↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十章 甲州と、留守の裁き

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
94/151

第94話 新府の火


 天正十二年、十月。

 武田は、崩れ続けていた。

 ――十月二日。諏訪、降る。

 ――十月五日。甲斐へ入る。

 ――十月七日。新府城、焼かれておる。

 三行目で、手が止まった。

 (新府)

 勝頼が、去年築いたばかりの城だ。新しい本拠。それを、自分で焼いた。

 ――勝頼、岩殿へ向かうとの由。小山田信茂(おやまだのぶしげ)を頼るなり。

 目を閉じた。

 (知っている)

 俺の記憶では、小山田信茂は裏切る。勝頼を受け入れず、追い返す。そして、勝頼は天目山で死ぬ。

 (止められるか)

 いや。止める理由が、ない。勝頼は、敵だ。織田家にとって、滅ぶべき相手だ。

 だが、書院で一人、考えていた。

 (なぜ、こうなった)

 武田信玄は、強かった。上様が恐れるほどに。それが、九年で滅ぶ。

 筆を取り、書き出した。

 ――武田が滅びし理由。

 一、長篠の敗戦。大きい。だが、これだけでは滅びない。家は、一度の敗戦では滅ばない。

 二、九年、守り続けた。守るのは悪いことではない。だが、家臣に褒美が出ない。褒美が出なければ、家臣は離れる。

 三、勝頼が、諏訪の出であること。

 その一行で、手が止まった。勝頼は信玄の四男だ。母は諏訪の出で、勝頼自身も諏訪家を継いでいた。本来、当主になる立場ではなかった。書き足した。

 ――ゆえに、宿老が従わぬ。

 信玄の代からの宿老たちは、勝頼を「本来の当主ではない」と見ている。正統性の問題だ。

 そこで、筆が止まった。

 (待て)

 中将様は、どうだ。織田信忠。信長の嫡男だ。正統性に、問題はない。だが、家臣は従っているか。

 (従っている)

 いや。上様がおられるから、従っている。

 書いた。

 ――後継者への服従には、二つある。一つは、先代がおるゆえの服従。一つは、後継者自身への服従。前者は、先代が死ねば消える。

 (武田は、前者だった)

 信玄が死んだとき、宿老たちは勝頼に従わなかった。従うふりをしただけだ。そして、九年かけて、離れた。

 ――では、後者はどうやって作るか。

 筆が止まった。分からぬ。三日考えた。

 (成功だ)

 ――後継者自身への服従は、後継者が決めたことが当たった経験から生まれる。ゆえに、後継者には、決める機会を与えねばならぬ。そして、その決めが当たる機会を、作らねばならぬ。

 少し寒くなった。

 (作る、か)

 危うい話だ。わざと成功させる。それは、操作ではないか。

 書き足した。

 ――ただし、その成功は、まことのものでなければならぬ。偽りの成功は、家臣に見抜かれる。見抜かれれば、逆に信を失う。

 少し安堵した。高遠のことを思い出した。あれは、俺が仕組んだことではない。信忠が、自分で決めた。そして、二千が生きた。


    ◇


 十月の半ば。

 ――十月十一日。勝頼、天目山にて自害。夫人、嫡男も同じく。

 長いこと、見ていた。

 (同じだ)

 俺の記憶と、同じだ。変わらなかった。

 いや。続きを読んだ。

 ――小山田信茂、勝頼を受け入れず。我、これを聞き、信茂を捕らえたり。

 (捕らえた)

 俺の記憶では、小山田信茂は処刑された。だが、それは上様の命令だったはずだ。中将様が、先に捕らえた。

 ――信茂、申し開きをす。『武田は既に崩れておりし。家中の者を守るため、やむを得ざりし』と。我、これを聞き、しばし考う。

 ――我、思うに、これは筋の通りたる言い分なり。されど、主を見捨てたるは事実なり。ゆえに、我、次のごとく裁く。

 ――所領は、召し上ぐ。命は、助く。ただし、武士としては用いず。

 俺は、動けなかった。

 (助けた)

 中将様が、変えた。

 ――右の裁き、父上に報ずべし。父上、これを認めざる場合は、我が責なり。

 思わず声が出た。

 (先に決めて、後で報告している)

 越権だ。本来、こういう裁きは上様が下す。信忠は、先に決めた。そして、認められなければ自分の責任だと書いている。

 (育った)

 だが、同時に。

 (危ない)

