55話
なぜかゲッシと連れ立って、街のお洒落なカフェに入店した緑田。ゲッシは軽食メニューの中で一番高額なガレットを注文し、半分ほど平らげたところで顔を上げた。
端から緑田におごらせる気満々な態度には若干腹が立ったが、かといって突っぱねたり本気で怒ったりするほどのことでもない。ゲッシも緑田の器量を計算した上で、甘えているのだろう。
「そういえば大将、最近うちらの間でレッドシューズさんの噂でもちきりなの、知ってますか?」
『うちら』というのは、緑田が買い取った奴隷たちのコミュニティを指していた。
「噂?」
「そうです。ここだけの話ですけどね……」
ゲッシは周囲をサッと警戒し、重大な秘密を明かすかのように声を潜めた。
「レッドシューズさんが、恋をしてるんじゃないかって噂なんですよ」
「あいつだって男だ、恋くらいするだろ」
「まあそうなんですけどね……それが『許されない恋』だとしたらどうですか?」
「許されない恋?」
「いわゆる、身分違いの恋ってやつですよ」
「あー……」
そこまで聞かされて、緑田は初めて合点がいった。
前世の感覚が未だに抜け切っていないせいであまり意識していなかったが、この世界には厳しい身分制度が存在している。好きな者同士が自由に結ばれることなど、決して当たり前ではないのだ。
貴族社会では、まだ成人にも満たない少女が家の都合で父親ほど年の離れた男へ嫁がされるような話が日常茶飯事として転がっている。
その点、レッドシューズは奴隷だ。この世界の最下層に位置している。どれほど強く望んでも叶わない恋があるのは、むしろ当然の現実だった。
「身分違いの恋か……そればかりは、さすがにどうしようもないな」
一口紅茶を含んでから、緑田は呟いた。この国の人々は紅茶を好む。このカフェでも微かにコーヒーの香りが漂ってはいたが、値段が跳ね上がる上に、安いコーヒーは到底飲めたものではないほどマズい。だから緑田は、こうした店ではいつも無難な紅茶を選ぶようにしていた。
「そうなんですけどね。俺らはみんなレッドシューズさんのことが好きなんで、余計に気になっちゃうんですよ」
「それだけあいつの信頼が厚いってことだな」
「ええ。ですがなんだか最近は、人が変わっちゃったみたいに見
えるんですよね。仕事終わりに呑みにも行ってないみたいですし」
「そうなのか!?」
緑田は思わず声を上げた。
レッドシューズと言えば、仕事が終わるやいなや酒場へ繰り出すのが日常茶飯事だ。翌朝酒臭いこともしばしばだが、それでも現場ではきっちり仕事をこなすため、緑田も特に咎めてはこなかった。
「そう言われてみれば、ここ最近は給料の前借りも頼まれてないな……」
「同居人の話だと、夜も部屋に引きこもってブツブツと独り言を言ってるらしいです」
「それは……かなり重症だな」
「ですよね? 仕事自体は相変わらず完璧にこなしてくれてるんで文句はないんですけど、やっぱり仲間としては心配ですよ」
「しかし、だからといってどうしてそれが『恋』のせいだということになるんだ?」
緑田がごく素朴な疑問をぶつけると、ゲッシはふっと鼻で笑った。
「何言ってるんですか! 大の男がそこまで思い悩むことなんて、恋以外にないじゃないですか。アーサーさんにだって経験あるでしょう? 仕事が順調にいっているある日、ふっと目の前に現れた美しい女性。心臓が高鳴って体が熱くなって『これは運命の出会いだ!』なんて、周りが見えなくなるまで夢中になっちまうこと。いわゆる『恋の病』ってやつですよ!」
「そ、そうか……」
熱量高く一気に捲し立てられ、その場では「なるほど、そうなのか」と呑み込んでしまった緑田だったが、時間が経つにつれてじわじわと腹が立ってきた。なんだか「そんなことも分からないんですか」と馬鹿にされたような気がしたからだ。
「それにね、俺は見ちゃったんですよ。レッドシューズさんが女性の手を引いて歩いているところを。これで間違いなしでしょう!」
勝ち誇った顔で胸を張るゲッシの口元で、長い前歯がきらりと光った。
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