↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第一章 光秀、未来を思い出す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/54

第9話 安土の待ち時間 


 安土では、三日待たされた。

 登城の届けは出した。取次も済んだ。だが「追って沙汰する」と言われたきり、呼ばれない。

 利三は苛立っていた。

「病み上がりの身で呼びつけておきながら、これは」

「利三」

「は」

「待てるということは、急ぎではないということだ。悪い話ではない」

 言いながら、俺は宿の窓から外を見ていた。

 安土の城下は、異様だった。

 まだ町として完成していない。あちこちで普請が続いている。それなのに、人が多い。商人が多い。荷が多い。

 ――そして、若い。

 通りを歩いている者の多くが、二十代、三十代だ。老舗の重みのようなものが、この町にはまるでない。

 (――スタートアップの街だ)

 前世で、そういう街を見たことがある。新興のテック企業が集まった地区。誰もが忙しく、誰もが自分の会社の話をしていて、そして誰も、十年後にその会社があるかどうかを考えていない。

 勢いがある。それは間違いない。

 だが、勢いのある組織は、勢いが止まったときの想定を持たない。

「利三。町を歩く」

「――は? 登城の沙汰を待たねば」

「待つ。歩きながら待つ」


    ◇


 三日で、俺は安土をかなり歩いた。

 分かったことが、いくつかある。

 ひとつ。この町には関がない。荷が自由に入る。だから物が安い。米も、塩も、坂本より安い。信長の経済政策は、末端まで効いている。

 ふたつ。町の人間が、信長を恐れていない。

 これは意外だった。第六天魔王だの、比叡山を焼いただのという話から、俺は町人が震え上がっているものと思っていた。

 だが実際は、違った。

 「上様が」「上様が」と、皆が普通に噂している。市の値のことも、普請の給金のことも。文句すら言っている。「あの普請は無茶じゃ」「石を運ぶのに人が死んだ」と。

 恐れられているのは、家臣だけだ。

 (――ああ、これも見たことがある)

 顧客には評判のいい社長。社員には恐れられている社長。

 珍しくもない。むしろ、よくある。外に見せる顔と、内に向ける顔が違うのではない。同じ厳しさが、外に向けば「妥協しない品質」に見え、内に向けば「無茶な要求」になるだけだ。

 みっつ。これが一番重要だった。

 ――町に、織田家の家臣の噂が流れている。

 誰が加増された。誰が叱られた。誰が方面軍を任された。誰が最近、上様の機嫌を損ねた。

 人事情報が、町人の世間話になっている。

 俺は茶屋の縁台でそれを聞きながら、背中が寒くなった。

 人事の噂が外に漏れている組織は、内部でも必ず漏れている。

 そして人事の噂は、当人が最も遅く知る。


    ◇


 三日目の夕方、茶屋で耳にした話が、俺の足を止めた。

「――佐久間様は、近ごろ精彩を欠かれるそうな」

 振り向きそうになるのを、こらえた。

 商人らしい二人組が、団子を食いながら話している。

「本願寺の攻めが、もう何年になる」

「五年か、六年か」

「上様は、お待ちにならぬお方じゃからのう」

 俺は、茶を口に運びながら聞いていた。

 佐久間信盛。

 織田家の筆頭家老格。石山本願寺攻めの総大将。

 そして四年後、追放される男だ。

 (――退き佐久間)

 異名も、覚えている。退却戦がうまい。負け戦で、味方の損を最小にして退く。地味な技術だ。攻めて勝つ者は讃えられるが、退いて生き残らせる者は語られない。

 ゲームでの数字は、中の下だった。統率七十そこそこ。戦術も似たようなものだ。序盤に一部隊を任せ、中盤には後方へ回す。そういう扱いだった。

 そして、この人には、プレイヤーがどうにもできないことが一つあった。

 ――追放。

 ある年になると、勝手に消える。理由の説明もない。画面に一行、「佐久間信盛が織田家を追放された」と出て、家臣一覧から名前が消える。俺は当時、少し損をした気分になっただけだった。使える駒が一つ減った、と。

 (――今、その一行が、育っているところなのか)

 俺はその折檻状の内容を、断片的に覚えている。長年、何の功もない。武功を挙げていない。人を使うのが下手だ。――そんな主旨だったはずだ。

 だが今、俺の耳に入ってきたのは、町の商人の世間話だった。

 (この噂が、四年かけて育つのか)

