19、レイナードは語る
一月四日。
新年の祭りも終わり、王城、行政府を始め国内の主要な業務が一斉に開始される。
「おはようございます局長」
「ベルツ局長、今日の会議の予定ですが中会議室に場所変更の上、一時間前倒しになってます」
「局長、閉庁中に届いていた申請書類です」
ラングルトが登庁するなり部下たちが声をかけてくる。局長補佐官のダナン・ノルマンが手を叩いた。
「皆一斉に話すな、局長、今日くらいは朝礼をしましょう」
「分かりました」
「聞いたな、全員集まれ、局長からのお言葉だ」
いつもはそれぞれ登庁するなり勝手に業務を始める面々だが、休暇明けはさすがに申し送りも多い。
「おはようございます、挙手ののち順に報告してください」
ラングルトの言葉に部下たちが次々に手を挙げ、ダナンが順番に指名していく。だいたいが休暇前までの進捗報告と閉庁中に起こったことの報告だ。
「他には居るか」
はい、と手を挙げる若い職員。
「新年の夜会で踊ってる侯爵令嬢に一目惚れして口説いたって噂は本当ですか?」
ざわっ、
職員たちがどよめく。
他の職員も次々に手を挙げた。
「侯爵家の嫡男の後見人になったから説も出てますがどんな感じでしょう?」
「あれ、派閥に入ったってことですか?」
「か、可憐な侯爵令嬢を取り合ったとかも聞いたんですけど、く、詳しく」
うわー、聞いちゃったよ。
ナイス質問。
勇者だよ。
骨は拾ってやるからな。
小声が室内に広がっていく。
「業務開始してください」
黙殺。
ラングルトはさっさと踵を返してしまう。
局長専用の執務室に入ってしまう上司に何人かの不満の声が上がるが、一切振り返ることなく魔道局の局長室の扉は閉まった。
「一応、報告しますが」
ラングルトよりも年長のダナンが、わざとらしく咳払いをした。
「夜会の件はかなりの噂になっていますよ。火消しをしておかないと厄介なことになるかと」
ダナンはラングルトの直属の部下だ。夜会明けから、もしかしたらかなりの問い合わせを受けているのかもしれない。
「…そうですね、貴方には共犯になってもらいましょう」
「もしかして派閥争いですか」
噂の中では一番可能性の低いものだったのだが。
防音魔法まで手ずから張るラングルトに、ダナンは探査魔法を使う。盗聴の類を確認した。
「いえ、休暇中にルドベキア侯爵家のフォルセア様と婚約しました。正式な公表は半年後なので侯爵家から許可が出るまでできるだけ秘密にします。誤魔化しますので協力をお願いします」
上司の言葉にダナンは目を大きくする。
「え、それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「なぜあんなに派手にダンスに誘ったんですか、秘密にする気ありませんよね」
ダナン・ノルマンは伯爵家出身だ。局長補佐官という高い役職もあるため、あの夜会の場にいたのだ。
夫の上司の行動に、同伴していたダナンの妻が大興奮していた。
「…なりゆきで」
「…なりゆきでしたか」
それにしては鬼気迫っていましたね、と、ラングルトをよく知るダナンは肩をすくめた。
*
フォルセアは侍女のシリスと共に学生寮に戻る。十日ほど不在にしていただけなので、寮の部屋は何も変わらない。少しだけ積もったほこりはシリスがさっさと掃き清めてしまった。
他の生徒たちもぞくぞくと戻ってきている。何人かがフォルセアの部屋に来て挨拶をしてくれた。
その中に喫茶店の娘ミリも居て、フォルセアに向かってピースサインをしてくれたのだが、何に対してなのかフォルセアは察することができなかった。良いことがあった時のサインのはずなのだが。
「明日の放課後、フリージアに会えるように手配してもらえるか?オルソーには今から会いに行ってくる」
「かしこまりました」
シリスに頼んで、フォルセアは部屋を出る。フォルセアとオルソーは学園の西寮に部屋がありフリージアは東寮なのだ。夕飯の時間を過ぎると寮外へ出ることは禁止される。
寮の男子棟へ足を運べば、友人が手を挙げて挨拶をして来たり頭を下げて来たりする。
