30、ルドベキア父娘、密談する
インターンが終わった土曜。昼前に侯爵家に着いたフォルセアは、二階にある父の書斎の扉を叩いた。
「父上、フォルセアです」
「入りなさい」
部屋の中は父ライゼル一人だ。家令は扉の外で控えるらしい。
学園の三学期に入ってから父とは久しぶりに会う。その間に勝手な行動をした自覚のあるフォルセアは、気まずさに緊張する。
「父上、行政府のインターンに参加させていただき、ありがとうございました」
「ああ」
ライゼルは書斎の椅子に座ったまま、扉の前に立ったままの娘を呼ぶ。
「こちらに来なさい」
「はい」
フォルセアは父の向かいの椅子に座る。いつもよりも無口な娘に、ライゼルは嘆息した。
「申し訳ない事をしたとは思ってくれているのかい?」
「…父上の了解を得る前にインターンに申し込んだことと、嫌がらせを受けて父上にご心配をお掛けしたことは、申し訳ありません」
「全く…」
フォルセアは少しの怯えを見せているが、それでも背筋を伸ばして、ライゼルをしっかりと見つめている。
つまりは。
「インターンに参加できたことに関しては、得難い体験だったと思っています。後悔はしていません」
そういうことなのだ。
「相変わらず頑固だな…」
一度決めてしまったら、絶対に諦めないでやり遂げようとする。きっと、このインターンの参加も娘なりに何かを決断した結果なのだろう。
「そんなに緊張しなくても良い。ただお前の様子が見たかっただけだ。常にはない嫌がらせを受けたと聞いたら心配もするだろう」
告げると、途端にフォルセアは安心した顔をするものだから、ライゼルは苦笑する。
この事件を全くを苦にしていないのだろう。フォルセアはルドベキアの子供たちの中でもずば抜けて他人から向けられる悪意に強い。
「ご心配をお掛けしました。幸い、ラングルト様をはじめ、行政府の方が迅速に対応してくださいました。あ、そうでした。一番早くに助けに来てくれた方がいて、お礼をしたいのですがルドベキアの家名を使っても構いませんか?」
「構わないよ。ただ、品物の相談は母上にしなさい。アニエスたちはお前の事件を知らないから、うまく誤魔化すのだよ」
「分かりました」
フォルセアは嬉しそうに頷く。フォルセアにとっては傷付けられたことよりも、助けてくれた人物に礼をする方が大事なのだ。
(それが、心配なのだ)
ライゼルは心の中で呟く。しかし、口にしたのは違う事だ。
「ラングルト殿との婚約を公表していれば、防げたかもしれない事件だ。すまなかったね」
「いえ、そんな」
フォルセアはすぐに首を振った。
「こればかりは、…きっともう、仕方のない事だったのです」
一人の男性を想う女性たちの嫉妬。
フォルセアには遠い感情で共感はできないが、制御が難しいものなのだろうと、想像することはできる。だからと言って、罪は罪でしかないが。
「今回はたまたま、巡り合わせが悪かったのでしょう。彼女たちの処罰も済んでいます。私は、次がないように出来るだけ気を付けようと思っています」
娘の言葉にライゼルはあからさまに眉を動かした。
「私は気にしない、がお前の口癖だったが…気を付けるとは、いや、驚いたな」
心から告げて、少しフォルセアに向かって背を浮かせる。
「インターンで一緒の友人に怒られました。私は私自身に無頓着過ぎて、周りに余計な心配をかけてしまうと。ラングルト様にも魔道局の方たちにも本当に心配されて、気遣っていただきました。…とても、反省したのです」
「そうか、…そうか」
心から悔いているフォルセアの声音だ。
ライゼルは感慨深げに息を吐く。
「私はその友人殿に礼をしなくてはいけないかな」