 背筋が冷えた。

 噂は、証拠を必要としない。反論の機会も与えない。ただ、じわじわと「あの人は精彩を欠いている」という印象を作る。そして四年後、それが公式の評価として文書化される。

 ――俺の場合も、同じだろう。

 「明智は上様を恨んでいる」という噂が、いつか、どこかで立つ。

 どこで立つのか。誰が立てるのか。

 いや、そんなものは分からない。分かるはずがない。

 分かるのは、こうだ。

 噂に対抗できるのは、記録だけだ。


    ◇


 その夜、俺は宿で紙を広げた。

 利三が呆れた顔で見ている。

「殿。また書付でござるか」

「そうだ」

「明日こそ登城の沙汰が下りましょう。少しはお休みなされ」

「これを書き終えたら寝る」

 俺が書いていたのは、これまで作っていた「現状分析」ではなかった。

 もっと単純なものだ。

 ――日付。誰と会ったか。何を話したか。何を決めたか。

 それだけを書いた紙。

 前世で言うところの、議事録だ。

「殿。それは」

「今日、俺が何をしたかを書いている」

 利三が、心底わけが分からないという顔をした。

「殿がなさったことは、殿がご存じでござろう」

「俺が忘れるからだ」

「……はあ」

「それに、俺が忘れなくても、俺が死んだら誰も分からぬ」

 利三の顔から、笑いが消えた。

「殿」

「不吉なことを言っているのではない。当たり前のことだ」

 俺は筆を進めた。

「利三。人はいずれ死ぬ。役目も変わる。丹波の陣で明日、俺が矢に当たるかもしれぬ。そのとき、俺の頭の中にしかないものは、全部消える」

 書きながら、俺は安土城の方角を意識していた。

 あの山の上にいる男の頭の中にも、膨大なものが詰まっている。

 領国の石高。家臣の性格。敵の内情。町の物価。全部が、あの一つの頭に入っている。

 それが消えたとき、何が残るか。

 ――何も残らない。

「利三。だから書く」

「……」

「書いたものは、俺が死んでも残る。残れば、次の者が読める。次の者が読めば、また一から始めずに済む」

 利三は、しばらく黙っていた。

 それから、意外なことを言った。

「殿。それは、家譜のようなものでござるか」

 俺は顔を上げた。

 家譜。系図と、家の由来を記した記録だ。

 なるほど。この時代の人間にとって、「後の世に残す記録」といえば、それだ。

「近い」

 俺は頷いた。

「だが家譜は、誰が生まれて誰が死んだかを書く。俺が書きたいのは、誰が何を決めたかだ」

「……決めたこと、を」

「そうだ。なぜそう決めたか、他にどんな案があったか、何を捨てたか」

 俺は書き終えた紙を、そっと束の一番下に入れた。

「利三。人は、決めたことは覚えている。だが、なぜそう決めたかは忘れる」

 これは前世で、嫌というほど見た。

 三年前に決めたルールが、なぜ存在するのか誰も説明できない。だから誰も変えられない。「昔からそうだから」という理由だけで、意味のない手続きが二十年続く。

 逆もある。優れた判断の理由が失われて、後任が簡単に覆してしまう。

「決めた理由を書き残せば、後の者はそれを疑うことができる。疑えるということは、直せるということだ」

 利三が、ふう、と息を吐いた。

「殿。それがしには、まだ半分も分かり申さぬ」

「構わぬ」

「されど」

 利三は、俺の書付の束を見た。

「――半分は、分かり申した」

 俺は少し驚いて、この男の顔を見た。

 利三は、それ以上何も言わなかった。


    ◇


 沙汰が下りたのは、翌朝だった。

 登城は、その日の午後。

 支度をしていると、取次の侍が妙なことを言った。

「日向守様。上様より、お言伝がござる」

「なんと」

「『紙を持ってこい』と」

 俺は、手を止めた。

「……紙、と」

「はい。それだけにござる」

 利三と、目が合った。

 利三の顔は、露骨に強張っていた。

 俺は自分の書付の束を見た。九枚。うち一枚は、円と点と線の図。上様を点で描いた図。

 持ってこい、と言われている。

 ――やはり、筒抜けだ。

 待たされている間、俺は暇つぶしに紙の裏へ落書きをしていた。

 縦横に線を引いて、九つの升目を作る。

 (――懐かしいな)

 前の世で、俺は毎年これを描かされた。縦が「今の成果」、横が「先の見込み」。人の名前を、九つのどれかに置く。右上は宝、左下は始末書。

 あれを作った会社は、後で聞いた話では、社長が「わしの部下だ。おぬしらは借りておるだけだ」と言い切って、優秀な者を勝手に他の部署へ動かしていたそうだ。ひどい話だと思った。

 (――だが、正しい)

 部署に人を貼り付けておくと、部長は必ず抱え込む。抱え込まれた者は、その部署の色にしか染まらない。会社全体の宝を、一部署の私物にさせない。そのための言い切りだ。

 俺は、九つの升目に織田家の名前を置いてみた。

 柴田修理亮。今の成果、上。先の見込み――上げようがない。六十だ。

 羽柴筑前守。今の成果、上。先の見込み、上。右上の宝だ。

 丹羽五郎左衛門。今の成果、中。先の見込み、中。真ん中。

 (――真ん中が、いちばん多い)

 そして真ん中の者に、誰も何も言わない。上と下には言葉がかかる。真ん中には、かからない。

 (――前の世で、辞めていったのは、真ん中の連中だった)

 俺は、その落書きに線を引いて消した。消してから、隅に一行だけ書き残した。

 ――真ん中の者に、何と言うか。


    ◇


 俺は束を掴んで、立ち上がった。

 不思議と、恐怖はなかった。

 むしろ、少しだけ笑いたい気分だった。

 前世で三度突き返された資料を、俺は四度目もこっそり作っていた。誰にも見せずに、完璧にしてから出そうとして、そして死んだ。

 今回は、途中で呼ばれた。

 未完成のまま、持ってこいと言われている。

 (――上等だ)

 俺は束を懐に入れた。

「利三」

「は」

「行ってくる」

 利三が、深く頭を下げた。

 その頭に向かって、俺は言った。

「もし戻らなんだら、桶の水は日に三度だ。忘れるな」

「――縁起でもないことを申されるな!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。