18、ポケットの石と約束
一月三日。
新年の式典も、祝賀会もつつがなく終わり、市街の華やかな飾り付けも今日までだ。
行政府を始めとした一般的な働き手、役人や商人職人などは明日から通常業務が始まる。
フォルセアたちが通う王都の三つの学園は、明後日から三学期が始まる。
中央学園は全寮制なので、明日は寮に戻る移動日、完全な休日は今日が最後になる。
「お嬢様、そろそろ準備をいたしましょう」
邸宅の練兵場で、護衛騎士たちに混じって走り込みをしていたフォルセアは額から流れる汗を拭いた。
「分かった、ありがとうシリス」
場外からそれなりに大声を出してくれた侍女に、フォルセアも声を張る。
「皆もありがとう、しばらく怠けていたからすごく助かった」
背負っていた重りを近くの護衛騎士に渡して、フォルセアは彼ら全員に向けて声をかける。
護衛騎士たちは居住まいを正し、一斉にフォルセアに一礼をした。
「この冬、フォルセア様と久しぶりにご一緒できて光栄でございました。騎士たちもいつもよりも気を引き締めて臨めたようです」
隊長が部下たちを一瞥すると、護衛騎士の面々が頷いた。仕えるべき、守るべき方と同じ訓練をするのだ、無様なところは見せられないではないか。
「いつも守ってくれてありがとう、頼りにしているよ」
シリスが近くに来てタオルを渡してくれる。止まらない汗を何度も拭きながら、フォルセアは笑顔で礼を言う。
「ありがたきお言葉でございます」
さらに精進いたします。
護衛騎士たちが再び頭を下げた。フォルセアの物よりも重量のある重りを背負ったままだというのに、少しもふらついたりしない。
「お嬢様」
「分かった」
急かすようなシリスの声に、フォルセアは練兵場を後にした。
「湯を張ってありますので、お早く」
汗だくのフォルセアをシリスは風呂場へと急がせる。フォルセアも時計を見て、少し足を早めた。
今日はベルツ魔道伯爵邸に招待されているのだ。
「お招きありがとうございます、ラングルト様」
急いで湯を使い汗を流し、シリスや他のメイドたちに訪問用のドレスを着せてもらう。髪をひとつに結び軽く化粧をして、侯爵令嬢の完成だ。
すでに玄関で待機していた馬車に乗ると、先ほどまで一緒に訓練していたフォルセア専属の護衛騎士も到着する。彼も急いで準備をしたようだ。
そうして何食わぬ顔でフォルセアたちはラングルトが待つ屋敷に到着する。
「お待ちしておりました、フォルセア様」
玄関の扉を自ら開け、ラングルトはフォルセアを迎えた。
今日はフリージアは不在だ。
書類上は婚約者となっているラングルトに会いに行くのに、もう親友の手助けはいらなくなっている。
「フリージアは友人に会いに行くそうです。なんでも、休暇中に帰省していた方が今日王都に戻るのだとか」
「そうですか。明日、寮で会うのが楽しみです」
ラングルトの説明に、フォルセアは内心でにこにことしてしまう。
オルソーが今日の昼過ぎに王都に戻る予定であることを、彼女も知っていたからだ。
フォルセアはラングルトが差し出した手に自分の手を重ねる。応接室まで少しの距離だが、丁寧な対応だ。
「ベルツ魔道伯爵様、台所をお借りしてよろしいでしょうか」
「頼みます」
シリスの問いにラングルトは頷く。シリスは一礼して屋敷の奥へ歩いて行った。今日も屋敷には使用人がいないらしい。
「その後、お変わりありませんでしたか」
ラングルトは尋ねる。
夜会で過ごしたのはついこの前、一昨日の夜だ。やや不自然な問いかけになってまう。
ラングルトは積極的に他人と日常会話をしてこなかった、その弊害が出てしまう。
「ええ。家族と過ごしていました。ラングルト様、新聞は読みましたか?昨日メイドたちが街で調べてくれたのですが、手の甲のキスは傍目には気付かれなかったようですよ」
跪いたのは誤魔化しようがないが、キスは形式通りの唇を近付けるだけの作法に見えたようだ。もちろん、フォルセアの家族にも気付かれていなかった。
