15、新年祝賀会2
「国王陛下、王妃殿下のお成りです」
ひときわ大きい声が会場内に響いた。
場内の出席者、使用人に至るまですべて居住まいを正す。
楽団の音楽が消え、会場が静まり返った。
アルストロメリア王国の若き国王エイリークとソフィア王妃が現れる。用意された席の前に立つと、頭を垂れる臣下たちを順に眺めた。
「顔を上げよ」
紳士淑女の礼、使用人たちの礼から一斉に頭が上げられる。臣下達の背筋がまっすぐ伸びる。
国王はすぐに運ばれてきたシャンパングラスを掲げた。
「新しい年を皆と祝おう。乾杯!」
「乾杯!」
会場の声が重なる。
全員がグラスを傾け、それを下ろしたと同時に楽団は音楽を再開する。使用人たちが素早くグラスを片付け、手が自由になった人々は拍手をした。
国王夫妻が着席する。
何か特別なことがあった場合などはこのタイミングで発表があったりするものだが、今回は行われないようだ。
ワルツの音楽に、人々の一部が中央のダンスフロアへ歩みを向ける。
「姉上、参りましょう」
レイナードにとっての重要なイベントだ。公式の夜会、初めてのダンス。
「ええ。お父様お母様行って参ります。フリージア様、ベルツ卿、しばし、失礼いたします」
弟の手を取り、フォルセアは両親たちに優雅に一礼する。
レイナードと手を重ね、颯爽とフロアの中心に向かった。すでにダンスを始めている貴族たちも上手に二人を避けてくれる。
多くの人々がルドベキア侯爵家の姉弟に注目しているのを、彼らも知っている。
二人は優雅に笑みを浮かべた。
周囲に知らしめるように。我らが次代のルドベキアだと。
国王ご夫妻よ、ご覧あれ。
わっ、と歓声が上がる。
高位貴族の跡継ぎに求められるのは初々しさではない。完璧であること。侯爵家は次代にも何ひとつ憂慮することはないのだと。
レイナードは姉に悠然とした笑顔を向ける。
十四歳の少年ではない、次期侯爵としての笑顔。腕を高く上げ、姉を導く足運び。
フォルセアも笑みを浮かべる。
次代の当主を信頼する侯爵令嬢としての笑顔。
フォルセアの右手首とレイナードの左手首、揃いの腕輪が重なるように輝く。
フォルセアは内心ではお祭り騒ぎだ。立派に振る舞う弟に、万雷の拍手を送りたい。
「素敵ですわ」
うっとりと二人を眺める妹の声に、ラングルトは頷く。いまだ形式だけの挨拶しかしていないフォルセアの姿をどうしても目で追ってしまう。
淡い紫のドレスがくるくると回っている。弟の晴れ舞台を心から喜んでいる表情だ。
「お兄さま、フォルセアをダンスに誘うのなら、慌てず順番を守ってくださいね。それと、先に私とダンスをしてください」
「どういうことですか」
フリージアは、兄にしか聞こえぬように細心の注意を払う。
「お兄さまたちのことはまだ誰も知りません、公表されていないということは、何も無いということです。お兄さまとフォルセアは、ただ妹を経由しただけの知人ですわ」
現状のフォルセアとラングルトの関係は、その程度のことだと認識されている。そういうことだ。
「お兄さまがダンスに誘ったら大騒ぎになってしまいます。それまでに、他の貴族たちの意識を分散させなくては」
フリージアは、ラングルトがフォルセアを誘っても不思議ではない順番を待てというのだ。
(対外的に婚約者でない立場とは、そういうことか)
ラングルトは改めてフォルセアを見つめる。
素晴らしい体幹だ、伸びやかな背中、ダンスに教養と義務以上の意義を見出していないラングルトから見ても、フォルセアのダンスは見事で、…美しいと感じるものだ。
「フォルセアにも立場があるのですわ」
フリージアが更に言葉を重ねる。まるで教師だ。
ただ己の道を進み、他の何にも頓着してこなかったような兄に、社交界のイロハを指導するかのようだ。
一曲目が終わる。
レイナードとフォルセアが一礼すると惜しみない拍手が贈られた。
すると、誰も近寄ることができないと思われた姉弟に歩み寄る青年が。
ルドベキアの姉弟と同じ濃い紫の瞳。輝く銀の髪を束ねた純白の衣装の青年。胸元にはフォルセアのドレスと同じ薄い紫の花を挿している。
レイナードとにこやかに言葉を交わし、フォルセアの手の甲に口付ける仕草をした。
周囲から女性たちの羨望のため息が漏れる。
「アゲラタム侯爵家嫡男のイクシオ様ですわ」
フリージアの言葉と同時に二曲目が始まる。
レイナードはフォルセアを残して両親のもとに戻ってきた。達成感からだろう、頬が赤い。
フォルセアとイクシオは、そのままの場所に留まる。す、と手を組みイクシオの片手がフォルセアの腰に回されると、そのままステップを踏み出した。
それは先程のダンスよりも更に目を惹くものだった。背の高い二人によるダンスは歩幅も大きくステップも大胆だ。
長く伸ばされた二人の腕は、しかし他の誰にもぶつからない。イクシオのリードは見事だった。
「あれ、いつもより小さいかい?」
フォルセアを導きながら、イクシオが小声で話しかけた。
「レイナードに合わせたからな、ヒールがぺったんこなんだ」
「なるほど。でもレイナードも大きくなったね、君とそう変わらないように見えたよ」
「そうだろう、頼もしいだろう我が弟は」
すぐに私を追い抜く。