フォルセアが来た用事も分かっているのだろう、「オルソーなら向こうの談話室で見たぜ」とクラスメイトの一人が指で示してくれた。
「オルソー、居るか?」
扉のない談話室を覗けば、かなり多くの男女が集まっていた。休暇明けだ、話題にもこと欠かないのだろうが、フォルセアを見てざわつく者が多い。
新年の夜会に出席できない者が大半だが、何があったのかは知っているのだろう。新聞にも載ったし、ヒレのついた噂はあっという間に広がる。
「おう、こっちだ」
オルソーは手を挙げてフォルセアに応えた。
*
翌日、フォルセアたちが新しい学期を開始している頃、魔道局のラングルトのもとに珍しい訪問客が来た。
行政府の受付から知らせを受け、ラングルトは積まれた書類をそのままに急ぎ気味で部屋を出る。補佐官のダナンがさっと机の上を片付けた。
「ベルツ卿」
魔道局の廊下を足早に進むラングルトに、客人の方から声をかけてくる。
「レイナード様、なぜこちらに?」
護衛騎士を後ろに従え、嬉しそうに歩いてくる侯爵令息にラングルトは一礼した。
部下の視線をチラチラと受けながら、ラングルトは己の執務室にレイナードを案内する。護衛騎士を扉の向こうに待たせて、レイナードはすすめられた席に座った。
「お騒がせしてすみません」
レイナードはすぐに謝罪する。
居住まいを正すラングルトに、楽にしてください、と気遣う様子は姉のフォルセアにそっくりだ。
「王宮の父上に渡す書類に貴方のサインが必要なので、嫡男の僕が父の代わりにお使いに来た、という演出です」
「成程」
ラングルトとフォルセアの祝賀会の一件は、ルドベキア侯爵の想定以上に大きな噂になっていた。
ラングルト自身、昨日は至る所から真偽の程を尋ねられたので、わずらわしさに会議以外はずっと執務室に篭っていたのだ。
レイナードが持参した書類には、レイナードをルドベキア侯爵家の後継であることを支持し、支援するための文面が書かれている。
ここにラングルトが署名すれば、噂の通りに彼がレイナードの後見人になる。
「あくまで体裁を整えるだけなので、署名は強制ではないと父は言っています」
「いえ、署名いたします」
迷う暇なくラングルトはサインをしてしまうので、レイナードの方が驚いてしまう。
「よろしいのですか」
「勿論です。何かございましたら、微力ながらレイナード様をお助けいたします」
「それは、心強いです」
レイナードは笑顔を浮かべつつ、噂に聞いていた魔道伯爵とは全然違うな、と心の内で思う。
とても親切な方だ。それとも、姉上のおかげだろうか。
「質問をお許しください」
書類を片付けていると、ラングルトが平坦な声で問いかけて来た。
「はい。なんでしょう」
「夜会の折に着けていた腕輪、あれの意味をご存じなのですか」
思わぬ質問だった。
レイナードはわずかに驚き、しかし笑みを強くした。
「もちろんです」
フォルセアとレイナードの揃いの腕輪。幼い頃からずっと持っていた物だ。
「あれは、姉君に向けられた悪意ある魔法を全てレイナード様が受ける物ですね。嫡男である貴方がそうなさる程危険なことが、フォルセア様にはあるのでしょうか」
逆ならば分かる。
次期侯爵を守るために、他の家族が身代わりになることもあるだろう。
だが、違うのだ。フォルセアを守るために、レイナードが盾になっている。
「さすが、よく分かりましたね。あれはお守りです、多分もう、姉上が狙われることはないでしょう」
レイナードは何も付けていない自分の手首を何度か撫でた。
深呼吸をして、部屋の中を確認する。
きちんと処置がなされている。
中の声は外には伝わらない。
「僕が生まれたばかりの頃に姉上は誘拐されました。家族も屋敷の者も、その時は姉上よりもまだ新生児だった僕に意識を向けていました。そこを狙われたのです」
レイナードの告げる言葉に、ラングルトが鋭い視線を向けた。
まさか今、その話を聞かされるとは。
ラングルトは驚き、気を引き締める。決して、聞き漏らすことのないように。
「犯人はなぜフォルセア様を?」
「この件には緘口令が敷かれました。内密にしてくださいね。犯人は全て処刑されました、姉上の証言から北の大国ツワンベルの人間だと断定されましたので」
