32、フォルセアの過去1
ラングルトから、屋敷へ招きたいという旨の手紙が来たのは三月に入ってからだった。
日差しが暖かさを増し、冬のコートが必要ない日が増える。侯爵家の庭園も柔らかな桃色や黄色の花が広がっている。これは、エリシアとリディアの好きな色の花々だ。
フォルセアは週末に侯爵家でラングルトからの手紙を受け取った。まだ、学園に直接ラングルト名義の手紙を送ってもらうわけにはいかないからだ。
本来ならば長期休暇以外の帰宅は許されないが、フォルセアは最近はずっと週末に申請を出して侯爵家に戻っている。
フォルセアへ手紙が届くまでの時間差を考えてのことだろう。ラングルトからの招待も、来週末の日付が書かれている。
「すぐに返事を書こう」
シリスに言えば、手紙やペンの準備を始めてくれる。どの紙にしようか、フォルセアは紙の束をめくった。
いつの頃からか、ラングルトがフォルセアに送る手紙の便箋には、小さな花がひとつだけ描かれた物が使われるようになっていた。
毎回違う花で、季節に則した物が本当にささやかに描かれているのだ。
どこで購入したものなのかを聞いてみたい気もするが、次の花を待つ楽しみが減るようで、フォルセアは結局ラングルトに尋ねないままになっている。
お返しというわけではないがフォルセアも、例えば縁取りのきれいな物だったり、鳥の絵が描かれた物や、罫線に色が使われた便箋だったりを探して送るようになった。
「次の土曜にラングルト様の屋敷に招かれたよ」
「かしこまりました、そのように準備します」
「母上にも伝えないとな」
「そうですね」
フォルセアの言葉にシリスは苦笑する。外では完璧な侍女に徹し感情を隠すが、フォルセアと二人だけの時は乳姉妹としての顔も出す。
「来週に決める婚約式の用意が明日に前倒しされるかも知れませんね」
「気が遠くなるな」
フォルセアは目を閉じてため息を吐く。婚約式のドレスをようやく決めたと思ったら、式場の内装や花の用意などまだまだ準備がたくさんあるらしい。
母にすべて任せてしまうと王妃殿下も口を出してとんでもないことになってしまうので、要所要所でフォルセアが止めなくてはいけない。
この前はとうとうレイナードが、
「姉上の式が豪華になり過ぎてしまうと、次の者たちが困ります」
と苦言を呈してしまったほどだ。
侯爵家の子供はフォルセアとイクシオが最年長で、次のレイナードたちの世代の方が人数が多いのだ。確かに、フォルセアの式が標準になってしまうと後が大変なことになる。
「そろそろ、ベルツ魔道伯爵のご準備も始まるかと」
「次お会いする時にお伝えしよう…」
ラングルト達の父親は早世し、今はラングルトがベルツ伯爵の位に就いている。母親は前伯爵夫人として、ベルツ伯爵家の本邸に使用人達と暮らしているそうだ。
母親はあまり子供達と折り合いが良くないらしく、今回の婚約式の采配はすべてルドベキア侯爵家に任されている。
なので、ラングルトの衣装もすべてフォルセアの母アニエスが決めるのだ。
フォルセアのドレスに合わせると言っていたので、ドレスが決まった今、次はラングルトの番だ。おそらく母のことだからデザインは決まっているはずだ。後はひたすら採寸、採寸。
「念の為、奥様へ確認して参ります」
「頼む」
シリスが部屋を出ると、フォルセアは机に向き直る。さて、どんな風に返事を書くか。
手紙が書き終わる頃シリスが戻り、来週のフォルセアの訪問の帰りにラングルトを侯爵家に連れて帰ってくることを指示された。
夕餉をもてなす名目で、式の準備をするのだという。
「書き直しだ」
フォルセアは苦笑して、新しい便箋を取り出した。
*
次の週末はまた更に暖かい日になった。週の半ばに降った雨は冷たかったのに、翌日には更に暖かくなる。春が始まりかけているのだろう。
学園はもう最後の試験も終わり、まもなく迎える四年生の卒業式を待つばかりだ。フォルセアたち在校生もやや暇を持て余す期間。
「ようこそ、フォルセア様」
シリスが扉を叩くとラングルトが迎えてくれる。このやりとりも何度目か、さすがに慣れてくる。
変わらず使用人のいない魔道伯爵邸はとても静かだ。
「シリス殿、お願いします」
「かしこまりました」
ラングルトもすっかり給仕をシリスに頼り、シリスは台所へ消えていく。ラングルトはフォルセアに手を差し出した。
「参りましょうか」
「はい」
応接室への短い歩みだが、二人並んで歩くのはインターンの時以来だ。なんとなく、久しぶりだと思う感覚に、フォルセアは可笑しくなる。
行政府でのあの時間が、遠い昔のことのようだ。
「並んで歩くのはインターン以来ですね」
フォルセアがラングルトを見上げると、すぐに目が合う。
「あの時はエスコートをするなと怒られましたから、ようやくです」
「お仕事の場でしたからね」
「クレアドール本部長からは、インターンの後も色々と注意をされました」
「それは、申し訳ないことを…私のせいですか?」
「いえ、全て私の覚悟不足です。フォルセア様は立派に研修をお勤めでした」
応接室の扉が開かれいつもの席に座る、ラングルトの向かい側だ。窓が開かれている、植えられている薬草だろうか、植物の香り。
「覚悟不足というのは?」
「…お恥ずかしい限りです、貴女の上司として振る舞うより、貴女の婚約者として振る舞おうとしてしまいました」
抑揚なく淡々と答えられ、フォルセアの方が驚いてしまう。
(そうか、婚約者…)
婚約できて嬉しく思うと、真剣に告げられたあの日を思い出す。
あの時はただありがたいことだと、迷惑をかけるだけではないのだと、ひたすらに安堵したものだが。
