13、ラングルト、思考する
「フォルセア様の婚約破棄とは、どういうことですか?」
シリスはすでに帰っている。
再度、無礼を謝罪し今日の訪問の口止めをした後、いつも通りの有能な侍女の姿で屋敷を去って行った。
シリスの馬車が見えなくなった後、わずかに沈黙が降り、そうしてラングルトは妹を見下ろした。
いくつか、気になることをフォルセアの侍女は口にしていた。
ぱたん、とフリージアは玄関の扉を閉める。
「ご存知ありませんでしたの」
「初耳です」
「そうでしたの」
ため息を吐いて、フリージアは居間に向かう。ラングルトも妹の背を追った。
日当たりのいい居間のソファに腰掛けると、フリージアが水差しから二人分の水を汲んだ。
「私も高等部に入ってから知ったのですが、フォルセアは幼い頃にアゲラタム侯爵家のイクシオ様と婚約したのです。…けれど後に魔力が少ないことを理由に婚約破棄されたのですわ。両家納得済みの円満な破棄だったようですが、噂はかなり広がったみたいです。高等部にフォルセアが入学した時にも、口さがない貴族たちが何人もいましたわ」
ラングルトはフリージアから渡された水を飲んだ。フリージアも一口。
「フォルセアも気にしていないように振る舞っていますし、イクシオ様も同じ学年で在籍していらっしゃいますがとても親しくされています」
でも、とフリージアは声を落とす。
「フォルセアの自由はそれまでよりもっと制限されることになったそうですわ。本当ならば、ご両親はフォルセアを屋敷から出さずにずっと守っていたかったのでしょうね」
しかし、フォルセアはそれを望まなかった。
ラングルトがわずかに知る今のフォルセアは、婚約破棄の後の、不自由を良しとしなかった彼女なのだ。
『私は少しでも誰かの役に立ってみたいのです』
ラングルトは不思議に思ったあの言葉を思い出す。
まだ知り合って数日しか経っていないが、あれほど堂々とした御仁だ。かくあるべきという貴族の理想像のような人物が、己をまるで無能であるかのように、役に立ったことが一度もないというように話すのだ。
いくつか感じた違和感はフォルセアへの心証を悪くする物ではなかったので、ラングルトの思考の外に置いていたが。
(あの方と結婚するためには、きちんと知る必要がある)
ラングルトは脳内にしっかりと刻み込む。
「では、シリス殿が言っていた、危険な事というのは?」
兄の問いにフリージアは表情を曇らせた。
「…詳しくは知りませんからね、絶対に内緒ですからね!」
「はい」
「多分ですが、四歳の時に誘拐されたことではないかと、思います」
ラングルトの瞬きが止まる。
フリージアは兄の表情に、びくり、と肩を震わせた。
「何故、犯人は誰ですか、目的は」
侯爵家の誘拐、大罪どころではないし、騒ぎになっていないこともおかしい。
フォルセアが四歳。
ならば当時、ラングルトもまだ十歳の子供ではあったが、そのような事件のことは知らない。行政府に勤めてからも、貴族に関わる事件の申し送りの中に誘拐の件など何もなかった。
「私も詳しくは知りませんったら。フォルセアも思わず口から出たという様子で、忘れるようにと私たちに言いましたもの。無事だったから心配しなくていいと、そう言っておりましたわ」
「あの方は今も誰かに狙われているのですか」
ラングルトの声が冷えていく。
「知りませんったら!でも、そうならないためにフォルセアはすごくすごくすごく鍛えていますし、シリスもとても気を付けてフォルセアを守っていますわ。私だってオルソーだって全力でフォルセアを守りますもの」
落ち着いて下さい!
フリージアが悲鳴のような声を上げる。
「落ち着いています」
「お顔がすごく怖いですわ、呪われそうです」
「…少し待ちなさい」
ラングルトは片手で顔を覆った。眉を寄せ、ぐっと目を閉じる。
呪いそうな顔とはどんな顔だ。
「……お待たせしました」
「まだ怖いですわ、無表情ここに極まっていますのに目付きが禍々しいです」
「お前も口達者になりましたね」
フリージアはため息を吐いた。
「お兄さま、シリスのお話からずっと機嫌が悪かったですものね。…そろそろ気持ちを切り替えて下さい」
「機嫌が悪い、私が?」
何を言ってるのか。
わずかな驚きを込めてラングルトは妹を見る。
少し、フリージアは兄から距離を取った。何故だ。
「お兄さま、シリスにはあんな事を言っていましたけど、実は結構フォルセアの事をお好きでしょう?私、お兄さまが他の方に、しかも女性にあんなに優しくなさるところを初めて見ましたもの」
「まさか」
「お兄さまは私から見てもとても面倒くさがりで冷たい方ですわ、私も時々お兄さまが怖いと思うことがありますのよ」
「それは初耳です」
怖がらせていたのか。いつだ。
「嫌なことは陛下の命でもお断りしてしまうし、礼儀作法もお手本通り過ぎてとても事務的ですし会話だってまるで業務連絡みたいですのに、フォルセアには思いの外最初の方から親切でしたわ。ちゃんとフォルセアを見て会話してますし、自分からもちゃんと話しかけてますもの」
確かに、フォルセアも父侯爵にラングルトを紹介するとき、そのような事を言っていた。
ラングルトは思い返す。
あの方は笑顔を浮かべていらっしゃった。
