11、ルドベキア侯爵邸2
フォルセアは友人知人は多いが、恋愛ごとの経験は皆無だ。はっきり表現すると、モテない。
近付いてくる男性は居ても、彼らの第一目的はフォルセアの貴族としての身分なので、目に見えたお決まりの部分しか褒められることはない。
自分自身、愛らしさとは程遠い性格を自覚しているため、きれいだの格好良いだのと言われる方がまだ慣れている。
なので。
あまりにも当然の様に、ラングルトがフォルセアはかわいいと評したので、なんというか、不意を突かれたのだ。
頬が熱い。
それに耳も熱い。
フォルセアは誤魔化そうと笑顔を浮かべてはみたが、ぎこちないものになってしまっている感覚はあった。
そんなところに、ラングルトが、
「本心です」
と、冷静なままフォルセアに告げるものだから、内心ではパニックだ。上手い返しも思い当たらず、
「恐縮です」
と口走る。
本当にかわいげのない、いや、ラングルト様にはかわいいのか?
(混乱する)
熱くなった耳を少しでも誤魔化そうと、フォルセアは耳を押さえた。
(演技だ、これは演技だと理解しているのに)
なんとも情けないではないか。ラングルトから褒められた、その位で自分はうろたえるのか。
「フォルセア、良かったわね、ありがたいことだわ」
母がフォルセアの右手を握りしめた。どうも最初から、アニエスは賛成の意思表示をしているように見える。
「ふむ…」
妻と娘、そしてフォルセアを見つめるラングルトの三人を交互に見て、ライゼルは息を吐く。そして、
「ふむむ…」
うなった。
吐くため息が長い。
もう一度大きく息を吸って、また吐く。長い。これ見よがしのため息に思えてしまう。
普段の穏やかなルドベキア侯爵としての父しか知らない者が見たら驚くであろうその渋面を、実はフォルセアは見慣れている。
フォルセアの無茶に、父は何度もこの顔をしている、させている。
「あなた、素晴らしいお話ではないですか」
妻の言葉に、ライゼルは「しかしな、」と眉を寄せた。
「ベルツ卿よ、急な話だ。なぜ年内と指定して私に面会を求めたのだ?」
「閣下が新年祝賀会でフォルセア様に婚約者候補を紹介なさる可能性を危惧しましたので」
ラングルトの返事は淀みない。あらかじめ準備してきた言葉だろう。
(フリージアに感謝だな)
親友たちとの話し合いで決めた話題だ。
シナリオ通りなのだ。
少しずつ、フォルセアも冷静になっていく。
ラングルトはフォルセアとの契約を守るため、父に相対して下さっているのだ。慣れぬ褒め言葉に動じている場合ではない。
はぁ、とライゼルはまたため息。
「貴殿は本当にフォルセアを娶りたいだけなのだな」
(うん?)
不思議な表現だと思った。
フォルセアは父を見る。
「知っているだろうが、娘は魔力が極端に少ない。それは構わないのだろうね」
かつて、フォルセアはそれを理由に婚約破棄された。いまだに婚約者がいない理由もそれが大きい。
「なんの問題もありません。私が全力でフォルセア様をお守りいたします」
「そうだな。貴殿より力のある魔道士など、この国にはおらんからな」
なにせラングルトは魔道伯爵。
様々な魔道具の研究成果だけではなく、数多の魔法を使いこなす事ができる稀有な魔道士。
スタンピードの際の魔物掃討戦での輝かしい武功も多く立ててきているのだ。
フォルセアひとりを守るだけならば戦力過多だ。
「父上」
「言うな、フォルセアよ。分かっている、分かっているのだ」
ため息。
父として、娘の幸せを願うことと相手を認めることは別の話なのだと、ライゼルは思い知る。
しかもよりにもよって人柄も実力も財力も地位も容姿ですら保証された魔道伯爵。
(よりにもよって魔道伯爵)
はぁぁ、
父として侯爵として、ライゼルはぐずぐずしたくもなるではないか。
(よりにもよって!)
