27、インターン5
ラングルトと共に他局へ出かけていたはずのフォルセアが、なぜか魔道局長の執務室からラングルトに伴われコーヒーまみれの状態で出てきた事で、魔道局内は大騒ぎになった。
特に一目で何があったのかを見抜いた女性職員たちの騒ぎと怒りようは、今までにない剣幕だったらしい。
あれよあれよとフォルセアは女性用の更衣室に連れて行かれ、やれ染み抜きだ、洗浄の魔法だ、やれ化粧直しだ、と手をかけられすっかり元通りになる。
更衣室を出たら、ラングルトが他の職員に顛末を話したらしく「大変だったね」と口々に気遣われた。
マトリにも「仕事がなくても付いて行くべきでした」と頭を下げられて、フォルセアは慌てる。
思わぬ事だったが、怪我もなく、行政府から借りた上着もきちんときれいになったのだ。
「フォルセアさん、こちらへ」
ラングルトに呼ばれ、改めて執務室に入る。
初めて体験した転移の魔法に気分が悪くなっていないかと尋ねられ、問題ないと答えると、ラングルトはフォルセアを自分の椅子に座らせた。
ラングルトはフォルセアに向かって跪くと、そっと手を取る。
「お守りできずに申し訳ありませんでした」
「そんな、私こそ対処ができなくて」
むしろ、これが一般社会の嫌がらせかと面白がってしまった。
その後のラングルトの様子や、血相を変えて廊下に出てきた国土管理局局長の対応に、これは大した事件なのだとようやく悟ったぐらいなのだ。
不謹慎だったと本当に反省したのだ。
「幸い、服が汚れただけでしたし、火傷もしませんでした」
さすがに彼女たちも熱湯を浴びせる凶行には及ばなかった。
「火傷をしなかったのは結果論です。あれがもし熱湯ならば、毒物ならば、フォルセア様は大変な事になっていました」
ラングルトは真剣だ。
楽観視するフォルセアに、少し怒ってすらいる。ラングルトの表情に、フォルセアは目を伏せた。
確かにここは貴族社会ではなく、一般的な人々が働く場所だからと、すっかり気を緩めてしまっていた。フォルセアはなおも自省する。
「ご心配をお掛けしてしまってすみません」
「いいえ、私のせいでフォルセア様にご迷惑をお掛けしてしまったのです。本当に申し訳ありません」
ラングルトに想いを寄せる女性たちの仕業だったのだ。ラングルトがフォルセアに構いすぎたので、逆恨みされた。
「私の認識不足でした。カートンたちにも注意されていたのに」
フォルセアの手を取るラングルトの力が強くなる。
「けれど、ベルツ局長はお仕事をして下さっていただけです。逆恨みならばもうどうしようもないではないですか」
「ラングルトと」
「?」
「ラングルトとお呼び下さい」
強い口調だ。フォルセアは戸惑う。
執務室には二人しかいない、ならば、大丈夫なのだろうか。
「…ラングルト様」
「はい」
ラングルトはようやく長い息を吐いた。
「仕事とはいえ、他人行儀なのも、中々ストレスが溜まるものですね」
独り言の様にラングルトは呟いた。
「貴女にお渡しした宝石には多くの魔法や呪いからお守りする術式を組み込んでいましたが、まさか物理的に貴女が狙われるとは思わず、盲点でした」
「コーヒーをかけられるなど、私も思いませんでした。気にしないでください」
さすがに、次に同じことがあるとも思えない。
しかし、ラングルトの考えは違う。
「この様なことがあったのです、私も一層注意をしますが、カートンにも必ずそばに控えるように伝えます。カートンの魔法は様々な物理攻撃に対しても効果が高いので」
防護魔法に関してならば、ラングルトよりも発動が速い。
嫉妬をされないようになどと、ラングルトがフォルセアから離れる選択肢などないのだ。ならばより一層、念入りにお守りするだけだ。
「…ラングルト様、私は貴方のご負担にはなっていませんか。契約を持ちかけたのは私なのに、私は貴方に助けていただくばかりで、まだ何のお役にも立っていません」
あれほど堂々としているはずのフォルセアの声が、小さくなる。ラングルトは不思議に思った。
なぜ、この方はこうも「役に立つ」事にこだわるのか。そして、なぜ自分はそれに値しないと思い込んでいるのか。
「私は貴女と婚約できて本当に嬉しく思っています」
「ラングルト様」
「貴女のおかげで楽しいと思うことが増えました。貴女と食事をとることも、夜会でのダンスも、これまではただの義務でしかなかったというのに、本当に楽しかったのです」
ラングルトはフォルセアの手を握っていた片手だけを外し、自分の胸に当てた。誓いの様に。