 その夜、考えた。上様は、何と仰せになる。二つの可能性を書いた。一、認める。二、認めず、信茂を処刑する。

 二つ目を見て、寒くなった。信忠の裁きが、父に覆される。家臣の前で。

 四年前に信忠に言ったことを思い出した。家臣の前で主が正されれば、その主の言葉は、二度と重くなりませぬ。同じことが、起きる。

「利三ッ。安土へ行く」

「今からでござるか」

「今からだ」


    ◇


 その夜のうちに舟を出した。翌朝、安土に着いた。

 信長は、すぐに会ってくれた。俺の顔を見て、言った。

「日向守。休めと申したはずだが」

「休みました。十日、頂きました」

「勘九郎が、小山田を助けたそうだな」

「さようにございます。上様は、いかがお考えでございましょうか」

「――甘い。主を見捨てた者だ。斬るべきだ」

 俺は、身を固くした。

「上様。一つ、申し上げてよろしゅうございますか。斬るべきかどうかは、それがしには分かりませぬ。――ですが、覆されるべきではないと存じます」

「どういう意味だ」

「中将様が、既に裁かれました。それを上様が覆されれば、中将様の裁きは、軽くなりまする。そして、次から、諸将は中将様の裁きを待たなくなりまする。――『どうせ上様が覆される』と」

 長い沈黙。

「日向守。おぬしは、勘九郎の裁きが正しいと申すか」

「分かりませぬ」

「ならば、なぜ庇う」

「――正しさより、重うございますゆえ。上様。この一件は、小山田一人の命の話ではございませぬ。中将様の裁きに、重さがあるかどうかの話にございます。小山田を斬れば、上様は正しゅうございます。ですが、中将様の裁きは、軽くなりまする。――どちらが、織田家にとって重いか」

 長い沈黙があった。

「日向守。顔を上げよ。――おぬし、勘九郎に頼まれたか」

「頼まれておりませぬ。中将様は、知りませぬ。それがしが、勝手に参りました」

「日向守。おぬし、勘九郎に肩入れしすぎだ。なぜだ」

 俺は、しばらく答えられなかった。

「上様。それがしは、五十六になりました。上様は、五十一にございます。そして、中将様は、二十七にございます。それがしは、あと十年、生きられるか分かりませぬ。上様も、いつまでとは分かりませぬ。――ですが、中将様は、まだ三十年ございます」

 長い沈黙。

「日向守。――小山田は、助ける。ただし、勘九郎には、こう伝えよ。『次はない』と。勘九郎は、先に決めて、後で報せた。今回は、認める。だが、次は、先に問え」

「承知いたしました。――ですが、一つだけ、お伺いしてよろしゅうございますか。上様が、遠国におられるときは、いかがいたしましょう。備中と甲斐では、報せが行き来するのに、二十日かかりまする。二十日、裁きを待つのでございますか」

 長い沈黙があった。

「日向守。おぬし、それを言いに来たな」

 俺は、平伏し、答えなかった。

 小山田の話は、本当だ。だが、それが全部ではない。煕子に教わった通りにした。

「――書け。わしがおらぬときに、勘九郎が何を決めてよいかだ」


    ◇


 十一月。俺は、駿河にいた。

 駿河を徳川に渡す。その受け渡しの立ち会いを、命じられた。書付を作った男が、書付の通りに渡す役をやる。当然といえば、当然だった。

 徳川三河守家康は、四十一になっていた。

 (――狸親父)

 俺の頭に最初に浮かんだのは、その四文字だった。

 ゲームでは、最終盤の敵として出てくる。序盤は同盟相手として大人しくしていて、こちらが天下に手をかけた頃に、東から膨れ上がってくる。数字は、全部が高い。突出したものはないが、穴もない。そして、寿命がやたらと長い。

 大河ドラマでは、たいてい二通りに描かれる。若い頃は苦労人で、人質に出され、我慢を重ね、家臣に支えられて生きる。そして後半、腹の出た狸になる。関ヶ原で豊臣を潰し、大坂で豊臣を滅ぼす。

 (――四百年、そう言われ続けてきた男だ)

 我慢の人。律儀者。そして、最後に全部を取る男。

 それが、目の前にいる。

 (――太っている)

 それが、最初の感想だった。恰幅がいい、という言い方では足りない。腹が出ている。だが、動きは鈍くない。座り方が、静かだった。

 板が、浮かんだ。

 ――――――――――――――――――

 徳川家康(とくがわいえやす) 四十一歳

 三河・遠江・駿河

 【総評】待つ男。

 ――――――――――――――――――

 統率85 │ 戦術82 │ 兵站財務88

 政務実務90 │ 交渉外交85 │ 人望80

 ――――――――――――――――――

 ◆特記事項

  忍耐      99

  組織の記憶   92

  自己申告    10

  余命      表示不可

 ――――――――――――――――――

 俺は、その並びを、三度読んだ。

 (――忍耐、九十九)

 この数字を、俺は他に一つしか見たことがない。上様の意思決定速度だ。突出した数字は、その人間のすべてを説明する。

 そして、その下。

 組織の記憶、九十二。

 (――何だ、これは)