(婚約者だと、ずっと最初からそちらを優先してくださっているのか)
前も感じたことがある、胸を押すような、何か、何かを急がなくてはいけないような、そんな感覚がまた押し寄せる。
だが、表面上はフォルセアは平静を装った。これはきっと、自分だけで治めるべき感覚だ。
「たくさん助けていただき、本当に感謝しています。無事にインターンの結果もいただきました。高い評価をしていただいて、なんとお礼を言ったら良いか」
「…あの評価をしたのはカートンとノルマンです。私が評価すると後日婚約を発表したときに、不当な加点をしたと言われるかも知れないと、彼らに助言を受けたので」
「それは、…なるほど。お二人に感謝ですね」
思いもしない考えだが、そういう世界なのだろう。
「失礼いたします」
お待たせいたしました、と、シリスが入室する。てきぱきと紅茶と茶菓子を準備して、す、と退出する。
少しの沈黙がおり、ラングルトは紅茶で口を湿らせた。息を吸う。
「フォルセア様をもっと早くお招きしたかったのですが、どうしてもこの件が終わってからと思いまして」
「?」
「遅くなりまして申し訳ありません」
ラングルトはソファの下に立てていた鞄から、ファイルを出すとフォルセアに渡した。
それを受け取ったフォルセアは、中の書類を出す。さっと目を走らせて、そして、驚きの表情を作った。
ラングルトは少し目を細める。
「インターンの際にフォルセア様が見つけた魔法の申請は無事に検討委員会に提出され、国王陛下をはじめ、評議会の方々から認可を受けました。申請者との調整もあり発表は数ヶ月後の予定ですが、火の揺らぎを止める魔法として正式に我が国の魔法の一つとして認められます」
魔法の特許はふたつの道がある。
ひとつは、発明者自身に権利が発生し、他者が魔法を使用する際に本人が一度ずつ許可を出し金銭を得る方法と、国が国有魔法として一括で買い上げて一般魔法として普及させる方法だ。
今回は後者が選ばれた。
普及させた方が災害対策にも役立つためだ。もちろん、使用するにはそれなりの魔力と修練が必要にはなるが。
フォルセアに見せたのは認可を認めた書類の複製だ。魔法の申請者の下、魔法が有用かを検証したメンバーの最後にフォルセアの名が家名を含めて記入されているのだ。
フォルセア・ルドベキア、と。
「フォルセア様のおかげで、災害を減らす可能性のある魔法が認められました」
ラングルトは意識してゆっくりと、フォルセアに教える。理解していただけるだろうか。
(貴女は、役立たずではないのだ)
「貴女がいなければ、この魔法の発見はまだ先だったでしょう」
「…ラングルト様」
「フォルセア様のおかげです。ありがとうございます」
ラングルトの言葉に、フォルセアはほろりと涙を流した。
そのことに誰よりも驚いたのは彼女自身だ。
頬を流れる熱いものに、びくりと体を震わせて、慌てて手で触れた。
濡れた指先を呆然と眺めると、ラングルトがぱっとその手を握った。
視線を上げると、ラングルトもフォルセアの涙に驚いたようだった。
咄嗟にハンカチではなく、自分の手を出してしまうぐらいには。
「ラングルト様…」
「ご無礼を。お待ちください」
ラングルトは手を離し、自分のハンカチを差し出した。濡れたフォルセアの指をそっと拭い、そのまま手渡す。だが、フォルセアはハンカチを使わず、握りしめてしまった。
「すみません、お見苦しいところを、」
「見苦しいなど」
ラングルトはすぐに否定する。そのようなこと、あるはずがないではないか。
「……嬉しいと、思いました」
ぽつり、フォルセアは呟く。
何度も小さく呼吸をして、言葉を探しているようだった。
「私でも、できることが、わが国の為に出来ることが」
「はい」
「私は侯爵家としてあまりにも力が足らず、持てるのはこの王家を守るための血だけで、」
ぽたり
フォルセアの涙が頬をつたい、落ちる。
「フォルセア様」
「ありがとうございます、ラングルト様。私でも、出来ることがあった、…本当に、嬉しい」
この魔法はきっと火の災害を防ぐ一助になるだろう。その魔法を世に伝えるきっかけのひとつになれた。フォルセアが、出来たこと。
きっと、功績といって良いものだ。
「フォルセア様、教えていただけますか」
ラングルトは意を決して、フォルセアに向かった。
机の向こうのソファに座るフォルセアのそばに行き、膝をつく。
自分はまだ、彼女の隣に座る資格などないのだ。
せめて、彼女の側に控えさせて欲しい。
背の高いラングルトだが、膝をついてしまえばソファに腰掛けるフォルセアの方が視線が高くなる。
見上げると涙がまたひとつ、頬を伝って落ちたところだった。
「なぜ、貴女はそうまでして役に立ちたいと、ご自身を役立たずだと仰るのですか」
出会った最初から、彼女は折に触れて口にしていた。
役に立ちたい。
なのに自分では無理だと。
魔力が少ないからか。それだけで、そう思わざるをえない何かが、あったはずなのだ。
あれほど誇らしい姿で堂々と立つフォルセアの、この自分自身への無力感は一体何なのか。
「フォルセア様」
ラングルトにとって誰よりも貴いものとなった名を呼ぶ。
その手に触れてしまうことを許して欲しい。
ラングルトのハンカチを握りしめるその手を。
契約だからではない。
もはや誤魔化すこともできない、ラングルトにとって何よりも大切な……愛しいこの方の。
「……ラングルト様」
「はい」
フォルセアはしばらくの逡巡の後、口を開いた。
「これは私の…せめてもの償いなのです」




