16、新年祝賀会3
(自分らしくないことをしている)
ラングルトは理解している。
三曲目のワルツ、先ほどよりゆっくりな曲調に変わり、リードするラングルトの動きにフォルセアが応える。
フォルセアと踊り、ラングルトは驚いた。軽いのだ。
恐らくだがフォルセアの体幹の良さや筋力が関係しているのだろう、リード側の支えをほとんど必要としていない。
己の力のみで彼女自身を支えている。
腰に添えたラングルトの手がターンの際に力を込めると、それに絶妙なタイミングでフォルセア自身が合わせてくれる。
「まるで私のダンスが上手くなったと、勘違いしてしまいますね」
ラングルトが心底感心して告げると、フォルセアは笑みを浮かべる。フォルセア自身が己の力量を分かっているのだろう。
「お疲れではありませんか」
今までよりゆっくりの曲調、踊る側の負荷は減るが、フォルセアはもう三曲連続で踊っている。
ラングルトは自身の無茶で彼女に無理をさせてしまっている自覚がある。
しかし、
「ちっとも、疲れていませんわ。ダンスはとても好きなのです」
にこりと、浮かべる笑みや口調は淑女のものだ。
ラングルトはそれが気になる。
いや、気に入らない。フォルセアの腰にある手の、指をかすかに滑らせる。
「私たちの周りに防音の魔法を掛けました。どうぞ、普段通りに話して下さい」
周囲には聞こえません。
告げると、フォルセアは瞬きをする。
「今、魔法を使ったのですか?杖は?」
「無ければ無いで、どうとでもなります」
そこでラングルトは、はたと気付く。
しまった。
「機密事項でした。恐れ入りますが、内密にお願いします」
ラングルトが軽く頭を下げると、フォルセアは弾けるように笑った。いつもの、彼女の笑顔だ。
「お約束します」
(自分らしくないことをしている)
ラングルトは思う。
何ひとつ好きではないダンス、いつもはフロアで踊る人々に興味を抱いたこともない。
なのに自分は踊る彼女から目を逸らさず、会話まで洩らさず自分に聞こえるように魔法まで使い、そして。
彼女に跪き、己もと、栄誉を乞うた。
(そう、栄誉だ)
自分にとってこれは誉れあることなのだ。
妹の言葉も、他の貴族たちの視線も無視して、なんとしても得ようとしたのだ。
先程の侯爵令息とのダンスはまるで花が舞っているようだった。
今、ラングルトと踊る彼女は美しい花になれているだろうか。
「心配してくださってありがとうございます、ラングルト様。本当に疲れていないのです、ダンスならば大っぴらに身体を動かしても咎められないでしょう?」
運動が好きなんです、と、フォルセアはわざと秘密を打ち明けるような声音で話す。
先程のラングルトの失言を気遣ってくれたのだろう。
「安心しました、では」
ラングルトは意識してゆっくり、大きくターンする。フォルセアは面白がるように背をぐいとそらせて、ふわりと着いてきてくれた。
長い金の髪と薄紫のドレスが舞う。大きな花の円が生まれる。
歓声が上がる、ラングルトの耳に届く。
良かった、自分でもこの方を花に出来ているようだ。
ラングルトの胸の奥の焦りのような感覚が消えていく。
フォルセアの右手を取るラングルトの左手に、力がこもる。
ゆっくりと描かれた薄紫の花、身体を起こす時も、ラングルトに支えられたフォルセアの腰は驚くほど軽やかだ。
「レイナードも上手くフリージアと踊れているようです。家族と教師以外の女性と踊るのは初めてですが、安心しました」
フォルセアは嬉しそうに教えてくれる。
ラングルトはフォルセアとのダンスに意識を取られて、妹達がどうしているか気にすることもできないというのに。舌を巻く。
(恐ろしくお上手だ)
ラングルトもフリージアも、何事にも完璧以上を求める両親の命令の下に厳しいダンスの指導を受けてきた。
そのラングルトをしても、フォルセアの実力は段違いだ。これほど踊っているというのに、汗もほとんど浮かんでいない。
心底感心する。
そして、彼女は心から楽しそうなのだ。