応接室のソファに腰掛けながら、フォルセアは安心してくださいとばかりに報告する。婚約発表前に大騒ぎにならなくて良かった。
「読みました。王弟殿下の前座のような書かれ方はいささか不本意ですが、元はと言えば私の責任です。甘んじて受け入れます」
フォルセアの向かいに腰掛け、ラングルトはやや難しい顔をしている。
「それに半年後には堂々とフォルセア様と踊れるのでしょう、それを励みにします。可能ならば二曲目も」
ラングルトは冗談を言うような人物ではない。
祝賀会の夜に続く本気の声に、フォルセアは身じろぎを堪える。
お世辞以外ではあまり経験して来なかった言葉だ。
「…ところで私はお役に立てましたか?」
フォルセアは少し、話題を逸らした。
ラングルトは意味を計りかねる。
「私の後は、フリージアとしか踊っていないようでしたが」
「ああ」
ラングルトが頷く。
「あの後も挨拶は多くされましたが、直接的なダンスの誘いはひとつもありませんでした」
遠回しに誘ってもらいたいという言い回しや視線は多くあったが、公爵である王弟殿下と踊った侯爵令嬢レベルでないと今回の夜会ではラングルトを誘えない。
と、その印象が植え付けられたようだ。
この夜にラングルトと踊るということは、二人の次期侯爵、魔道伯爵、ドラセナ公爵と踊ったフォルセアのダンスと比較されるということだからだ。
並の令嬢では彼女のダンスに太刀打ちなどできない。
「契約のひとつが果たせているようで良かったです」
フォルセアは安堵する。
その姿にラングルトは息を吐いた。頭に刻むように繰り返す。
(そうだ、契約だ)
「フォルセア様のおかげです。私も誠心誠意、お約束をお守りします」
ラングルトからはまだ話すことはできないが、行政府のインターンも始まる。フォルセアが侯爵家の過剰な庇護から、…逃れるために。
「妹から、フォルセア様はすごくすごくすごく鍛えていると聞きました。ダンスもお見事でしたがどのようなことをされているのでしょう。私が何かお手伝いできることはありますか」
「フリージア…」
親友のまっすぐな表現が中々恥ずかしい。
フォルセアが口元を手で覆っているところに、シリスが入室する。
「失礼致します」
前回のように手際よく紅茶と菓子を並べたのだが、そのまま一礼して部屋の外へ出てしまった。応接室の外で控えるようだ。前回と違う。
紅茶を飲み、フォルセアは息を整えた。
貴族の令嬢があまり大っぴらに言える内容ではない。しかし将来結婚する相手に隠すわけにもいかない。
「主に走り込みと筋力トレーニングをしています。後は組みつかれた時に振り解く訓練などを。有事の際に安全な場所まで全力で逃げ切ることを目的としているんです」
「そうでしたか」
有事、逃げ切る。ラングルトの脳裏に、誘拐されたという妹の言葉が浮かぶ。
「それに、フリージアが補助の魔法を開発してくれました。私でも使えるように調整してくれたのですよ」
「補助?」
「私たちは身体強化魔法と呼んでいます」
フォルセアが発案し、フリージアが構築した魔術式だ。
もちろん、実験台はフォルセア本人が務めているし、オルソーにも試してもらったため効果は保証されている。
「今見せていただいても?」
フォルセアは少し考えて、頷いた。
「はい」
フォルセアの魔力がほとんどなくなるが、まあ大丈夫だろう。何せここは魔道伯爵の屋敷、部屋の外にはシリスや護衛騎士もいる。
腰のホルダーに差してある杖を出すと、フォルセアは自身の身体に先端を当てた。
身体に力が伝わる。そして、すう、と魔力が失われていく感覚。
ラングルトはじっとフォルセアの杖の先を見ている。少し考え込むように唇を結び、顎に手を当てた。
「ふむ、素晴らしいですね…特許は申請しましたか?」
「いえ、これを申請すると私が使用していることも公になってしまうので、しておりません」
まさか侯爵令嬢が脳筋魔法を使っているなど、外聞が悪すぎるとフリージアが難色を示したのだ。