「それは先方が困りそうですね。アルブレイ・ヒルタンはすでに侯爵令嬢を説教した男として学園で有名になってしまっていて…ますます私が怒られそうです」
「ヒルタン子爵か、なるほど。ご子息もしっかりした気質のようだな」
ヒルタンは爵位は子爵だが、歴史はとても古い。長らく王国に存在し、王家に忠誠を捧げる稀有な家系だ。それ故に、爵位は子爵でも家格は高い位置にある。
「では、しかるべき時に恩を返すとしよう」
「穏便にお願いします…」
私がまた怒られます。と訴える娘に、ライゼルは笑った。
「話を戻して、…お前たちの婚約のことだがね」
「…っ、」
びくり、フォルセアが肩を跳ねさせる。
わき上がる、不安。
「おやおや、安心しなさい。婚約は変わらない、ラングルト殿からも不手際を謝罪されて、婚約を無かったことにしないようにと願われたよ」
「ラングルト様が…」
フォルセアの胸の中に何かが込み上げてくる。
暖かいような、けれど何か、切羽詰まるような、急かされるような、不思議な感覚。
最近ラングルトを思い出す時に、時々わき起こる感覚だ。
「お前たちの婚約式を夏の休暇中にと思っているのだが、中々準備が進まなくてね」
「そうでしたか…」
フォルセアは安堵し、冷静になる。
侯爵家の婚約だ。宣言だけすればいいわけではない。
発表するときには、式の日取りや場所、招待客への根回しなどを済ませなければいけない。
「婚約式は正教会の大神殿でと思っていたのだがね、アニエスと王妃殿下が結婚式と婚約式は違う所が良いと言い出してね」
「はい?」
「結婚式は大神殿でないと駄目だから、婚約式は王家の離宮でやろうと盛り上がっている」
「母上と王妃殿下が?」
「うん。私も陛下も説得できないぐらい盛り上がっている」
「止められない、と」
「無理だ」
ライゼルは首を振る。
「侯爵家の新しい世代の、初めての祝いの場だからね。イクシオ殿もそうだが、お前は五大侯爵家最初の娘として王家によく仕えてくれているからね、陛下も王妃殿下もお前に報いたいのだろう」
「畏れ多いことです」
確かにフォルセアとイクシオは、まだ幼く立太子できない王子たちに代わり、王家の式典や祭事を手伝うこともある。しかしそれは侯爵家の子女としては当然の義務である。
「王妃殿下の決定だ、もう覆らないだろう。ありがたく離宮を使わせていただこうか」
「はい」
父侯爵の諦めのような笑顔に、フォルセアも苦笑する。招待客を離宮まで招く算段もしなくてはいけなくなったということだ。領地で隠居している祖父母の協力も得た方がいいかもしれない。
「あまり言いふらせないが、年末から慌ただしくてね、準備が間に合うように尽力はするが」
ふー、とライゼルはため息を吐く。
「確かに冬に入ってから父上はお忙しそうでしたね、ご帰宅も遅かったですし…」
「新年度までに片付けなくてはいけない案件でね、いや、それはもうほぼ目処は立ったんだが、別件でサントリナ魔道伯がスタンピードの可能性を報告してきた」
サントリナ辺境伯夫人でもある、カリファ・サントリナはスタンピードの出現周期などの研究で功績を持つ魔道伯爵である。
フォルセアは眉を顰めた。
「スタンピード…出現場所は?」
次元の穴から出現する魔物たち、それの大量出現だ。地方の軍や傭兵だけではなく、王都の軍を出して対応しなくてはいけない、そしてきっと、ラングルトも。
「北部の大森林だ。ツワンベルの国土も含まれているから、協定に基づき先方にも極秘で知らせた」
アルストロメリア王国と北の大国ツワンベル王国の境界にもなっている大森林には巨大な次元の穴があり、多くの魔物が徘徊している。
そこからスタンピードが起こるのだ。頻度は多くないものの被害は他よりも甚大なものになる。
「フォルセア、これは他の者には言ってはいけないよ。家族にもだ」