ラングルトは、嫌々練習を繰り返してきた過去の自分を少し恥じる。
(そうか、これが楽しい、か)
初めて覚える感覚だ。
わずらわしい社交界、欠席を許されない最低限の夜会にしか参加していなかったラングルトだったが、
「楽しいです、フォルセア様」
口元に笑みが浮かべたラングルトに、フォルセアは少し驚く。そして、破顔した。
「私もです、ラングルト様」
三曲目が終わる。
何曲も連続で踊り続ける者は稀だ。
ラングルトがもう一度フォルセアとダンスを、と望んだとしてもそれはマナー違反だ。恋人や夫婦以外では連続で踊ることは暗黙の了解として禁止されている。
「一度戻りましょう、ラングルト様」
フォルセアが高く掲げていた腕を下ろす。
二人でゆっくり礼をすると拍手に包まれた。ダンスフロアで踊っていた者たちも手を叩いてくれている。
「父の所まで私を連れて行って下さい」
ひそり、とフォルセアはラングルトに囁く。
ラングルトは防音の魔法を解いてから、恭しい仕草でフォルセアの手を取った。
ダンスフロアから退場する魔道伯爵と侯爵令嬢にまた拍手が送られる。
さざめくような声、二人を噂しているのかもしれない。
レイナードにエスコートされたフリージアも、少し離れたところからルドベキア侯爵の所に歩みを向けている。
(成程)
ラングルトは理解する。『設定』だ。
勝手をしたラングルトに対処するために、ルドベキア侯爵に協力を仰ぐのだ。
ダンスフロアでは四曲目が始まっている。
「レイナード様のダンスの相手に妹を、が最初ということですね」
防音魔法を解くのは早かったかもしれない。小声だけでは聞かれる恐れがある、ラングルトはフォルセアの顔近くで囁く。
「きっとそうでしょう、ラングルト様が私の所へ来てくださったのはその返礼、という形に運ぶのではないかと」
フォルセアもそう推測している。
「短慮でしたね、申し訳ありません」
「レイナードとフリージアにはたくさん謝りましょう。驚きましたけど、私は楽しかったですよ」
フォルセアはラングルトを見上げる。
嘘偽りない微笑みだ。ラングルトは胸を撫で下ろす。この方の不興さえ買わなければそれで良い。そんな風に考えてしまう。
「また、お誘いしてもよろしいですか?できれば二曲目も」
「もちろん。それに、半年後には建前も要らなくなりますよ」
ひそり。
悪巧みをするかのようにフォルセアは笑う。ラングルトは目を見張って、たまらず口元を押さえた。
大声で笑ってしまいそうだった。
好奇心旺盛な貴族たちがどのような反応をしているかなど、二人はまったく気付いていない。
フリージアはひやひやとしながら、ゆっくりと歩いて来る兄と親友を待つ。
顔面が凍っているようだなどと陰口も叩かれるあの兄が、なんということだ。笑っている。
わざわざフォルセアに合わせて背中を曲げてまで、会話をしているのだ。
(初めて見ましたわ)
あれは本当に自分の兄なのかとすら考えてしまう。幼い頃から繰り返される苛烈な教育の下、感情を出すことを無駄なことだと断じた兄が。
楽しそう、なんて。
泣きそうになる。
(フォルセアは、すごい)
暗く沈んでいた数年前のフリージアを掬い上げてくれたように、兄までも。
「ベルツ卿、手数をかけたね」
やっと近くまできたラングルトとフォルセアに、ルドベキア侯爵が声をかけて迎え入れる。
先程レイナードと踊ったフリージアに言ったように、やや大きめの声でラングルトを労う。
「娘と踊ってくれてありがとう」
ラングルトは丁重に、フォルセアを父侯爵へ引き渡した。
「いえ、望外の栄誉です。こちらこそありがとうございました」
胸に片手を当て、ラングルトは侯爵に深く深く一礼した。手数をかけたのはラングルトの方だ。心からの謝罪を込めている。
ルドベキア侯爵はそれを察したのかどうなのか、娘に向き直った。
「さてフォルセア、もうひと頑張りできるかい」
意味を分かっていたのだろう。フォルセアが頼もしい笑みを浮かべる。
「もちろんです」
すると、ざわめきと共に周囲の人々がサッと離れて行った。