「精霊教団」
すぐに言い当てたラングルトに、レイナードは頷く。
ラングルトの眉が寄せられた。
ツワンベル王国の中に昔からある思想だ。
この世の全ては精霊が作っている。人も魔物も魔法も、精霊の慈悲や気まぐれで作られた、というものだ。
そこまではいい、そういう信仰もあるだろう。
だが、一部の人間が考えたのだ。
魔物も精霊が作ったのならば、魔物が大量に発生するスタンピードの大元、次元の穴と呼ばれるあの現象も精霊が作ったものなのだと。
ならば精霊に捧げ物をすれば、スタンピードは起こらないのではないか。精霊信仰の儀式を、次元の穴で行えば、魔物の出現を操れるのではないか。
極論中の極論だ。
この思想は精霊信仰者の中でも異端とされ排斥されたが、根絶やしにはできなかった。
ツワンベル王国の中で密かにずっと生き残っているのだ。
彼らは次元の穴での儀式を繰り返した。
他の儀式のように果物や花を捧げるのではない、魔力の高い人間を捧げるのだ。つまり、次元の穴に生きたまま、落とすのだ。
「姉上は魔力がとても少ないので、生まれた時からずっと屋敷の中で守られていました。犯人たちは勘違いしたのです、侯爵家の子供が保護される理由を、魔力が高いから、貴重だから隠されていると思い込んだのです」
レイナードは声を落とす。
「幸い、僕の出生祝いにアゲラタム侯爵家の方々がいらっしゃっていました。当時の侯爵家嫡男の夫人は魔力の指向性の研究に秀でた方で、わずかな姉上の魔力の痕跡を辿り、助けてくださいましたが、姉上はひどく怪我をしていたそうです」
ラングルトの呼吸が、わずかに止まる。
「誘拐の事は秘匿されました。当時のツワンベルとの国交が危うかったことと、我が国に今も潜伏する精霊教団を秘密裏にすべて捕縛するためでもあるそうです」
レイナードは再び、手首を撫でた。
「僕は生まれた頃から防御や結界に秀でた魔法の才があったそうです。なので、後のアゲラタム侯爵夫人が僕を経由させて姉上を守ろうと、あの腕輪の術式を考えてくれたんです。そして、父上は姉上の存在と魔力が低いことを広く公表しました。姉上が魔力の低さに誹りを受ける方がまだ、命を狙われるよりましだと考えたのです。ちょうど、アゲラタム侯爵夫人が、長男のイクシオ様との婚約を勧めてくださいました。夫人が将来嫁いで来た姉上を守ってくださると…」
長い言葉を話した。
レイナードは少し、咳払いをする。
ラングルトの様子を見て、息を吐いた。
「話がそれましたね、姉上の魔力のことは周知されています。姉上が教団に狙われることはないのです。ただ、父も母も、当時の侯爵であった祖父母も、姉上が誘拐されたあの日のことが本当に忘れられないみたいで」
「だから、フォルセア様は過剰なまでに守られているのですね」
「そうです、ご存知でしたか」
レイナードは苦く笑う。
十四歳の少年の笑い方にしてはひどくいびつだ。
「ベルツ卿は姉上を守ってくださると父から聞いています。貴方は姉上を閉じ込めますか」
「いいえ」
ラングルトは即答した。
「フォルセア様は自由であるべきです。私は自由なあの方を全てからお守りします」
「それが聞けて良かった」
レイナードは笑みを浮かべた。少しだけ、目尻を指で拭う。
切り替えるように、ぎゅ、と目を閉じる。深く息を吸い、吐く。
「お時間を取らせてしまい申し訳ありません、ベルツ卿。僕は父のもとへ戻ります」
「出口までお供いたします」
「そうですね、その方が良さそうだ」
お願いします。
レイナードは笑う。
先程とは全く違う、侯爵令息の笑みだ。
ラングルトがレイナードと共に居ることで、噂の種類も変わっていくのだろう。
扉を開くと護衛騎士がレイナードとラングルトに一礼した。魔道局の職員の視線も感じるが、中で何が話されたのか彼らは分からない。
「みなさん、お邪魔しました」
レイナードがほがらかに職員たちに声をかけると、彼らは慌てたように頭を下げた。
そのまま去っていく侯爵令息と、無言で付き従う自分たちの上司の背中を、不思議そうに見送った。




