29、インターン7
侯爵令嬢としてではない街歩きは初めてだった。
もちろん仕事である。
それはもちろんなのだが、ただの研修生として紹介されて、名前すら名乗る必要ない状態で色々な人の話を聞く。
誰にも意識されずに歩いて行ける事の新鮮さに、フォルセアは胸が高鳴った。
ラングルトが開発したという包魔石の点検。
金庫に厳重に保管され、万が一の時にだけ使用が許される魔道具は、残念ながらフォルセアにはただの宝石にしか見えない。
マトリとレイチェルは慣れた様子で大きな宝石を手に取って、書き込まれた術式に破損がないかや、込められた魔力が減っていないかなどを確認している。フォルセアはそれをひたすら書類に書き込んだ。
フォルセアの後ろで、さりげなく守ってくれている騎士二人も包魔石を実際に見るのは初めてのようで、興味深そうにしている。
ラングルトがまだ十八才の時、中央学園の四年生の時に開発したというのだから、彼の才能は計り知れない。
当時の魔道局の局長がラングルトの才能に気付き、研究に出資して完成したらしい。
マトリたちの言葉を書き込みながら、フォルセアは知識だけで知っていたラングルトの経歴を、改めて思い出し感嘆する。
(ラングルト様は本当にすごい方だ)
冬の夕暮れは早いが、もう二月だ。新年の頃よりは明るさを残した夕方、フォルセアたちは魔道局に戻ってきた。
インターン生の終業時間まではまだ時間があるが、これから報告書を作成して、提出する。間に合うだろうか。
騎士たちと別れたフォルセアは、マトリたちと魔道局への廊下を進む。研究機関扱いと表現されていたが、確かに魔道局は行政府の別棟にあり職員玄関からは遠い。
「戻りましたー」
マトリが扉を開けると、職員の何名かが「お帰りー」と応じてくれる。そして。
「お疲れ様でした」
ラングルトが迎えてくれた。マトリとレイチェルが少しビクッと肩を揺らしている。
(怒ってるかな?)
マトリが事情を共有している仲間を探すと、遠くの席から直属の上司であるグリムが腕で大きく丸を作っていたので、安全と判断する。
「局長、戻ってたんですね。僕たちもフォルセアさんの指導を兼ねて、包魔石の点検から戻りました」
後で報告書を上げます。
まだ少し警戒しながら、マトリが当たり障りない報告をすると、ラングルトは「分かりました」と平坦な返事をする。
ラングルトの視線がフォルセアへ向けられるのにつられてマトリもフォルセアを見ると、フォルセアは珍しく表情を固くしていた。
いつも、穏やかに笑顔を浮かべる女の子なのに。
(昨日の今日だからな)
マトリは思う。それもあって外に連れ出したのだが。
「フォルセアさん、お帰りなさい。視察はいかがでしたか」
しかし掛けられたのは、ラングルトの思いのほか静かな声だった。
マトリは(おや?)と思う。本当に怒っていない?
フォルセアにも伝わったのか、少し、肩の力が抜けたようだ。
「ただいま戻りました、ベルツ局長。とても勉強になりました」
まだぎこちないが笑顔を浮かべて返事をしている。マトリは胸を撫で下ろして、レイチェルと共に自分の席に戻る。
ラングルトはそのままフォルセアを執務室へ連れて行くようだった。ダナンもそれに着いていくので、仕事の話なのだろう。
(いや、仕事中だろ、そうに決まってるだろ!)
自分のおかしな考えに、ついマトリは脳内で叫んでしまった。それもこれも、局長のせいだ。口には絶対に出さないが。
「早速ですが、他の局長たちと一緒に学園とお父上に謝罪をして来ました」
ラングルトは自分の席に座り、フォルセアはラングルトの執務机の前に立つ。ダナンはラングルトのそばだ。
「はい。お手数をお掛けしてしまって申し訳ありません」
フォルセアは頭を下げると、「いえ」とラングルトはそれを制した。
「何度も言いますがこれは我々側の責任です。フォルセアさんには本当に申し訳ありませんでした」
ラングルトは立ち上がって頭を下げる、ダナンも同じくフォルセアへ深く頭を下げたので、フォルセアは慌てる。
しかし、ここで自分の不注意で、などと返すわけにはいかなかった。助言をくれたアルブレイや学園の職員たちを思い出す。
「済んだことです、もう気にしておりません。謝罪をしていただきましたので、もうこの件は終わりにして下さい」
「ありがとうございます」
フォルセアの言葉に、ラングルトとダナンが頭を上げる。ひとつ、息を吐いて席に座った。
「ご心配なさっていたかもしれませんが、お父上からはお許しをいただきました。また、フォルセアさんのインターンに関しては、フォルセアさんが平気ならば継続しても構わないとお言葉をいただいています。学園に関しても同様です」
フォルセアは思わず胸を押さえた。
嬉しい、本当に、嬉しい。
すぐにでも侯爵家に呼び戻される覚悟もしていたのだ。
言葉がとっさに出ない。
「お父上と学園長にお手紙を出して下さったのですね。おかげで、謝罪と今後の話が円滑に進みました。ありがとうございます」
ラングルトはまた頭を下げる。
「差し出がましいことをしましたが、お役に立てたのならば良かったです」
「とても助かりました」
ラングルトはしっかりとフォルセアを見つめる。
「お父上から、研修が終わったら一度会いに来るようにと言付かっております」
「分かりました」
フォルセアは頷く。
フォルセアも父に会いに行くつもりだった。非常に緊張するが、避けるわけにはいかない。
「では、この話はここまでで終わりにします。ノルマン」
「はい。失礼いたします」
ダナンはラングルトに一礼して執務室を出て行ってしまった。
フォルセアはラングルトと二人になる。まるで、昨日のようだ。