「私に人生の楽しさと、生きる糧を下さった貴女へ、感謝こそすれどうして負担になどと思うでしょう」
真摯に言葉を重ねる。
嘘偽りなく、すべてラングルトの本心だ。
ラングルトの大きな手から、まっすぐ見上げてくれる瞳から、フォルセアにラングルトの心が伝わる。
「契約結婚の相手に私を選んでくださってありがとうございます」
「ラングルト様…」
フォルセアは彼の名を呟いた。
なんと、光栄なことだろう。
この様な素晴らしい方が、自分に感謝をしてくれている。婚約できて良かったと、思って下さっている。
フォルセアはラングルトの手に自分のもう片方の手を重ね、万感の思いを込めて、握りしめた。
(もう、不安になるのは止めよう。この方をちゃんと、信じよう)
「ありがとうございます、ラングルト様。私も、ラングルト様と婚約できて本当に良かった」
執務室から出てきたフォルセアとラングルトに、魔道局の面々が近寄ってきた。
中で何の話をしていたのか職員たちには分からないが、フォルセアがあんな嫌がらせを受けた後なのだ、心配しないわけがない。
「フォルセアさん、大丈夫ですか」
「局長に何か言われました?」
「怖くなかったですか?」
「本当に今日は災難でしたね」
主に女性職員が口々にフォルセアを気遣う。
マトリの近くに用意されているフォルセアの席に座らされ、フォルセアは女性たちに次々に頭を撫でられた。
「ベルツ局長は外部の人に人気があるから…」
「ほんとほんと、俺らにはただの魔王なんだけど、なんでか外部の人には寡黙でステキな紳士に見えるらしくて」
「ふっ」
男性職員の言葉に、フォルセアはつい吹き出してしまった。咄嗟に手で口を覆う。
(まおう、…魔王?ラングルト様が?)
フォルセアが吹き出すことなど職員たちは見たことがない。局内最年少の女の子の仕草に、つい、つられて笑い出してしまう。
「魔王ってツボですかフォルセアさん」
「局長、魔王で良かったですね」
からかう部下たちを一瞥し、ラングルトはフォルセアの前に膝を付いた。
「貴女が望むのなら魔王にすらなりましょう」
そんなことを大真面目に言うものだから。
「シャレにならない」
「ほんとに出来るからヤバい」
「やべぇ俺ら魔王軍」
「討伐されるっ」
職員たちも大笑いだ。
「そこまで、ふざけすぎだ」
さすがに見かねてラングルトの補佐官、ダナン・ノルマンが止めに入った。彼なりにフォルセアを心配し、今の様子に安堵はするが、あまりにも話題が不謹慎すぎる。
ラングルトの実力なら行動次第では王都を滅ぼせるのだ。冗談が真だと外部に勘違いされたら大変なことになる。
「局長も、言動には気を付けて下さい」
「フォルセア様次第です」
「フォルセアさん、助けて下さい」
ダナンの懇願の様な声音にフォルセアはまた笑ってしまった。本当に、仲の良い方たちだ。
「魔王にならなくても私は魔道局の皆さんが好きです。気を遣って下さってありがとうございます」
笑いすぎか涙がにじんで、指で目尻を拭いながらフォルセアは笑顔を浮かべた。
恥じらうことのないまっすぐな好意と、非の打ち所がない満面の笑顔。
(侯爵令嬢の笑顔やばい)
いつしかのマトリの心の叫びを、職員たちは共有することになった。
*
終業後、寮に戻ったフォルセアはアルブレイ・ヒルタンを探した。朝の会話の礼を言うためだ。
幸い同じ寮なので門限も関係ない。寮で夕食を取った後は、多くの生徒が談話室などに集まる。
大きな暖炉にソファが多く用意された談話室は複数用意されており、今の時期にとても重宝されるのだ。
「ヒルタン」
目的の人物は案外早く見つかった。
予想通り、談話室にいたのだ。
「ルドベキアか、どうしたんだ」
談話室の端に、一人掛けのソファで本を読んでいたアルブレイはちょうど一人だった。フォルセアは近くの椅子を引き寄せて、アルブレイの向かいに座る。
「読書の邪魔をしてすまない、今朝の礼を言いたくて」
「今朝?」
アルブレイが片眉を上げる。
「私が妬まれてる事を教えてくれただろう」
「ルドベキア…君、もしかして」
「ちょうどあの後に嫌がらせを受けてな、あまり驚かずに済んだんだ」
「あれって君のことか!」
アルブレイが顔を押さえて天を仰いだ。
インターン生が嫌がらせを受けて、行った職員が処罰を受けた話は業務連絡として上司から周知された。
財務局で研修を受けているアルブレイにも、何かあればすぐに指導員か他の上司に言うようにと、局長直々に声を掛けられたのだ。
学園内もそれなりにギスギスすることはあるが、行政府も変わらないかと、そんな事を考えてはいたのだが。
(ルドベキアが当事者!)
