同じ人物だとはとても思えない。
汚職事件の余波で公爵家が二家にまで減りその力が著しく削がれたことで、代わりに侯爵家が政治的な力を持つことになったこの国では、ルドベキア侯爵令嬢は王家に次ぐ重要な役目を与えられているはずだが、なぜインターンになど参加したのか。
何の気まぐれか。
内心で疑った自分をマトリは無かったことにしたい。
そのぐらいフォルセアさん(そう呼ぶように指示された)は真摯に研修に取り組んでくれるのだ。
本当に驚いたし、心から(心の中で)謝った。
同じような職員は多かったはずだ。日を追うごとにフォルセアさんへの態度を軟化させ、親しく接する職員が増えていったからだ。
地味で穏やかだと思っていたが、真摯に職員の説明を聞き感心し、「すごいですね」とまっすぐな笑顔で称賛してくれるフォルセアさんはやはり侯爵令嬢サマなのだ。本当に眩しい。
こちらが上司のはずなのに褒めてもらって嬉しいとは何事か。と、誰もツッコミを入れられない存在感がフォルセアさんにはあるのだ。
現国王夫妻がご健在の今、とても不敬だが、立場的には王妃だって務められる存在なのだ、さもありなん。
紹介初日に「婚約者です」ととんでもない爆弾発言をかました上司の魔道局局長が、しれっと事あるごとにフォルセアさんの所に来るのも正直勘弁して欲しかったが、数日もすれば慣れてしまった。
何も知らない他の職員達も「局長は逆玉の輿狙い」と物凄く不謹慎なことを噂しているし、自称魔王軍として生暖かい視線で見守り、物陰から声援を送っている。
もう婚約している事実を知れば彼らはどんな反応をするだろうか。
何でこんなことを考えているかというと。(二回目)
「失礼ですが、カートンさんはご結婚は?」
「いえ、お恥ずかしながらまったくご縁がないので…」
「そうでしたか」
にっこり。
フォルセアさんが笑顔を浮かべるのだ。行政府の肩書き以外に地位のない貧乏子爵家の三男坊。縁談などあるはずがなく、マトリは打ちひしがれる。
独身かを確認して笑顔を浮かべたフォルセアさんが、マトリ狙いではないことも充分理解しているので余計に虚しい。
もちろんベルツ魔道局長はめちゃくちゃ怖いので(なにせ魔法のエキスパートが集まる魔道局内ですら、魔王と言われてしまうぐらい、わけがわからないぐらい強いのだ)、フォルセアさんがマトリ狙いでなくて良かったと思う。
とてもおこがましいが。
そんなことばかり考えていたマトリだから、にっこり笑ったフォルセアが研修が終わってから何を行うかなど、想像もできなかったのだ。
「父上、魔道局で指導員を務めてくださった子爵家のマトリ・カートンさんなのですが」
「カートン…すまない、とっさに出てこないな」
「あの汚職事件の余波で力を失った家系の方です」
「そうか」
「とても真摯に仕事に打ち込む素晴らしい方でした。ラングルト様からの信任も厚いようでしたし、私のこともずっと気遣い、護衛がわりもして下さいました」
「そうかそうか、それは世話になったね」
「カートンさんは独身だそうで」
「ほう」
「スウェン家のアマリリス様、お相手を探してましたよね」
「ほうほう詳しく」
という、ルドベキア父娘の会話などつゆ知らず、インターンが無事に終わった後も変わらぬ業務に精を出していたマトリの元に、引退した父と現子爵の兄が見合いの申し込みの手紙を持って飛び込んでくるのだった。ここ職場!
スウェン子爵家は侯爵家とも縁のある由緒ある貴族である。カートン家とは同じ子爵家とは思えないぐらい家格が高い。
そんな家から見合いの申し込みがあり、しかも、それを薦めたのがルドベキア侯爵だというではないか。
(フォルセアさん何やったの!?)
マトリ達カートン子爵家に断れるはずがない。実質、見合いの申し込みという名の命令である。
指定された日、マトリはなけなしの一張羅を兄から借りて、カートン子爵である兄と一緒にスウェン家に赴いた。
がちがちに緊張する兄と共に挨拶をすれば、スウェン子爵夫妻はとても嬉しそうに出迎えてくれた。優しそうだ、さすがフォルセアさんの縁戚である。
「フォルセア嬢から、君をぜひにと教えていただいてね」
(やっぱりフォルセアさん!)
マトリは脳内で叫ぶ。
「すまないが、娘に会ってやってくれ。どうしても無理なら構わないからすぐに教えて欲しい」
スウェン子爵はとても控えめにマトリに告げる。
(え、何それ、僕は今からどうなるの)
子爵直々に案内された中庭に、ドレスではなく騎士の軽装をした女性が立っていた。腰には剣を佩いている。
「え、」
「娘のアマリリスだ。王妃殿下の近衛騎士を務めていてね」
「はじめまして、アマリリスと申します。カートン様、私は自分よりも弱い方とは結婚したくないのです」
思ったより明るい声で、アマリリス嬢は剣を抜いた。
「え、」
「無理ならすぐに教えてくれ!」
子爵は慌てて、もう一度繰り返した。
「では、参ります!」
アマリリス嬢はにっこり笑って剣を振りかざした。
さてここでマトリである。
彼はラングルトをして、防衛魔法の発動が自分よりも速いと言わしめた人材なのだ。
なので、アマリリス嬢が剣を振りかざした瞬間には杖を出し、結界が間に合った。間に合ってしまったのだ。
ガキン、金属が跳ね返る音に、アマリリス嬢もスウェン夫妻もマトリの兄も驚愕する。
「まあ!」
アマリリス嬢は喜色満面、結界を壊す目的で続けて剣戟を繰り出した。殺す気か。人によってはもう細切れになっているはずだ。
(うわぁーー!何だこの人!でも前の時よりよっぽどマシだな!?)
