17、ヒュッテはほくそ笑む
華々しい王城での新年祝賀会から一夜明け、早朝に侯爵邸に届けられた新聞の一面は、王弟殿下と侯爵令嬢が臣民たちと同じフロアで踊った絵姿と記事で埋め尽くされている。
招待されない記者が直接目にしたわけはない。参加者からの感想をよほど多く集めたのだろう、華やかな世界を上手に表現している。
絵姿に顔はない。許可なく王族を描くことは許されない。
ドラセナ公爵アルダール殿下とルドベキア侯爵令嬢の想像図というていで、髪型と衣装だけ似せた顔のない男女がダンスをしている絵が描かれていた。
シリスが持ってきてくれた新聞でこれなのだ。市井に出回るゴシップ紙にはどのようなことが書かれているのか。
フォルセアは少し気が重い。
ラングルトへの瑕疵に繋がらなければ良いが。
昨夜、夜会がお開きになる頃にラングルトは改めて父侯爵に謝罪をしてくれた。
父は確かにラングルトの行いに苦労したと頷いたが、怒ってはいないようだった。
むしろ他の侯爵家や王家に、ベルツ魔道伯爵がフォルセアを見初めて結婚を申し込みに来たという説明の証拠になったと、かえって助かった部分もあると肩をすくめていた。
母などはもう大興奮だった。夜会の最中は堪えるのに難儀したらしい。
ラングルトの娘に対する、まるでお芝居の一場面のような行動にいたく感動したようだ。
「まさかこんなに望んでもらえるなんて。幸せなことね、フォルセア」
娘の手を固く固く握る母に、フォルセアは襲い来る安堵と羞恥と罪悪感でなかなか返事ができなかった。
(契約結婚なんだが…)
初めて会ってからまだ十日程しか経過していないのに、あまりにも自分に尽くしてくれるラングルトに申し訳なくなる。
これで、フォルセアから契約を持ちかけたことなど誰も疑わないだろう。
アゲラタム侯爵家のイクシオの様子からも、他の侯爵家たちは魔道伯爵にフォルセアが嫁ぐことに異論がないようだった。
ひとつ、大仕事が終わった。
(罪悪感が凄いな)
これはフォルセアが侯爵家の外へ、国家行政府で働くための第一歩。そのためにラングルトに協力を仰いだ。
全てフォルセアのわがままなのだ。
昨夜のラングルトとフリージアを思い出す。
フリージアは兄の急な行いに立腹しているようだったが、侯爵家の許しを受けてなんとか落ち着いたようだった。
それどころか、レイナードのダンスに付き合ってくれたと礼を言われ恐縮していた。
後日、母とレイナードからはフリージアにお礼の品が送られることになっている。もちろん、ナリア嬢とサラ嬢にも。
…数回会っただけのラングルトだが、昨夜はまったく印象が違いフォルセアは驚いた。こんなに楽しそうに笑ってくれる人だったのか。
フォルセアがまったく思いもしない魔法を使い、フォルセアとイクシオの会話もつい聴いてしまったと、隠れて謝罪を受けた。
別にラングルトになら聞かれても問題ない会話だったはずなので、フォルセアは気にしていないと伝えると、今度はラングルトの方が驚いていた。
こんなに表情が変わる方だっただろうか。
もっと、淡々とした表情で話す人だったはずなのに。
手の甲へのキスも謝られた。
これもつい、歯止めが効かなかったらしい。
(歯止めとは)
さすがにこれはフォルセアも驚いたし内心ではすごくうろたえた。イクシオが手を握ってくれていなかったら冷静な振りは難しかっただろう。
甲とはいえ、本当にキスをされた事など無いのだ。
「次は気をつけてください」
と言えば、
「お約束はできません」
と返ってきたので、ちょっと困った。
口付けられた手の甲を眺めてみる。
(私はラングルト様に好かれているのだろうか)
とすら考えてしまった。
わずか数回会っただけの十七の小娘相手に、あの魔道伯爵が?そんなことがあるのだろうか。
「お嬢様、朝食のご用意ができました」
シリスが呼びに来てくれる。
フォルセアは寝不足で重い身体を叱咤して椅子から立ち上がった。
そう、昨夜は中々寝付けなかった。目を閉じるとたくさんのダンスを思い出すのだ。
くるくると、回る眩しい景色。
「フォルセア様」
「ごめん。行くよ、シリス」
気を引き締めて、フォルセアは新聞を机に置く。シリスの視線が新聞の絵に注がれる。もう内容を知っているようだ。
「その、お嬢様」
「なんだ?」
「エリシア様とリディア様が新聞の絵をご覧になりまして、その、ものすごく興奮しておられました」
「…イクシオどころか殿下とも踊ってしまったな…」
怒られるかな…
フォルセアは肩を落とした。
*
「昨夜は凄かったね」
急に呼び出されて何事かと思ったら、ヒュッテ・クレアドール女伯は愉快という文字を顔に貼り付けたような笑顔でラングルトを迎えた。
「仕事でなければ帰ります」
王城での新年祝賀会の翌朝、もちろん冬季休暇の真っ只中に召集がかかり、ラングルトは何事かと疲れた精神と身体に無理をさせて出向けば。
行政府が市街に保有している会議室のひとつで待っていたのはクレアドール女伯一人。
しかも開口一番この台詞だ。
ラングルトは踵を返す。
「待って待って、仕事だよ、すぐ終わるから」
ラングルトの背中に向かって、ヒュッテは書類をひらひらと振った。紙が掠れる音が頼りなく響く。
「すぐに終わらせてください」
長いため息をこれ見よがしに吐いて、ラングルトは椅子を引く。