よりにもよって侯爵令嬢に嫌がらせをするとか、犯人は生きているだろうか。貴族ならば普通に家長から除籍をされるレベルではなかろうか。
「何、されたんだ」
「コーヒーを掛けられた、幸いあまり熱くなかったから怪我はない。後は、ベルツ局長に近付かないように言われてな」
「何されてんの…」
アルブレイはまた天を仰ぐ。のんきに笑って報告する様な話だろうか。
「ヒルタンは父君が行政府にお勤めだろう?ああ言う時はどんな風に返事をしたら良かったか分かるかな。あの時は返事に困って、結局謝ってしまったんだ」
「侯爵家が謝るとか何やってんの…」
「いや、家名は出してないからあの時の私はただの研修生だ」
「…なら犯人の寿命が伸びたね」
「まあ、結果的には…」
フォルセアは少し気まずそうに肩をすくめた。
侯爵家に危害を加える事は重罪だ。
なにせ、侯爵家は王家の血を守っている、万が一王家に何かがあれば侯爵家から次の王を選ぶのだから。
アルブレイ・ヒルタンは子爵家だ。爵位はさほど高くはないが歴史は長い。王家に万が一があった遠い過去の歴史の中でも、ヒルタン家は子爵家として国を守ったことがあるのだ。
「コーヒーを掛けられた時の対処法なんて僕が分かるわけないだろう…」
「それもそうか…」
私も初めて聞いたしな…。
フォルセアは呟く。アルブレイが眉を寄せた。
「…というか、ルドベキア」
「うん」
「君は楽観的過ぎるのをそろそろ自覚した方がいい」
「うん?」
アルブレイがソファにしっかり座り直して、フォルセアを見据えた。
「時々思っていたけど、君は自分が平気ならば大した物事じゃないと判断する悪癖がある。言っておくけど君の許容量は人並み以上過ぎて、君が平気だと判断しても他人にはそうじゃないんだからね」
アルブレイの指摘にフォルセアは無意識に姿勢を正した。
「もし他の女子が君と同じ様な目に遭ったとしたらどうするんだ。コーヒーを掛けられたら?君は時々、男子よりも騎士みたいに振る舞うだろう?絶対に助けに行くし相手を許さないはずだ」
「…はい」
「君自身が平気でも、それを知った周りが何を思うのかをもっと考えるべきだ。君はまだ学生で、女子で、侯爵家なんだ」
フォルセアの背中に汗が伝う。
アルブレイの言うことは至極もっともだ。
確かに自分以外の人が同じ目に遭っていたら、フォルセアはきっと怒っていたし厳しく対応したはずだ。
とても心配してくれたラングルトや魔道局の人たちを思い出す。
「はい、その通りです。私は確かに、自分に対しての判断を疎かにしていました」
「今回の件の責任は行政府にあるから、君は被害者だし責められることはないけど、それをされない心構えも必要だと思うよ」
「はい。肝に銘じます」
ぐうの音も出ない。
フォルセアはただただ反省する。重ねられる言葉に押されるようにどんどん頭が下がっていき、アルブレイに対して頭が上げられない。
なお、ここは談話室だ。
すっかりやり込められてしまったフォルセアたちの姿は学生たちに丸見えだ。
アルブレイの声は大きくないので何を話しているのか、談話室のざわめきの中で伝わらなかったが、はっきり分かる事がある。
「アルブレイがルドベキアを説教してるぜ」
「すごいね、フォルセア様がやり込められてる…」
学生たちの声が廊下にも伝わり、他の場所にいた学生たちも集まってくる。
「どうしたんだ?」
「ヒルタン先輩がルドベキア先輩を公開説教してるの」
「何それ見に行こ」
など、ちょっとした見世物になってしまったのだ。
そしてアルブレイ・ヒルタンは侯爵令嬢に公開説教した男として名が知られることになるのだった。




