33、フォルセアの過去2
幼い頃のフォルセアは、自分が魔力が少ないということをよく分かっていなかった。
ルドベキア侯爵家の一人娘、当時の侯爵である祖父母も次期侯爵である両親もフォルセアをとても可愛がり、身分にふさわしい生活と教育を与えてくれた。
ただ、屋敷の外に出ることは一切なかった。
ルドベキア侯爵家の領地にもフォルセアは遊びに行くことはなく、祖父と父のみが領地の視察に向かい、夏の休暇の際も祖母と母とたくさんの護衛たちと王都の侯爵邸で過ごしたものだ。
それが本来ならばあり得ないことなのだと、それもフォルセアは分からなかった。
自分の生活がおかしいのだと、それを教える者もいなかったのだ。
屋敷の中だけの生活も、まだ幼いフォルセアにとって飽きるものではなかった。
侯爵邸はとても広かったし、同じ年に生まれたアゲラタム侯爵家のイクシオや、親戚である当時の王子達も時々遊びに来てくれたからだ。
暮らしに変化が現れたのは、母が第二子を出産した頃だ。絵本などで学び、フォルセアはまだ四歳だったが必死に弟を可愛がろうとした。
侍女に支えてもらいながら抱っこもしたし、一人で読めるようになった絵本や、歌を披露したりもした。
「この子の魔力は強いわ、良かった…」
ほっとした声音の母と喜ぶ父たちの姿に、自分との比較なのだと気付かずに一緒に喜んだ。
「レイナードはすごいのね!」
と。
ふにゃふにゃの弟は、まだ泣くか寝るかしかできなかったが、フォルセアの小さな指を握りしめる湿ったしわしわの手のひらが本当に可愛かったのだ。
「私が誘拐されたことをご存知なのですよね」
フォルセアは手を握ってくれたままのラングルトに確認すると、彼はゆっくりと頷いた。
レイナードから謝罪されたのだ。自分の独断で告げたと。
父侯爵は息子の勝手に珍しく怒ったそうだが、レイナードは次期侯爵として責任を持つと明言して、父を納得させたという。
そもそもラングルトには新年祝賀会で姉弟が着けていた腕輪の意味に気付かれていたので、先んじて説明した方が良いと判断したようだった。
フォルセアはレイナードの独断に驚きはすれど怒ることはなかった。次期侯爵の判断だ、フォルセアに否やはない。
しかし。
「弟が知らない、あの時の事実があるのです」
フォルセアは覚悟を決めて、口を開いた。
レイナードが生まれて一月が経った頃、アゲラタム侯爵家の次期侯爵夫妻とイクシオがお祝いに来てくれたのだ。
臨月を迎える前から念の為にと、来客は全て断り母アニエスは出産に備えていたし、レイナードが生まれてからも身体を気遣いずっと床についていた。
フォルセアは思うように遊ぶこともできず、弟は可愛かったが暇を持て余してもいたので、久しぶりのイクシオの来訪にとても喜んだ。
まずはレイナードの姿を見なければ、と弟の部屋へ向かうイクシオに、
「庭でまっているわ」
と約束して、さっさと階段を降りて行ったのだ。
侍女やメイドたちは久しぶりの来客の対応に忙しく、珍しくフォルセアへ意識を向ける者が少なかった。
一人、まだ年若いメイドが階段を駆け降りるフォルセアに気付き、慌てて追いかけてきてくれたのだ。
「お嬢様、どちらへ?」
「庭にいくの、イクシオもよ!」
「かしこまりました」
周りを確認すると誰もいない。メイドは自分がフォルセアに付いて行こうと、少し後ろから追いかけた。
侯爵家の庭は広く、何ヶ所もある。
フォルセアは果物の木が植えられている区画に走っていくと、ちょうど庭師の男が気付いてくれた。
年配の、代々侯爵家の庭師を勤める家系の男だ。
「お嬢様、遊びに来てくださったのですか」
「ええ、あとでイクシオも来るのよ」
「それはようございました」
庭師はにこにこと迎えてくれる。
メイドもフォルセアの後ろで笑顔を浮かべている。
そんな時だった。
木の影から黒い何かが飛び出てきたと思ったら、庭師が倒れたのだ。
フォルセアの目には、やけにゆっくりと映った。
倒れていく庭師の後ろから黒い何かがフォルセアに手を伸ばし、それが人間だと気付いた頃に後ろのメイドが悲鳴のような大声を上げた。
「誰か!誰か来て!」
メイドはフォルセアを庇おうと、後ろから抱え込もうとした。しかし、
「…っ」
それ以降の声は聞こえなかった。
メイドはそのまま倒れて、動かなくなってしまった。背中の辺りに突き立てられた何かから、赤い血がにじみ始めている。
フォルセアはそれが何か分からなかった。
ただ、良くないことが起こったことは幼いながらに理解した。
「何かあれば大きな声を出して助けてと言うんだよ」
言い聞かされていた両親の言葉を思い出し、声を出そうと息を吸ったら、大きな手がフォルセアの顔を覆った。
腕を荒く掴まれる。すると、ぱきりと、枝を踏んだような音が小さく鳴って、その直後に経験したことのないような痛みがフォルセアを襲った。
あつい、いたい!