誰でも良いとは言った。言ったが、我が娘ながらなんという相手を捕まえてきたのだ。
「…分かった、結婚を認めよう」
重苦しい承諾だ。
それでも是は是。
「良かったわ!フォルセア、良かったわね」
アニエスがぱっと歓声をあげる。フォルセアも詰めていた息を吐いた。
「ありがとうございます、父上」
「ありがとうございます、閣下」
ラングルトも神妙に頭を下げる、と、手にフォルセアが触れた。
「ありがとう、ラングルト様」
「フォルセア様、良かったです、本当に」
さすがに気を張っていたのだろうし、あれほど長い言葉を一気に喋ったのだ、疲れたのだろう。
ラングルトも長い息を吐き、肩の力を緩めた。
「おめでとうございます、お嬢様」
母の侍女や家令たちが祝福をしてくれる。
一言も口を挟まず、物音ひとつ立てずにフォルセアたちのやり取りを見守ってくれていたのだ。彼らもさぞ張り詰めた心持ちだっただろう。
「ありがとう」
フォルセアも礼を言う言葉から力が抜けてしまう。笑みを浮かべると、ラングルトもまた、フォルセアを見て目元を緩めていた。彼の普段をフォルセアはよく知らないが、それでも珍しい姿なのではないだろうか。
「結婚は認める、だが、それはフォルセアが学園を卒業してからだ。まずは婚約からだよ」
一度決めてしまえば、そこは有能なルドベキア侯爵。先程の渋面は鳴りを潜めている。切り替えはとても早い。
「承知しております」
ラングルトが肯定すると、ライゼルも頷いた。
「ベルツ伯爵位も貴殿が有しているな。早急に婚約誓約書を用意しよう」
エディアン、とライゼルは家令を呼ぶ。
「すぐに準備してくれ」
「お待ちください、閣下」
ラングルトは携帯していた鞄から書類を取り出す。
「僭越ながら、持参しております」
「なんと、…用意のいいことだね」
「恐れ入ります」
家令を経由して渡された婚約契約書を広げて、ライゼルは目を剥いた。
サインがされてある。
ラングルトのサインではない、受理のサインだ。しかもそれは。
「イザ卿のサインがしてあるのだが…?」
当主の言葉に家令も驚く。つい、主人の手元を確認してしまう。
結婚や婚約の契約書は教会の神官か行政府の聖務局に受理してもらわなくては公的に認められない。
すでに、認められた婚約契約者が用意されており、そしてそこに書かれた神官の名は。
「はい。フォルセア様に結婚を申し込む際にイザ卿に相談しましたら、大変喜んでいただきまして。祝福とともに、婚約契約書にサインもしてくださいました」
クリストル・イザはアルストロメリア王国で最年長の魔道伯爵だ。
わずか三人しかいない魔道伯爵位の一人で、彼は類い稀なる治癒魔法の権威の、しかもアルストロメリア王国正教会の前大神官である。
今は年齢を理由に大神官位を辞し相談役として教会に在籍している。その人の署名なのだ。
「フォルセア様と結婚できた暁には、イザ卿ご自身が結婚式で誓いの儀式を執り行ってくださるそうです」
淡々とラングルトは説明するが、
「なんということだ」
ライゼルは頭を抱えた。
「イザ魔道伯爵はもう定年のお年では?」
「私たちの結婚式をするまでは辞めないと張り切っておられました」
フォルセアとラングルトが小さく会話する、しかし、すぐそばの父に聞こえないわけがない。
「イザ卿のお力はあまりに偉大、何としても退職させずに引き留めようと、国王陛下をはじめ我々侯爵家もさんざん悩んでいたというのに…」
ルドベキア侯爵としてのライゼルがひたすら唸っている。
「数年間は退職を見送って下さったということですか」
フォルセアが確認すると、ラングルトは頷く。
「なんということだ」
そんなことがあるのか。ライゼルは肩を落とした。我々の苦労は何だったのか。
「早急に陛下に奏上せねばな」
「旦那様、大事なことではございますが、まずはお嬢様を」
「そうですよ、あなたったら」
