12、ルドベキア侯爵邸3
ラングルトがルドベキア侯爵邸を出るときは大騒ぎだった。弟と末の双子の妹に紹介したところ、案の定妹たちが大騒ぎしたのだ。
弟のレイナードも、女ばかりに囲まれて育ったせいか兄ができたことに興奮を隠せないようだった。しかもそれが、我が国が誇る魔道伯爵なのだからよけいにだろう。
邸宅に勤める者たちも含めて、全員に外部へ漏らさぬように徹底させる。一番心配な妹たちは、しばらくは外出する時は侍女かメイドが目を光らせるように厳命された。
「では、また」
「はい、祝賀会で」
ラングルトがフォルセアに礼をする。フォルセアは馬車に乗り込む婚約者を見送った。
「さて、フォルセア」
着いてきなさい。
父ライゼルがフォルセアを呼ぶ。
父は家令が戻り次第、王城に上がると言っていたが、まだエディアンは帰らない。
「はい」
フォルセアは少し恐れながら父に続いた。
執務室に入るなり、ライゼルは眉を寄せた。
(怒っておられるだろうなぁ)
フォルセアは何かしらの叱責を覚悟する。しかし、
「まずは、おめでとうと言っておこうか」
父の最初の言葉に、(おや)と思う。
「ありがとうございます、…あの、怒ってはいらっしゃらないのですか?」
おそるおそる、尋ねると、
「色々と思うことはあるが、お前の結婚相手が決まったのだ。それはとても喜ばしいことだ。怒ってはいないが、それはもう、思うところは、あるぞ」
「はい…」
「まったくお前は…」
「はい」
執務用の椅子に腰掛け、ライゼルは机の前に立つフォルセアを見上げる。
「良く聞きなさい」
「はい」
「ベルツ魔道伯爵は独身の若い青年だ、身分も実力もありあの通り容姿も中々だ。それはもう、人気があるのだよ」
「人気…ご令嬢からのですか」
「もちろんそうだが、親たち、自分の娘を嫁入りさせたい貴族は本当に多いのだ。他に、大商人たちもね。他国からすら声が届く」
「そうでしたか…」
「私がお前の相手の候補に、ベルツ卿を考えなかったわけではない。しかし、あれほど皆が狙っている青年だ、私が声をかければ身分を盾に結婚させたと反感を多く買うだろう。高位貴族、ましてや王家のへの不満にもなりかねない。だから我々五大侯爵家と辺境伯家は決してベルツ魔道伯爵に手を出さないようにと、内密に不可侵の約束をしていたというのに、」
「…父上…」
「お前という娘は、一直線に大当たりを引き当ておって……!」
どんどん父の声音が大きくなる。
ラングルトから結婚の申し込みを受けた際、何度も何度も唸っていた理由が分かった。
フォルセアの額に汗が浮かぶ。
「しかも、イザ魔道伯爵が、…ここ数年あれほど我らが悩んでいたイザ魔道伯の今年度のご退任が、お前たちの結婚のおかげで延びたとは…」
「父上、」
「私はさすがにちょっと休憩したい…」
頭を抱えて机に伏してしまった父に、フォルセアは慌てた。
父はまだ休めない。
家令が戻り次第登城しイザ魔道伯爵の件で国王陛下にお会いしなくてはいけないし、他の高位貴族にベルツ魔道伯爵とフォルセアが婚約したことを謝罪しなければいけない。もちろん、新年の式典も迫っている、準備も、まだ残っている。
「あの、申し訳ありません、本当に」
「…めでたいことなのだ、それは事実だ。だが、こう、どうしてお前はこう、いちいち特大の結果を運んで来るんだ…」
「イザ魔道伯爵の件は私も全く知らなかったのですが…」
「きっかけはお前たちの婚約だろう」
「はい…」
息を吐いて、ライゼルはゆっくり頭を起こした。
「私がラングルト様と婚約することで、今後他貴族との軋轢となりますか」
内政の問題にもなりかねない。不安げな声をした娘に、ライゼルはきっぱりと否定した。
「いや、こちらから打診したのではなくベルツ魔道伯爵からの申し入れだ。この事実がある限り大丈夫だろう。まあ、やっかみは買うだろうがな」
(私から契約結婚を申し入れたことは末代まで秘密にしよう…)
フォルセアは背筋に汗が伝う。父はフリージアを介してラングルトとフォルセアが以前から交流をしていた、その設定を信じている。
「さあ、愚痴はこれで終わりだ。下がって良い」
「はい、失礼します」
一礼をするフォルセアに、ラングルトは最後に一言、告げた。
「お前は何も無理をしなくて良いのだ、フォルセア。たまには父を頼りなさい」
「…はい、ありがとうございます」
ぱたん、執務室の扉が閉まった。
*
「シリス、クレアドール女伯に遣いを頼めるかな」
翌朝、朝食後すぐにフォルセアはシリスを呼んだ。他の使用人を下がらせたフォルセアの私室で、シリスはフォルセアから一通の手紙を渡される。
しっかりと封蝋がしてあり、しかし印章はフォルセアの物ではなく一般的な花の模様だ。
「何とか婚約が決まったからな。女伯にお伝えしておきたいんだ、もし私の相手を探していたら申し訳ないからな」
「確かにそうですね、内密に、必ずお届けします。フォルセア様は今日は外には出ないようになさって下さいね」
フォルセアの側近であり護衛のシリスがそばにいなければ、フォルセアは外出を許されない。
「分かっているさ。どうせ今日は着せ替え人形だからな」
新年祝賀会まであと六日だ。昨日は来客で準備が進められなかったので、今日からフォルセアやレイナードは大忙しだ。
「準備ができしだい出発いたします」
「ああ、よろしく頼む」
気を付けてな、と、フォルセアは続けた。
(この機会を逃してはいけない)
シリスは外出用に衣装を着替えながら、はやる気持ちを落ち着かせようとする。