ずっと守られて過ごしてきた幼いフォルセアの知識の中にない痛みだった。
混乱しながらも逃げようと身体を動かすが、全て押さえ込まれ、そのうちにフォルセアは何も分からなくなってしまった。
後から思うと、気絶をしたということなのだろう。
次にあたりを見た時、フォルセアは固くて冷たい石の上に寝転がされていた。
身体のあちらこちらが痛くて重くて、周りを認識するのも難しい。どうしても目が開けられない。
どれだけの時間が経ったのか、左腕の先がとても痛くて、なのにまるで手がなくなってしまったように動かなくて、そこでようやく幼いフォルセアは周りを見て自分が知らない場所にいることに気付いた。
すると、フォルセアに気付いた見張りの男が何かをフォルセアにぶつけて、聞き取れない言葉で怒鳴りつけてきた。
そばには弟が生まれた時に使われた魔力測定器に似た物があり、フォルセアの魔力がほとんどないことを知ったのだろう。
何度も何度も怒鳴りつけてくる。
外国語の簡単な挨拶や自己紹介ならばフォルセアは学んでいたので、ツワンベルの言葉だとは理解できる。
しかし、その怒鳴り声が何を表しているのか、フォルセアには分からなかった。
ただ怖くて、不安で、最後に見たメイドと庭師の姿がずっと離れなくて、フォルセアは心の中で何回も二人の名前を繰り返し続けた。
(エリン、バウロ、エリン、バウロ、エリン、バウロ…)
どれだけ時間が経ったのか。
フォルセアを救ってくれたのは侯爵家の騎士たちだったが、それを導いたのはアゲラタム侯爵家の次期侯爵夫人ヨラナだった。
ヨラナ夫人は魔道士の資格を持つ優秀な女性で、侯爵家に嫁入りをしなければ魔道局に進路を進めるつもりだった人だ。
彼女がごくわずかに残るフォルセアの魔力の痕跡を根気強く探し、辿り、誘拐犯たちの潜伏場所を探し出してくれたのだ。
乗り込んできた護衛騎士たちと、…フォルセアは知らなかったが王家から直々に派遣された騎士団も居て、すぐにその場を制圧しフォルセアは救出された。
違う部屋には魔力の多い子供たちが何人も閉じ込められていたらしく、彼らも全て助けられた。
犯人たちは厳しい追及を受け、フォルセアの「ツワンベルの人」という言葉も証言となって、アルストロメリア王国へ侵入した精霊教団と断じられ、最後には処刑された。
ちょうどそれは、北の大森林でスタンピードが起こった翌月の事件だった。
アルストロメリア王国はツワンベル王国に事件の説明を求めたが、当時の魔物の大群の大半がツワンベルの方向に進路を向けていたため、アルストロメリアよりも甚大な被害が出ていた時期だった。
ツワンベルは被害の少なかったアルストロメリアを妬み批判し、ツワンベルの国民を勝手に処刑したと、誘拐事件も捏造された物だと非難を繰り返したため、二国間の国交は数年の間閉ざされることになる。
そのため、フォルセアの誘拐事件は緘口令が敷かれ、表面上は無かったこととして扱われることになった。
「私を守ってくれた二人は亡くなりました」
フォルセアはラングルトに話す。
「侯爵家に仕える者は、命をかけて仕えるようにと誓約を行います。侯爵家の者を守り支えることが、王家を、ひいてはアルストロメリアを守ることに繋がるからです。エリンとバウロは覚悟を持って侯爵家に仕えてくれていました。ですが、本当に死んでしまうなんて、そんなことはなくても良いはずなんです」
フォルセアの声が揺れる。
「二人は私を守ってくれた、私は侯爵家として、せめて、二人が私を守って良かったと思ってもらえればと、」
そう思ったのに。
「なのに私には力が無かった…」
フォルセアはラングルトのハンカチをぎゅうと握りしめた。
「ヨラナ様のはからいでイクシオに嫁ぐことが決まった時は、私はイクシオを支えることで侯爵家として二人に報いようと思いました。しかし、それも破棄されることになり、私は本当に無力になりました。せめて、弟たちを守れるようにと、身体を鍛えたり、社交に務めたり、何か、私でもできることはないかと父に頼み込んで学園にも入学しました」
でも。
「何をしても、どれだけ足掻いても、両親は私にそんなことはしなくて良いのだと諭します。助けてもらった命を大事にして欲しいと、そう思ってくれているのでしょう。でも私は、それでは嫌なのです。安穏と守られるだけでこの命を消費したくない……」
「二人に、助けて良かったと思ってもらえるような人間になりたいのです…!」
小さな声なのに、ラングルトにはなぜか叫んでいるように聞こえた。
絞り出すような声、心の叫び。
フォルセアは何度か口をはくはくとさせて、息継ぎを繰り返した。
肩が何度も上下する。
「…私に怒鳴り続けたツワンベルの男の言葉は、その後どれだけ調べてもわかりませんでした。ある時に、外国語の家庭教師に、本で読んだと誤魔化して意味を尋ねると、とても汚い言葉だから決して使ってはいけないと約束した上で、意味を教えてくれました」
スラングだったようです。
フォルセアは苦く笑う。
「役立たず、という意味でした」