机の上に置かれた紙面にさっと視線を走らせて、眉を寄せた。
「インターンの前倒し?」
フォルセアの姿が一瞬脳裏に浮かぶ。
ヒュッテは口の端を上げた。
「いつもなら各学園の四年生の春と夏に開催だけど、今年度中に三年生を対象に短期間のインターンをねじ込みたい」
「理由は?」
「再来年度の新部署設立で人数調整をしてたら、思いのほか各局の人員が足りてないことが分かってね。早い目に募集してインターンの回数を増やして、新人の数をしっかり確保してから再来年度を迎えたいんだよ」
「今は休暇期間ですが」
言いたいことは分かる。だが、なぜ今なのだ。
「今のうちに局長たちに周知させて、休み明けの会議ですぐに通すから」
ラングルトの渋面にもヒュッテはどこ吹く風だ。
「これから他の局長とも会うけど、君に一番に知らせたんだよ、感謝してほしいな」
「貴女の使いに早朝に起こされたのですが」
「フォルセア様も勿論インターンに呼ぶからね、特別推薦枠だよ」
ラングルトの表情が変わる。
ヒュッテは我が意を得たりと目を細めた。
行政府のインターンシップは、まず希望者を募りレポート提出と軽い面談を行なって合否判定の下に参加者を決める。
生徒の自薦から始まるが、特別推薦は他薦だ。
行政府の人事担当がぜひ来てほしいと思う人材を推薦するため、本人に参加の意思があれば無審査でインターンに参加できる。
そしてヒュッテは人材管理局、人事部の本部長だ。彼女がサインをすれば自動的に推薦は内定する。
「昨日の君とフォルセア様の様子を見て決めたんだよ。いやぁ、まさか冬季休暇の前半でフォルセア様のお相手が決まるとはさすがの私も考えていなかった」
しかも、そのお相手が君。さすがフォルセア様だよ、大当たりを選ばれた。
満足そうにヒュッテは笑みを浮かべる。
「休暇前に貴女が私に紹介しようとしていたのはフォルセア様ですか」
「その通り、君が最有力候補だったよ。断られたからどうしようかと思っていたけど、うまく収まってくれて一安心」
ヒュッテはフォルセアからこの件の報告をされた時、本当に驚いたし立ち上がって手まで叩いた。夫がびっくりしていたが、悪巧みの中身を言えるわけもない。
フォルセアからの手紙はすぐに破って暖炉に焚べた。
「私ではない候補の一覧を表にしてください」
「渡すわけないだろう、何する気なの」
こわっ、ラングルトの抑揚のない声にヒュッテは椅子ごと後ろに下がった。
ラングルトとは契約結婚だとフォルセアからの手紙には書いてあったが、昨夜のダンスに今のこの様子。とても契約の為の態度だとは思えない。少なくともこの青年に関しては。
果たして彼は自覚しているのだろうか。
(いやぁ、フォルセア様、すごいのを釣り上げましたよ)
軽く焚き付けた身としてヒュッテはやや気が咎めた反面、途方もない達成感もある。
フォルセアは分かっているのだろうか。彼女はこの国の最高戦力を手に入れたのだと。
魔道伯爵は三人いるが、それぞれ得意とする分野はばらばらだ。
正教会のクリストル・イザ相談役は治癒魔法の権威、辺境伯夫人のカリファ・サントリナはスタンピードの発生周期の解明への道筋を開いた空間・結界魔法の専門家。
そしてこのラングルト・ベルツは包魔石をはじめとした魔道具の開発が専門となってはいるが、その実、途方もない魔法の名手なのだ。しかも魔道庫に次ぐ魔力量すら誇る。
彼一人で、普通に王都が壊滅する。
魔道伯爵の身分と魔道局の局長として、表現は悪いが首輪を付け懐柔しようとしているが、万が一彼に叛意があるならばそれは王国の危機だ。
だが、そこにフォルセアが現れた。
侯爵家として王家への絶対的な忠誠と気高い志を持ったフォルセアは、決して王国の危険を良しとしないだろう。彼女はラングルトの手綱を握ったに等しい。
ルドベキア侯爵は色々と他貴族に対し気まずい立場になるだろうが、行政府の幹部職員としては国の懸念事項がひとつ片付いた、その喜びの方が大きい。
数ヶ月後の婚約発表が心底楽しみだ。
「フォルセア様にはインターンの話はするのですか」
ラングルトの思考はヒュッテとは全く違うところにあるようだ。
「しない。普通に学園に通知と案内を出して、その時に推薦枠のことも教師経由で話してもらうよ。他の生徒と一緒に聞いていただこう」
「分かりました。では私からもお伝えしないようにします」
「君は多分、その時にルドベキア侯爵から連絡が来るだろうからその対応を考えておいて。くれぐれもフォルセア様がインターンに来れるように、上手くやってね」
「分かりました」
ラングルトは立ち上がる。
「用件はこれだけですか」
「以上だ。わざわざありがとう」
「失礼します」
形式だけの一礼をして、ラングルトはさっさと部屋を出て行ってしまった。
ヒュッテは笑いを噛み殺す。抑えないとまだラングルトに聞こえるかもしれない。
(変わるものだなぁ)
ヒュッテはしみじみと思う。
以前なら考えもしなかった状況だ。わずか十日ほどで、こんなに事態が変わるなど。
(さて、次だ)
時計を見ると、まだ次の約束には時間があった。今日明日のうちに、関係者に会えるだけ会うつもりだ。
(休暇明けが楽しみだ)
なんだかんだと可愛がっている職場の後輩と、期待の新人候補。
二人が並ぶ姿を早く見てみたいものだと、ヒュッテは少しばかり目を閉じた。