まったく嬉しくない感想を、マトリは抱くのであった。
それは約四年前になるか。
中央学園を卒業し、魔道局に入局したばかりのラングルトが、マトリに頼んだのだ。
「貴方の結界の強度と持続時間を調べさせて下さい」
「いいよ」
その頃にはすでに包魔石を発表し、魔道伯爵位が叙されると同時に魔道局局長の地位が確定していたラングルトをやっかむ同僚もいる中で、マトリは珍しく嫉妬の類を抱かない側だった。
二つ返事で新人だったラングルトの頼みを聞いてあげる。
他の魔道士の様に、強い攻撃魔法をいくつかぶつけてくるのかな、マトリが実験場でほほ笑ましくそんなことを考えていたら、
「強度が最も高い結界を張ってください」
「はーい」
などと返事をして結界を張った直後だ。
マトリは結界ごととんでもない魔力の炎の渦に包まれた。
火が燃えるどころではない。明らかに魔力操作された高出力の魔力の炎がマトリの結界を隙間なく這うように巡るのだ。
「ちょ、何これ!」
マトリはパニックだ。結界を解いた瞬間に焼け死ぬどころか炭になると分かってしまうレベルの魔法だ。
「限界が来そうならば呼んでください」
興味本位に立ち合いに来た同僚たちがドン引きする中、ラングルトはそう言って魔道局に仕事に戻って行ってしまった。
炎の渦はそのままだ。
え、遠隔操作なの、そんな事できるの、どういうことなの、持続時間って、僕はこのままここに居ろってこと?
本気で放置された。
自分の結界の外には地獄の炎が待ち構えている。解いたら死ぬ。本気で死ぬ。
結局、「そろそろ勘弁してあげて下さい」と、すでに部長職にあったグリム・ペストリに頼み込まれてラングルトが炎を消したのは二時間後のことであった。
普通なら発狂してる。
とは、ずっと見守っていた同僚の言葉だ。
どうやらマトリはだいぶタフだったらしい。嬉しくない発見だ。そして、新人のラングルトに「凄いですね」と褒められた。嬉しくなんかない。いや、本当は少し嬉しい。
「なんであの火力で!熱で!外が燃えてないの!?」
と、訴えれば、なんとラングルトは炎の外にも結界を張って外部に被害が出ないようにしていたし、なんならマトリが窒息しないように空気穴も作っていたらしい。二時間ずっと。なんだそれは。
ラングルトにとってはただの知的探究心からの凶行だったらしいのだが、この一件で、すっかり彼に逆らおうという魔道局の職員はいなくなったのだった。魔王爆誕である。
現魔道局局長の地獄の二時間を乗り切ったマトリにとって、アマリリス嬢の攻撃は正直な所何ひとつ怖いものではなかった。見合い相手に斬りかかる発想は恐ろしいが。
十数分くらい打ち込まれ続けたところで、アマリリス嬢は手を止めて、
「お見それしました!」
と嬉しそうに拍手をした。
そうして片膝をついて、
「マトリ様、どうぞ私と結婚して下さい」
と騎士らしく真摯にマトリに請うものだから、ついうっかり
「はい」
と答えてしまって、マトリはスウェン子爵家の一人娘に婿入りすることになったのだ。
アマリリス嬢は二十四歳。
若くして騎士として身を立てていたために弱い婚約者候補が許せず、試合をしては相手を打ち負かすことを繰り返して、とうとう婚期を逃してしまったらしい。
やっと後継者の娘に相手が見つかった喜びで子爵夫妻はむせび泣き、その日のうちに全員で教会へ行って婚約誓約書を提出したので、マトリはアマリリス嬢の婚約者になった。
馬車の中でアマリリス嬢と二人にしてもらったのだが、意外なほどにマトリはアマリリス嬢と楽しく過ごすことができた。
若干力任せな発想のご令嬢だが、マトリに好意的で、明るく話題も豊富だったのだ。
共通の話題としてフォルセアの名前を出せば、アマリリスはにっこり笑った。
どうもフォルセアが子供の頃に、身体を鍛えることを志し、ドレスのスタイルを崩さない修練の仕方を教えに通った縁で、今も仲が良いらしい。
何をやってるんですかフォルセアさん。
あれよあれよと準備が進み、翌週には結婚式の手配も終わり、マトリとアマリリス嬢は五月の最後の週末に結婚式を挙げることになった。
本来ならばアマリリス嬢が女子爵となるのだが、王妃殿下直属の近衛騎士の仕事を全うしたいと願うので、マトリが婿としてスウェン子爵を継ぐことになった。
しかしマトリもこれから行政府へ入局するであろうフォルセアを補佐する役目があるため、アマリリス嬢のお父上にはぎりぎりまで子爵でいて頂くことになった。
(これ、フォルセアさんにお礼を言わなきゃなあ。局長が取り次いでくれるのかな。というか、結婚式にフォルセアさんを呼ぶ流れだよな、局長も来るのか、来るよな、結婚式をしながら僕が局長の暴走を止めるのか?)
何となく痛む胃をさすりながら、マトリは遠い目をしたのだった。
これは魔力の少ない侯爵令嬢に親切にしたら、婿入り先が決まってなんだかんだ幸せになった貧乏子爵家の三男坊のお話。
おわり。