ラングルトは立ち上がってフォルセアを応接用のソファに座らせると、自分もその向かいに腰掛けた。
「外はいかがでしたか」
ラングルトの許可なく外出したことを咎められるかと覚悟したフォルセアは、ラングルトの表情に瞬きをした。
優しい目、穏やかな声だ。
フォルセアは胸を撫で下ろす。
「とても勉強になりました、…さっきも言いましたね。楽しかったです、誰にも気負われずにただの職員見習いとして施設を見学できて、人と話して」
「はい」
「ラングルト様の包魔石も初めてあんなに間近で見学できて、その後触らせていただいたのですが、残念ながら私にはただの宝石にしか見えませんでした。とてもすごい技術が詰まっているのですよね。カートンさんたちも本当に大変な道具だと言っていました」
「恐れ入ります」
「包魔石のおかげで、万が一の時の、施設の維持ができる。それが王都の人々の安全につながると、施設の方々が感謝していました」
「はい」
「ラングルト様の功績です、もちろん素晴らしいのはラングルト様なのですが、それが私も嬉しくて、何というのでしょう、こう、自慢したくなるような」
そう、弟レイナードや二人の妹たちに対して誇らしく思う、あの気持ち。
「ラングルト様はすごいんだぞ、と、言い回りたくなるような」
「…。」
フォルセアの表情に、言葉に、ラングルトは左腕を押さえた。
以前にも感じた、血管や神経がぎゅうと握り潰されるような感覚。
痛苦しいが、しかし、不快ではない。
「…ラングルト様?」
「お気になさらず。どうぞ、続けて下さい」
「はい、あ、それと昼食をウェイズさんが教えて下さった食堂でいただいたのですが、四人掛けの机に五人で座って、大きな騎士の方々が窮屈そうでそれがおかしくて。あとサラダが机に乗り切らなくて、手で持って先に慌てて食べてお皿を回収してもらって、」
「私も同席したかったです」
「そうですか、でしたら、その場合は六人掛けの席が使えますね」
「そうですね」
「…、すみません。お仕事の話ではないですね」
ふと、フォルセアは意識が戻る。話しているうちに、時計が目に入ったのだ。
しまった、今は、研修中なのだ。
報告書も書かなければ。そして、ラングルトの仕事の時間も奪ってしまっている。
「いえ、フォルセア様の様子が聞けて良かったです。…また、インターンが終わればお誘いしてもよろしいですか」
「もちろんです」
ラングルトがソファから立ち上がり、フォルセアに手を差し出す。フォルセアはその手を取って、すっと席を立った。
彼女の表情が切り替わる。
ラングルトの婚約者ではなく、侯爵令嬢ではなく、魔道局の研修生。
「今日の報告書をまとめて来ます」
「お待ちしています」
ラングルトの方が切り替えができていない自覚がある。もう少し、あの方と。
…いや。
これは現状では相応しくない。
フォルセア様は本当にすごい方だ。
ラングルトは心底そう考えた。
*
水、木、金。
インターンの最後の三日は驚くほど平穏に終わった。さすがにもう行政府の外に出ることはなく、魔道局で事務的な作業に追われた。
フォルセアが仕分けした特許申請の束が結構な量だったので、最終日は人海戦術とばかりに手隙の職員総がかりでチェックをしたりした。
ちなみに全て却下だっだ。
フォルセアはもう仕分けは止めて、ひたすら申請者に「申請はこれこれこのような理由で認可されませんでした」の書類を書いた。ひたすら書いた。
紙の束がすごくなり、「今ここを離れたら雪崩になるよね」と一人の職員が不安を漏らしたことで、その日の昼食は食堂で販売されている外部のレストランの弁当を大量に買い込み、魔道局内の全員で食べることになった。
もちろん出資はラングルトだ。
他の職員たちが平然とおごられているので、慣れているのかもしれないとフォルセアは考えたが、実はこれは局でも異例の試みだったしラングルトは気軽に誰かと食事をするような人柄ではない。
ただ職員から、局長はフォルセアさんには甘いからと見抜かれた上で便乗されているのだ。給料の高さには定評があるラングルトなので、ほぼ誰も遠慮はしない。
定時が近付く頃に、マトリをはじめ他の職員たちと協力しながら大量の封筒を抱えて通信部に郵送してもらいに行くと、とても嫌な顔をされてしまった。確かに週末の定時近くに渡すにしては量が酷い。
他の職員たちに倣い、フォルセアも頭を下げてよろしくお願いします、週明けで構いませんからなどと言葉を真似して通信部を後にした。
通信部は本棟とは違い市民に開放されている離れた棟にあるので、開庁時間も終わり市民のいない閑散とした窓口の様子も目に入る。
ここに勤めるのはフォルセアたちとは違う募集に応募した者たちだ。いわゆる、一般職員。
もし行政府で働くことができたら、彼らとも関わるのだろう。
残されたインターンの時間を思い、フォルセアは(また来たい)と感じる。
急遽決まった三年生のインターンでは行政府の就職の内定はもらえない。ただ、今回の成績が良ければ四年生で本格的に募集されるインターンシップの参加の際の面接が免除になり、試験では加点がもらえるらしい。
四年生でのインターンで高評価を得られれば、その時点で行政府への内定が決まる。
フォルセアはどうなるのであろうか。
今回のインターンの評価が悪ければ、来年度のインターンは申し込みすらできないだろう。今回は特別推薦があったから、父に認めてもらったのだ。
「フォルセアさん、戻りましょう」
「はい」
マトリの声に、フォルセアは頷いた。
もうすぐ終業時間だ。
フォルセアのインターンは、こうして終わった。