フォルセアは笑顔を浮かべるとイクシオも笑う。
年に数回、大きな夜会で二人は必ず一緒に踊る。場合によってはフォルセアのエスコートはイクシオの役目だ。
幼い頃から数えきれないほど一緒に踊ってきた二人にとって、世間話をしながらダンスをするなど容易いことだった。
「ところで、魔道伯爵との事を父から聞いたよ。おめでとう」
イクシオはフォルセアに顔を近付ける。
周りから見れば少し危険なくらい近い。
きゃあ、とダンスに見惚れていた令嬢たちが黄色い悲鳴をあげた。
「ありがとう、イクシオ。そう言ってもらえると嬉しいよ」
周囲の反応などお構いなしにフォルセアは満面の笑顔で応えるものだから、またざわめきが起こる。
「本当にお似合いだわ」
「婚約破棄したんじゃなかったか?」
「けれど、なぜお二人とも他の方と改めて婚約なさらないのかしら」
無責任な囁きが伝わる。
「その、ベルツ卿、すみません…」
そっと近付いてきたレイナードが小声で謝罪した。
「姉に他意はないのです…」
「イクシオ様とは幼馴染でお友達。フォルセアったら親しい方と踊っているから、楽しいだけなのですわよね…」
「その通りです…」
周りでどれだけの人がお似合いだと噂をしようと、フォルセアには関係のない話なのだ。なぜなら、本当に何もない相手だから。
ラングルトは二人の会話に返事をしない。じっと、フォルセアを見つめている。
じわり。
ラングルトの胸の奥で何か、急くような感覚が浮かぶ。
フォルセアもイクシオに顔を近付けた。
「妹たちに、ラングルト様が居るからイクシオと踊るなど釘を刺されてしまったよ」
「それは、難しい話だね」
イクシオも眉を下げる。
二人のダンスはパフォーマンスだ。
幼い頃の婚約破棄の一件のせいで両家は不仲であると、あらぬ疑いをかけられてしまう。そんな侯爵家同士の仲を見せつけるためのものだ。
アゲラタム家とルドベキア家は円満である、その事実を何度も何度も喧伝するのだ。
「もし二人に会った時に何か聞かれたらうまく説得してくれ、私はつい負けてしまう」
「君は弟妹に弱すぎないかい」
「イクシオだってライナスがかわいいだろう」
フォルセアがイクシオの弟の名を出せば、
「反抗期だよ、何かとすごく張り合ってくるんだ。かわいいけどね」
イクシオは優しい面差しに、にこり、と意味ありげに笑みを浮かべる。そのまま、表情を誤魔化すように大きくターンした。
観客が歓声を上げる。
白いイクシオの衣装にフォルセアのドレスが広がり、薄紫の花束のようだ。
そうして二曲目が終わり、フォルセアとイクシオが礼をする。
周囲がどよめいた。
かの魔道伯爵が一人でダンスフロアへ進み出たのだ。
まっすぐに、フロアの中心へ向かう。
(お兄さま⁉︎)
フリージアは兄の奇行に息をのむ。いつの間にあんな所へ…。
「フリージア嬢」
レイナードが意を決し声をかけた。
「僕と踊っていただけますか」
レイナードの声に、表情に、フリージアは慌てて頷く。
「も、もちろんですわ!」
レイナードに重ねた手を引かれ、フリージアは二人で足早に兄のもとへ向かう。兄と、フォルセアとイクシオのもとに。
「フォルセア様、恐れながら私に、貴女と踊る栄誉をお与えください」
ダンスの後の一礼を終えた直後の出来事に、フォルセアは心底驚く。
漆黒の紳士がフォルセアに向かって手を伸ばし、片膝を折っている。
あまりのことに周囲もフロアの中心から目を離せない。音楽も止まった。
「…まさか、魔道伯爵殿からダンスを請われるなんて。ねぇ、フォルセア」
フォルセアほどは驚いていなかったらしい。
イクシオがフォルセアの後ろから右手を取って進む。そこでようやく、フォルセアも笑みを浮かべた。
淑女の姿だ。
「光栄ですわ、ベルツ魔道伯爵」
左手を差し出すと、ラングルトが口付けた。振りではない、本当に口付けを落とした。
イクシオの眉がわずかに動く。
純白のイクシオから漆黒のラングルトへ、移り変わる薄紫の花に誰もが視線を逸せない。
ラングルトへフォルセアを渡す際に、イクシオはやや非難めいた口調で尋ねた。
「ベルツ卿、まだ公表されないのでは。目立っていますよ、物凄く」
「お気遣い痛み入ります。ご配慮に感謝いたします」
「フォルセア、この方すごいね」
「私もびっくりだ」
フォルセアを見つめたままだ。
流れるような棒読みで侯爵令息に返事をしたラングルトに、毒気を抜かれたようにイクシオは笑う。
そしてやって来るレイナードとフリージアの姿に、肩をすくめた。
「フォルセア、あとで二人をすごく労わなくちゃダメだよ」
離れて行くイクシオの指摘にフォルセアは深く深く頷く。
「肝に銘じる」
「姉上、ベルツ卿。私たちもご一緒させてください」
「フォルセア様、レイナード様に誘っていただきましたの」
やや早口で、レイナードたちは告げる。
ルドベキア侯爵令息の次のダンスの相手が姉の友人、だから侯爵令嬢の相手が彼女の兄。
分かりにくい。
取って付けたような言い訳だか、無いよりはましだろう。社交界には建前というものが大きく存在している。
「お兄さま、お説教ですからね」
「後にして下さい」
ラングルトがフォルセアの手を取る。
楽団の指揮者が指揮棒を振り上げた。
三曲目が始まる。




