34、フォルセアの過去3
役立たず
これほど自分を表すのに相応しい言葉はないと、当時のフォルセアは傷付くとともに、妙に納得してしまったものだ。
当時の侯爵である祖父が誘拐の後、フォルセアの魔力について公表した。
レイナードが成長するとともに、そして、婚約していたイクシオとともに子供のための社交界にも少しずつ出席していたフォルセアは、自分の幼い頃の境遇が異例なものであると知り始めていた。
魔力が少ない高位貴族など、いないのだ。
大っぴらに批判されることはない、しかし、子供には分からないだろうといくらかの大人たちはフォルセアを試すように声をかけ、陰口を叩いた。
同じ年頃の子供たちも、両親の態度を見ているせいだろう、フォルセアを見下すような言動を見せた。
フォルセアは慣れてしまったのだ。
そして、仕方がないと思ってしまった。
自分は役立たずだ。
このままでは、二人に顔向けができない。
更にイクシオとの婚約破棄も、フォルセアの無力感を煽った。
何か、何かをしなければ。成さなければ。侯爵家の自分のせいで死んでしまった二人のために。
「何も成せないまま、ここまで来ました。クレアドール女伯に行政府に誘っていただき、最後のチャンスかもしれないと、ラングルト様まで巻き込んで、私は、」
申し訳ありません。
小さく、フォルセアは謝った。
「すべて私の自己満足です、わがままなのです」
でも。
「少しでも何かを成せたと思えたのは初めてです」
フォルセアはラングルトを見つめた。
瞳には涙の膜が。
「ありがとうございます、ラングルト様」
瞬きとともに、涙が、溢れる。フォルセアの手に涙が落ちた。雫が跳ねる。
ラングルトは呆然とそれを見つめた。
ぽたり。
もう一粒、涙が落ちて、ようやくフォルセアはラングルトのハンカチを広げた。
頬と目を押さえて、すん、と鼻をすすった。
濡れてしまった手にもハンカチを当てる。
深呼吸を何度も繰り返して、そうしてフォルセアはもう涙を収めてしまった。
目は赤く、まつ毛は濡れてしまっているが、ラングルトが見つめるフォルセアはもう笑顔を浮かべている。
切り替えたのだ。
それはもう、見事に。
もう、涙を流すフォルセアはいない。
ふぅ、と長く息を吐いて、フォルセアはラングルトのハンカチを一度広げ、丁寧に畳んだ。
「…またハンカチをお借りしてしまいましたね」
「いくらでもお使いください」
にこりと、笑みを浮かべるフォルセアにラングルトは返す。
思考がまとまらないが、顔には出ない。自分の固い顔面にラングルトは感謝した。
自分は彼女ほど、切り替えが早くないらしい。明かされた話を終わった事にできない。
「お借りしてもよろしいですか、洗ってお返しします」
「いえ、お気になさらず」
ラングルトがフォルセアに添えた手を開けば、少しの逡巡のあと、ハンカチが乗せられた。涙の跡と一緒に、薄く化粧の色が移っている。
「長い話を、失礼しました」
ラングルトにハンカチを返す、その手をそのままにしてフォルセアは頭を下げた。
「いえ」
ラングルトはもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「私に、お伝えくださりありがとうございます」
ラングルトは少し考えながら慎重に返事をした。
そう、これは本心だ。
(フォルセア様のこの心情を知る者はほとんど居ないはずだ、いや、もしかすると)
自分だけかもしれない。
「誰にも漏らさぬとお約束します」
「…ありがとうございます」
フォルセアは少し肩の力を抜いた。
「来年度もインターンに参加できて、卒業後に、行政府で働くことができれば、…また少しは誰かの役に立てると、そうなれれば良いなと、思います」
(必ず、そうなるはずだ)
ラングルトは確信している。ヒュッテ・クレアドール女伯が直々に目をつけるほどの人材だ。
フォルセアの願いはきっと叶う。
けれども、
(この方の本当の幸せは、それ、なのだろうか)
*
どう見ても泣いた後だ。
アイシャドウはにじみ、頬は涙の道筋にそって白粉が取れている。
しかも目は赤くなっているし鼻声だ。
フォルセアの姿を見たシリスは気絶するかと思うぐらい驚いた。
「フォルセア様!何があったのですか」
ラングルトに呼ばれた応接室で待っていた主人の姿に、冷静なはずの侍女が声を大きくする。
ラングルトを振り返るシリスをフォルセアは制した。
「落ち着いてくれ、シリス。嬉し涙だ」
「フォルセア様⁉︎」
すん、とフォルセアはもう一度手で隠しながら鼻をすすった。
「ラングルト様に、インターン中に参加させていただいたお仕事の結果を見せていただいたんだ」
ほら。
と、シリスに書類を渡す。
混乱しているシリスは、それでも反射的に主人からの紙を手に取り、書面を見る。
新しい魔法の、認可?