「人付き合いも煩わしそうで、自分の研究優先で外出も嫌がるお兄さまが!私の親友で恩人とはいえフォルセアにはマメですもの。結婚のために、わざわざ部署の違うクレアドール女伯や、教会にいらっしゃるイザ魔道伯爵にお話を聞きに行ったのですよね?」
(行った)
確かに行った。
ラングルトはフォルセアを新部署に勧誘したらしいヒュッテ・クレアドール女伯に詳しい話を聞きに行ったし、結婚の申し込みや段取りを相談しにクリストル・イザ魔道伯爵の所にも行った。
全て半日で済ませている。
「なのにフォルセアがお兄さまに恋をしないと聞いて、ショックなのでしょう?だからって機嫌を悪くしないで下さいまし」
「ショックを受けているのですか、私は」
「私にはそのように見えます」
妹の言葉をラングルトは意外に思う。
そのような認識はなかった。そう、そういうものではない、はずだ。
(少し違う)
確かに、ラングルトは驚く事が多かった。
それはフォルセアが置かれていた状況に対してだ。
王家に絶対の忠誠を誓う評判高いルドベキア侯爵家の長女。あれほど立派な方に育てたのだ、よほど良い教育と愛情を受けたのだと、そう考える方が普通だ。
だが、実際は。
愛情はある、家族仲も本当に良いが、…しかし何かの違和感が。
魔道伯爵位のラングルトが知る「王家の血を守る」為の秘密を、多分フリージアもシリスも知らない。
ルドベキア侯爵が娘に命じ、フォルセアが遵守する「愛するな」。その真意をきっと二人は分かっていない。
「お前の受け取り方はさておき、フォルセア様が望まない境遇に身を置かれることを私は不快に思います」
妹の言葉に肯定も否定もしなかったラングルトに、フリージアは少し不満そうだ。
「それは、私もそうですわ」
大事な親友ですもの。
フリージアは呟く。
「とりあえずフォルセア様に何かあれば、必ず報告して下さい。何かありそうという段階が理想です」
その方が早く対処ができます。
告げるラングルトに、フリージアは頷く。
「分かりましたが、表現がちょっと、…怖いですわ」
「フォルセア様を全力でお守りすると、侯爵とも約束しましたので」
「戦力過多ですわ」
「望むところです。ところで」
ラングルトは妹を見た。
「オルソーとは誰ですか」
ひゅっ
フリージアは息を呑む。
「そっ、れは、また後日ご紹介し、…しますわっ」
フリージアは珍しいぐらいに狼狽えて、水を飲み、そして咽せた。
*
フリージアがよろよろと居間から退室すれば、部屋はラングルト一人になる。
この屋敷には兄妹以外居ない。
新年の式典の準備があるので前日から本邸の使用人たちが手伝いには来るが、それもまだ数日後。
めったに人も訪ねてこない静かな屋敷だ。
(空腹だな)
ラングルトは急に思う。
仕事や研究中は食べなくても何も思わない。必要ではないと思考から除外するのだ。だが、そうでないならばラングルトはいくらでも食べられる、味など二の次だ。栄養が取れればいいと。
(あの店のフィッシュサンドはうまかった)
つい先日、フォルセアに会うために出向いたあの店のメニューを思い出す。ハムサンドも、コーヒーもなかなかおいしかった。
フォルセアは次々と食べ物を口に入れていくラングルトを興味深そうに見ていた。
嫌悪も何もない、面白いものを観察するような表情だったし、ラングルトはそれを不快に思わなかった。
気の利いたことができない性分だ、少しでも先方が楽しめるならそれで良いと、珍しくもそう思った。
「おいしいものをいっぱい食べて頂きたい」
昨日のフォルセアの言葉を、ラングルトは口に出してみる。記憶力が良い彼は、フォルセアの言葉をほとんど覚えている。
他にもおいしい店がある、とあの喫茶店でフォルセアは言った。おそらくラングルトの知らない店なのだろう。
ラングルトが普段行くのは、行政府の食堂や、中級貴族がよく使うレストランなど決まった場所ばかり。確かに味は良いが、それを理由に通うわけではなかった。生きる手段のひとつとして向かっていただけだ。
市街に多く店があるのは知っているが、わざわざ行こうとも思わなかった。
(だが、フォルセア様は違う)
食べるために、楽しむために。そして多分、友人に会いに。
親しげに話していた喫茶店の娘を思い出す。
高位貴族と平民とは思えぬ楽しそうな会話。他にもあのような店があるのだろうか、ラングルトもその内に招待を受けるのだろうか。
(自分はそれをきっと面倒だと思わない)
確かに驚くべきことだ。
ラングルトはフォルセアの快活な笑顔を、爽やかな声を、簡単に思い出せる。
フリージアがあのような推測をしたがるわけだ。ラングルトはすでにフォルセアへ想定以上に好意を抱いている。
だが、まともな夫婦愛など知らぬまま成長した己が、フォルセアを愛すなど、失礼だが想像もつかない。
好意は、しかし愛ではないのだ。
(まあ、求められていないものを与える必要はない…)
契約結婚だと、先方もこちらも理解している。
それなりに仲良く過ごせそうだと、そう思えるだけで僥倖ではないか。
うんざりしていた結婚の申し込みの山、令嬢達の甘えた声、香水の匂い。わざとらしく下手に出る親たちの欲深い声。
あれらを終わらせるきっかけをくれたフォルセアはラングルトの恩人だ。何があろうとこの立場を手放すつもりはない。
全力で守らなければ。
彼女の立場も、身の安全も、そしてあの方の清々しい有り様も。
(まずは、祝賀会)
ラングルトは脳内にある己の業務表に、フォルセアの名を深く刻み込んだ。