ライゼルはまた身を乗り出す。
真剣な声。
「それ以来、定期的に我が国に入国するツワンベル人が増えた。商人や旅人のようだが」
父があえてこう言うのだ。きっと正体を掴んでいるのだ。フォルセアは声を落とす。
「精霊教団」
それは、幼き頃のフォルセアを誘拐したツワンベルの宗教集団。
「おそらくそうだろう。彼の国にスタンピードが近いと、極秘で伝えたが情報が漏れている。意図的かもしれない」
「やはり、ツワンベルの上層部に教団関係者が?」
「あそこは排他的だ。中々間者も入れられんが、おそらくそうだろう。フォルセアよ、もうお前が狙われることはないだろうが、もしもということがある。ゆめゆめ、気を付けるようにな」
これが本題だったのだろう。
娘を呼び出したルドベキア侯爵の真意をフォルセアは悟る。
「ツワンベルのデューク公子をこの前の新年祝賀会に招待しましたね。公子を疑っておいでですか」
フォルセアは年末の一件を今更思い出す。あの時は自分とラングルトの事ですっかり失念していた。
「おかしな時期に無理矢理留学してきたからね、社交界で泳いでいただいて探ろうとはしたが、間者ではない線が濃厚だと報告を受けている。警戒はするがな」
今のフォルセアは王家を支える侯爵令嬢。昨日までの未熟なインターン生の姿はどこにもない。
真剣な瞳、堂々たる姿で父の指示を待つ。
「学園で私も対応いたしましょうか」
「いや、お前は普段通りに礼節を持って相対しなさい。デューク公子が潔白だったとしても彼の護衛はまだ分からない。急に対応を変えては怪しまれる」
「分かりました」
「ただ、警戒は怠るな、何かあればすぐにシリスを使って私に連絡をしなさい」
「はい」
「それと、お前自身も守るのだぞ」
「…はい」
侯爵ではない、父の言葉。フォルセアはつい、口元を緩めた。
(ラングルト様が守って下さるからご安心ください)
決して忘れずにポケットに入れている宝石。
なんとなく、父にそれを告げるのはためらわれて、フォルセアは頭を下げるだけにとどめた。
*
「母上…」
久しぶりの我が家。
父との話が終わり家族がいるであろう居間に降りてきてみれば。
待っていましたとばかりに母アニエスが妹二人と共にフォルセアを捕まえた。
「お父様から婚約式のお話は聞いたかしら?さあさあフォルセア、当日の衣装を決めましょうね。早く決めて作らせないと、婚約式に間に合わないわ!」
「婚約式は夏でしょう?まだ慌てなくても…」
「何を言っているの、式で一着、パーティでも三着は着替えるのよ、装飾品だってあつらえなければ!今からでもギリギリです」
「三着!?」
フォルセアの声が裏返る。
「私の身体はひとつですよ!」
「知っています、だから着替えるのでしょう。侯爵家の子の結婚なんて本当に久しぶりなのですよ、まだ婚約で、お嫁に行くとはいえ相手は魔道伯爵様!私も王妃様も楽しみで楽しみで」
「楽しんでいるんですね」
「もちろん、大事な娘のためですよ、もちろんね」
母アニエスの勢いがすごい。
さすが、前王妃の衣装番だった女性だ。
そして、きっと急に呼び出されただろうにあわてた様子もなく、侯爵家御用達のデザイナーや宝石商たちが部屋の端にきちんと控えている。
エリシアとリディアもフォルセアに抱きついて来た。
「私たちもお姉さまとお揃いのパーティドレスを着るんですよ」
「お姉さま、私たちもお姉さまの式のドレスに刺繍をさせてもらえるんです」
「それは、嬉しい…とても嬉しい…が、」
最愛の妹たちの笑顔が眩しい。
きっと母が仕組んだのだ。
「三着か……」
フォルセアは逃げられない苦行を想像して、うめき声を上げた。
「せめて二着になりませんか……」