諌める家令の言葉に、不満を滲ませた妻も続く。
「…そうだな、いや、失礼したね、ベルツ卿」
「いえ」
「すぐにサインをしよう。エディアン、今日中に神殿に提出できるか」
「かならず」
家令の返事にライゼルは頷く。
侍女が粛々と用意したペンで、しっかりと婚約誓約書にフォルセアの名と当主である自身の署名をした。次いで、ラングルトも己の名と、魔道伯爵としての署名をする。
神官の受理のサインがすでに記入されているので、行政府の聖務局か神殿へ提出するだけでラングルトとフォルセアは正教会に認められた婚約者ということになる。
「エディアン、すまないがお前が届けてきてくれ。受理されたら複製を必ずベルツ魔道伯爵に届けるように」
「かしこまりました」
家令は一礼し、しっかりとファイルに婚約誓約書を収め、応接室を出て行った。侍女は冷めた紅茶を新しいものに取り替えている。
「さて」
ライゼルはラングルトとフォルセアに向き直った。
「これで間違いなく二人は婚約したことになるね。ベルツ卿、娘をよろしくお願いする」
「謹んで、承りました」
「ありがとうございます。父上」
ラングルトとフォルセア、二人揃って頭を下げる。アニエスも嬉しそうに笑みを浮かべている。
「ベルツ卿、いや、これからは義息となるのだ。私的な場ではラングルト殿と呼ばせていただこうか」
「はい」
「ラングルト殿はベルツ家とはいえ、立場的には我がルドベキアの保護下に置かれることになる。何か助けられることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
「それと、婚約したとはいえ急な話だ、公表は…」
「これから新年の式典も夜会もあります、今この時期の発表は王家のご準備のお邪魔になってしまうのではないかしら」
アニエスが助言する。
確かに、席順や案内の仕方に変更が必要になるかもしれないし、夜の祝賀会で国王陛下からお言葉を頂戴する、その段取りが増えてしまう。
「フォルセアもまだ学生だ、ラングルト殿との婚約を公表することで生活が変わるのも良くないだろう。半年後を目処に婚約式を挙げようか、その時に正式に公表しよう。もちろん、陛下や他の侯爵家には今日のうちにお知らせはするがね」
「では、結婚式は婚約式の一年後を目安にいたしましょう。フォルセアの大切な式ですもの、準備には時間がいくらあっても足りませんわ。今から用意を始めないと」
アニエスが生き生きとしはじめる。式場の準備、衣装、招待客、披露の会、やることは多いが数年前に代替わりしたルドベキア侯爵夫妻が執り行う、最初の大きなイベントということになる。
「ラングルト様、大丈夫ですか…?」
どんどん話を進めていく両親にフォルセアは不安になる。嫁いで行くというのに婚家よりも嫁側の親が張り切っている。
彼らはフォルセアの両親なのだ。
…つまり、中々せっかちだ。
「大変助かります、恥ずかしながら、我が家にはこのような段取りが取れる人材がおりません」
ラングルトはあまり動じていないようだった。
ラングルトたちの父、前ベルツ伯爵は早世しており、母君はまだ元気ではあるが…。
「ラングルト殿、前ベルツ伯爵夫人はご存知なのかね」
ライゼルはフォルセアたちの知らない事情を知っているようだ。やけに遠回しな言葉。
「母へは機を見て報告いたします。式には出られるようにいたしますが、それ以外は極力関わらないようにするつもりです」
フォルセアがフリージアから聞いたのは、行きすぎた教育方針を振りかざす母君だということぐらい。ラングルトの口ぶりだと、何か他にもあったのかもしれない。
「式の準備に侯爵ご夫妻の助けをお借りできるのはとてもありがたいと思います」
「まあ、それなら私もはりきりますからね」
アニエスはにっこりとほほ笑む。
「大事な娘と、新しい義息のためだもの」