「ここを見てくれ」
フォルセアは立ちすくんでいる侍女の側へ自ら立ち上がって、名前の部分を指で示した。
「ほら、私の名前が入っているんだ。それがとても嬉しくてな、ちょっと泣いてしまった」
からりと笑って説明している。
何も嘘は言っていない。
すべて真実だ。
確かにフォルセアが涙を流したのは喜びや安堵が理由だった。
ラングルトへの過去の告白の時、フォルセアはずっと冷静だった。
落ち着いていて、すべて自分の内で消化した、終わったことを説明する表情だった。時折苦笑すら浮かべて。
(やはり、シリス殿はフォルセア様の胸の内を知らない)
ラングルトは確信する。
当時の幼いフォルセアは隠したのだ。それはもう見事に、今の今まで隠しおおせて来たのだ。
ラングルトが暴くまでは。
もう、フォルセアの姿はいつもの堂々とした、シリスの主人そのものだ。
「すまない、化粧を直してくれ、さすがに格好がつかない」
「かしこまりました」
気まずそうに笑顔を浮かべるフォルセアに、シリスはため息を吐いた。
「お化粧を一度すべて落としましょう、魔道伯爵様、洗面室をお貸し頂けますか」
「ご案内しましょう」
さあ、フォルセア様。
ラングルトが扉を開けると、シリスがフォルセアに手を添えた。
「目は見えているのだが」
「でも痛むでしょう、フォルセア様がお泣きになるなんて初めて拝見しました。驚きましたよ」
「私もびっくりした。嬉しくても涙は出るんだなぁ。物語の中だけかと思った」
「驚きすぎて私が泣きそうです」
「ごめん」
素直に謝るフォルセアの態度にシリスも毒気を抜かれたようだ。
ラングルトに案内された洗面室でフォルセアを座らせると、そのまま控え室に荷物を取りに戻って行った。
ラングルトはフォルセアのそばに立ったままだ。
化粧直しの時には部屋を出るべきだが、シリスが戻るまでは控えた方が良いだろうかと、しばし迷いつつも洗面室に留まる。
「あまりこのような姿をお見せしない方が良いとは思うのですが、…お手数をお掛けしてしまいすみません」
ラングルトを見上げるフォルセアは少し気まずそうだった。
確かに、立派な令嬢が化粧の崩れた姿を男性に晒すのはさぞ居心地が悪いだろう。
「シリス殿が戻られるまではお側をお許しください。フォルセア様がお気になさるならば出来るだけお姿は見ないようにいたします」
「安心します、ありがとうございます」
いつものフォルセアらしくない返答に、つい、ラングルトはフォルセアを見下ろしてしまった。
視線が合い、フォルセアは控えめに顔を逸らした。
「…その、泣くというのは本当に久しぶりで、本当にいつ振りなのか…なかなか恥ずかしいものですね」
フォルセアは困ったような、緊張しているような、そんな表情だ。
「今、一人になると何度も思い出して平静でいられなくなる気がします」
所在ない表情が珍しく幼く見えて、かわいらしいと思う。と。
ぐ。
ラングルトはまた己の左腕がぎゅうと痺れる感覚をやり過ごした。本当に、なんだこれは。スイッチが分からない。
「フォルセア様、お待たせいたしました」
ちょうどシリスが戻ってくる。
ラングルトは少しばかり息を吐いて、一礼して洗面室を出た。
中からは賑やかな話し声が聞こえてくる。
応接室に戻るべきか、ここで待つべきかラングルトは判断を迷い、結局そのまま廊下で待つことを選んだのだった。
すっかり体裁を戻したフォルセアとともに、ラングルトは馬車に揺られている。
御者席には侯爵家の護衛騎士とシリスが座っているので、馬車の中は二人だけだ。
「帰りもきちんとお送りしますので」
母の指示で急にルドベキア邸に招待することになったフォルセアは、申し訳なさそうにラングルトに謝る。
「いえ、帰りは転移魔法を使いますのでお気にさらずに」
ラングルトの言葉に、フォルセアは目を大きくする。
行政府でも、迅速に魔道局へ移動するためにフォルセアと一度使った魔法なのだが。
「我が家からラングルト様のお屋敷まで、かなり距離がありますが」
ああ、そういうことか。ラングルトは得心する。
「正確な座標の把握が可能な距離ならば、転移は可能です。あとは、転移先の足場の確保でしょうか、私の部屋は床に何も置かない場所を準備してあります」
魔道局の執務室の空き部屋も同じだ。
「そうなのですね」
フォルセアは心底感心している。
「距離は魔力に比例して伸びるのですか?」
一般的には数百メートルが限界だ。しかし、転移魔法はラングルトが得意とする魔法だ。公表はしていないが、実のところ十数キロレベルで対応できる。
「魔力と、あとは空間をどれだけ把握できるかでしょうか。私の場合は空間上に碁盤状の地図のようなイメージを作り、転移を行います」
ラングルトは手で立方体のような形をなぞり、地面の高さや出発点、転移先の点の距離を説明する。
これがずれると建物や地面、最悪歩く生き物などに埋まり下手をしたら死ぬし、便宜上の名称としての「次元の狭間」に嵌まり戻れなくなると言われている。
「念の為、出口の足場を確保するために私は別の術式も混ぜていますので、大きな障害物がなければ余程のことがない限り転移が可能です」
もちろん、目印となる座標は必要だが。
「離れていても私の元へ来てくださるということですか」
「っ、…ごほッ、そうです」
フォルセアは事実の確認をするかのような口調であったが、ある種の爆弾発言だ。
ラングルトはさすがに言葉を喉に詰まらせた。
咳払い。中々ない経験だ。
フリージアがラングルトに怒り心頭だった、あの日の会話が蘇る。
そう、いわゆる「ストーカー魔法」だ。
フォルセアはラングルトに渡された宝石を包魔石だとまったく気付かずに、しかし、自分のいる場所がこの宝石のせいでラングルトに知られることを理解して受け入れている。
本当に嫌悪感がないらしい。
「すごい魔法ですね」
とフォルセアは笑顔で称賛してくれる。
罪悪感を感じても良い場面なのだろうが。
本来ならば謝罪や、改めて赦しを得なくてはいけない場面なのかもしれないのだが。
「恐れ入ります」
ラングルトはしれっとその称賛を享受することにしたのだった。