 こんな項目は、初めて見た。

「明智日向守にございます。駿河の儀、お渡しに参りました」

「――ご苦労にござる」

 声が、低い。そして、遅い。一言ずつ、間が空く。

 書付を渡した。家康は、それを読んだ。速くはない。だが、指が二度、止まった。

「日向守どの。これは、戦の前に書かれたものにござるか」

「さようにございます」

「――なにゆえ」

「戦の後では、分け前の争いになりますゆえ」

 家康は、しばらく黙っていた。

 そして、初めて、こちらを見た。

「――それは、こちらのためにござるか。織田様のためにござるか」

 俺は、少し考えた。そして、正直に言った。

「両方にございます」

 家康は、また黙った。

 やがて、こう言った。

「――正直にござるな」


    ◇


 その夜、酒が出た。家康は、あまり飲まなかった。俺も飲まない。二人とも飲まない席というのは、話が続かないものだが、この人は違った。

「日向守どの。一つ、伺ってよろしいか」

「なんなりと」

「――織田様は、いつまで保たれるとお思いか」

 俺は、動きを止めた。

 (――踏み込んできた)

 同盟者が、相手の当主の寿命を聞く。無礼を通り越して、危険な問いだ。

 だが、この人は、それを静かな声で聞いた。

「三河守様。それは、お答えできかねます」

「さようか」

 家康は、あっさり引いた。そして、続けた。

「――それがしは、二度、家を失いかけ申した」

 俺は、顔を上げた。

「一度目は、父が死んだ折にござる。それがしは、六つにござった。家中は割れ、それがしは他家に預けられ申した」

 この人は、盃を置いた。

「二度目は、家中が二つに割れた折。門徒にござる。家臣が、半分、こちらに槍を向け申した」

 三河一向一揆だ。二十年前のことだ。

「日向守どの。あの折、それがしは、こう思い申した。――『敵は、外におらぬ』と」

 俺は、腹の底で受けた。

 (――同じことを言っている)

 俺が二十年考えてきたことを、この人は、二十年前に一度、身で通っている。

「三河守様。それで、いかがなされました」

「――許し申した。槍を向けた者を、全部、帰参させ申した」

「全部、でございますか」

「全部にござる。――斬れば、三河の侍が半分になり申す。半分の家では、武田に勝てぬ」

 俺は、しばらく黙っていた。

 (――計算だ)

 情ではない。生き残るための計算だ。そして、その計算を、二十年前の若い当主がやった。

「三河守様。恨みは、残りませなんだか」

「残り申した」

 家康は、即答した。

「――今も、残っており申す。あの折こちらに槍を向けた者の名を、それがしは全部覚えており申す」

 俺は、動けなかった。

「覚えておって、使っておられますか」

「使っており申す。恨んでおるが、使い申す。――日向守どの。この二つは、両立いたす」

 (――組織の記憶、九十二)

 この数字の意味が、そこで分かった。

 この人は、忘れない。誰が何をしたかを、全部覚えている。そして、覚えたまま使う。上様は忘れる。一日に百決めて、四年で十四万決めて、四年前の一言を忘れる。この人は、忘れない。

 (――どちらが、恐ろしい)

 答えは、明らかだった。


    ◇


 別れ際、家康はこう言った。

「日向守どの。書付を、頂けぬか」

「どの書付を、でございましょう」

「――何でもよろしゅうござる。日向守どのが、家中に配っておられるものを」

 俺は、少し迷った。

 だが、渡した。『役目の量、定めの覚』は、まだ書いていない。渡したのは、『荷の覚』だ。近江と播磨と越前の荷を突き合わせたものだ。

「三河守様。これは、荷の書付にございます。戦には、役に立ちませぬ」

「――戦に役立つものは、頂きとうござらぬ」

 家康は、書付を受け取った。

「それがしが欲しいのは、戦が終わった後に要るものにござる」

 俺は、その言葉を、書き留めておきたいと思った。


    ◇


 坂本へ戻る道で、利三が言った。

「殿。あのお方は、何を考えておられるので」

「分からぬ」

「――正直でござるな」

「利三。一つだけ、分かったことがある」

 俺は、輿の中から外を見た。冬の駿河は、明るかった。

「――あの方は、待っている」

「何をでござる」

「――順番だ」

 利三は、しばらく黙っていた。

「殿。それは、上様がおられなくなる日、ということにござるか」

「言うな」

 俺は、そう言った。だが、否定はしなかった。

 その夜、書付に書いた。

 ――東に、待っている者がおる。

 ――待つ者は、動かぬ。ゆえに、危うくない。

 ――だが、待つ者は、こちらが崩れるのを待っておる。ゆえに、崩れねばよい。

 ――崩れぬ形を作ること。それが、東への備えでもある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。