開式の前にラングルトがそうされた時のように、ルドベキア侯爵家の周りに、人が居なくなる。
「まあ!」
「なんと…」
淑女たちが扇で驚く顔を隠し、紳士たちが口をつぐんだ。
「ルドベキア侯爵家フォルセア嬢」
朗々たる声が響く。
「私とも踊っていただけますか?」
「身に余るお申し出ですが、謹んでお受けいたしますわ」
手を差し伸べたのは、なんと、若きドラセナ公爵。
アルストロメリア国王の実弟、アルダール殿下。
(これは、大きな借りになった)
ラングルトは嘆息する。無意識に掌を握り締めた。
その隣で、フリージアも真っ青になった。
(あああ、お兄さまの勝手を打ち消すために、王弟殿下までいらっしゃった)
ルドベキア侯爵が、フォルセアとラングルトが踊っている間に手を回したのだろう。
(高位貴族怖いですわ)
王家の血筋を預かる立場の侯爵家、その底力はフリージアたちには推し量ることなどできない。
フォルセアが内心はどう考えているのかフリージアには分からない。驚き一つ見せずに表面上はにこやかに、そっとアルダールに手を重ねた。
「レイナード」
「はい、姉上」
「私の学園の友人に、あなたの事を話してあります。ダンスに誘っていらっしゃい」
淑女然とした姉に、レイナードは一礼する。フォルセアがフリージアに視線を送った。
「フリージア様、弟を案内していただいてもよろしいですか?エンデ子爵家ナリア様と、パリス伯爵家サラ様です。移動していなければ、南側の軽食コーナーにおりました」
フォルセアとフリージアの同級生ナリアと、一年後輩のサラ。フリージアもよく知る令嬢たちだ。
仲の良い婚約者がおり、信頼できる性格の二人。
「かしこまりました、フォルセア様」
フリージアは淑女の礼。
「ベルツ魔道伯爵」
「はい」
王弟殿下に手を取られ、凛と立つフォルセアは先程までとは別人のようだ。
「弟とフリージア様をよろしくお願いします」
「かしこまりました」
深く、頭を下げる。魔道伯爵がどれほど貴重で珍しくとも、王家の前ではただの臣下の一人でしかない。
「では、フォルセア嬢」
「はい、アルダール殿下」
父と母に一礼し、フォルセアはドラセナ公爵と再びダンスフロアへ戻って行ってしまった。
さすがにフロアで踊っていた紳士淑女たちも動きが止まる。
王弟殿下が入場されたのだ。音楽も止まってしまう。
「気にすることはない、皆楽しんでくれ」
将軍として兄王を支えるアルダールの声は大きく、よく響く。
フォルセアと向かい合い、手を組むと、再び演奏が始まった。アルダールに合わせたのだろう、曲が変わる。
指揮者が選んだのはクイックステップ。軽快な流れに、アルダールとフォルセアがフロアを軽々と進んでいく。
「今日の夜会はすごいわ」
「なんて素敵なのかしら」
観客となった貴族たちのため息が漏れる。
王弟殿下と同じフロアで踊るという栄誉に預かった人々も、目を輝かせステップを踏んでいる。
ラングルトは会場内を歩き出したレイナードとフリージアの後ろに続きながら、ダンスフロアを振り返った。
『設定』は続いている。
レイナードを守るように歩くラングルトを見て、ベルツ魔道伯爵は次期ルドベキア侯爵の後見になったのだと、勘違いする者も出て来るだろう。
ラングルトとフォルセアが親しくなっても当然という、外堀があっという間に積み上げられていく。
(貴族とは、かくも煩わしいものか)
だから意図的に離れていたのだ。
魔道伯爵の地位はそれを許されたので、これ幸いとばかりに関わらなかった。
(これがフォルセア様が身を置く世界だ)
格式と建前に隠されたたくさんの思惑が渾然一体となった、ひとつの固まり。
レイナードたちに道を譲る貴族たちは、ラングルトに様々な視線を向けている。
政治的なもの、利権を考える者、熱い視線も。祝福のようなものも混じっている。
(覚悟を)
決めなければならない。
無視をするばかりではない。彼らと相対するための、覚悟を。
わぁっ、と、背後のダンスフロアでまた歓声と拍手が沸き起こっていた。




