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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十章 甲州と、留守の裁き

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第96話 寂しい人


 安土。

 大広間ではなかった。この日、上様は俺を、湖に面した小さな部屋に通した。七年前、円と点の図を見せた部屋だ。乱丸(らんまる)が、茶を置いて下がった。

 俺は、書付を出した。

 ――上様御不在の折、中将様が決めてよきこと。全九箇条。

 信長は、読んだ。いつも通り、速い。

 だが、七条目で止まった。

 ――急を要する兵の動き。ただし、千まで。

「日向守。なぜ、千だ」

「中将様が、そう決められました。それがしは、五千と書きました。中将様が、『五千は多い』と申されました」

「なぜだと申した」

「『五千動かせば、それは戦だ』と。『戦を始めるのは、父上の役目だ』と」

 信長は、書付を膝に置いた。しばらく、動かなかった。

「日向守。勘九郎は、他に、何か言うたか」

 俺は、少し迷った。そして、腹を決めた。

「申されました。――『父上が知らぬことを、増やしたくない』と。『父上は、全部を頭に入れておられる。それが父上の強さだ』と。『わしが勝手に決めれば、その分、父上の頭から抜ける。抜けたところで、父上は誤られる。ゆえに、全部報ずる』と」

 長い沈黙があった。俺は、額を畳につけたまま、待った。

「日向守。顔を上げよ」

 信長は、書付を見ていた。こちらを見ていなかった。

「――あれは、そんなことを考えておるのか」

「さようにございます」

「日向守。おぬし、勘九郎に、わしのことを何と教えた」

「教えておりませぬ。何も、申しておりませぬ。――むしろ、それがしが、中将様に教わりました」

「何を教わった」

「上様のことにございます」

 部屋が、静かになった。

「――申せ」

 俺は、迷った。

 (言うのか)

 危険だ。だが、言わねば、何も変わらぬ。

「中将様は、こう申されました。――『父上は、寂しい人だ』と」

 静まり返った。

 (斬られるか)

 長い沈黙があった。異様に、長かった。

「日向守。他に、何と言うた」

 顔を上げずに、続けた。

「『誰にも分かってもらえぬと思うておられる』と。『そして、それは、たぶん当たっておる』と。『父上は、速すぎて、誰も追いつけぬ。ゆえに、いつも一人で決めておられる』と」

 額を畳につけたまま、最後の一言を言った。

「――『気の毒だと思う』と」

 沈黙が、続いた。どれくらい経ったか。

「日向守。顔を、上げよ」

 顔を上げた。

 信長は、こちらを見ていた。その顔に、何もない。いつも通りの無表情だった。

 だが、目が違った。いつもの、眠たげな目ではなかった。何かを、抑えている目だった。

「日向守。おぬし、わしを気の毒だと思うか」

 俺は、しばらく考えた。そして、正直に言った。

「思いませぬ。それがしは、上様を恐ろしいと思うております。七年、そう思うて参りました。――ですが、中将様のお言葉を聞いて、思いました。それがしは、上様を、見ておりませなんだ。上様を『仕組み』として見ておりました。上様が倒れたら、どうなるか。上様がお忘れになったら、どうなるか。それしか、考えておりませなんだ。――上様が、どうお思いになるかを、一度も、考えておりませなんだ」

 長い沈黙。

「日向守。――当たり前だ。家臣が、主の心を案じてどうする。そんなものは、要らぬ」

「申し訳ございませぬ」

「――だが。勘九郎は、家臣ではない。あれは、息子だ。息子が、父を気の毒だと思うのは」

 言葉を切った。しばらく、黙っていた。

「――勝手にすればよい」

 俺は、動けなかった。

 (照れている)

 この人が。

 信長は、書付を取った。

「日向守。これは、認める。ただし、一つ、足す」

 筆を取り、書いた。

 ――十、右のいずれにおいても、中将は、明智日向守に問うべし。

 息を呑んだ。

「上様。これは」

「そのままの意味だ。勘九郎が決めるとき、おぬしに聞け、ということだ」

「お待ちくださいませ。それは、危のうございます。それがしと中将様が、近すぎることになりまする。上様は、以前、それを案じておられました」

 四国のことを言った。俺と長宗我部が近すぎることを、この人は案じた。同じことだ。

「日向守。覚えておるか。『疑わずに済む形にしておくのが良い』と、わしは申した。――今、書いたのが、それだ。おぬしと勘九郎が、隠れて話せば、疑われる。だが、わしが『問え』と書けば――それは、命令だ」

 俺は、動けなかった。

 (そうか)

 俺を縛るものではない。俺を守るものだ。俺が信忠に助言することは、事実として既に起きている。隠せば、密談になる。命令として明文化されれば、職務になる。四国では、俺と元親の近さを「離す」ことで処理した。今度は、俺と信忠の近さを「書く」ことで処理した。同じ人が、二つの手を持っている。

「上様。ありがたく存じます」

「礼を言われる筋ではない。おぬしを使うておるだけだ」

 俺は、少し笑った。

「中将様も、同じことを申されました。『わしが、そなたを使うておるのだ』と」

 信長は、しばらく黙っていた。

「――似ておらぬと思うておったが。少しは、似ておるか」

 胸が動いた。この人が、息子との共通点を口にしたのは、初めてだ。

 退がろうとしたとき、声がかかった。

「日向守。一つ、聞く。――わしは、いつ死ぬと思う」

 俺は、動きを止めた。

 (何だ)

 この人が、そんなことを聞くのは、初めてだ。

「分かりませぬ。――ですが、いつ来ても、よいようにいたしております」

「日向守。それは、不敬だぞ」

「申し訳ございませぬ」

「――だが、正しい。わしは、いつか死ぬ。そして、たぶん、突然だ。戦の最中か、道の途中か。――畳の上では、死なぬだろう」

 俺は、動けなかった。

 (分かっている)

 自分の死に方を、予想している。俺が知っている死に方と、たぶん同じ形で。

「上様。恐ろしくは、ございませぬか」

 信長は、しばらく黙っていた。

「――恐ろしい。死ぬのが、ではない」

 書付を見た。

「――死んだ後が、恐ろしい」


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― 新着の感想 ―
信長が孤独なのは確かとして、それを気の毒に思うなど分かってくれる相手がいてそれが息子という点で凄く感じ入るものがあったんだろうなと。 息子と家臣の違い、父息子で似ている部分、更にそれを口に出したところ…
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