ちなみに脳筋魔法とはオルソーの表現だ。
「そうですか、少し勿体無い気もしますが…まあ良いでしょう。フォルセア様さえ良ければ、少し効果を伸ばす手伝いをしても?」
「え?」
フォルセアは杖から顔を上げる。ラングルトは淡々と続けた。
「魔法の行使でフォルセア様ご自身の魔力が減ったので、術の受け取りに漏れが出てしまっているようです」
「魔力が少ないと、そのようなこともあるのですか?」
「あまり聞きませんが、事例が少ないだけで無いわけではないです」
魔法をかけられる側にも、ある程度の魔力が必要だとは知らなかった。
自分の魔力のなさは、かけられた魔法の効果も落としてしまうのか。フォルセアは自分の不甲斐なさに少し衝撃を受ける。
「ですので、フォルセア様がいつも身につけている装飾品などがあれば、それに補助の術式を書き込みましょう。そうすれば身体強化魔法の従来の効果を得られるのでは」
簡単に言ってのけるが、これは魔道伯爵であるラングルトだから可能な技術だ。一般的な魔道士ではかなりの修練と適性が必要な技術である。
「それは助かります。…ですが、装飾品ですか…」
あいにくとフォルセアは然るべき場所や行事以外では身に付ける習慣がない。
考え込んでいると、ラングルトは察したのか、「少し待っていてください」と、扉の外で待機していたシリスにも、少し離れる旨を伝えて部屋を出て行ってしまった。
十数分が過ぎただろうか。
どうしたものかとフォルセアが考え始めた頃に、足早にラングルトが戻ってきた。
「失礼」
また元の向かい側に腰掛け、フォルセアの手を取ると、その中にむき出しの宝石を乗せた。
雫型に磨かれたオレンジ掛かったトパーズのルース。
フォルセアの指の爪よりも大きい。彼女にはその価値の高さもすぐ理解できる。
「これは?」
「差し上げます、魔道伯に叙勲された折に、付き合いで買うことになった宝石ですが質は保証します。これに補助の術式を書き込みましょう」
ラングルトは何でもないことのように告げる。
契約上の婚約者に渡すにしては高価すぎないだろうか、これをこれから常に身につけておくようにと、そうおっしゃるのか。
フォルセアが何も言えないでいる間に、ラングルトはフォルセアの手のひらを包むように握り、自身の杖をかざした。
何事かを呟いているが、力のないフォルセアには何が起こっているのか理解できない。
あっという間の出来事だ。
ラングルトはフォルセアから手を離すとポケットからハンカチを出した。「洗ってありますのでご安心ください」と言い置いて、部屋の棚にあるハサミで小さく切ってしまった。
すぐに戻ってきて、フォルセアの手の中の宝石を包む。今度は小さく切ったハンカチに何かを呟いている。まるで命令のように。
「宝石に貴女を助ける術をいくつか書き込みました。このハンカチに包んでいれば、これが外部に知られることはありません」
これは秘密にしておいてください。
「フリージアにもですか?」
「フリージア…分かりました、フリージアにだけ見せてください。万が一急なメンテナンスが必要になった場合は妹の手を借りるかもしれません」
ですが、と言う。
「何かあれば必ず私が貴女のところまで参ります。お約束します。必ず、私を呼んでください」
真剣な声だ。
ラングルトはフォルセアの手をしっかり握り、顔を近付けた。
フォルセアの指先に、唇が触れた。
半ば呆然とした気持ちで、フォルセアはそれを見つめる。
止める言葉も浮かばなかった。まるで誓いだと、そう感じたのだ。
「…失礼を」
ラングルトが沈黙の後、フォルセアの手を離す。そして、
「無意識でした」
と、何事もなかったかのように告げたので、フォルセアは肩を揺らす。
「無意識…」
ラングルトの言葉を繰り返して、気恥ずかしさと不思議な思いを隠すように、笑った。
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