シリスはフォルセアの侍女だ。よほどのことがない限り、常に主人と一緒に行動する。だが今この時は。
シリスはフォルセアから離れて行動できる。
屋敷の他の侍女に外出を告げ、シリスは足早に街へと向かう。侯爵家が持つ使用人用の馬車を使うわけにはいかなかった。行動を悟られないために、市井の馬車を借りるのだ。フォルセアに仕えるため、シリスは馬車も操作できる。
まずはヒュッテ・クレアドール伯爵の邸宅へ、そして、その次は。
(どうしても、お伝えしなければ)
シリスは駆け出した。
*
急に屋敷を訪ねてきたフォルセアの侍女に、ラングルトとフリージアは驚く。
ここ数日は、フォルセアとの結婚のためかなり慌しかったため、今日は久しぶりに兄妹でゆっくり過ごしていたのだ。
「シリス、どうなさったの?」
先触れもない、しかも侍女だけが訪問したことにシリスはひたすら謝罪する。何度も頭を下げ、しかしこう繰り返した。
「どうしてもベルツ魔道伯爵様に聞いていただきたいことがあるのです」
と。
フリージアは「どうか、どうか」と繰り返すシリスを宥め応接室に案内しようとするが、シリスはそれを固辞した。
数回しか会ったことのないフォルセアの侍女だが、このように感情を露わにする所をラングルトは初めて目にする。
妹も同じであったようだ、シリスの様子に戸惑っている。
「謝罪は結構です、要件を」
おそらく、フォルセアのことなのだとラングルトは見当をつける。でなければこの忠実な侍女が取り乱すことなどないはずだ。
(フォルセア様に何あったのか)
そのような危惧もある。
彼女の常の堂々とした様子と侯爵夫妻の過保護とも受け取れる態度の違いに、ラングルトは違和感を覚えていたためだ。
「ありがとうございます、ベルツ魔道伯爵様。これは私の独断でお伝えすることでございます、侯爵ご夫妻とフォルセア様をはじめ、ごく一部の者しか知らないことでございます」
「分かりました」
ラングルトは防音と認識阻害の魔法を展開する。万が一外に誰かがいても、屋敷の中のことは何ひとつ分からなくなる。
「フォルセア様との婚約、まことに嬉しゅうございます、フォルセア様は幼い頃より危険なことや心無い声に傷ついてまいりました。誰よりも強い貴方様がフォルセア様をお守りくださる、これ以上嬉しいことはございません」
普段ほとんど表情を変えない、模範的な侍女としてのシリスはどこにもいない。
「ご存知かと思いますがフォルセア様は子供の頃に魔力の少なさから婚約を破棄されておいでです」
ぴくり、ラングルトの眉が動く。
「その際に父君から言い渡されたのです、必ずフォルセア様を守ってくれる良い家を見つけるから、誰も愛さぬようにと」
「…どういうことですの」
なし崩し的に同席しているフリージアが尋ねる。
「誰かを好きになってもその方の元に嫁げるわけではありません。今のフォルセア様ならば違ったでしょうが、幼いフォルセア様は本当にお力がなかったのです。婚約破棄を経験し、更に別の方に恋破れて苦しむぐらいならば誰も特別に想うなと」
「そのようなこと、不可能ですわ」
恋など、いつの間にか落ちてしまうものではないか。フリージアは己の経験からも知っている。
「フォルセア様は出来てしまうのです、ご自身の無力さを痛感なされたせいでしょう、完全に感情を制御なさるようになりました」
シリスはもう一度頭を下げる。
「ベルツ魔道伯爵様への言動も恋や愛ではなく、ただ非常に信頼できる、好意を持てる方と感じていらっしゃいます。それが今のフォルセア様の感情の限界なのです」
ですが、と続ける。
「私はフォルセア様に心から幸せになっていただきたいと願っております。今のフォルセア様は婚約者という方への対応を知らず、きっと冷たいとも取れる線引きをした態度をとってしまうと思います。ですが、どうか、ベルツ魔道伯爵様におかれましては、どうか、フォルセア様を厭うことなく、寛大なお心でいていただきたいのです」
深く深く腰を折るシリスを、ラングルトは眺める。
フォルセアの清々しい、からりとした言動の理由の一端は、こういうことなのか。
昨日、ラングルトのことをフォルセアに問うた侯爵も、確かにどこを好きになったのか、という意味を一切含んでいなかった。ラングルトはどういう人物か、という問いだった。
「…貴女の言いたいことは理解したつもりです」
顔を上げて下さい。
ラングルトの言葉に、フリージアがシリスの背をそっと支えた。
「フォルセア様が私を愛せずとも、婚約を破棄することはありません。お互い様です、元よりそういう契約ですから」
「魔道伯爵様…」
「ですが、私はフォルセア様を良い方だと心から思っています。まだ知り合って間もないですが、それなりに末長く仲良く出来たらと考えていますよ」
それが、シリスの望む言葉なのかは分からない。ラングルトとしては気にしていないと、そう伝えるしかなかった。
「大丈夫ですわ、シリス」
「フリージア様…」
「フォルセアの情緒がまだ育っていないということなのでしょう?これからですわ、きっと大丈夫」
(そういうことなのだろうか?)
ラングルトは内心で首を傾げる。
シリスの悲壮感が全く伝わっていないかのようなフリージアの言葉だ。
「私がちゃんと見守ります、貴女もいますし、オルソーも、それになんたってお兄さまもいらっしゃるのです」
育てれば良いだけの話ですわ!
フリージアの高らかな宣言が、部屋に反響した。




